第一章『今日この日まで夢を見る』6

 のんきな姿を晒す二人を前に、地竜は未だ近づけずにいた。

 手の届かない位置にいたはずなのに襲ってきた衝撃——幼いがゆえに受けた未知を、受け入れる余裕がなかったのである。

 しかし、地竜はアルマたちの方へと飛び込む姿勢を作った。前脚の爪で泥土をしっかりと掴み支え、後ろ脚を曲げて力を溜める。牙を剥き出しに、溜めた力を後方へ解放。勢い強く、自身を砲丸として撃ち出した。

「アルマ、左なのです」

「あいよ」

 たった二歩、ずれるだけで、アルマは地竜の軌道から避けて見せた。通り抜けた風圧に髪は乱れ、衣服の端の布が存分にはためく。地竜は泥土の上を転げて回り、樹木を二本へし折ったところでようやく止まる。

「……避けることしかできない、というのも歯がゆいですね」

 イーシャが地竜の方を眺めながら言うと、アルマは苦笑いを浮かべる。

「木の枝で地竜を斬れって? それはやったことないなぁ……ものは試しだけれど」

 適当に落ちている木の枝を拾い上げ、右と左に一回ずつ振ってみる。水に濡れた木の枝はしなやかに曲がりながら、ヒュンヒュンと小気味良い音を立てた。

「やれそうな気がする」

「バカ言ってないで、そんなことはやめるのです」

 イーシャが腕を振り上げると、アルマの手の内にあった木の枝が風に攫われた。雨を受けながら回転しながら落ちるそれは、地竜の鼻先に落下する。

 それに地竜が再び身体を驚かせていて。

「狙ってた?」

「いえ、偶然なのですよ……そんなことより、この状況をどうするのですか。逃げれば追ってくると思いますし、毎回木の枝を投げるわけにはいきませんよ」

 地竜は体勢を立て直し、にじり寄る様に四肢を進ませてきている。背を向けて走り出せば、釣られて追ってくるだろう。

「……じゃあ、もういっそのこと」

「逃げるのです?」

「叩いて大人しくさせよう」

「……幼体と言えど、地竜の甲殻なのですが」

「大丈夫大丈夫。もし斬ったら地竜は大事になっちゃうし、今はこの方法で機を待つしかないだろっ」

 ここで待ってて、とイーシャを放り出し、アルマは地竜に向かって駆け出した。小さく溜め息を吐いた風の精霊は木陰に逃避し、遠くからアルマの様子を眺める。


 アルマは地竜と対峙した。遠巻きに眺めていた姿も、ほんの一秒駆ければ到達し得る位置にあるとなると、甲殻の模様も、その下の筋肉が動く様子も遥かによく見て取れる。

 頑強な甲殻を打ち抜いて、地竜の神経を刺激できるか——それが問題。

「それか、時間をかけて待つ——か」

 右手を前に、左手を腰に地面に水平に構え、泥土に足裏を張り付けて構える。

 地竜は再び後ろ脚をばねにして飛び出した。

 到達点が近いためか、それほど勢いはない。先ほどと同じ要領で避けると、すぐ側に着地して泥水を弾き飛ばしてくる。そこを後ろからをつかみ取ろうとするが、

「————ッ」

 ブンと風を切って振るわれた尻尾に阻害される。甲殻に覆われているからかしなやかに、とまではいかないがある程度の自由は効くようで。

 前脚を起点にして後ろ脚で蹴り上げて地竜は転回する。今度は、一歩踏み込めば地竜の顔だ。

 アルマは怖気づくこともせず、一歩を踏み出して

 弾け飛ぶ泥水。足の側を地竜に向けて踏み込んだため、多くの泥水が地竜の顔面に叩きつけられた——いわゆる、目潰しである。

「瞬膜があるから、どうなるか——って、わっ!」

 ぱっちりと目を開いた地竜が体躯を活かした突進を放ってくる。咄嗟のところでアルマは避け、二・三歩後ろへ下がる。

 意外に隙が見えてこない。手段が徒手空拳だけだからこそのことだろうが、そもそも徒手空拳というのが間違いなのかもしれない。

 ……さて、どうしようか。

 ……そろそろ頃合いだと思うんだけど。

 チラと後ろを振り返り、イーシャの方を見ると、なんだか忙しない様子であるのを見ることが出来た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Mythosial Chronicle 星宮白兎 @hoshimiya8910

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ