◇ Please take my life.
◇
また今年も、薔薇が終わり、白い紫陽花が音を奏でる季節がやってきます。
あなたに出会った、一番好きな季節です。
毎年この時期は息子とふたり、避暑地の城で過ごしてきました。だけど、夫は亡くなり、即位した息子は忙しく、いつしか私ひとりになりました。
だからもう季節なんて関係なく、ゆっくり過ごすことにしたのです。
「これは特にひどかったと思いますわ。私はあなたが未知の猛獣にでも襲われたのかと、とても心配しました」
「あれー? これは何だったかな? でも変なものには会ってないので、きっとかわいい犬か何か見たんだと思います」
「犬? これのどこが犬ですの?」
「でも、こっちの湖はよく描けているでしょう?」
「これ、湖でしたの。緑色だから、私はてっきり森だと……」
「行く先々から絵を送ったのに、全然伝わっていなかったのですね」
避暑地の城で新しく雇った絵師は、だいぶ年を取ったけれど、あのモミの木の蜂蜜のような目は変わっていなくて。
「内容なんていいの。あなたがどこかで無事だというだけで、十分でしたわ」
どこにいるのか、何を見たのか、想像するだけで楽しかった。あなたのところに届くと思えば、雷にもときめき、雨粒も明るくきらめいて見えました。
「いやー、結構危なかったんですけどね。前国王陛下が助けてくださいました」
夫は最期まで、私を大切にしてくださり、息子を愛して支え続け、何も言わずに亡くなりました。
その人が? 何も知らないはずの夫が?
「『次期国王の父親を殺したりできない』って」
ひどい裏切りに遭ったような気持ちになって、でもぶつける先がないので空を睨みます。
全部ご存知でしたのね? 言ってくださればよかったのに。
「それから最期に伝言も」
夫によく似た、けれどわずかにとろりと深い目が、私を見つめます。
「『妻に恋を授けてくれてありがとう』と。やっぱり仲睦まじいご夫婦だったんですね」
あなたの言葉は、確かに夫が言ったのでしょう。それが自然と素直に信じられました。
「ええ。とても大切な家族でしたわ」
色褪せたものから新しいものまで、目の前にはたくさんの絵が並んでいます。
「それにしても“絵師”には無理がありますわ。他にも何か仕事はあるでしょうに」
「庭師も料理人も『足手まといだ』って断られたんです」
「そんなに不器用で、今まで一体どうやって生きて来られましたの?」
あなたはやっぱり目を輝かせて、例の遊戯盤を指さしました。
「あれでは負けたことがないんです」
「それで生活できますの?」
「危険は伴いますけどね。負けなければそれなりに稼げます」
その目は少し鋭くて、積み重ねた年月を感じます。
「俺のことよりも、かなり一生懸命頑張られたそうですね。王妃自ら子育てされた、と町では評判でしたよ」
「ただ一緒にいただけですわ」
「聡明な国王になられました」
「きっと血がよろしいんでしょう。手先はかなり不器用ですけれど」
とても久しぶりに見る真っ赤な顔のあなたが、昔のあなたにそのまま重なって見えました。
「年をとっても、あなたは全然変わらないのですね」
「姫さまは━━━━━」
懐かしいその呼び方が、恥ずかしくて。
「もう“姫さま”なんて年ではありませんわ」
「俺にとって“姫さま”は、ずっと姫さまただおひとりです」
礼儀知らずなあなたは、不躾なほど真っ直ぐに私を見ます。
「姫さまは、昔より……いえ、昔はもちろんお綺麗でしたけど、さらにずっと、お綺麗になられました」
「あれから何年経ったと思ってますの? そんなはずありませんわ」
「いえ、この花なんて」
と、活けてあった薄紅色の薔薇を、ずいぶん白くなってしまった私の髪に差しました。
「むしろ今の方がお似合いです」
悪戯が成功したように、あなたの声は生き生きとしています。
「姫さま、真っ赤ですよ」
「……鏡がないからわかりませんわ」
「でもほら」
あなたは冷たい両手で、私の顔をやさしく包み込みました。
「熱いです」
言葉をなくす私を包んだまま、あなたは真剣な声を落とします。
「絵が描けたら、と思っていました。絵が描けたら、いつでもあなたを目の前に現すことができるのに、と」
「仮初めにも“絵師”ですのよ。発言が不適切ですわ」
「では立派な“絵師”になるまで、おそばに置いていただけますか?」
ただの絵師見習いの分際で、立場をわきまえない人ですこと。妙な絵師に入れ揚げたりしたら、私の評判だって落ちてしまいますわ。そんなこともわかっているくせに、あなたったら全然断られるなんて思っていないではありませんか。
もう、本当にどこまでも図々しく、腹立たしい人!
「それは永遠より、もっと時間がかかりますわね」
fin.
ワンス・アポン・ア・ナイト 木下瞳子 @kinoshita-to
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