Royce Trismegistus

雪桜 蛍

Royce Trismegistus

「貴方は何を以て、何を成そうとしたのですか」

 私は彼に問うた。どうしても、どうしても。訊かなければいけないことだった。

「…………」

 沈黙。それが彼の返答であり、彼が成した結果。

 何も残らなかった。そういうことだ。

「では、」

 赤く赤く、彼岸花が一面に広がるだけのその世界で。

 即ち、此岸の晴れ渡った「嘘」の中で。


 何時までも変わらない、その場所にいる彼は。


 ――私が彼の居場所を知ったのは、齢十四の時に遡る。



 吊るされた男ハングドマン

 タロットに出てくることもあれば、子供が無邪気に遊びの過程で描くこともある、しかし本質的には残酷な「処刑」だ。

 だが、この場合は処刑と表現して良いのだろうか。

 首を縛った縄の伸びている先は中空で、ふわふわと揺れながら五十センチ程で途切れている。

 男は幸せそうに微笑み、それでもなお「死んで」いる。真っ白な顔からはおよそ生気が感じられない。

 斜陽が差し込む厳かなゴシック様式の聖堂で。


「この男は――」


 漆黒の色眼鏡をかけた、長身の胡散臭い男が静かに口を開いた。


「自らをこの聖堂に閉じ込めた。この世界の中で永久を刻む、振り子の重石だ」

 ひどく優しい顔で、彼はそう語る。

 それは問いかけだった。

 扉を閉めた入り口に立つ、少年に向けての。

「僕は、この人が世界を創ったと聞いたのだけれど。それは事実なのに、台本の筋書きでもあるってことか」

 少年は相対する色眼鏡の奥で、目を細めて歓んでいる彼を捉えたように思った。

「俺はこの空間には不要というわけか。否、君を連れてくるという役割は果たした。であれば、」

 台本は君に託すよ。そう言い残して、少年の肩を一度だけ軽く叩き、男はその場を後にした。


 ギイ、と。


 軋んだ扉が閉まり、今度は吊るされた男と対峙する少年。恐怖は無いようだった。

「貴方の罪は何でしょうか。世界を創ったことなのか、それとも恋人を故郷に残してきたことなのか」

 当然ながら、男は答えない。そもそもとして、応えない。死体が返事をする世界がどこにあろうか。

「僕は青と黄の瞳を持つ、あの人に会いに来ました。だからここで待っています。あの人が来るまで」

 少年は、吊るされた男の生き様を知っていた。人づてに聞いただけではあるものの、正確な情報だと信じていた。

「貴方は――」


 吊るされた男は、生前は世紀の魔術師として名を馳せていた。万能の右手は炎を操り、海を割り、風を運ぶ。傷を癒やし、巨岩を軽々と持ち上げ、時には躊躇なく彼の敵を殺す。

 名を、ロイスと。

 王に加担し、かつ庶民に味方して。彼は国の正義だった。

 故に、人々は彼を偉大なるロイスロイス・メギストスと呼ぶ。

 彼の運命は一人の女性を愛し、めとろうとしていた矢先に。

 魔術師は姿を消したのだ。


「――それが周知の史実、ですね。貴方が厳重に保管していた真相以外の」

 そう、姿を消した理由。それこそが国にとって最大の謎であり、厄災でもあった。彼という男一人に、国は頼りすぎていた。

 経済も、国防も、統治も。だから当然、国は事実上の崩壊を迎えた。

 どこを探しても、国内のどこにも、国外にすら、痕跡は一欠片も存在していなかった。

「僕はそれを見つけました。貴方と対になる男、貴方の影である彼が持っていた情報を」

 色眼鏡の男。神出鬼没で、魔力のヴェールを纏った男。極めて強力なもので、同等の魔力を有していなければ知覚すらできない。

 世界は不安定で、均衡を保つように出来ている。

 だから、極めて偉大な光には極めて異質な影が。

 闇の中に潜む、大喰らいは虚空を生む。それを偉大なるロイスは知っていた。

「貴方の影は決して悪ではない。それは理解しています。だからこそ、会いに行きました。貴方の行方を聞く為に」

 そして、色眼鏡の男は少年をこの場所へといざなった。

「この聖堂は貴方だけの世界だ。何人なんぴとたりとも近付くことのできない、存在そのものが幻に等しいロイスの聖域」

 静かに、歩くような速さで少年は吊るされた男に歩み寄る。それでもカツン、カツンと靴は音を響かせた。

 やがて、気付く。男の足元に、聖堂に刻んだ彼の遺志があることを。

 はっ、と。それまで感情を表に出さなかった少年が息を呑んだ。それほどに、そこに書かれていたことはあり得ないはずのことで、即ち、

「貴方は禁忌を冒したのか……貴方の恋人からではなく、自身の自由意志によって。自分の分身を、産み……落とした……」

 少年は無知だった。魔術師であり、若いながらも熟練で、時間軸の移動すら可能だった。だから、吊るされた男と邂逅できた。


 彼自身の「未来だと信じていた自分」と。


 だが、現実は虚構だった。

 少年はあくまで複製でしかないのだと。

「貴方の罪は、僕を産んだこと……絞首刑は刑ではなく、生贄。触媒だった」

 世界は不安定で、均衡を保つように出来ている。

「青と黄の瞳を持つあの魔術師に頼んだのですね。アルベルト、ロイスの親友であり世界に愛想を尽かした孤独の男に」

 少年ロイスは、生きる以外の選択肢が無かった。そもそもそれが彼の道だ。


 絞首刑に処された男は、最後の希望として聖堂を遺した。祭壇に、求めるものへの道標――コンパスを配置して。



「貴方は何を以て、何を成そうとしたのですか」

 赤く赤く、彼岸花が一面に広がるだけのその世界で。

「…………」

 この場所に辿り着くまでに、十年以上の歳月を要した。

 聖堂と違い、案内役は存在しない。不安定な影だからだ。

「では、」

 此岸の晴れ渡った「嘘」の中で。この場所は現実では無いが、彼岸でもない。

「質問を変えましょう。アルベルト、貴方は何故私達の国を滅ぼしたのですか」

 ゆっくりと、言葉を選ぶように。アルベルトは、口を開いた。

「崩れ行く国に、引導を渡す。王も民も、もはや傀儡と同等でしかなかった」

 偉大なるロイスロイス・メギストスが操る人形。それは善意であれ、独裁だ。

「ロイス、私に信念などない。ただ君の助けになりたかっただけなんだ」

 私の瞳を見つめているようで、遥か彼方を見通すアルベルトの眼差しは憂いを帯びていた。

「世界の再編……私が本当の、三重に偉大なるロイスロイス・トリスメギストスになるべきだと言うのか」

 オリジナルのロイス、アルベルト、そして私自身。全てを受け継いだからこそ、私が国を救うのだと。

「なあ、」

 相も変わらず虚空を見透かすようなアルベルトは、語りかけているようで独り言を発した。

「彼岸花……曼珠沙華の花言葉、知っているか」

 私ではなく、偉大なるロイスに向けて。

「一説だが、君にはぴったりだ。『悲しい思い出』ってな」


 造られた赤い花が風に揺られた。


[了]

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