エピローグ 不倶戴天の恋敵、あるいは運命なき未来の開闢 - Rivals_stage -
エピローグ
「――デリック・ヴヴヴヴァァァーッネット!!」
やたらと唇を噛みまくった声に、デリックは驚いて振り返った。
「……なんだ。エッグベネディクト・ベーコンレタスか」
「エーヴェルト・ベックストレームだッ!! 貴様の記憶力は鳥並みか!!」
「うーるーせーえって。他の奴もいるんだから静かにしろよな」
他の男子生徒たちが礼服に片腕を通した中途半端な格好で、何事かと振り返る。
クローゼットと姿見が立ち並んだこの部屋は、体育館に備え付けの男子更衣室だ。今はとある催し物のために利用されていた。
「お前も着替えか? ずいぶんと遅いお出ましだな。もう半分くらい終わってるぜ?」
「ふん! 貴様がそれを言うか。貴様のおかげで今朝まで病院にいたというのに!」
「へ?」
リリヤの取り巻き――通称・フルメヴァーラ騎士団の有力者である金髪の少年は、よく見ると片腕を包帯で吊っていた。
「お前……どうしたんだ、その怪我?」
「もう治っている。大事を取ってこうしてあるだけだ。これも元はといえば貴様のせいなのだがな!」
「……お前の腕を折った記憶はないんだが」
「貴様の電撃のせいだ! 貴様に昏倒させられたのをむやみに心配されてな、無理やり入院させられたのだ! すると今度はその病院が火事になり、転院したかと思いきや近くのビルが突如大爆発!」
「……お、おう……?」
「いてもたってもいられず怪我人を助けて回っていたら、今度はやたらに強い獣の精霊が空から降ってきた! この腕はその精霊から見知らぬ少女を逃がしたときに負った傷だ。まったく! すべて貴様のせいだぞ、デリック・ヴァーネット!!」
「…………あ、あー…………」
ちょっと見ないうちにものすごいスペクタクルを潜り抜けていたらしかった。
デリックのせいだというのもあながち的外れでもなく、うまいリアクションが思いつかない。
「お……お疲れさん?」
「貴様の労いなどいらん。折れた腕も、空から降り注いだ不思議な羽根に触れるなり、たちまち治ってしまったしな……」
エーヴェルトは包帯に包んだ自分の腕を見下ろして、回顧するように呟いた。
デリックも少し沈黙する。
終末黙示録ペイルライダーの攻撃によって半壊したエドセトアは、その日のうちに何事もなかったかのように再生した。
すべては、街に降り注いだ白い羽根によるものだ。
だが、デリックは知っている。
あの羽根は、彼女の夢の残骸だと。
そう――彼女は、七天の勇者の中でも、最も治癒を得意とした魔術師だったのだから。
「デリック・ヴァーネット」
と、エーヴェルトは真剣な声音で呼び、一歩、デリックに詰め寄った。
澄んだ碧眼が一心に見つめてくる。
「な……なんだよ? やるか?」
「リリヤ様を泣かせるな」
衒いのない言葉が、凜とデリックの胸に響いた。
「なぜかはわからんが……あの羽根に触れたときに、こう言わねばならん気がしたのだ」
わからないと言う割に、声音には迷いがなかった。
(……ったく)
デリックは苦笑する。
誰もがこの男のようだったら楽だったのに、と。
「……わかってるさ。だから今、こうやって精一杯めかし込んでるんだろ」
ネクタイをしっかりと締めて、デリックは自分の格好を見下ろした。
フォーマルな黒い礼服。しかし、普通のスーツよりも少しだけ運動に適した風に仕立ててある。
今日は創立記念祭。
そして今まさに、リリヤ率いる第一精霊魔術研究室によるダンスパーティが催されているのだった。
「ふん! 腕がこうなっていなければ、私がリリヤ様の相手を務めたのだがな!」
「千年はえーよ、若造が」
「なんだとう!?」
エーヴェルトがいきり立って腕の包帯を取ろうとしたそのとき、バーン! と更衣室のドアが開かれた。
「――あらあら、エーヴェルト様? やはりこちらにいらっしゃったのですわね?」
ドアを開けたのは、鮮烈な赤髪と、それに反して柔和そうな垂れ目が特徴的な女子だった。
絶賛着替え中の男子たちが茶色い悲鳴をあげる。
それを気にした風もなく、赤毛の女子はエーヴェルトの手を握った。
「まだお怪我が治ったばかりなのですから、わたくしから離れてはいけないと申し上げたではありませんの。さあ、行きますわよ?」
「む、むう……。だがな、この腕はとっくに治って……」
「問答は無用ですわ。さあ」
柔和な物腰ながら強引に、赤毛の女子はエーヴェルトに胸を押しつけるように腕を絡める。
「え……いや、ちょ、ストップ! ……なあ。誰だ、その子?」
「……むう。彼女は――」
「エーヴェルト様の許嫁ですわ」
と、赤毛の女子はにっこりと笑って言った。
「シーラ・マルムステーンと申します。よろしくお願い申し上げますわ。……では、わたくしたちはこれにて」
「おっ、おい――」
抗議したそうなエーヴェルトを引っ張って、シーラと名乗った女子は更衣室を出ていった。
ばたん、とドアが閉じ、あとに残されたのは呆然としたデリックだけ。
「…………はあああああああああああっ!?!?」
「あれ? 義兄さん、知らなかったんですか?」
更衣室を出ると、待ってくれていたらしいレイヤと合流した。
いつもは可愛らしさが先に立つ彼女だが、今日は青白いドレスに身を包んでおり、少し大人びて見える。
「いや、知らねーよ。許嫁なんかいたのかよ、あいつ! なのにリリヤの取り巻きやってんのか!?」
「えーっと……そこは繊細な事情があると言いますか……ベックストレームさんは、結婚相手を自分で決めたいらしく」
「あー。わかるわかる」
「それと、お相手のマルムステーンさんが、だいぶ、そのう……束縛が強い方らしく」
「……ああ~」
非常に腑に落ちた。
しかしデリックは首を捻る。
「でも、リリヤもだいぶ束縛強いほうだと思うんだが。そっちはいいのかよ?」
「いやいや。それ、義兄さん相手にだけですから」
「そうかあ?」
「そうです」
薄暗い通路を歩いていくと、頭の中で何かが切り替わるような感覚があった。
体育館の中に展開されている
ゆったりとしたワルツが聞こえる。
前の組がそろそろ佳境のようだった。
「……あ。義兄さん、義兄さん」
「んー?」
レイヤがこっそりとした声で言って、ちょいちょいと前のほうを指差した。
「アンニカさんたちですよ」
「おっ」
ダンスホールに繋がる入口の辺りに、マーディーとアンニカがいた。
マーディーはタキシード、アンニカはドレスだったが、二人とも小柄だからか、どうにも服に着られている印象は拭えない。
今はアンニカがマーディーの首元に手をやり、ネクタイを結び直しているようだった。
「……まったく。自分でネクタイも締められないんですか?」
「こ、こんなちゃんとした服、滅多に着ないんだもん……」
「次からは先に言ってください。手伝ってあげますから。こんな格好で踊ったらわたしのほうが恥をかきます」
「……うるさいなぁ、お小言メイド」
「何か言いましたか? ぶつくさオタク」
「うぐーっ!?」
アンニカがぎゅーっとネクタイを強く締め、マーディーが苦しそうにじたばたする。
デリックはにやっと笑った。
「へーえ? あいつら、一緒に踊るのか」
「そうみたいです。この前の騒動での貸し借りの精算、なんて言って。……なんだかんだうまくやってるみたいですよ?」
レイヤの口元にも少しだけ下世話な笑みが滲んでいる。
デリックはつくづく思った。
「わかんねえもんだよな、ああいうのって」
「ほんとですよね。――義兄さん」
「ん?」
くいっと袖を引かれて振り返った、その瞬間。
一瞬のうちにレイヤの顔が迫って、唇に柔らかい感触が触れた。
「……っ!?」
甘い残り香を残して、レイヤはすっと顔を離す。
通路は薄暗い。
デリックとレイヤ以外に、今の一瞬の出来事に気付いた者は、一人としていないだろう。
くすっ……と、レイヤは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「もうすぐ出番ですよ。あとでわたしとも踊ってくださいね?」
デリックは甘い感触の残る唇を苦笑いにする。
「この流れで他の女と踊ってこいってか」
「はい。最高でしょう?」
レイヤはくすくすと密やかに笑う。デリックとだけ、その表情と声を共有するように。
だからデリックも、同じようにくすくす笑った。
「ああ――最高だな」
どうやらこの義妹は、自分たちでも一筋縄ではいかないくらい、成長してしまったようだった。
……お前のおかげだな、ペイルライダー。
流れていたワルツが終わる。
さあ、真打ちの登場だ。
※※※
煌びやかな照明に照らされたホールの真ん中で、よりいっそう煌びやかな少女が待っていた。
きらきらと輝く金髪が揺れるたび、観衆から溜め息が漏れる。豪奢に織り込まれたドレスが、これから踊ろうとしている他の生徒たちの目すら釘付けにしていた。
そっと差し出される白い手を、デリックは恭しく手に取る。
そして軽く腰を折ると、また観衆から溜め息が漏れた。
二人がいる空間は、まるで騎士道物語の一幕。敬虔なる姫と忠実なる勇者が、無言のままに想いを交わし合う誓いのシーン。
デリックは顔をあげると、真摯な瞳でリリヤを見つめた。
リリヤは柔らかな笑みを花咲かせ、宝石のような瞳でそれを受けた。
そして、
(ふはははは!! ここでロボットを乱入させて、事故に見せかけてこの女をペチャンコにしてやるぜ!!)
(ふっふふふ!! 転んで頭をぶつけた風に見せかけて、この男の首に毒を注射してやるわ!!)
互いにまったく気取らせないまま、胸の内に殺意を漲らせる。
音楽が始まった。
1秒経ち、2秒経ち、3秒経ち。
指を絡ませ、腰を支え合い、ステップを踏む。
デリックがリリヤの瞳を見た。
リリヤがデリックの瞳を見た。
誰にもわからない距離で、互いの奥底を覗き合う。
「……ふっ」
「……くすっ」
――いつか、彼らも挫折をする。
一人の少女が失恋をしたように、ずっとしたかったことを諦め、今ある現実を受け入れて、前に進み始める時が来る。
しかし、それは今ではなかった。
だから今、二人は同じことを思うのだ。
((――まあ、今日はいいか))
絡めた指は、今は離れず。
床に落ちた影が、ひとつきりに重なっていた。
※※※
『――これでよかったの?』
ホールの真ん中で踊る二人を見守っていると、レイヤの心の奥で声が言った。
レイヤはかすかに口角を上げて、
「うん。今はこれでいいの。静かに確実に硬軟織り交ぜて、姉さんの気付かないうちにオトしちゃおうと思って」
『ふふふ。悪い子ね、レイヤ?』
「そりゃあ、あなたの教え子ですから?」
心の外と内とで、二人は小悪魔めいて笑い合った。
その視線の先には、義理の兄と実の姉。
あるいは、初恋の人と命の恩人。
不敵な余裕すら覗かせて、二人は人知れず宣戦を布告する。
「今は余裕ぶっておいてもらおうよ、わたしたちの恋敵に」
『ええ。わたしたちの、不倶戴天の恋敵に』
――誰かの夢の残骸が、別の誰かの道筋になる。
――古びた物語の終末が、新たな物語の開闢になる。
もう運命はどこにもない。
ただ、未来だけがここにあった。
魔神たちの青春は、千年経っても終わらない。
〈The End of the Episode of PALERIDER.〉
〈However,her stage will continue from now on.〉
不倶戴天の許嫁 >>婚約魔神と最も神聖なる痴話喧嘩 紙城境介 @kamishiro
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