マーマレード・オレンジ・ノイズ

日月明

第1話

 炬燵の中で、僕は年明けのカウントダウン番組を見ていた。足の親指を弄ぶ愛猫は、そろそろ一歳になる頃だろうか。時間がたつのは、早いものだ。


 みかんを剥いていた手の指が、みかんと仲良くなったのか少しだけ黄色くなっている。爪の間に少しだけ挟まっていた白い糸を、炬燵布団の裾で拭った。

「こら! また炬燵で指拭いたでしょう」

「うーん」


 彼女は、うちの母さんが「みかんと間違えて買った」と言い訳付きで送ってきたオレンジをマーマレードにしている。鍋から立ち上る湯気が、少し荒く頭を撫でるような柑橘系の香りを僕のところまで運んできていた。


「正月くらいさあ、ゆっくりしたらいいじゃん」

「気になるの。大掃除のやり残しみたいなものよ」


 木べらが鍋をこつこつと叩く音が、テレビの上に掛けられている時計の秒針より少し遅い。僕の体内リズムと波長が合うのか、眠気の沼に足が引っ張られていくのを感じる。愛猫のじゃれつきを無視して、僕は胸のあたりまで身体を炬燵に突っ込んだ。


「ちょっと、寝ないでよ。約束の時間までもうすぐなんだから」

「お前こそ、もうマーマレードは足りているだろう」

「だから、気になるのよ。それに、あなたも好きでしょう」

 

 たしかに、みかんと仲良くなりすぎた指を見ながら、僕はまた新しく皮を剥いている。今日で何個目だろうか。

「ねえちょっと、味見てよ」

「今は、炬燵に僕の味を見られてるとこなんだけど」


 僕の返答に、彼女は強めに鍋の底を叩くことで返してきた。やっぱり、僕は彼女に逆らえない。指で愛猫の頭を二回ほど撫でてから、なるべく時間をかけて炬燵の呪縛から身体を抜いた。


 雪平鍋の中で少し煮立っているマーマレードをスプーンですくって口に入れる。駆け足で抜けていく爽やかな香りのあとに、蜂蜜と砂糖の程よい甘みと、皮がもっている苦味が手を繋いでやってくる。なんだかんだ言っても、彼女の作るマーマレードの味が、僕は一番好きだった。


「今作っても、どうせ冷えないだろう」

「栄養摂取には、たんぱく質と酸味とビタミンと糖分が取れるマーマレードを塗ったパンが最強なのよ。それに、あなたも好きでしょう」

「そうだけど」

「これから必要になるから、作り置きしておくの」

 彼女はコンロの火を消すと、鍋に少しだけずらして蓋をした。


 僕たちは、再び炬燵の中へと足を入れる。また足を弄ぶ愛猫を彼女は膝の上にあげて、ぐりぐりと額を撫でた。猫の額程度につかの間の休息が、少しでも広がるのを願っているようだった。


「さあみなさん! カウントダウンが始まります!」

 テレビに出ている若くて綺麗な女性アナウンサーが、手を大きく上にあげた。年末には、国内で最も多くの人を集めると言われている神社には、地面が映らないほどたくさんの人が映っていた。


 チャンネルを変える。年末最後の年越しカウントダウンライブ会場では、アーティストがと観客が声をそろえてカウントダウンをしている。


 チャンネルを変える。除夜の鐘に並んでいたのであろう行列が、乱れた蟻のように思い思いの場所へと散っていく。


 チャンネルを変える。たくさんの芸人が袴をはいて観客がいる方向に向かってマイクを向けて、カウントダウンをしている。


 三、二、一


 テレビ画面が、揺れた。別のチャンネルに変えても、変わらずに揺れている。砂ぼこりの幕に遮られた画面の向こうでは、人々がべたべたとみっともなく走り回る音が聞こえる。言葉にならない動物的な叫び声が、それに混ざっている。布団を叩いたような乾いた音の連続が、断続的に続いている。


「さて、わたしたちも行きましょうか」

「うん、そうだね」


 玄関に置いていた大荷物を抱えて、僕は玄関を開ける。数時間前にみんなで合わせた時計を確認する。予定通りだ。玄関までついてきた愛猫の頭を撫でてから、外へ出た。


 僕らは、甘味だろうか。苦味だろうか。酸味だろうか。


 つけっぱなしにしていたテレビから、太い蛇を思わせるがらがら声が聞こえる。

「我々はここに、我々の存在と、その役目がこの国の再建であることを宣言する! ただのテロリストなどと一緒にしないでいただきたい。」


 相変わらずの自信を耳の端で受け取って、正月の夜へと駆け出した。

 あけまして、おめでとう。

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マーマレード・オレンジ・ノイズ 日月明 @akaru0903

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