うんめ~ろん

淺羽一

掌編小説【うんめ~ろん】

 歳の数だけケーキに挿された運命を見て苦笑した。どうやら私もずいぶんと大人になったものだ。そしてそれはつまりそのまま私と彼の関係の長さを示していた。

 私の二十三歳の誕生日。彼は貴重な休日を丸々使って作ったケーキに小さな蝋燭ろうそくを一本一本挿しながら、「僕達はきっとお互いに出会う為に今まで生きてきたんだろうね」と言った。それから「僕達は結ばれる運命だったんだ」と笑った。当時、経験とか動機とかそんなものに構っていられる余裕もなく、必死の思いでようやく決められた就職先でこれからちゃんとやっていけるのだろうかと不安を抱えていた私にとって、自分と五歳しか違わないのに優秀な上司らしくばりばりと仕事をしていた彼との出会いはまさしく“運命的”なものだった。「君が入社してきた時、僕は本当に運命を感じたんだ」 入社から半年、突然の彼からの告白に私の方こそ、偶然に見つけられた職場でこんな素敵な人がいるなんてと、浮かれた脳みそを一杯にしていた。

 私の二十五歳の誕生日。彼は仕事帰りに買ってきた大きなホール‐ケーキに同梱されていた蝋燭を挿しながら、「こんな風に一緒に歳を取っていけるなんて運命以外の何物でもないよな」と語った。さらにプレゼントとして一つ十二万もする白金の指輪を「お揃いにしたんだ」と二つ差し出してきた。実を言えば、この頃にはすでになんて思いもあったのだけれど、そもそも当時の私はきらきらの指輪を前にして有頂天だったから、泣きながら薬指に指輪をはめて貰って、鼻水まで垂らしながら彼の左手に指輪をはめた。

 そして今日、私の二十八歳の誕生日。彼はおよそ二ヶ月前に、「もう終わりにしよう」と久しぶりのデートで訪れたレストランのメニューを開くよりも早くそう言った。我ながら落ち着いているなと内心で思いつつどうしてと尋ねると、彼は少し寂しそうに微笑んで「きっとこうなる運命だったんだよ」と応えてきた。その瞬間、あぁこの人は真正の馬鹿だったんだと理解した。そして同時に一気に冷めた。どうせろくに敬語も使えない営業の馬鹿女の方へ行くんでしょ、なんて言わなかったし実際どうでも良かった。要するに彼は若い女が好きだった。それは歳を取っても変わらなかった。そして私も彼と一緒に歳を取った。それだけの話だった。この日、彼のお金で生まれて初めて飲んだ私にとって「超」が付くほどの高級ワインは、正直、金額の差ほど美味しさに違いがあるとは思えなかった。彼は正面で「やっぱりこの年のものは~」とか何とかうんちくを垂れていたけれど、悲しいかな現実なんてそんなものだった。そして私は今、上下ちぐはぐな下着姿にパーカだけを羽織った状態で一人、ソファにあぐらを掻きながら二千円のワインをグラスに注いで二人でも食べ切れそうにないホール‐ケーキを眺めている。

 全く、と紅い液体を一口飲むたびに声が出る。もしも彼の言う通り、この世に運命なんてものが本当にあったとして、それの詳細を記されたものが世界の何処かにあるとするのなら、とりあえず内容やその場所なんてどうだって良いからとにかくそれを書いた奴ちょっと出て来い。一言、いや二言、いやいやもうどうせだから今夜一晩ずっと文句を言ってやるから……なんてくだを巻いていたら、知らない間に蝋燭の火は残らず消えて、白い表面に赤や緑が溜まっていた。あぁやっちゃったと言いながらフォークでそれらを削ったら、クリームが剥げて黄色のスポンジが顔を出した。斑模様になったケーキでさらに空腹感が失せた。ワインはすでに半分以上が消えていた。

 分かっていた、私の「運命」を書いた人間はそこにいると。部屋の隅っこに備え付けてある姿見鏡にはお世辞にも可愛らしいなんて言えそうにない女が馬鹿にしたような笑みを浮かべて映っている。詰まる所、彼でも、あの女でもない、ましてや四ヶ月前の同窓会で久しぶりに再会してから言い寄ってきていた高校時代の元恋人でもない。確かに運命を便利に使っていたのは彼かも知れないけれど、それを都合良く繋げて形にしていたのは私なのだ。だからこそ、私は私に向かって「あんたのせいだ」と蝋燭の燃えかすをつまんで投げた。もしかしたらもっと他にあったかも知れない運命を返せと歳の数だけ吐き捨てた。やがて投げるものが無くなってようやくケーキのクリームを指で舐めた。酔った舌にもそれは甘くて美味しくて、ケーキを肴にワインを飲んだ。明日はきっと顔も手も足もむくんでいるだろうけれど知った事じゃない。仕事は休みだしどうせ約束なんてないし、後悔なら多分その時になってからするだろうから今は無視して構わない。

 散弾銃で撃ち抜かれたみたいに削られていくケーキの脇で、携帯電話は先ほどからずっとくすりともしない。確率に律儀すぎる偶然の態度に愚痴はいよいよ止まらなくなる。

 あんまり派手でない私の人生だが、それでも経験上、男の大半は見た目で釣れると知っていた。好みだ何だと色々言うけれど、とりあえず十人が見て十人共に可愛いと言うような女なら、それだけで十分にきっかけになる。釣った相手がその後も順調に出世してくれるかどうかまでは定かでないとしても。

 だけど、それに比べて女は相手の外見も性格も収入も大切だけれど何よりタイミングで落ちるものだとつくづく思う。そしてそうなったらもう落ちる先が恋でも愛でも単なる落とし穴でも関係ない。現にもしも今、日付の変わった瞬間でも夜が明けてからでもなく草木さえ私を置いて先に眠ってしまった午前三時のこの時に、常識なんてものを情熱であっさり飛び越えてこの携帯電話へ電話を掛けてくる男がいたとしたら、私はおそらく外見や性格や収入が真の意味ででない限り、愛嬌とか相性なんて単語を巧みに使って自分自身さえも騙すだろう。それこそ高校時代の元恋人だったりしようものならまず間違いなく「これこそ運命なんだわ」なんて言いながら即座にワインを乾杯の為に使うだろう。でも、虚しく宙に掲げたグラスの中身を飲み干しても、やっぱり携帯電話はぴくりともしない。いっそ短いメールだけでも良いのに、平べったい画面は電池が切れたみたいに真っ暗で、映っているものなんて物欲しそうに覗き込んでいる女の顔だけだ。

 彼の言葉を借りるとすれば、私がこうしているのも運命なんだろう。そしておそらく、遠からず彼が新しい恋人を捨てる事も、或いは捨てられる事も、また彼と彼女の運命なんだろう。メール好きの元恋人がこんな時に限って連絡してこないのも運命だし、数時間後に目覚めた私が二日酔いで苦しむのもそうだし、あんなにも輝いて見えていた白金の指輪を質屋に売った金でこのワインとケーキを買ったのも、来月に妹が真面目な恋人と結婚するのも、洗濯物が溜まっているのに雨ばかり続くのも、化粧品が値上がりしたのも、そのくせボーナスが減るのも、通勤電車が満員なのも、テレビがつまらないのも、もう何でもかんでもみんな運命だ。だとしたらそれってつまり何でもありなのだ。だからこそ私にとって最善の策は、そろそろ酒を浴びる代わりにシャワーでも浴びて、意識に余裕があるなら化粧水で顔を揉むだけでなく乳液をなじませて美容液までしっかり使って、後はゆっくり眠ってしまって、起きたら我ながら馬鹿な事をしたと呆れながらも痛む頭をさっさと切り換えてしまう事だ。運命の続きなんて、新しいマスカラと明るいアイペンシルがあれば幾らでも描ける。幸いにして、私は化粧に自信がある。しかし残念ながら、酔った私は決して意志が強くない。そしていい加減に寂しくなって、終いには携帯電話へ手を伸ばす。

 誰でも良い。男でも女でも、何ならいっそ目を瞑って携帯電話を操作してそれで繋がった電話番号の相手でも……と思ったものの、さすがにそれは仕事先の人間もいるからと辛うじてこびりついていた冷静さが止めてくれた。結果、私はやはりと言うか仕方なくと言うか元恋人の番号を選んで電話を掛けた。

 プルルルルと、取って付けたような音が鳴る。相手は出ない。だけど別に構わない。運命の相手候補はまだまだ他にも大勢いる。

 プルルルルと、取って付けたような音が続く。相手は出ない。だけど特に焦らない。これが駄目なら次は誰にしようかと、あと三回、なんてワイングラス片手に鼻歌交じりのカウントダウンをしながら、記憶のページをぺろっとめくった。

〈了〉

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