第5話

「あー!! つっかれたぁー!!」


 座学が終わりシーラは伸びをしながら大声で叫んだ。自ら言っていた通り座学が苦手であったらしい。眉をハの字型にして机に突っ伏した。

 一方のクロエは初めて知る事ばかりだったためか、座学が終わった後でも疲労の様子は見えず楽しげな表情であった。元々前世では大学まで進学した身である。知的好奇心は旺盛なタイプだった。


「(でも、こうして勉強してみて分かった。やっぱりボクの魔法属性は異常だ。『無』って言うのがほんと意味わかんない。『無』以外なら、他の属性の派生か合成か予測できるのに……。それに、『魔法適性値なし』って言うのは『0』って意味なのかな? いやでもそれなら『0』って示されるだろうし、それにあの時全員の適性値を500以上にするって言ってた……。うーん……。)」


 多少知識が備わったため、クロエは改めて自らの異常性が確認できた。自分なりにその異常性に理由をこじつけようとするがそれも叶わない。うんうんと唸るだけが関の山だった。


「ねーえー、クロエちゃん。クロエちゃんってばー!」

「ふぇ!? あっ、ちょっ、な、何……?」


 突然後ろからシーラがクロエに覆いかぶさって来た。背中に仄かな柔らかさと温かさを感じたクロエは頬を若干染めてシーラを引きはがす。シーラは口をとがらせ手を頭の後ろに組んでいた。


「座学終わったよ! ご飯食べに行こ?」

「あ、そっか……。うん、行こうか。」

「シーラ、クロエさんをしっかり案内してあげてくださいね。あと、午後の訓練は西のテラスで行います。食事が終わったら来てくださいね? あ、お嬢様。片付けは私が行いますから、どうぞクロエさん達と一緒にお食事へどうぞ。」

「そうですの? では、シーラちゃん、クロエさん行きましょうか。」


 資料を抱えたミーナが後片付けを請け負った。持ち出した資料も少ないので、無理に手伝う理由のないサラは素直に厚意を受け入れる。シーラが先頭に立ち、広い屋内を歩く三人。時折ダークエルフの従者とすれ違う。彼女たちは屋内の清掃などを請け負う役割らしい。


「基本的に、女が内勤で男が郷の外の探索とかなんだ。ダークエルフは男女関係なく、普通の森精族エルフより身体能力高いんだけどねー。」

「それじゃあ、シーラもいつかはさっきの人みたいに掃除とかするんだ?」

「いや! あたしは外で哨戒とかしたい! お掃除とかつまんないし!」


 ぷいっとそっぽを向いてシーラは内勤を拒否した。彼女の性質を多少なりとも知っているクロエとサラからすれば納得である。しかし普段郷の外で活動しているサラは、郷の外の危なさを知っていた。


「でもシーラちゃん、郷の外は危ないですわよ? 動物や獣物ケモノはもちろん、魔物だっていますわ。訓練もですけど、もっと勉強もして知識を蓄えなくては危険すぎますわ。」

「んむぅー……、それは分かってますけどぉ……。」


 分かっているとは言ったものの、シーラは不満そうであった。その不満そうな表情のまま食堂へたどり着いたシーラと追随するサラとクロエは用意された昼食を取る。そして食事が終わり少しして、運動のできる格好に着替えも終えた三人の姿は屋敷のテラスにあった。

 そこは昨夜クロエが大長老と共に訪れたのと同じ、大きなキノコで出来たテラスだった。昨夜のテラスよりも面積が大きく、同じように柵はあるもののイスやテーブルの類はなかった。その代わりに様々な訓練道具などが用意されている。ここが国外で活動する者たちの為の訓練場であった。

 クロエたちがそこへ到着するころには、すでにミーナとゾーンが到着していた。周囲ではダークエルフの男性たちが各々訓練を行っている。彼らが国外のジーフ樹海で哨戒活動を行う集団の一部である。


「おう! よく来たな。午前は座学で肩こったろ? こっからはガンガン身体動かしてくぜ!」

「よっしゃ! お願いします!」

「お、お願いします。」


 シーラは元気よく、クロエは少し遅れて返事を返す。ゾーンは満足そうに頷くとシーラと共に訓練へ向かった。残されたクロエの元にはミーナがつく。サラは離れた場所で弓の指導をしていた。


「さて、ここからは戦闘訓練ですが……。クロエさんは前世において、戦闘の経験はございますか?」

「いえ……。ボクのいた世界では一部の場所で戦争はありましたけど、ボクの住んでいた国では戦うこと自体ありませんでした。一応剣道と空手……、えっと、剣術と格闘を習った経験はあります。」


 クロエの言葉にミーナは少し意外そうな表情を浮かべた。しかしすぐにいつも通りの表情に戻ると、「分かりました。」と言ってテラスに設置された棚へ向かった。

 ミーナは棚に置いてあった厚い布で出来たグローブを手に取ると、それを装着す両に言ってクロエへ手渡した。何となくこれから何をするか察したクロエは素直にそれを両手に付ける。


「では、クロエさんがどれほど出来るか、僭越ながら見極めさせていただこうと思います。ご遠慮なさらずにかかって来てください。」

「は、はい!」


 久しぶりの戦いに、クロエは緊張と同時にほんの少しの高揚を覚えた。その場で軽く数回跳躍し、身体の感触を確かめる。記憶にある自身の体格とはかけ離れた姿になってはしまったが、稽古で染みついた動きは忘れていなかった。


「(……うん。万全じゃないけど、まだ少しは覚えてる。)」


 クロエは左手を前に半身で構えた。前後に軽くステップを踏みながら、ミーナとの間合いを図る。相対するミーナは特に構える事もなく、いわゆる自然体に近い体勢だった。素人に近いクロエから見れば、隙などは見つからない。

 クロエが飛び込んだ。まずは様子見程度に左手で突きを放つ。ミーナは軽い動作でそれをかわした。ひらりと翻るロングスカートが実に優雅である。避けられたクロエはミーナへ向かって足刀蹴りを放った。しかしそれすらも予見していたかのように、ミーナは一歩後方へ下がりクロエの蹴りを避けた。


「(うわ、リーチ短い! でも、筋力は意外とあるな……。よし、もうちょっと近づいて――)」

「――せいっ!」


 ミーナの実力の高さを感じたクロエは、もはや遠慮無用と判断した。素早い動作でミーナへ向かって跳躍すると、右膝をかち上げた反動を使って空中で左前蹴りを放つ。狙いはミーナの顔面だ。

 ミーナはここで初めて避けることを止めた。クロエの蹴りを掲げた右腕で受け止める。クロエの体格が放った蹴りにしては存外重たい衝撃がミーナの右腕に加わった。

 クロエはミーナの右腕を蹴った反動を活かし、そのまま後方へ一回転し着地した。とても身軽な動きであるが、実はその動作を行ったクロエ本人がその動作に驚いていた。とっさに取った行動であったが、まさか本当にこのようなアクロバティックな動きができるとは思わなかったのである。

 クロエは再び油断なく構えを取った。その表情にはうっすらと笑みが浮かんでいる。意外と自分が戦えている事実に、少し浮かれていた。


「ふむ……。驚きました、クロエさん、結構戦えるのですね。……今の動き、もしや『カラテ』と呼ばれるものですか?」

「えっ、ミーナさん知ってるんですか!?」

「ええ。とは言ってもほんの少しですが。過去の旅において、『カラテ』の使い手である転生者ピースの方に会ったことがありまして。最初の打撃の形で少しピンときました。打撃を放った後、すぐに拳を引きましたから。」

「ボクはそんな達人じゃなくて、ほんの少し習った程度ですけどね……。」


 クロエが苦笑交じりに言った。前世においてクロエが空手で取ったのは初段。黒帯とは言え初心者と言っても過言ではない。

 ミーナは手を二、三度握り開き、そして構えを取った。左手を前にした半身の体勢に、左手を下げ右手は顎の前あたりに。異世界とは言え人型である以上、格闘の構えは大差がないらしい。


「それでは、もうしばらく攻めて来てください。クロエさんの格闘がどこまで出来るのか、今日の訓練はそれを見極めることにしましょう。途中からは私も手を出しますので、ゆめゆめ油断なさらぬよう。」

「それは……、怖いですね。精一杯、頑張ります!」


 言葉と同時にクロエが跳び出した。左半身の状態から途中で腰をひねり、右の足刀蹴りを放つ。ミーナは冷静に左手でクロエの蹴りを外に向かって払った。一瞬クロエの胴体がガラ空きになるが、クロエは払われた勢いを利用しそのまま左回し蹴りを繰り出す。

 ミーナは左足を外回りで後方に送る。左半身から右半身に体勢を入れ替え、自身の胴体を狙うクロエの回し蹴りを右腕で受け止めた。蹴りを受け止められたクロエはそのまま足を垂直方向に踏み抜く。狙うはミーナの右足先だ。

 しかしミーナもクロエの動きをよく見ていた。サッと右足を素早く引くと、その反動を使ってクロエから距離を取る。しかしクロエも攻めの手を緩めなかった。避けられたとはいえ床を踏み抜いた反動は生きている。クロエはそのまま左足で床を蹴り大きく跳んだ。そして空中で右腕を腰に溜め、ミーナの顔面を狙い突きを放つ。


「(取った!)」


 クロエは内心で勝利を確信した。それほどまでに思い通りの動きが取れたからだ。新しい身体の身体能力は高く、そして記憶にある前世の身体よりも思い通りに動いた。故に、クロエは少々調子に乗っていた。これならばどんな相手でも勝てるのではと、自分はかなり強いのではと内心驕っていた。

 しかし、クロエの細やかな思い上がりはすぐについえる。ミーナは放たれたクロエの突きを首の動きだけで避けると、そのまま右手で手首を掴みクロエをグイッと引っ張った。

 空中の踏ん張りがきかない場では抵抗するすべがない。クロエは引っ張られるがままに体勢を崩した。ミーナはそのままクロエの手首を掴んだまま、左手でクロエの腰を持ち上げそのままクロエを空中へ投げ飛ばしてしまった。


「あっ!? わ、ちょっ、いだっ!」


 投げ飛ばされたクロエは無様に体勢を崩したまま、受け身もとらずに床へ背中から落ちた。まるでベッドから寝ぼけて落ちたような情けない格好である。先ほどまでの動きからすれば、身体をひねって脚から着地するぐらいは出来たはずである。それすらも出来なかったのは、単純にクロエの油断の他にない。

 クロエは涙を目の端に浮かべて、歯を食いしばって立ち上がった。鈍い痛みが背中をジンジンと圧迫する。ミーナは相変わらず涼しい表情のままだ。


「(い、今のはちょっと油断しただけだ……! 今度は、今度こそは……。)」


 自信満々の攻撃をあっさりと崩され、クロエの闘争心に少しだけ火が付いた。再び構えると、攻撃を加えるためにミーナに跳びかかる。

 しかし、クロエの攻撃は不発に終わった。脚に力を込め踏み出そうとした瞬間、いつの間にかクロエの眼前にミーナの拳があったのだ。ぴたりとクロエの動きが止まる。この瞬間、少しだけ芽生えていたクロエの自信は砕かれた。この相手には、現段階ではどうしても敵わないと悟ったのだ。それがわかる程度にはクロエも熟達していた。


「う……ッ!」

「油断大敵、ですよ? ……だいたい分かりました。まったくの素人ではないですが、まだまだ訓練の余地があります。それに実戦の経験が圧倒的に足りないですね。それと、少々油断が過ぎます。平和な国で過ごされていたというのは嘘ではないみたいですね。」


 冷静に見極めを終えたミーナの言葉は、ぴったりとクロエの状況に当てはまっていた。反論のしようもなく、黙る他ない。トスンと尻餅をつき項垂れた。


「あっ、お気を悪くされたのなら申し訳ありません。むしろ、その平和な国において先ほどまで戦えるというのは素晴らしいと思います。これなら、組手を重ねることで格闘技術は上がるでしょう。」

「そ、そうですか……。」


 ミーナはフォローしたつもりだったが、元男性であった身としては女性であるミーナからこのようにフォローされては立つ瀬がない。クロエは何とも言い難いモヤモヤを抱えた。

 クロエの落ち込み様が予想外だったのか、ミーナが珍しく困ったように眉根を寄せていた。口元に手を当てて少しキョロキョロと視線をさ迷わせている。ミーナを困らせていることを知ったクロエは、心に残った悔しさをぐっと堪え立ち上がった。


「分かりました。気持ちを入れ替えて頑張ります。」

「その意気でございます。クロエさんは、基本的な動き方は既に体得していらっしゃるようなので、とにかく組手を行っていきましょう。戦いに慣れることです。その中で気が付くことがあれば指導させていただきます。それでよろしいですか?」

「はい! お願いします!」


 先ほどまでとは違い元気よく返事を返すクロエ。ミーナも満足そうに構える。こうして午後の訓練は充実して終わっていくのだった。












 翌日、クロエはシーラと共に魔法の勉強を受けていた。魔法に関する様々な事をシーラと学ぶ。すでにアレクサンドリアのダークエルフたちにはクロエの魔法に関する異常は伝わっていた。これから魔法や戦闘の訓練などを共にする以上、その事を秘したままでは支障が出る。ロール「魔王」についてはこれまで通り伏したまま、魔法に関する事だけ伝えることをサラやミーナ、サーシャと共に話し合って決めたのだ。

 現在行っている座学に関しても、魔法に関する基礎的な内容をクロエが学んだ後はクロエの異常に関し話し合う場とすると伝えられていたのだ。


「魔法は二種類に大別できます。シーラ、何と何でした?」

「え、えっと……。普通魔法と……、ねぇ何だったっけ?」


 ミーナの問いに半分まで答えたシーラだったが、途中で分からなくなり隣のクロエに聞いた。クロエは答えて良いか少しためらったが、そのまま答えることにする。


「確か、固有魔法ですよね?」

「その通りです。固有魔法とは、個々人ごとに発現する魔法です。同じ存在が二つとしていないように、一つとして同じ固有魔法はないとされています。一般的に魔法適性値が500を越える者が使えると定義されていますね。」


 ミーナが大きな板状の黒い岩に、細い棒状の白い石で文字を記していく。ミーナが書いたのは「固有魔法」と言う文字とその下に「適性値500以上から」。そしてその隣に「普通魔法」と書く。


「そしてもう一つの魔法、普通魔法は、適性値が100を越えれば使えるとされる魔法です。古代から数多く開発され、適性値で差は出るものの、その効果は誰が使っても同じです。また、普通魔法の中で特に攻撃に用いるものを区別して呼ぶことがあります。クロエさん、その名前は何ですか?」


 ミーナは「普通魔法」の文字の下に線を伸ばした。そしてクロエの方へ視線を向ける。ミーナはこのように講義と言ってもただ一歩的に話すだけではなく、クロエやシーラの理解を促すために問いかけることが多かった。

 クロエはパッと思いつくことができなかったので、事前にもらったメモ用紙をパラパラと見返した。そして該当する答えを見つけ答える。


「えっと、属性魔法です。」

「はい、正解です。属性魔法とはその名の通り、魔力に自身の魔法属性のバイアスをかけ、そのまま放つだけの単純明快な魔法です。しかし単純とは言えそこに込められる魔力の量によってはその威力は恐ろしいものとなります。」


 ミーナが再び文字を書き始めた。「属性魔法」の文字の下に、小・中・大・極大の文字を記す。クロエはその文字を見て先日の授業を思い返していた。


「(確か、極大魔法ともなると威力も半端なくて、極大魔法一発で国を滅ぼすことだって可能らしいんだっけ……? あれだ、核爆弾みたいだって思ったんだ。)」


 自らの前世におけるとある兵器を思い出しながら、クロエはミーナの講義を受ける。丁度その内容はクロエの異常について話題が及んだ。


「さて、十の属性と四の種類のある属性魔法ですが、その理に異を唱えたのがクロエさんですね。」

「無属性、だっけ? あたしも初めて聞いたよ。それ何なの?」

「うーん、それがボク本人もさっぱりで……。」


 シーラの疑問にクロエは困った表情を浮かべた。ゲームなどを思い浮かべれば「無属性」という物は存在する。しかしそれだけならば新しい属性という事で説明は付くが、説明がつかないのがもう一つの異常なのだ。


「ボクの異常、『魔法適性値なし』の意味も分かってないし。」

「……そうですね、それが分からないのです。」


 ミーナも困惑の声を上げた。黒板に「適性値無し」と記したが、その後にぐるぐると線を書きなぐる。これがいわゆるクエスチョンマークとなるらしい。

 三人揃えば文殊の智慧と言う言葉がクロエの前世ではあったが、この場では三人が悩んでも答えは出なかった。しかし、その解決策は思わぬ四人目から出る。


「……もしかしてですけど、『なし』と言うのは『0』の事ではなくて、『存在しない』と言う意味ではないですの?」


 サラだった。現在二人が受けているレベルの基礎知識はすでに習得済みのサラだったが、やる事もなく復習に丁度良いと離れたところに座りミーナの講義を聞いていたのだった。今まで聞くだけで言葉を挟まなかったサラだったが、ここに来て思わぬ光明を指し示した。


「今まで考えてましたの、『魔法適性値なし』とは一体どう言う状態なのか……。魔法適性値はこの世界に普遍的に存在する魔力を自身に取り込み、魔法へと変換する能力を疑似的に数値化したものですわ。その値が大きければ大きい程、魔力を効率的に魔法へと変換できる。ですけど、もしその値が無限だったら? 変換するまでもなく、魔力を魔法にそのまま変えることができたのなら、それはもはや魔法適性値が無いのと同義ですわ。信じがたいですけど、もしこの予測通りなら……?」


 サラの言葉にクロエとシーラは首を傾げた。しかしミーナは、ミーナだけはサラの言いたいことを正しく理解した。そしてあまりの動揺に持っていた白石を取り落とす。軽い音が静寂の資料室に響き渡った。


「……あり得ません。いくら何でも、それはあり得ないのではないですか、お嬢様。」

「ですけど、この理屈が真実ならクロエさんの魔法属性にも説明がつきますのよ? 魔法の属性は私たちの魔法属性の偏りをかけることで発生しますわ。でも、クロエさんに魔法適性値がないとしたら、そもそもそこに偏りをかける必要すらない。つまり、属性が存在しない。それ故の『無属性』と言う意味だとしたら……?」

「た、確かに……。」


 それからミーナとサラは、クロエとシーラを尻目に二人で話し合い始めた。矢継ぎ早に繰り出される会話の中にはクロエの聞きなれない単語ばかりが飛び交い、その内容を理解することは能わない。シーラも同様のようだ。しかし、二人とも一つの事は理解できていた。クロエの存在は、予想以上に異常である可能性があるという事だ。

 実に、たっぷり十分は話していただろうか。サラとミーナの議論が終結した。ミーナとサラは信じがたいという気持ちをありありと表情に浮かべながらも、導き出した結論をクロエへと伝える。


「クロエさん。お嬢様と話し合いましたが、やはりお嬢様の推論が合っている可能性が高いようです。……そこで、申し訳ないのですが、いまから少しお付き合いいただけないでしょうか? 調べたいことがございます。シーラも、申し訳ないですが今日の座学はここで終わりとします。それでもいいですか?」

「う、うん。あたしは嬉しいけど……。」

「ありがとうございます。それではクロエさん、こちらへ。お嬢様もどうぞご一緒に。」


 ミーナはクロエとサラを連れて足早に資料室を後にする。残されたシーラは怒涛の展開について行けず、しばらくの間ポカンと呆けていた。しかし窓の外からかすかな音を耳にした。それは複数人の人物が活動しているらしき音である。シーラは席を立つと、頬をポリポリと掻いた。


「……とりあえず、午前の訓練に顔出してこよっと。」


 一方のクロエ達三人は資料室を出て、現在は大長老の執務室に来ていた。執務室で書類を書いていたサーシャは突然訪れたクロエ達の姿にも驚くことなく三人を迎え入れたが、サラとミーナの語る話を聞いた後には流石に驚きを隠せずにいた。

 サーシャは話を聞き終えると三人を引き連れて部屋を後にした。そして廊下を歩き階段を登り、たどり着いたのは屋敷の頂上だった。


「ここは……?」


 これまでの空間とは異質な雰囲気を感じ取ったクロエが尋ねた。そこはまるで切り株の上のように垂直に切り拓かれた大樹の頂上だった。木の外縁から枝葉が伸び、まるで樹木のドームのようになっている。

 そしてその幻想的な空間の中心に、やや不釣り合いな物体が鎮座していた。木製製品以外をあまり見かけないこのシドラにおいて、クロエの肩ぐらいまでの高さの綺麗に成形された石の台座だった。そしてその上には球状の透明なガラス玉のような物が浮いていた。


「これは『アルゴス』って言う装置よ。そうねぇ……。簡単に言うなら、使った人の魔法適性値とか魔法属性を調べるものなのよ。どこにでもあるような物じゃない、結構貴重な物なのよ?」


 サーシャが不思議そうな目で装置を見つめるクロエに気付き、場を代表して解説を入れた。クロエは改めて装置を観察する。見る限り、球が浮いているという点以外は何の変哲もないただのオブジェクトである。これをどう使えばサーシャの言ったような物が調べられるのか。クロエには予想もつかなかった。


「そうですね。まずは我々で使って見せた方が早いでしょう。クロエさん、どうぞご覧ください。」


 ミーナが一歩前に出た。つかつかと歩きアルゴスの前に立つ。そして装置の球の部分に手を当てた。

 すると次の瞬間。球が一瞬にして巨大に膨張、その大きさは人ひとりを優に大きく超えるものだった。しかしクロエが驚いたのはそこではない。その球の表面にびっしりと目が現れていたのだ。透明な球に切れ込みが現れ、そこからぎょろりと瞳が芽吹く。球の表面に現れたおびただしい目は、その全てがミーナを見つめていた。

 時間にして一分も経っていないだろう。しかし風の音以外聞こえない静寂の空間の中では、まるで実際の数倍も経ったかのように感じられる。突如として現れた目は、同じく突如として消え去った。目の消えた球は何事もなかったように元の大きさとなるが、全くの元通りとはならなかった。球は透明ではなく紫色に輝き、そして表面に文字らしきような物が浮かび上がっている。クロエの見覚えのある文字ではなかったが、転生者ピース特有の能力のおかげでそこに何が書いてあるか理解できた。数字だった。「480」と記されている。

 ミーナがアルゴスから離れた。それと同時に球の輝きが消え元の透明な状態に戻る。ミーナがクロエへと振り返る。


「このように、この装置の球に触れることで自身の魔法属性と魔法適性値が判明します。この珠が紫に輝いたという事は、私の魔法属性は闇。適性値は480という事なのです。今からクロエさんにもこの装置を使っていただきます。これを用いれば、何かしらの謎が解けるはずです。」


 皆の視線がクロエへ集中する。クロエの喉がごくりと鳴った。遂に自らの謎が明らかになる時が来たと思うと、真実を知りたい気持ちと緊張感がクロエの心でせめぎ合った。アルゴスへ向かって歩みだす足が、一瞬だけ止まった。しかし、謎を追い求める気持ちが競り勝ち、クロエの身体は装置の前へとたどり着いた。


「(鬼が出るか、蛇が出るか……。えっと、ここに手を置けばいいんだよね?)」


 クロエはアルゴスの球部分に手を置いた。一拍。球部分が先ほどと同じように巨大に膨張する。そして球のあちこちに切れ込みが発生し、そこからぎょろりと瞳がのぞいた。


「ひっ……!」


 そのあまりの不気味さに思わず悲鳴を漏らすクロエ。しかし、何とか球から手を離さずにこらえる。

 球の表面の目は最初クロエをじっと凝視していたが、ミーナの時の時間を優に超えても球に変化は現れなかった。それどころか、クロエを見つめていた目のうちの幾つかが、まるで狂ったかのようにぐるぐると視線をさ迷わせ始めたのだ。これまで以上に大きく目を見開き、クロエの全身を、まるであら捜しでもするかの如く、ぐるぐるぐると、視線をさ迷わせる。

 視線を迷わす目の数は徐々に増えていき、遂には全ての球がぐるぐるぐるぐるぐるぐると焦点を失った。一目でわかる異常事態である。クロエ以外の三人が不安そうにアルゴスを見つめることから、何も知らないクロエであっても現状が異常であることが察せられたのだ。

 次の瞬間。目をまわしていたアルゴスの瞳たちがカッと目を見開いた。そしてぐるんと目のすべてが裏返ると、球が再び膨張し始めたのだ。ぐんぐんと膨張する球は、天頂を覆っていた枝のドームを押し広げてなお膨張する。


「クロエさん! 手を離してください、危険ですわ!」


 サラの叫びに反応したクロエは、パッとアルゴスから手を離し急ぎ距離を取った。すると、球の膨張は止まり風船が縮むように縮小する。数秒の後に元の大きさに戻った。


「なっ……、いったい何が……!?」


 何が起きたか分からず混乱の声を上げるクロエ。呼吸が荒い。しかし何が起きたのか分からないのはクロエだけではなく、むしろその場にいた全員が分かっていなかった。一体何が起きているのか、そして何が起きてもいい様に緊張した面持ちで装置を見つめていた。

 すると、球の表面に何かが浮かび上がった。それは一見して文字には見えない。転生者ピース特有の「自動翻訳」の能力を持つクロエであっても、それは意味の分からない表示としてその目に映っていた。


「……これは、どう言う事ですの?」


 静寂を打ち破り、困惑の声を上げたのはサラだった。その声にミーナが口元に手を添えながら答えた。


「おそらく、私たちの予測が的中した結果ではないでしょうか? 球の色が透明のまま、読めない謎の文字群が表示される。透明なのは『無属性』を意味し、謎の文字群は適性値のエラーを示しているのだと思います。」

「ふぅん、正直信じにくいけど……。でもこうして結果が出ちゃってるのよねぇ。それで、結局クロエちゃんは何がどう凄いのかしら?」

「えっと……。魔法適性値がないという事は、つまり無制限に魔法が使えるという事ですの?」

「ええ。この世から魔力が消えない限り、クロエさんは魔法を使い続けられるでしょう。それだけではありません。魔法属性には相性が存在します。火は水に弱く、水は雷に弱い。光と闇が相克である以外は円環のように弱点が連なる属性ですが、クロエさんの『無属性』はそれらの外にあります。おそらく、相性を無視して魔法攻撃を通すことができるでしょう。」


 ミーナの言葉に皆が押し黙った。魔法の事をいまだよく理解していないクロエであっても、その恐ろしさは感じ取れた。重たい雰囲気がその場を包む。


「……まぁ、これに関してクロエちゃんは何も悪くないからねぇ。どうこう言うつもりはないわ。でも、クロエちゃん?」

「は、はい……?」

「クロエちゃんの持つ力はとっても強力よ? でもだからって調子にのっちゃダメ。しっかり魔法のお勉強して、ちゃーんと魔法を制御するように。いい?」


 まるで母親のように腰をかがめクロエの視線に合わせ、サーシャは念を押すように語った。しかしその声は優しげであるが、その雰囲気のどこかに有無を言わせぬ迫力もある。クロエはコクコクと小さく小刻みに頷いた。


「わ、わかりました。頑張ります。」

「うん、良い子ね。ミーナ? ちょっと来てくれるかしら。これからのクロエちゃんの事について話ししたいわ。サラちゃん、クロエちゃんを連れてご飯に行ってらっしゃい。私たちも後で行くわ。」

「分かりましたわ。クロエさん、行きましょうか。今日のご飯は私が以前に取って来たキノコを使ったものらしいですわよ?」

「キ、キノコですか……。ボク、キノコあんまり好きじゃ……、や、何でもないです。」


 サラがクロエを連れてこの場を後にした。クロエはキノコと聞いて嫌そうな顔を一瞬浮かべたが、サラの笑みを見て押し黙った。階段を降りる後ろ姿がいつもより小さく見えたのは見間違いだろう。

 広い空間にはサーシャとミーナだけが残された。風が吹き二人の間を駆け抜けた。サーシャは無言で装置に近づくと、装置アルゴスの球に手を置いた。アルゴスはこれまでと同じように起動し、そして正常にサーシャを測定し終える。


「故障してはいないみたいね。でも困ったわ、この国の最高戦力の座を奪われちゃうわね。」

「ご冗談を、経験と踏んだ場数が違います。」


 茶化したようなサーシャの言葉をミーナは即座に否定した。その声は真剣そのもので、サーシャの冗談に乗るつもりはない事が伺えた。サーシャは「分かってるわよ。」と短く言葉を返した後、ミーナの側へ近づく。


「クロエちゃんの事、これまで以上に厳しく監視してちょうだい。あの力は軽視できないわ。」

「……分かりました。私の目が届かない所はシーラを使っても良いかもしれません。」

「そうね。シーラは隠し事が出来ないタイプよ。上手く別の理由を付けて見張らせた方が良いわ。」

「かしこまりました。それではさっそく、シーラの元へ行ってまいります。失礼します。」


 一礼を残しミーナもその場を後にした。最後に残ったサーシャもため息を一度だけ吐いて階段を降りる。風がまた吹いて、そして消えた。













「さて、お待たせしました。これから魔法の実践を行っていきましょう。」

「クロエちゃんおまたせ! 大変だったんだってね。大丈夫、あたしがついてるから!」


 食事を終えたサラとクロエが訓練場で待っていると、ミーナとシーラが連れ添って現れた。シーラはクロエを見つけるや否や開口一番、クロエの手を握って目を輝かせていた。

 ミーナはサーシャと別れた後、食堂へ向かおうとしていたシーラを捕まえたのだった。そしてシーラに対しクロエの謎の真実を伝えた上で、「自身に不思議な事が起こって混乱しているだろうから支えてやって欲しい」と伝えたのだった。

 無論それは監視の意味を含んだ言葉であったが、シーラの性格を考えた上でミーナは「支える」と言う言葉を使ったのだった。これならばシーラはクロエの事を喜んで監視するであろう。自らが監視人となっているとも知らずに。


「(それにしても、まさか開口一番このような行動に出るとは……。やはり大長老様の仰る通り誤魔化して伝えて正解でしたね。)」


 内心でため息を吐いたミーナ。しかしその感情を表には出さず、普段通りの表情で言葉を続ける。


「これからクロエさんには『属性魔法』を試してもらいます。シーラ、あなたは出来ましたよね?」

「出来るけど……、小魔法レベルだよ?」

「では、中魔法が撃てるように訓練なさい。戦闘においては中魔法ぐらいまで使えなければ戦えませんよ。お嬢様、申し訳ありませんが見てやっていただけませんか?」

「良いですわよ。シーラちゃん、練習しましょうか?」


 シーラとサラが少し離れたところに移動した。残されたクロエはミーナの方へ向き直る。座学で魔法についてほんの少しだけ学んだクロエであったが、とうとうその実践に移るのだ。ワクワクとした心持で瞳を輝かせていた。


「ではさっそく……。まずは魔法をご覧いただきましょう。少しだけ離れていてください。」


 ミーナの言葉にクロエは一歩後ろへ下がった。それを確認したミーナが静かに右手を顔の高さに上げる。スッと息を吸って、止めた。

 クロエはその瞬間、自分の周りの空気がざわつくような錯覚を感じた。初めて感じるはずの感覚だが、それはどこか懐かしさすら感じる不思議さがある。いわゆるデジャヴのようなものかもしれないが、その正体までは理解が及ばずクロエは内心で首をひねった。


「――【暗黒小魔法ダーク】。」


 ミーナがそう唱えた途端、その掲げられた右手のひらに濃い紫色の発光体が現れた。バレーボール大まで一瞬で膨らんだ発光体は手のひら大まで凝縮され、次の瞬間にはミーナの手から射出された。

 硬いものが空を切るような射出音と共にミーナの魔法は飛翔する。重力の影響を感じさせず直進した魔法は、壁に当たる瞬間に霧散した。まるで元から何も存在しなかったかのように、そこには何もない。


「如何でしたでしょうか。今のが闇属性の属性小魔法、【暗黒小魔法ダーク】でございます。威力は大したことありませんが、使用する魔力の量が少ない事が特徴です。」

「……。」


 ミーナが解説を行っているが、クロエは黙りこくっていた。ミーナもそれに気づき、クロエの顔を覗き込むようにする。顔を覗き込まれたことでクロエはようやく現実に戻って来た。


「あ……、あぁ、ご、ごめんなさい。えっと、は、初めて魔法って言う物を見たのでびっくりしちゃって……。」

「左様でございますか。いえ、無理ないでしょう。逆の立場なら、私も平静ではいられないでしょうから。」


 クロエがとっさに言った言葉は決して嘘ではなかった。事実、クロエは始めて見た魔法に見惚れてもいた。それは間違いではない。

 だが、それ以上にクロエを支配していたのは謎の高揚感だった。まるでカラカラに乾ききった喉に冷たい水を通したときのように、まるで巡る血潮が沸騰して暴れるかのように。目の前を通り過ぎた魔法を見た瞬間にクロエの心は踊った。


「(何だ? なんで……、なんでこんなに手が震えるんだ? 今すぐ、魔法を撃ちたい。分かる。感覚で、理屈じゃなくて感覚で、どうすれば魔法が撃てるのか分かる……!)」

「――と言う理屈で、魔法と言う物は放つことができるのです。だいぶ荒い説明になってしまいましたが、ご理解いただけたでしょうか?」


 クロエが考え込んでいる間にミーナは魔法発動のしくみを簡単、且つ分かりやすく説明していた。貴重な話であったはずなのにそれをクロエは聞いていない。だが、それでも問題ない程には魔法発動の方法を――その理由は分からないが――クロエは理解していた。


「――大丈夫です、できます。」

「かしこまりました。では、狙いがないと撃ちにくいでしょうし、私目がけ属性小魔法を放ってください。遠慮はいりません。どうぞ。」


 そう言うとミーナは軽やかに跳躍、クロエから十メートルほど離れた。普段のクロエであれば、いくら相手から言われたとはいえ他人目がけて攻撃を撃つことに躊躇いを覚えただろう。

 しかし、今のクロエの頭にはそのような躊躇いは欠片もなかった。まるで思考が乗っ取られたかのように、好戦的な思考が止まらない。魔法を初めて見たという高揚感だけでは片づけられないその昂ぶりに、現在のクロエは気づけない、気付こうとしない。

 右手をミーナに向け掲げ、静かに息を吸って、神経を集中させる。自らの周囲を渦巻き存在する魔力を濃密に感じながら、クロエはその魔力が自らに入り込むのを感じていた。一切の抵抗や違和は感じない。まるで水がザルを通るかのように、魔力が自らの力へすんなりと変換される。


「(これが、『魔法適性値なし』の力……。ククク、この流動感は癖になりそうだ……!)」


 止まらぬ興奮と高揚感に、クロエの口のがニヤリと歪む。白い歯が隙間から覗くその表情は、さながら獣の威嚇の如き様相であった。まるで別人のごときその豹変に、本人を含め気づけた者はいない。

 クロエの掲げた右手に魔力球が生成された。しかしそこに現れたのはどの属性反応にも見られない白色である。一番近いのは光属性の魔力色だろうが、光属性のそれが太陽の光によく似た温かみを感じさせる生成り色であるのに対し、クロエの右手に現れたそれの色はどこか冷たさを感じさせる白銀。それでいて感じる力強さのような物は、純粋な魔力が放つ圧迫感プレッシャーなのかもしれない。

 現れた魔力球の姿に、流石にミーナを含めたその場の皆が異変に気付いた。周囲の皆は小声で会話をする程度であったが、相対するミーナは無言でその魔力球を、いやむしろクロエを睨んでいた。

「(あれは……、あれが、『無属性』の属性反応? まさに『無』にふさわしい色と言う訳ですね。)」


 ミーナはクロエの右手に出現した魔力球に対し、素直な感想を抱いた。しかし睨みつける視線は厳しいままである。その理由は、魔力球から感じるあるものにあった。


「(……ですが、この感じる魔力量、これは明らかに小魔法の魔力量では……。まさか、多量の魔力を無理やり小魔法の形に押し込めた? そんな芸当を、転生者ピースであるクロエさんが、初めての魔法で……?)」


 ミーナは正直、よもやクロエが魔法を発動できるとは考えてはいなかった。魔法が発動できずうんうんと唸るか、もしくは奇跡的に発動できても不発に終わるだろうと高をくくっていたのだ。

 それが、ごく当たり前のように小魔法を発動したばかりか、明らかに小魔法ではあり得ない量の魔力が込められた魔力球が生成されている。その矛先はミーナ自身。少し前まで教え子を見守るような心持でいたミーナだったが、いまや敵と相対するような心持になっていた。


「……。行け、【虚空小魔法オール】!」

「――ッ!?」


 突然、クロエが魔法を放った。凄まじい速度で射出された魔力球は、一切の容赦を感じさせない弾道でミーナへと迫る。数秒にも満たない時間の中で、ミーナは培われた戦闘経験からほとんど無意識のうちに自信の固有魔法を発動させていた。


「【パンドラ】!」


 魔法名の詠唱と同時に右手を何もない場所へ突き出す。すると、まるで時空に裂け目が出来たかのようにひび割れが生じ、そのひび割れへミーナの右手が吸い込まれた。そして右手を入れた次の瞬間には再び右手と、そして右手に握りしめられたとあるものを抜き出した。

 ミーナが持っていたそれは、巨大なハンマーだった。ヘッド部分がミーナの胴体ほどの大きさもある代物で、インパクト面の片方は鋭い棘がびっしりと並び、反対側はまるでジェット装置のようなものが着いている。このシドラの雰囲気にそぐわない、とてもメカニカルな外見だった。

 ミーナはハンマーの柄を両手で握ると、素早い動きでハンマーを後方へ流し構えを取る。迎撃の構えだ。そしてミーナはまるで竹刀を絞るようにハンマーの柄の一部を回転させる。すると、柄を通しミーナの魔力がハンマーへと流入した。そしてその魔力をエネルギー源に、ハンマージェットが唸りを轟かせる。


「――ハッ!!」


 目前まで迫った魔力球を、ミーナは気合一閃、正面から迎えうった。ダークエルフの膂力とハンマージェットの推進力で爆発的な加速を見せたハンマーヘッドは、迫りくる魔力球を芯でとらえる。瞬間ハンマーの柄が少ししなるほどの拮抗があったが、最後はミーナが腕力にものを言わせ魔力球を上空へと打ち上げた。

 上空へ打ち上げられた魔力球は、しばらくの間目標のいない上空を飛翔するもすぐに霧散した。訓練場の皆はポカンとした表情で、平和な青空を見上げている。しかしその中でミーナだけは視線を上空へ向けず、油断なく魔法の元凶であるクロエへ視線を向けていた。


「……、……?」


 当のクロエは尻餅をついた体勢で、自らの右手を呆然とした表情で眺めていた。その表情に敵意のような物はなく、自らが放ったものが信じられないという考えが顔に描かれている。


「(あの様子は……、おそらく本当にびっくりしているのでしょうね。あれが演技だとしたら……、いえ、考えるのは止しておきましょう。)」

「――ふぅ。」


 ガシャンという大きな音をたてて、ミーナはハンマーを床へ降ろし構えを解いた。ハンマー自体の重量もすさまじく、並みの人類種ヒューマーならば持つことすら叶わない代物であるのだ。

 そして、その音で我に返ったらしいクロエが、音の発生源であるミーナの方へパッと顔を向けた。一瞬の間の後、その表情が信号のようにサッと青に変わる。


「ご、ごめんなさいっ!! 大丈夫ですか!?」


 半泣きの様相でクロエがミーナの元へ駆け寄った。その顔には先ほど垣間見た攻撃性は微塵も感じられない。ミーナは一切の警戒を解いてクロエを迎えた。


「大丈夫ですよ。あれしきのことで怪我を負うほど鈍ってはおりませんから。それより、クロエさんの方こそお怪我などはありませんか?」

「ボ、ボクは何ともないですけど……。あの、信じてもらえないかもですけど……、さっきのはわざとじゃなくて……、その……。」


 クロエがおずおずと弁明を始めた。自分のせいじゃないと伝えたいのだろうが、それでも自分の責任は感じているらしく、何とも中途半端なものになってしまっていた。ミーナはその言葉とクロエの表情を見て、小さく噴き出した。


「分かっていますよ。先ほどのような事態は、実は魔法の初心者には時折みられるものなのです。まぁ予想よりも強力でしたが、それもクロエさんの才能あってのことでしょう。」

「そ、そうだったんですか……?」


 ミーナの言葉にクロエの表情が少しだけ明るくなった。自分に起きた異常が珍しくないという事実と、褒められたという事実。青かった顔も今や普通の顔色に戻っている。


「(フォローは成功したようですね。……異世界には『嘘も方便』という言葉があるそうですが、なるほど、よく言ったものです。)」


 ミーナは内心で感心していた。実は、ミーナが先ほどクロエに言った言葉、「初心者には時折みられるもの」と言うのは真っ赤な嘘であった。クロエを安心させるためにとっさに言った言葉だったが、思惑通りにクロエは心を落ち着かせている。


「さぁ、仕切り直して魔法の勉強を再開しましょう。……と、その前に。私としたことが忘れ物をしてしまいました。申し訳ありませんが、少し待っていてください。」

「分かりました。」

「私が戻るまでの間は、そうですね、シーラと休憩していてください。そこまで時間をかけずに戻って来られるはずですが。」


 そう言ったミーナはシーラを呼び、今さっきクロエに言った言葉と同じことをシーラに語った。


「えー? ミーナ姐さんが忘れ物なんて珍しいねぇ。明日は雨かな?」

「私とて忘れ物ぐらいしますとも。……特に、あなたが先日壊した窓の補修などを行って忙しい時なんて特に、ね?」

「う……っ!? あ、あはは……。クロエちゃんあっち行こうか! あっち!」


 思わぬ藪蛇、シーラの額に冷や汗が光る。シーラは強引にクロエの手を取ると訓練場の端へと引っ張っていった。それを確認したミーナは踵を返すと、訓練場の扉をくぐる。


「っ! ふぅ……。」


 扉を抜けて少しした後に、ミーナは突然自分の右ひじを抑えた。よく見ると微かに右腕が痙攣している。ミーナの表情も普段に比べ、どこか苦しげであった。

 すると、ミーナが痛みを覚える彼女に右ひじに、痛みを抑える冷たさが現れた。驚いたミーナが視線を向けると、そこには革袋のような物をミーナの右ひじに当てたサラがいた。


「お、お嬢様……。気づかれてましたか。」

「シーラちゃんの言葉ではないですけど……。あなたが忘れ物をするのも珍しいですし、何よりタイミングが急すぎですわ。……大丈夫ですの?」

「問題ありません。少し筋を痛めた程度でしょう。」

「あなたがそう言うのなら無理に止めはしないですけど……。ねぇミーナ、クロエさんの様子、気付きました?」


 ミーナに水の入った革袋を渡したサラは、少し表情を暗くしてミーナへ問いかけた。その様子から、ミーナはサラが何を言いたいのか察する。


「……ええ。あの視線を真っ向から受けておりましたから。」

「目を疑いましたわ。あの表情、視線、雰囲気……、殺気に満ちて……。あれは、流石に見間違いなどでは片づけられませんわ。」

「そうですね……。それに、まさかいきなり魔法を発動できるとも思いませんでした。しかもあの威力……。とっさに弾けたから良かったですが、下手を打てば私もここに立っていなかったでしょうね。」


 二人の間に重い雰囲気が流れる。純粋な笑みを浮かべるあの少女を疑いたくないという想いは二人の共通認識であるが、それでも嫌な想像しか浮かばない。そうせざるを得ない歴史がこの国にはあった。


「……例えどんな真実であろうと、私はクロエさんを守りますわ。これだけは譲りませんわよ。」

「私とて、クロエさんを害そうなどとは考えておりませんとも。ですが、アレクサンドリア家の一員であることは忘れられません。」

「その時は……、私は、エルゼアリスの名を捨てても構いませんわ。この名があなたを苦しめるなら。……私を縛るなら。」


 サラの瞳には決意が宿っている。この頑固さは母親譲りか。サラの瞳に仕える主の面影を垣間見たミーナは、小さくため息を吐いた。


「……何はともあれ、あれだけでは何も分かりません。これからの時間で、慎重に探っていくしかないでしょう。」

「分かりましたわ。……それでミーナ? これからどう誤魔化しますの? 忘れ物をしたといったからには、何か持ってこないと流石に疑われますわよ?」

「そうですね……。」


 ミーナが頬に手を当てて考えた。このポーズは彼女が考え事をする時の癖であり、それを見たサラはどこか懐かしい思いを得た。


「本当なら、今日の夕方にお出しする予定だったお菓子がございます。それを持ってきましょうか。『今日頑張ったご褒美』として。」

「……そうですの。では、私は先に戻ってますわね。」


 サラはそう言うと、踵を返し訓練場へと戻っていった。ミーナはその後ろ姿を少しの間見つめていたが、すぐに歩みを再開させた。



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白銀物語 ‐the Journey to Search for Friends‐ 埋群のどか @kaz4431

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