EX15-5 そういう形で生まれてきた

 



 フラムが“呪いの気配”を探ってたどり着いた先は、まだあまり整備されていない路地だった。

 昼間から酔っ払いやジャンキーが覚束ない足取りで歩いていたり、行き場のない人が地面に布切れを敷いて横たわっていたりと、コンシリアの裏側を見ているような気分だ。

 昔の西区の空気が残っているようで、少し懐かしくなる。

 その中に、空き家の窓ガラスを見つめながら独り言を言っている浮浪者がいた。

 彼――いや、性別が判別できないので彼女かもしれないが、その人物は肌が爛れ、髪が抜け落ち、着ている服もボロボロだった。

 だが腰には妙に小綺麗な鞘に入った短剣がぶら下がっている。

 普通に考えれば、元冒険者で怪我のせいで働けなくなったとか、そういう過去を想像するだろう。

 しかし同時に、それにしては小柄すぎるという感想も抱くはずだ。

 そう、カムフラージュとしては高度ではあるが、穴はある。

 それにフラムが『黒い金属片の正体は魂喰いであり』と気付いた時点で、それは無意味な小細工となった。


「はじめまして、ロコリ。いくつか聞きたいことがあるんだけど」


 浮浪者の前で足を止め、声をかけるフラム。

 するとロコリと呼ばれた人物はゆっくりと後ろを振り返り、爛れた顔で歯を見せながら笑った。


「さすがフラム様。よく私が私だってわかりましたねぇ」


 喉も灼けているのか、かすれた声で彼女は言った。

 もはや隠そうともしていない。

 見つかったことを喜んですらいる。

 ああ、これは扱いに困るタイプだな――とフラムは確信した。


「今までね、私は私を見ていたんです。鏡が無いから、この窓だけが私を見る方法だったんですよ」

「自分の顔を見て悲しんでたの? その体、呪いの影響でしょ」


 ロコリはおそらく、魂喰いの欠片を複数所有していた。

 腰からさげている短剣はその一つだ。

 半端な加工なので“呪いの装備”としては弱まってしまったようだが、“装備者の肉体を溶かす”というエンチャントは残っているのだろう。

 その結果が、今のロコリの肉体だ。

 かつてのミルキットとは違い、顔だけでなく全身が爛れ、膿が服を汚している。

 強烈なかゆみと痛みを感じているはずだ。

 なおもロコリが笑っているのは、異常と呼ぶ他なかった。


「確かにこれは呪いです。けれどある意味で祝福だと思うんです」

「反転もしてないのに?」

「たぶん私は、最初から裏返って生まれてきたから」


 自分の価値観のことを言っているのだろう、とフラムは察した。

 確かに、自分の不幸すらも歓喜できてしまうのなら、ロコリは“人間の裏側”と呼べる存在かもしれない。


「誤解しないでほしいんですけど、私はインクさんのことも、エターナ様のことも、そしてフラム様のことも大好きなんですよ」

「あんなことをしておいて……!」

「愛情表現です、私なりの」


 フラムは頭を抱え、ため息をついた。

 何がひどいって、ロコリが本気で言っているということだ。


「安心してください、もう逃げようなんて考えてません。フラム様から逃げられるはずがない。だから――聞いてくれませんか」


 本当は聞きたくはない。


「今から死にゆくロコリという人間が、どういう存在だったのかを」


 だが、フラムは聞く必要があった。

 ロコリの人となりを知ることは、“反転”に必要だったから。


 ◇◇◇


 ――曰く、ロコリは物心ついたときから、自分が異常だと自覚していたのだという。

 ある日、彼女は大事にかわいがっていた人形を、ハサミでバラバラにした。

 それも子供が癇癪を起こして衝動的に解体するのではなく、まるで解剖手術でも行うように、丁寧に全身を切り刻んでいた。

 今まで愛でてきたものが破滅する様。

 それを見ていると、得も言われぬ高揚感がこみ上げてきたのだ。


 当然、両親はそれを見て怒った。

 なぜ大事なものを壊してしまったのか、と。

 そしてその翌日、ロコリが『新しい人形がほしい』とねだったときも怒った。

 壊す子に新しい人形なんて買えない、と。

 しかしロコリは食い下がった。

 何日も、何日も、人形がほしいと人形がほしいと訴えたのだ。

 両親は驚いた。

 ロコリが何かにそこまで執着を示すことが、今まで無かったからだ。


 ロコリは無気力な子だった。

 同世代の子どもと比べても大人しく、言葉数も少なく、何かに興味を示そうとしない。

 今にもふらりとどこかへ消えてしまいそうなほど、“生命”や“存在感”を感じられない子だったという。

 唯一執着を示したのは、いつも抱きしめていた人形だけ。

 それも壊してしまった。

 だが壊したことをきっかけに、ロコリは活き活きとしだした。

 今になって思えば、抱きしめていたのは後で壊すためだったのだろう。


 両親は話し合い、そして新しい人形を与えることを決めた。

 ロコリはしばらくその人形を抱きしめ、喋りかけ、愛で――そして切り刻んだ。

 異様なほどに興奮しながら。

 両親――特に父は喜んだ。

 無気力なロコリを見ていると、親としての自信がなくなりそうだったのだ。

 本当にこの子を生んでよかったのか。

 不幸な命を生みだしてしまったのではないか。

 そんな不安がつきまとっていたから。

 だが今のロコリはどうだ、あんなにも楽しそうにしている。

 子が幸せを感じている瞬間ほど、親が幸せを感じる瞬間はない。


 だからまた人形を与えた。

 ロコリは切り刻んだ。

 今度は生き物がいいとおねだりをされた。

 父は虫を与えた。

 蛙を与えた。

 ネズミを与えた。

 他の動物も与えた。

 可愛がり、そして潰し、切り刻み、殺めた。

 父は歓喜した。

 まるで何かに取り憑かれたかのように、娘の幸せを喜んだ。

 母は――表面上は喜んでいるように見えた。

 だが実際は怖がっていたはずだ。

 彼女はまともだったから。


 それからしばらくして、母が病を患った。

 日々弱っていく体、強まっていく痛み。

 もがき、苦しみ、夫と娘はそんな彼女を甲斐甲斐しく看病する。

 しかし母は気づいていた。

 ロコリが母の傍にいたがるのは、自分の死が近づいているからではない。

 自分が壊れていく様を見たいからだ。

 それでもせめて、死の瞬間まではお互いに気づかないフリを。

 周囲から見て互いを想い合う良い母娘でいられますように。

 母はそんな願いを胸に最後まで我慢を続けたが――最後の最後、息を引き取る間際に限界を迎えた。

 死にゆく自分の手を握る娘と夫。

 そんな娘に、彼女は最期の力でささやく――


 ◇◇◇


「あなたは私を愛していない」


 うっとりした表情でロコリは言った。

 肌が正常な状態ならば、おそらく赤らんでいたはずだ。


「それが母の最期の言葉でした」


 それは母娘関係の否定でもあるのに、彼女は悲しみもしない。

 むしろ喜んでいる。


「でも私は、胸を張ってこう答えたんです。これが私の愛なんです、と。母に聞こえていたかは知りませんが」


 積み重ねてきた愛が壊れる瞬間。

 それが尊いほどに、ロコリは幸せを感じる。

 ならば母との関係を全否定されたその瞬間は、まさに至福であっただろう。


「フラム様、私はどうするべきだったんでしょうか。フラム様がミルキット様を愛して幸せを感じるように、私は誰かを破滅させることでしか幸せを感じられないんです」


 フラムは何も言わない。

 どうしようもないことはわかる。

 けど、だからといって“どうにかなったのか”と考える義務はフラムに無い。

 というより、考えるだけで頭がおかしくなってしまいそうだ。


「幸せを諦めて死体のように生きるか、他人を死体に変えて人間らしく生きるか。私にはその二つしかありませんでした」

「結論は出てるんじゃない。だからこうして、自ら破滅を選んだ」


 ロコリは微笑む。


「フラム様が私を理解してくださって嬉しいです」


 結局、人は生きているのだから、死体にはならない。

 根源からこみ上げる欲求が魂を突き動かす。

 たとえ破滅したとしても、己の生に執着した結果がこれだ。

 だがこれまでの話を聞いた限りでは、インクやエターナ、そしてフラムに執着する理由がわからなかった。

 ロコリもそれを承知しているらしく、話を続ける。


「五年前、炎に包まれた王都。化物が飛び交い、人々の悲鳴がいたるところから聞こえてくる。死体や死にかけの人間がそこらに溢れていて、人のみならず街そのものが壊れていく」


 さらに彼女の瞳は潤み、声が艶を帯びた。


「天国のような光景でした」


 目にした光景にどんな感想を抱くかなんて、人によって違う。

 それはわかっている。

 けれどそれはあまりに違いすぎた。

 フラムが見ている赤が青に見えているような、青が赤に見えているような、それほどまでに致命的な違いがある。


「そしてその中で必死にあがき、そして見事オリジンを倒してみせたフラム様たちは、間違いなく私にとってもヒーローだったんです。だって、理想じゃないですか。何度も壊れて壊れて、それでもまた立ち上がる。確かに死こそが最高の至福ではありますが、死んだらそれで終わり。もうそれ以上に壊れることはできない。そんなの命がもったいない! だからこそフラム様たちは理想だったんです。不屈の精神が、それを伝える物語が、どれだけ私の欲望を満たしたことか!」


 まさか自分たちの必死な戦いをそんなふうに捉える人間がいるとは思わなかった。

 確かに、中には『再生するならいくら傷ついたって平気じゃない』という人はいる。

 けれど心臓や脳幹を破壊されれば即死だし、何より痛い。とにかく痛くて苦しくて、自分が潰れる感触が気持ち悪い。

 そういう他人の目から見えない苦痛を軽視してしまう輩がいるわけだ。

 しかし、ロコリの場合は完全に違う。


「夢でした……そんな人たちを、私の手で壊すことが。私はただの一般人、できることなんてそんなにない。私にどうやったらあの人たちを壊せるんだろう……考えて、考えて、想いを募らせて――そしたら、呪いの神様に願いが届いたんです!」


 ああ、確かに呪いとは相性が抜群だろう。

 呪いが反転して祝福に変わるように。

 最初から裏返った人間にとって、呪いは祝福なのだ。


「ご存知ですよね、呪いの装備を集めていた商人さん」

「この前死んだ……」


 それはエターナにステータスや呪いの装備の成り立ちを聞いた際に発生した事件だ。

 少なからず、今回の件には関係しているとも思っていたがーー


「そうです、あの方と何度かやり取りをしたことがあるんです。ちょうど、この路地で取引をすることが多かったそうなので」


 こういう場所の空気を吸っていると、フラムは自分が奴隷として売られたときのことを思い出す。

 確かに裏取引をするにはうってつけの場所ではある。


「ああ、どうして私がここにいたのかというと、ここって壊れてる人が多いじゃないですか。眺めているだけで心が休まるんです」

「趣味は人間観察って言う人はいるけど……悪趣味だね」

「はい、悪趣味が好きなので。話が逸れてしまいましたね。とにかくその商人さんと何度か話がことがあって、呪いの装備にのめり込んでいくうちに、あの人が壊れていくのを感じたんです」


 あの商人もどこからか人皮で作られた呪いの本を入手し、中身を読んでしまったのだろう。

 そこを、ロコリにつけこまれた。


「そして商人さんがまともな思考能力を失った頃、言いくるめて家に入り込んで色々と貰ってきちゃいました。地獄の話なんかも聞けて興味深かったですね。八割ぐらい意味不明でしたけど。ですがそのおかげで、私はこの欠片を手に入れました。魂喰いの欠片……フラム様が使っていた武器の一部……」


 愛おしそうに、腰にさがった短剣の柄を撫でるロコリ。

 オリビアから魂を奪ったのもあの剣だろう。


「素人が私に気配を悟られない方法を知ってるとは思えない。魂喰いの欠片が教えてくれたの?」

「ええ、びっくりしました、急に抑揚のない不気味な声が頭に響いてくるんですから。曰く、呪いとして、地獄として生まれた自分が、反転で普通に武器として使われているのが不満だったそうですよ」


 ロコリがそう言うと、路地の奥に黒いミルキットが現れる。

 そして脳に語りかけてきた。


『あくまでその子たちが、でございますよ。剣として生まれた以上、剣として使われる幸福もあるのですから』


 頭がおかしい女の子と、ミルキットの声をした呪いに同時に話しかけられて、頭がどうにかなりそうだ。

 要するに魂喰いの中でもフラムに反転して使われることの意見が分かれていたわけだ。

 魂喰いを構成する呪いは一つではなく、何千年も積み重なってきた大量の呪いである。

 オリジンよろしく、意思が統一されてないのも仕方ないこと。

 そしてエキドナに砕かれたことで、名実ともにその意識は分裂した。

 柄を含む半分は神喰らいとしてフラムの手元に残り、砕けた残り半分は破片として裏社会に流通する――


「そしてこの欠片の一部をお守りとして、オリビアさんとコリウスさんに渡しました。持っているだけで悪寒がするぐらいだったので、きっと素敵なことになるだろうって」

「……壊れていく様を見たかったから?」

「はいっ!」


 満面の笑みでロコリは答えた。

 それだけで、言葉による説得など無駄だと確信できる。


「学校でたまに話すうちに、両親が望むほどの成績を出せていないことに劣等感を抱いているとわかったオリビアさん。強がって強がって、奥さんと子供を亡くした悲しみと、幸せそうな家族を見たときに抱く嫉妬に耐えてきたコリウスさん。あのお守りは、そんな心の壁をドロドロに溶かしてくれたんですよ」

「心の壁、ね。もしかしてそれを“本音”だと思ってるの?」

「オリビアさんは日々その劣等感を強めていき、最終的にはそれに共感する私にこう頼んできたんです。『殺してほしい』、『劣った自分に生きる価値はない』、『地獄に堕として』と。これって本音じゃないんですか?」

「人間はそんなに単純じゃないよ。本音の一部・・でもあるけど、前向きな気持ちも間違いなく本音なの。呪いはそういうポジティブさを壊して、負の側面を際立たせただけ」

「さすが、呪いと向き合ってきた人は違いますね。ためになります」


 そう、これだ。

 彼女はちゃんと話も理解している。

 そしておそらくは、自分の異常性も自覚している。

 その上で、それはどうにもならないと開き直っているのだ。


「オリビアの魂はその短剣の中にあるの?」

「おそらくは。自分の意思で引きこもってるんです」

「壊せば元に戻るんでしょ」

「わかりません、でも試す価値はあるんじゃないでしょうか」

「渡して」

「どうぞ」


 驚くほどあっさりとロコリは短剣を手渡した。

 柄を握ると、どこか懐かしさを感じる。

 形は変わっても魂喰いということなのだろう。

 凶器を引き渡してもなお、彼女は話を続けた。


「あとはコリウスさんなんですけど、ふふっ、すごかったですね。誰かを幸せにしたいという気持ちと、己の不幸を呪う気持ちがせめぎ合って……最後はあれほど愛していた子供たちの笑顔を、自分で壊してしまったんですから!」


 興奮気味で話すロコリを、フラムは心底軽蔑し、冷たい瞳で見下ろした。

 だがそんな目つきすらも、彼女のボルテージを上げる材料にしかならない。


「んふふふふっ、あの飴を配ったあと、コリウスさんがどんな風になったか知ってます? どうやって人として死に、呪いそのものになったのか――」

「ストップ」


 耐えかねたフラムは、殺気を漂わせつつ静止した。


「それ以上は言わないで。わかっているし、聞きたくない」

「ごめんなさい……はしたない真似をしてしまいました。それにしても優しいんですね、私を守ってくれたんでしょう?」

「殺さずに償ってもらうと言った手前、剣は抜きたくないから」

「ああ、でも人が呪いで命から物へと変わる瞬間……ゾクゾクしました。あれを見るために私は生きてたんだって、そう強く思えたんですよ。ふふ、これぐらいはいいですよね?」


 コリウスは呪いによって幸せに生きる家族への嫉妬を露出させられた結果、あの飴を作った。

 だがその時点ですでに、彼の心は死にかけていたに違いない。

 だから血を混ぜるだけで飴が呪いに冒されるぐらい、彼自身の肉体には呪いが満ちていた。

 そして実際に飴を配り、子供たちが悶え苦しんだあと――罪悪感に耐えかね、完全に息絶えた。

 心も、そしておそらく肉体も。

 だが死後すぐに彼は蘇った。

 死体に魔力が宿ればグールになるように、死体に呪いが宿り、彼の肉体は呪いの装備と化した。

 それは一般的な装備と異なり、自ら使う必要すらない。

 自動的に呪いをばらまく、最悪の兵器であった。


 ああ、考えるだけで気分が悪くなる。

 おそらくロコリは、規模が小さいだけでその邪悪さで言えばオリジン・ラーナーズと同等だ。

 その悪性に気づかずに彼女が育っていれば、より大きな悲劇が引き起こされていただろう。


「私は今まで、対話したところで無駄な人間を何度か見てきたけど――話の通じなさでいうと、ロコリはその中でもかなり上の方かもね」

「仕方ないですよ。そういう形で生まれてきたんですから」


 母の死で歪んだだとか、五年前の災厄で壊れた、というのならまだわかる。

 しかしロコリは違う、最初からそうだった。

 諦める以外にどうすればよいのか。

 開き直る以外に何をしたらいいのか。

 フラムにも答えは見えない。

 だが、“これから”はどうとでもなる。

 彼女はロコリの前でしゃがむと、その体に手を当てた。


「反転の力を使うんですね。殺すんですか?」

「いいや、生きて罰を受けてもらう。今の王国ならそれができる」

「でも罰なんて――」

「自分の破滅すら喜べるあなたには意味がない、でしょ?」


 終身刑も、拷問の末の死刑ですらも、ロコリは喜ぶだろう。


「だったら意味を作ればいい」


 他の誰にもできないことを、フラムならできる。

 しかし――


「嫌そうですね」


 そう、できればやりたくないことだ。

 人間がやっていい範疇を超えているから。


「こういう力の使い方はしたくないから。でも――自分の死も罰も喜ぶような人間相手には、こうするしかない」


 ロコリの心は理解した。

 ならば彼女はどうあるべきか。

 フラムはそれが己のエゴであり、押しつけであるとわかった上で、


反転しろリヴァーサルッ!」


 ロコリの“中身”を、変質させた。


 ◇◇◇


 数日後、コンシリアの高級レストランにて。

 天井にはシャンデリア、壁側には絵画や壺の並ぶ居心地の悪いVIP専用の個室――そこでテーブルを囲むのは、フラム、エターナ、そしてセーラの三人だった。

 事件解決を祝した打ち上げである。

 ちなみにエターナの奢りだ。


「ふひー、おいしかったぁ……ごちそうさまでした、エターナさん」

「満足してもらえてよかった」

「でもこのお店、高いんじゃ……」

「事件解決を任せてしまったお礼だから気にしないで」


 元はと言えば、インクとエターナが発端で起きた事件だ。

 本来ならエターナも捜査に参加するべきだと考えていたが、インクについている間にあっという間にフラムが解決してしまった。

 フラムは恐縮しているが、エターナとしてはこれでもまだ足りないぐらいだった。


「任せると言っても、結局は魂喰いが関係してましたし。身から出た錆とも言えますから、私の手でどうにかするのが正解だったんだと思います」


 それに関しても、決してフラムが悪いわけではないのだが――そう思わずにはいられない。

 二人がそんな話をする一方で、セーラは食事を終えた今でも落ち着かない様子だった。


「フラムおねーさんはともかく、おらまでこんな高いお店でご馳走になってよかったんですかね? 食べたあとに言うのもおかしいっすけど」

「インクを治療してもらったお礼」

「あれはおねーさんのおかげなんすけど……でもインクちゃんは来なかったんすね」

「安心して、今度は二人で来ることになっている」

「さすが抜かりないですね、エターナさん」

「フラムこそミルキットと約束したと聞いたけど」

「情報漏洩が起きている……」

「ミルキットに自慢された」

「自慢なら仕方ないかぁ」


 フラムと二人きりで高級ディナー――それが嬉しすぎて自慢したくて仕方なかったのだろう。

 そんなミルキットもかわいいので、多少の情報漏洩も仕方ないのである。


「それに話す内容が内容だけに、インクに聞かせるわけにはいかないから」

「ああ……ロコリの件、知らない方がいい部分もあるっすもんね」

「でもオリビアが無事に目を覚まして本当に良かった」

「近くで短剣を砕くだけで治ったんで安心したっす」


 念の為に魂に触れられそうなリートゥスに近くで待機してもらっていたのだが、結局出番はなかった。


「あれに魂が宿っていたということは、例の本に書かれていた“地獄”の作り方――魂喰いがその実物だともはっきりした」


 エターナの言葉に頷くフラム。

 地獄の話を聞いた時点でもしかしたら、とは思っていたフラムだったが、これで確定したことになる。


「キロティの一件で奴隷商人に渡る前にどこにあったのかはわかりましたけど、作られたのはずっと前だったんですねぇ」

「黒いミルキットの話はさすがに驚いたけど」

「それだけ長生きしてたから、意思なんて持っちゃったんすかね」

「んー、私が思うに古いからってのは理由じゃなくて、反転の影響をずっと受けてきたことや、剣自体が色々混ざって吸っちゃったってのもありそう」


 今の神喰らいは、“呪いの武器”の一言でくくるにはあまりに複雑だ。

 地獄として作られた上に、ガディオの剣とつなぎ合わされているのだから。


「本来は呪いの装備って人の負の感情だけが染み付いたものなんだけど、実際の人間は喜怒哀楽の感情や、それ以外の複雑な心の動きだってある。だから人間って負の感情だけじゃ成立しないんだよね。神喰らいの混沌とした部分が、その足りないものを補っちゃったんじゃないかな」


 あくまでフラムが“感じてきた”仮定ではあるが、エターナはそれを真剣に考察する。


「人間を再現するのに十分な情報が剣に宿っていたと」

「そう思ってます。現にロコリに語りかけた魂喰いの欠片の方は声だけでしたし、喋り方も感情があまり感じられなかったそうですから」

「難しいっす。呪いっていうのは奥深いんすねぇ」

「研究が難しいというのもある」

「そこが分かれば治療も楽になるとは思うんすけど。ロコリの体、結局は完全に戻すことはできなかったっすし」


 ロコリの爛れた体は、ある程度までは魔法で治癒できた。

 しかし今も全身には火傷のような痛々しい跡が残っている。

 だがそれでも十分すぎるぐらいだ、とフラムとエターナはフォローした。


「あそこから命に別状がない状態まで持っていけた時点ですごいと思うけど」

「一部内臓も溶解していたと聞いた。治療できたのは大したもの」

「呪いの影響を受けた日数がそこまで長くなかったっすから、魔力こそ大量に使ったっすけど一般的な治癒魔法で対処できる範疇ではあったっすよ」


 さらっと言ってのけるセーラだったが、それが可能なのは王国でも数人程度だろう。

 今の彼女は間違いなく最上級の治癒魔術師なのだ。


「むしろ心配なのは心の方っすね……」


 そんな彼女でも治せないものはあった。

 だがそれは、治療するべきものというよりは、フラムが“罰”として押し付けたものなのだが。


「強引に“一般的な”範囲での幸福観や死生観を押し付けたからね」


 ロコリは自分を“裏返っている”と称した。

 だから可能な限り表に戻した。

 当然、そこには想像を絶する心の苦痛が生じる。


「かなり、自己嫌悪が強い様子でしたっす」

「それを喜んだりは?」

「してないっすね」


 ならよかった、と言える雰囲気ではない。

 だが罰としては妥当だとフラムは考えていた。


「例えば自分が人間を食べなければ生きていけない生物だとしたら、生まれてきたことは罪なのか。そんなのは私にはわからない。私にできるのは、彼女が今回やらかしたことを罰することだけ」

「……そういう人間もいるんすよね。生きているだけで、いずれ罪を犯してしまうっす。でもおらは、だからって生きてはいけないなんてこと、無いと思うっす」


 セーラは優しい。

 だからこそ頭を悩ませる。

 生きるために人を傷つけなければならない者は、果たしてどうやって生きていけばいいのか。

 フラムはそんなもの答えなんて出るわけないと思っているし、一種の自己防衛として深く考えないようにはしている。

 だが――“今回の事件”に関して言えば、反省点もある。


「でも今回の件については、もしかしたら別の落とし所もあったのかなとは思うんだよね」

「わたしはフラムは最善を尽くしたと思っている」

「ありがとうございます。私と話してるとき、ロコリは『そういう形で生まれてきた』って言ってました」

「生まれつきなら仕方ない」

「でもそれって、違う気がするんです」


 首を傾げるエターナとセーラ。

 フラムはさらに話を続ける。


「アンリエットさんに聞いたんですけど、父親のセンギも収監されたそうで」

「共犯だから当然」

「そのあと、一度だけ親子で面会したみたいなんですよ」

「どんな話をしたんすか? 父親も娘がやってたことは知ってたんすよね」

「それが……」


 フラムは表情を曇らせる。


「父親は、まるで普通の人間みたいに苦しむ娘を見てがっかり・・・・してたって」


 それを聞いて、エターナとセーラの疑問はさらに膨らむ。


「捕まったり、罪を犯したことに対してではなく?」

「苦しむ姿を見てがっかりって、どういうことっすか。理解できないっす」

「センギは自分の娘が特別な価値観を持ってることを誇ってたんだと思う」


 ロコリの特殊性は優秀さの裏返しである。

 彼女の父は、そう考えていたのだ。


「幼少期からロコリがそういう人間だとわかった上で、望むものを与え続けてたらしいから。生まれつき多少の歪みはあったとしても、ロコリがあそこまでなってしまったのは……」


 生まれたときそういう形だったとしても、そこから先どうやって成長していくかは、周囲との接し方で変わってくる。

 ロコリを被害者扱いするつもりはない。

 だがセンギは間違いなく巻き込まれただけの第三者ではないし、もっとやりようはあったはずなのだ。


「結局、個々の事情まで鑑みて罰を下すのは難しい」

「父親の罪は娘よりも軽くなるんすかね」

「ロコリもまだ子供だし、保護者としての責任は問われることになると思う」


 だがロコリより罪が重くなることはないだろう。

 その後、コンシリアに彼の居場所があるかは疑問だが。


「……この話、食後にして正解だったっすね」

「確かに。エターナさんが止めなかったら、おいしく食べられなかったかも」


 実は食前にフラムとセーラは事件の話をしようとしてくれたのだ。

 冷静に止めてくれたエターナに心から感謝する二人だった。


 ◇◇◇


 ディナーを終え、フラムとエターナは帰宅する。

 玄関を開けた瞬間、インクがエターナの胸に飛び込んできた。


「二人とも、おっかえりー!」


 二人ともと言いつつ、エターナにだけ頬ずりをするインク。

 フラムは苦笑してその横を通り過ぎると、同じく迎えてくれたミルキットと軽くキスをした。


「甘い匂いがする」


 インクに揉みくちゃにされながら、エターナが言った。

 それを聞いてフラムも匂いを嗅ぐ。


「本当だ。夕ご飯は何を作ったの?」

「ふふ、夕ご飯ではありませんよ」


 含みのある笑みを見せるミルキット。

 するとインクはエターナの手を引いて、キッチンまで連れて行った。

 そこにあったのは、クリームが塗られ、上にフルーツがトッピングされたホールケーキだった。


「じゃじゃーん! あたしが作ったケーキでーす!」


 自慢気に、いつも以上にテンション高めにインクは胸を張る。


「インクが? これを?」

「ロコリの件を解決してくれたお礼と、エターナにはラヴを込めて」


 エターナは表情の変化こそ少ないものの、胸に手を当ててときめきを噛み締めている様子だった。

 ショコラとキリルは、ダイニングの方でその様子を微笑ましく見守っている。


「インクちゃんがすっごい器用で驚きましたね、先輩」

「うん、私とショコラの手伝いも必要なかった」


 それにミルキットも「私の出番もありませんでした」と同意した。

 インクはさっそくその場でケーキを切り分け、皿に乗せてテーブルへ運ぶ。

 そして隣に座ると、べったりと腕を絡めるのだった。


「エターナはあたしの隣、特等席!」

「このケーキ、てっきりフラムへのお礼がメインだと思ってたけど」

「フラムにはミルキットがいるから」


 インクの視線の先では、フラムとミルキットも当然のように肩を寄せあい座っていた。

 また、用意された皿は二つだが、フォークは一つしかない。


「見てよエターナ、あーん前提のフォーメーションだよあれ」

「さすが手慣れている」

「あたしたちも負けてらんないね!」

「競うつもりはないけど」

「素直じゃないなぁ。ちなみにこのケーキ、甘さは控えめなので、あーんで砂糖を補充した方がいいと思うけどっ」


 全く筋の通っていない理由を付け加えるインク。


「その言い方がすでに恥ずかしい……」

「つべこべ言わない! はい、口開けて。あーん!」

「あ、あーん……」


 控えめに開いたエターナの口に、インクが切り分けたケーキが入っていく。

 確かにケーキ自体はほどほどの甘さだったが、付け加えた砂糖が多すぎると嘆くエターナだった。


 ◇◇◇


 それからおよそ一時間後、フラムはキリルに呼び出され、彼女の部屋を訪れていた。

 床に敷いたクッションの上に座りフラム、キリル、ショコラの三人。

 キリルはぬいぐるみを抱きしめて、すっかり元気になった様子で笑顔を見せていた。


「ありがとね、フラムのおかげだよ」

「先輩共々本当にお世話になりましたっ」

「大したことはしてないよ。呪いの後遺症も残ってないみたいでよかった」

「リヴァーサルッ! て声が聞こえてきたら途端に体が楽になったんですよ、さっすがフラムさんです。そんけーしちゃいます」

「んへへ、褒めても何も出ないけど」


 と言いつつ、はにかみ笑顔は出てしまうフラム。

 しかしフラムがここに呼び出された理由は、お礼のためだけではない。


「それで、話っていうのは?」

「師匠からフラムに伝言があって」

「先輩とショコラちゃんの口から、コリウスさんの話を伝えておいてほしいって言われたんですよねー」

「ティーシェさん、コリウスさんのこと心配してたもんね……」


 結局はコリウスの死という最悪の形で終わってしまった。

 真犯人に利用されていたというニュースも出てはいるが、それでも彼の名誉が完全に回復したとは言い難い。


「コリウスさんは身内もいないから、師匠が自分から申し出て遺品の整理をしてたんだって。そしたら引き出しの中からノートが出てきたらしくて」

「ノート?」

「煤けたノートでしたねー。たぶん、火事に巻き込まれたけで無事だったんじゃないですかね」

「中身はレシピ帳だった。二度も家族とお店を失って、それでもお菓子作りの夢を諦められないコリウスさんは、火事の中でどうにか生き残ったレシピ帳を大事に保管してたんだよ」

「それを……ティーシェさんが引き継いだってこと?」


 キリルとショコラが、ほぼ同時に頷いた。


「師匠ってば最近は珍しくお菓子作りに打ち込んでて、ショコラちゃんたちが帰った後も、一人でずーっとやってるんですよ」

「近々正式にお店に並ぶ予定だと言っていた。師匠はぜひフラムに食べに来てほしいって」


 呪いと化したコリウスと相対し、彼に引導を渡したフラムだからこそ――彼は決して恐ろしいだけのピエロじゃないのだと知ってほしいのだろう。

 もっとも、フラムは呪いのせいだと知っているので、決してコリウスを悪だとは思っていなかった。

 しかし一方で、彼がお菓子職人だったときのことは何も知らない。


「レシピだけじゃなくて、夢もティーシェさんが受け継いだんだね」


 彼の名は消えても、お菓子は残り続ける。

 それを食べた子供たちが笑顔になってくれたら――

 コリウスにとって、これ以上の弔いはないだろう。


 ◇◇◇


 キリルたちとの話を終え、部屋に戻ったフラム。

 彼女はミルキットと二人、おそろいのパジャマを着て、ベッドの上で向かい合って座っていた。


「ティーシェさんって情熱を持った方なんですね」

「普段のキリルちゃんの話からは想像つかないけど、そうみたい」


 コンシリアであれだけのお店を持って、弟子も取れてる時点で優秀ではあるのだろう。

 素行に若干の問題があるだけで。

 しかしそれを『夢を受け継いだ』と綺麗事として語るのは簡単だが、実際そこにあるのはコリウスの死という悲劇だ。

 ロコリの件だってそうだし、遡るとエターナの同僚や、商人だって死んだ。

 オリビアも家族との関係性を考えると目を覚ましてめでたしめでたしとは言えないだろうし、オリビアの同級生の親だって数名が命を落とした――


「ご主人様、私の膝を使ってください」


 ふと、ミルキットがぽんぽんと自分の太ももを軽く叩く。


「お疲れのようですから」


 そして母性あふれる優しい声で、そう微笑んだ。

 こんなのもう甘えるしかない。


「ミルキットぉ~っ」


 他の人には聞かせられない情けない声を出し、ミルキットの太ももに飛び込むフラム。

 頭を撫でるミルキットの手の感触に、思わず涙が溢れそうになった。


「めちゃくちゃ疲れたぁー。力だけで解決できれば楽なのにぃ」


 オリジンと戦っていた頃は、これぐらいの出来事は日常茶飯事ではあった。

 が、今は違う。

 基本的に毎日を平和に過ごしているものだが、たまにこういう事件が起きると必要以上に疲れるのだ。

 なにせ今のフラムは、“普通の女の子”モードなのだから。


「ご主人様はがんばりました。ご主人様以上の解決策を持っている人なんてないんですから」

「解決したのはしたんだけどぉ、あれで正しかったのかわかんなくってさぁ」

「人の感情は難しいものです」

「だよねえ。たぶん正解なんてないんだってわかってるし、エターナさんも最善を尽くしたって言ってくれたけどさ――なーんか、もっと出来ることあったんじゃないかとか、犠牲者を減らせないかとか考えちゃうよ」


 考える必要はないとわかっていても。

 何度自問自答を続けても堂々巡りになるだけだとわかっていても。

 考えずにはいられないのである。

 ただ疲れるだけなのに。


「たとえ世界が平和になっても、どこかで事件は起きるものです。ご主人様が背負わないでいいんですよ」

「ん……」

「それにご主人様が動かなければ、もっと犠牲者は増えていたはずです。減らせなかったのではなく、多くを救ったんです」


 太ももに顔を埋めていたフラムは、がばっと顔を上げてミルキットをじっと見つめる。


「ミルキット……」

「はい」

「好き」


 かっこよさもムードもへったくれもない、ただただ言いたくて溢れ出た言葉だった。

 ミルキットはそれが嬉しくてしょうがない。


「私もご主人様を愛しています」


 とっくに聞き飽きて、言い飽きてないとおかしいぐらい繰り返した言葉だが、何度交わしても味はなくならない。

 胸はぽかぽかして、体は熱くなって。

 そのまま身を委ねて触れ合ってしまいたいところだが――フラムは体を起こすと、改めてミルキットと向かい合った。

 てっきりそのまま押し倒されると思い楽しみにしていたミルキットは、急な方針転換に戸惑う。


「話さなきゃなーと思ってたことがあるんだけどさ」

「なんでしょう」

「私がミルキットの幻覚を見てたって話」

「私の幻覚、ですか」

「ミルキットと一緒にいるときも、色違いの黒いミルキットみたいなのが視界にちらちら入り込んできてたの」

「それは……何かの魔法でしょうか」

「結論から言うと、ロコリが魂喰いの欠片を利用してるってことを伝えるために、神喰らいが私に干渉してたって話なんだけど」

「神喰らいさんが、ご主人様に何かを伝えるために、私の姿を?」

「そうそう」


 そしてフラムは部屋の入り口あたりに視線を向けた。


「事件は解決したからもう用事はないはずなんだけど。実は、今もそこで見てるんだよね」


 ミルキットも同じ場所を見るが、もちろんそこには何もいない。

 だが彼女はフラムの言葉を疑わない。


「姿は私と同じとのことなので、こういう言い方をするのはおかしいかもしれませんが……」


 ミルキットは少しうつむいて、指先でフラムの手をきゅっとつまむ。

 そして上目遣いに見つめた。


「ご主人様が私ではない誰かを見ているのは嫌です」


 少しふてくされた様子で。


「だけどそれは私で……でも私ではなくて……」


 戸惑いながらも、嫉妬しているのだ。

 そんなミルキットの姿が、無性に、とにかく無性に愛おしい。

 フラムは指先だけ触れていたミルキットの手を、ぎゅっと掴んだ。


「ミルキットはどうしてほしい?」

「へっ? えと、私だけを……見てほしいです」

「だよね。私もミルキットだけを見ていたい」


 確かに嫉妬しているミルキットはかわいい。

 だが、ミルキットに常に幸せでいてほしいフラムとしては、彼女が嫉妬するような状況を作りたくはない。

 なのでフラムは幻覚に向かって言い放つ。


「そういうことだから。いくら私の相棒でも、私とミルキットの時間を邪魔したらそのうちおしおきだからね? いい!?」

「……どうですか、反省してますか?」

「ニヤニヤ笑ってる」


 フラムがそう言うと、ミルキットは少しむっとした様子で、幻覚がいるであろう場所を見た。

 そして語気を強めて言い放つ。


「ご主人様は私のものです。絶対に渡しませんから、出てきたって無駄です。ご主人様と二人きりの時間を邪魔しないでくださいっ」


 すると――神喰らいはわずかに驚いた様子で目を見開くと、くすくすと笑いながら姿を消した。


「ど、どうでしょうか……」

「……笑いながら消えてった」


 どうやらミルキットのお説教が効いたらしい。

 とはいえ、まだ反省している様子ではなかったが。


「何だか、油断ならない相手な気がします……」

「私がミルキット以外になびくわけないのにねぇ」

「ではこういうのはどうでしょう」


 ミルキットは繋いだ手を胸元まで持ってくると、胸に抱きしめる。


「入る隙間もないってことがわかるぐらいに、たくさんくっつくんです!」


 熱弁するミルキット。

 だがフラムは元からそのつもりだった。

 というかいつもそうなる。

 なのでこれは、ただの方針修正である。

 しかしいつもよりミルキットが積極的になってくれているので、フラムはせっかくなのでそれを利用することにした。

 抱きしめられた腕に軽く力を込めて、ミルキットを自分の方へと引き寄せる。


「わ、わわっ」


 バランスを崩したミルキットは、ちょうどフラムにより掛かるように倒れ込む。

 そしてフラムはわざと体から力を抜いて、ミルキットと一緒にベッドの上に倒れ込んだ。

 ちょうど、ミルキットが押し倒したような状態だ。


「そうしよっか。見せつけてやろう、私たちの愛ってやつを」

「あ、あの、この体勢は」

「今日はミルキットに甘やかされたい気分」


 フラムは頬を赤らめ、ミルキットの頬に手を当てる。

 そして甘えた声を出した。


「ダメ?」


 どくん、とミルキットの胸が跳ねる。

 彼女にも我慢できない瞬間というものはある。

 愛しのご主人様のこんな姿を見せられて、止まるはずなどないのだ。


「いえ……がんばります。たくさん甘やかしますっ!」


 仮に神喰らいが部屋のどこかに姿を現したとしても、もうフラムの目にミルキット以外が映ることはない。

 だが、仮にこの情景を彼女が見ているとしたら――そのあまりの甘ったるさに、『やれやれ』と呆れて白旗を上げるに違いない。



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「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい kiki @gunslily

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