エピローグ 今にも零れ落ちそうな空色の雫

「じゃあね、ヤナギくんと逢えて、良かったよ」

 そして、夢は、終局を・・・!

「待って! 待ってくれ!」

「・・・ヤナギくん?」

 不思議そうに、振り返る柚葉。

「なぁ、ここは十年前の、あの場所なんだろ?」

「そうだよ。ヤナギくんの記憶の中のね」

「なら、ここでオマエを止めれば、オマエは死なないんじゃないか? 俺の記憶が事実となるなら、今までどおり、屋上で会ったりする事も、出来るんじゃないか? それが俺の中の真実になるんじゃないか?」

 くすくすっ・・・。

 何かを面白がるように、柚葉が笑う。馬鹿な事を言っているは、自分でも解っている。

 それでも、言わずにいられなかった。

「そうだね。人の記憶が真実なら、もしかしたら、事実を変えられるかもね」

 いつも通りの、柚葉の微笑み。

 このままでは日常ではなくなってしまう、過去のものになってしまう微笑み。

「だったら、試してみたら?」

 ・・・。

「ヤナギくんの言葉で」

 ・・・。

「ヤナギくんの存在で」

 ・・・。

「あたしを世界に、繋ぎとめてみたら?」

 ・・・!

 潤一は黙っていた。何を言っていいのか、解らなかった。彼女を繋ぎとめる術を、何一つ思いつかない。

(だって、俺は、俺は・・・!)

「でも、ヤナギくんは、それをしないよね。だってヤナギくんは理解できるから。あたしの理由を、痛いほどに理解できてしまうから。だから止めない。止められない」

 見透かされていた。全て。

「あぁ、そうだよ。俺は止められない。オマエが世界と別れを告げる事を、止める事が出来ない! 俺には理解できるから。あの日あの時、あの空を見た俺は、オマエの理由が、理解できてしまうから!」

 泣いていた。

 涙が溢れて、どうしても止まらなかった。

 自分には何も出来ない。自分は彼女を理解しているから!

「俺は多分、後悔するんだろう。なんでこの時、篠崎を止めなかったんだろうって。どうしてこの時、全てを投げ出して、全てを無視して、篠崎を世界に繋ぎ止めなかったんだろうって。もしかしたら、止められたかもしれないのにって。後悔するだろう」

 悲しいわけでもない。

 虚しいわけでもない。

「それでも、今の俺には止められない! オマエの理由を理解している今の俺には、どうしても止められないんだ!」

 寂しいわけでもない。

 苦しいわけでもない。

「俺はなんて卑しい奴なんだ! その時は、笑顔で見送る事も出来るのに。全てを理解して、行かせてやる事が出来るのに。事が終わった後は、安っぽい道徳感に縛られて、俺は後悔する! もしかしたら、一生後悔するかもしれない! 今この時の理解を忘れて、オマエの理由を踏み躙って!」

 ただただ、涙が止まらなかった。

 柚葉は、ゆっくりとこちらに歩み寄ると、潤一の頭を、優しく撫でる。

「いいんだよ、それで。それがヤナギくんの優しさだから。何処までも幽称かくりねで、決定的に人間の、ヤナギくんの持つ強さだから。誰にも負けない、世界にだって負けない、ヤナギくんのいいところだから」

「篠・・・崎・・・?」

「あたしは行った。ヤナギくんは残った。ただ、それだけなんだよ。何も卑しくなんかない。ヤナギくんが泣く必要なんて、何も無いんだよ。ただ、今ヤナギくんが泣いてる理由、それを、どうか忘れないで。それがきっと、あたしがヤナギくんと逢えて良かったと思う、あたしの全てだから」

 柚葉の指が、潤一の涙を拭う。

 そしてまた、いつも通りに笑った。

 それが潤一の見た、最後の微笑だった。

「あたし、行くよ」

 そう言って、柚葉が背を向ける。

 ゆっくりと、一歩一歩、彼女の姿が遠くなる。

 もう、言葉は無かった。

 彼女の背中がフェンスをすり抜け、あと一歩というところで、彼女は立ち止まった。

「ねぇ、ヤナギくん」

 振り向きもせず、柚葉が聞いてくる。

「なんだ?」

 落ち着いて、潤一は応える。もう、涙は止まっていた。

「ヤナギくんが、七緒ちゃんを繋ぎとめた方法」

「・・・知ってたのか」

「あれはどうかな?」

「なに?」

「あれなら、あたしを世界に繋ぎとめられるかも知れないよ?」

 思わず吹き出してしまう潤一。

「くくくっ・・・なんだって?」

 柚葉のほうも、面白がるような声で言ってくる。

「試してみたら? もしかしたら、あたしを世界に繋ぎとめられるかも知れないよ?」

 少しだけ、少しだけ考えてから、潤一は言った。

「やめとくよ」

「なんで?」

「そんな事してみろ、七緒に殴られちまう」

「意外に誠実だね」

「ほっとけ。それにな」

「それに?」

「そんな事じゃ、多分オマエは止められない」

 くすくすっ・・・。

 柚葉の笑い声が聞こえてくる。

 潤一の心は、満たされていた。

「そっか、残念」

 そして、柚葉は空を見上げた。潤一も、空を見上げた。

 流星が、留まることなく、夜の空を彩っている。

 星が、いつも通りの輝きを、今夜も絶やさず光っている。

 月が、決して明るくは無いけれど、それでも確かに、自分たちを照ら

している。

「キレイな空・・・」

「そうだな・・・」

 ゆっくりと。

 ゆっくりと。

 視界が光で満たされていく。

 やがて。

 彼女の姿が。

 だんだん。

 だんだん。

 見えなくなっていく。

 夢は。

 静かに。

 終わりを、迎えた。



 目が覚めるまでの数瞬、彼女の声が、聞こえた気がした。

 目が覚めた今でも、潤一は、その言葉を忘れていない。


 ねぇ、ヤナギくん。


 生きること。


 生き続けることは。


 確かに罰だけど。


 だけど。


 だけどね。


 ヤナギくんは。


 もう知ってるかもしれないけど。


 生きること。


 生き続けることはね。


 祝福なんだよ。


 それは確かに罰だけど。


 同時に。


 祝福なんだよ。


 誰にも望まれなくても。


 自分で望まなくても。


 それは確かに。


 祝福なんだよ。


 だから。


 だからね。


 ヤナギくん。


 そんなに。


 悲しまなくていいんだよ。


 そんなに。


 強くならなくていいんだよ。


 ヤナギくんは。


 負けないから。


 絶対に。


 世界に負けたりしないから。


 だから。


 だからね。


 生きること。


 生き続けることに。


 絶望したりしないで。


 それより素晴らしいものが見つかるまで。


 あたしが見た空のように。


 ヤナギくんだけの。


 それより素晴らしいものが見つかるまで。


 絶望したりしないで。


 ヤナギくんなら。


 きっと。


 誰かを支えられるから。


 他の誰でもない。


 誰かを支えられるから。


 それから。


 それからね。


 いつか。


 いつの日にか。


 また、逢おうね。


 それじゃ。


 そのときまで。


 ・・・ばいばい。








                  End

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透明なブルー 春乃寒太郎 @kantarou

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