第2話 友達は――――
絶妙な間で飛び込んできたノックの音に、三人は一斉にドアの方へ振り返りそのままの姿勢で固まった。
陽はこの悪名高き広報委員会のドアが叩かれたという事実に緊急の脳内会議を開き、勇は頭の中でスケジュールを開き突然の客であることを確認し、祐は夕飯の献立が決まっていないことに気付き愕然とした。
逸早く硬直から抜け出した勇がドアの正面に座り直し組んだ手で口元を隠すと、その斜め後ろに祐が後ろ手に組み直立する。
「入れ」
「……失礼します」
エヴァスタイルの最終ポジションに移行したことを確認して勇が声を掛けると、ドアの向こうから緊張した様子の女性の声が聞こえてきた。
ゆっくりと開いたドアの影から恐る恐るといった風に覗いた女生徒が、心底ホッとしたように胸を撫で下ろした。
「――ああ、よかった」
微笑むと、雫を湛えたような瑠璃色の瞳が柔らかく弧を描く。陽光まで吸い寄せられるような、明るく澄んだ蜜色の長髪がサラリと揺れ、三人の視線を絡め取った。
来訪者がまさかのパツキンのチャンネーだったことに一様に無言のまま呆けていると、何を勘違いしたのか女生徒はパッと頬を赤らめて口元を押さえた。
「あっ。いえ、その……よかったというのは、違くて。だって、モザイクが必要な顔の人がいるって言うし。大きな声でその、お、お男の人のアレを叫んでたのが聞こえたから! その、なんていうか……緊張してしまって」
「被告人、陽。前へ」
祐の一言で指令室が法廷に早変わりした。
「弁護士を呼ばせろ!」
「ギルティ陽。主文、被告人を社会的死刑に処す」
「待て待て待てっ、他人の名前を勝手にプロレスのリングネームみたいにしてんじゃねーよ。裁判すら行われないってなんなんだよ⁉ どうなってんだよ司法制度! 上告するに決まってんだろ。上告だよ、じょうこくぅ!」
「上告は退けられました。
とりあえず、マイクロビキニ猫耳しっぽアヘ顔ダブルピースで許してあげますよ。大丈夫、モザイク処理は一枚千円でこちらが受け持ちます」
「異議あり! サイバンチョが無能なのはゲームの中だけにしとけよ。オマエに許してもらわなきゃならない謂れはないわ!
な・に・が、とりあえずだよ。次は何やらせる気だ。
つーか、金取ってる時点で受け持ってねーよ。なにも大丈夫じゃねーわ、ふざけんなっ。こうなったら革命だ、革命! 暴力は使わねーでやるから安堵に咽び泣けやコラぁッ!」
ここに革命の火蓋が切って落とされた。
「……あの。良いんですか?」
「何がだ?」
向かいに座った女生徒が遠慮がちに視線を向けた勇の背後では、非暴力宣言と共に繰り出された鋭い踏み込みからの正拳をするりと躱した祐が、麻縄で諸手上げ縛り逆エビ風で陽を緊縛しているところだった。
勇は肩越しにそれを一瞥し、スマホで一枚激写してから何事もなかったように続けた。
「問題ないな。陽のあれは暴力ではなく、正当な武力だからな。それでは要件を聞こう」
「そういう問題ではないような……」
「それでは、要件を聞こう」
勇の顔は清々しいまでに胡散臭い笑みに終始した。
「えっと、あの、はい……。あっ、そう言えば自己紹介がまだでしたね。私は」
「ああ、そういうのは必要ないぞ。継司(つぐもり)ソフィア」
「……へっ?」
遮るように掛けられた自分の名前に、ソフィアは愛想笑いのまま固まった。
「本名、継司ソフィア。二年A組在籍。一月二日生まれのやぎ座で、血液型はA型。
日本人の母とフィンランド人の父を持つハーフだが日本から出たことはなく、家族で会話に使うのも日本語、フィンランド語は話せない。英語でも日常会話程度なら出来るが、学校の成績では上の下と特筆すべきものでもない。
ここら一帯の大地主である継司玄一郎氏の実孫でもある、が祖父の意向で数年前から別居中。しかし、ちょこちょこ顔を見に祖父の家を訪れるぐらいにはおじいちゃんっ子でもある。
生徒間の評判は上々であり、教師の受けも同じく。
特定の委員会や部活動には所属していないが、去年の中頃からバンド活動を始めたな。楽器はエレクトーン。幼少の頃から習っているピアノの延長といったところか。ピアノに関してはコンクールで入賞するなど素晴らしい成績を残している。
最近ハマっていることはスイーツと飲み物のマリアージュ。
今までは完全な紅茶党だったが、二週間前に試したパティスリー・コサインのチーズケーキと珈琲の相性の良さに驚愕して以来、珈琲と紅茶の間で揺れている。
――簡単にだが、こんなとこか。何か訂正はあるか?」
「――」
怒涛の勢いで吐き出された情報に、ソフィアは勇を見つめたまま呆然とした。
「なんで?」や「どうして?」だとか、「チーズケーキ美味しかったな」だったり「おじいちゃん家に次はいつ行こう」などと、纏まりのない思考が頭の中を台風のように猛烈な勢いで掻き混ぜていく。
判然としない頭のまま、何かに操られているかのようにソフィアの身体は覚束ない足取りでふらふらと立ち上がっていた。
「――はっ!」
その時、ソフィアの脳裏で一つの思考が雷光のように閃く。
「まさか、……ストーカー?」
「いや。この学校の生徒と教師、及び関係者の情報は全員分調べてある」
「へっ? そんなに沢山ストーカーしていたら大変じゃ?」
「なに、性分なんでな。さて」
勇が立ち上がるのと同時に、ソフィアの背後からカチャンという音が響いた。
慌てて振り返ったソフィアが飛びかかるような勢いでドアに手を掛けたが、ガチャガチャと無情な音を鳴らすばかりで頑なにドアは開かなかった。
さーっ、と青くなっていくソフィアの背後に怪しげな笑みを張り付けた勇が近づく。
「最近は便利になったもんでな、鍵も遠隔操作の時代だ」
「ひいぅ!」
コールタールのような闇の気配にズルズルとドアを背にへたり込んだソフィアは、身体を庇うように手を肩に回し、脚を胸に引きつけて丸まった。
全身を震わせながら見上げるソフィアと、悦楽に染まった勇の視線が交差する。
「ここら一帯の実質的な支配者である、継司玄一郎氏の実孫。
ま・さ・に、鴨が葱を背負って出汁を張った鍋を抱えつくねを持参してきたボナンザ!
贅沢出汁入り鴨葱鍋つくね付き! 垂涎の据え膳だ。
さぁ! 大人しく俺に有益な情報を吐くがいぐぅごぁっ!!!」
キレッキレの中段回し蹴りが勇の鳩尾に突き刺さる。
ビクッビクッと痙攣しながら倒れていく勇を、陽が冷え切った眼で見下ろす。意味にならない言葉を残し、悪は崩れ落ちていった。
「さあ、もう大丈夫ですよ。悪は滅びました」
「……あ、ああぁ」
常と変わらず眠たげな半眼に優しさを滲ませた祐が、身体を屈めて手を差し伸べると、ソフィアは縋るようにその腕に抱きついた。
「あ、ありがとぉ! もう駄目かなって。魔王城に囚われて眠りについて、いつ来るかも分からない勇者を待ち続けるしかないのかなってぇ」
「なかなかファンシーな絶望感ですね。でも、もう心配はいりません。天敵の裏ボスを解き放ったので」
祐が肩越しに見やった背後では、倒れ伏したまま未だに小さく痙攣を繰り返す勇を両手をポケットに突っ込んだ不良スタイルの陽が、侮蔑を込めた爪先で小突き回しているところだった。
「いやぁ、ダメでしょ。女の子泣かせるのは。
バカなの? いやバカなのは知ってたわ。
常識がないの? ゴメン、常識なんか持ったら悶死しちゃうよね。
でも、モラルまで捨て去っているとは思わなかったわ。よく表を歩けるね」
「……ふ、ふふっ。胸骨、と肋骨の下から、斜め四十五度で抉るように穿つ。容赦のない、無慈悲な一撃。それでこそ、俺達トリオのツッコミだ」
「い・い・か・ら。まず謝る」
「まあ、それもそうか」
何事もなかったように勇はすっと立ち上がった。しかし身体の芯に残るダメージには抗いがたく、膝が笑いっぱなしだった。
「すまん。少し悪ふざけが過ぎたな」
「そ、そうですよね! おふざけよね! ……良かったぁ。
あっ、いえ、私も監禁の上、縛り上げられて性的倒錯者が蔓延るような雑誌に晒されて公開調教とか、欠片も考えてなかったから大丈夫です!」
「とは言っても、鍵は部屋の内側についているから、普通に開けられたんだがな」
「……へっ?」
祐の影に隠れながら拳を握り、熱い弁明を繰り広げていたソフィアから素っ頓狂な声が上がる。目を丸くして固まっている彼女をスルーして勇が鍵に手を掛けると、何の抵抗もなく軽い音を立てて開いた。
「――はっ! 騙された⁉」
「なかなかの天然ボケっぷり。二次試験はパスと見て良いと思うが、どうだ? 人事課長」
「ええ。書類審査、及び面接試験は問題なく通過でしょう。あとは我らが裏ボスのGOサインが出れば、晴れて我々トリオの仲間に迎え、カルテットとしてこの学校に覇を唱えることになるでしょう」
「覇ぁ唱えてどうすんだよ、まったく。
とりあえず、継守さんさ。椅子に座って落ち着かない? 何か用事があって、こんなラスベガスの路地裏みたいなとこに来たんでしょ?」
「そ、そうでした! そうなんです、実は……」
驚愕のあまり口を大きく開いたまま凍りついていたソフィアは、陽の言葉に意識を取り戻すと、重大な真実は告げるように力の籠った言葉を吐きだした。
「私の友達、引き籠りなんです!」
◯◯は◯◯で、神さまでした。 黒一黒 @ikkoku
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