ミズノ、ここがあなたの帰る場所。
突如として病室に現れた警官服を見て、シアンが呆気にとられる。ベッドの上に大人しく座っていたミズノも、困惑した様子で「こんにちは」と呟いた。
警官服のうちの一人が、「所長、何かご挨拶を」と耳打ちする。所長と呼ばれた男が、重々しくうなづいて口を開いた。
「どうかな、その、調子は」
ミズノが肩をすくめて「おかげさまで、もう退院できます」と答える。そうか、と男は言った。
「ああ、名乗り遅れてすまないな。私はナイティン。こちらは、部下のテンだ」
部下らしき男が、黙って敬礼をする。
それからナイティンは、咳払いをして「今日、こうして会いに来たのは他でもない」と目をそらした。何か白い紙と、ペンを取り出す。
「ここにサインをしてもらえない?」
そう、照れくさそうにナイティンは言った。
「は?」とミズノが素の声を出す。ナイティンの部下が、「所長は軍オタでありまして」と簡潔に説明した。「ぐんおた……」と、ミズノはオウム返しする。いきなりナイティンが、テンに何か耳打ちをする。テンがうなづいて、代わりに話し始めた。
「所長は、ぜひあなたと食事を共にしたいと言っています」
「さっきまで普通に喋ってなかったかい」
思わず突っ込んでしまったシアンは、慌てて素知らぬ顔をする。ナイティンがもう一度咳払いをした。
「せっかくですが」とミズノは目を伏せる。「僕にはお金がありません。あなたと釣り合わない」なんてもごもごと言った。
身を乗り出したナイティンが、「出すよ。金はこっち持ちでいいよ」と興奮した面持ちで申し出る。ミズノは、これ以上ないほど本当に嫌そうな顔をした。その微妙な空気を感じ取り、ナイティンが部下の頭を理由なく叩く。
「……申し訳ない、年甲斐もなくはしゃいでしまった。それにしても、退役軍人が貧しい生活を強いられているなんておかしいじゃないか。褒賞があったはずでは?」
「僕よりそれが必要な人はいた、ので」
不意にナイティンがガッツポーズをした。『何故嬉しそうなんだろうこの人は』という顔で、ミズノはそれを見ている。
「隊長!」と、ナイティンが敬礼した。
「違います」と、ミズノは冷静に言う。
「北沿岸の増援作戦が半年後に開始されるとのことですが、ご存知か?」
「知っています。僕も参加したく思う」
目を輝かせるナイティンを尻目に、シアンは思わず「はあ?」と聞き返してしまった。ミズノの前に進み出て、もう一度「はあ?」と言ってやる。
「あんた、あんたもう一度言ってみなさいよ」
「僕は次の作戦に参加しようと思っています」
「馬鹿言ってんじゃない。あんたそんな体で……大体、お巡りさんも簡単に煽るんじゃないよ! こいつが今どういう状況だかわかってんのかい!」
辟易としながらナイティンが「私のせいかね」と部下に泣きついた。部下はそれをなだめながら、「失礼しました」と敬礼をして病室を出て行く。
残されたシアンとミズノが、二人きりで見つめ合っていた。
「正気かい」
「……色々な、理由があります」
「どんな理由があろうともそんな自殺行為は」
「入院費が、払えません」
一瞬、シアンは言葉を失くしてしまう。そんなシアンを見ながら、ミズノが続けた。
「ニーナの治療費と僕の治療費を合わせると、アルバイトの収入ではどうにもなりません。どうにかしても、生活の方が立ち行かなくなります。戦場に行けばそれだけで、家族が生活できるだけの金が支給される。帰って来ることができれば褒賞が。死ねば倍の恩給が出ます。あの少年の言ったとおりだ。政府は金の使い道を間違えているし、兵があらゆる豊かさを食い潰しているというのも間違いない。だけど僕らには必要なんです」
真っ赤な顔をしたシアンが「馬鹿なことを言わないで」と、怒ったように縋るように叫ぶ。
ちょっと微笑んだミズノは、ゆっくり瞬きをしてまた口を開いた。
「同じ場所でバタバタと死んでいった同僚たちを覚えているんだ。僕の死に場所もそこだったろうに、生き残ってしまった。その時、とにかく帰りたいと思ったんだよ。僕は帰りたかったんだ。でも仕事が終わった時、僕の故郷はなかった。今でも、僕は帰りたい……戦場にだ。僕はあそこでなら、許されていた」
淡々とそんなことを言うミズノに、シアンはうつむき両手で自分の顔を覆った。「ニーナには言ったの?」と静かに問う。
「まだです」
「あの子が悲しむだろう。あんたに……『嫁にしろ』とまで言ったんだよ。あんた、責任を取らないかい」
「……どちらにしても、僕はあの子が大人になるまでは生きられない。肺がダメなんです。そのうち食事ができなくなる。それまで……僕が弱って死ぬまで、あの子を縛り付けたくない」
ため息をついたのはどちらだったか。病室の中でミズノとシアンは、お互いに目をそらしたままで、じっと沈黙に耐えていた。
ミズノが戦場に行くつもりであることを、ニーナはシアンから聞いた。『あの馬鹿のこと、止めてやって』とシアンが言っていたけれど、それはとても難しいことだと思った。
きっと、ニーナが何を言ってもミズノの考えは変わらない。だってミズノは、とてもとても頑固だから。
病室を訪れて、ニーナはただうつむいた。大人みたいに何でもないような顔ができればよかったのに、取り繕うことなんてできなかった。
「ミズノ」
「うん」
「戦争に行くの?」
「……うん」
どうして、と問う。どうしてなのか、ニーナにはわかっていた。だけど、そう問いかけた。ミズノは困った顔をして、「僕が行きたいから」と答える。そんなのじゃあ、全然わからない。
「お金がいるから?」と重ねて尋ねる。
「それもあるけど、それだけじゃないよ」とミズノは言った。
「僕は人殺しだから、ふさわしい場所に帰ろうと思ったんだ。ニーナ、君は本当に眩しすぎて……だからきっと、これからたくさんの人に愛されて、幸せになれるはずだ」
「だけどそれは……あなたのいないところで幸せになったってそれは、本当の幸せじゃない」
なだめるような声音で、「ニーナ」とミズノが呼ぶ。違う、とニーナは叫んだ。
「わたし、だだをこねてるんじゃない。ワガママ言う子を相手するような顔しないで。だだをこねてるのは、あなたでしょう。だって戦争に行ったってあなたの帰る場所はないのに」
そう、悲鳴に近い声で訴える。途方に暮れた顔で、ミズノが拳を握っていた。
「じゃあ、一体どうすればいいって言うんだ」
「ねえミズノ、おねがい、聞いて」
ベッドによじ登って、ニーナはミズノの頬に手をあてる。
「わたしが、あなたの帰る場所になりたいの。ねえミズノ、どこで迷っていてもわたしを目印にして帰ってきてよ。わたしもあなたのこと、ちゃんと見つけるから」
そっと額をすり寄せて、言い聞かせるようにニーナは続けた。「どこにいってもいいよ、どこで迷っていてもいいんだよ。だから絶対に帰ってきて。ね、いいでしょ? わたしがあなたの、帰る場所。わたしたちがあなたの帰る場所。ここが、あなたの」と繰り返し繰り返し言ってやる。
小さなニーナの手に、涙が落ちた。泣いているのはミズノで、そしてニーナ自身だ。
ミズノはニーナの手を取って、祈るようにぎゅっと握りしめた。
「僕は君との未来が欲しかった」なんて、ぽつりと呟く。「決して手に入らないから、それだけは望まないでいようと思っていたのに。こんなに……こんなにも、僕は」と声を震わせていた。
「ミズノ、だいすき」
「…………」
「あのね、だいすき。あなたといっしょにいるのが一番幸せ。だいすき」
「ぼく、も」
「ずっとずっとだいすき。すき、ミズノ」
「僕だって。僕だって、大好きだ……!」
そうしてミズノは、声をあげて泣いた。
しばらくして落ち着いた様子のミズノが、ニーナを抱き寄せながら「僕は戦争に行く」と囁く。目を閉じながら、自分に言い聞かせるように。
「戦争に行って、帰ってきて、褒賞でちゃんと治療を受けて肺を治すよ。いつか君をお嫁さんにもらおう。待っていなくてもいいから、僕がそう誓いたかったということをどうか信じてくれる?」
ミズノの首に抱き着いて、「待ってる」とだけニーナは言った。
「きっと、君をめがけて帰って来るよ。飛んで帰って来る。だから一番に僕のことを見つけて」
「もちろん。ミズノのこと、見失うわけないもん」
結局行くんだね、とシアンは呟く。落胆というか、それは悲痛な響きを伴っていた。
ミズノの退院の日だった。久しぶりに外行きの服を着たミズノは、そんなシアンを見つめる。それから、静かに抱きしめた。「何だい」とシアンが驚く。
「シアンも、僕の帰る場所です。ニーナをお願いします」
「……あんたも、大きな子供だねえ」
ミズノの背中に手を回して軽く叩きながら、「戦場に行って、もっと悪くなったらどうするんだい」と優しく尋ねた。
「生きるために戦ったって、その戦場でおっちんじまったら本末転倒なんだよ」
「はい」
「生きて帰って来たって、肺が悪化していてもう治療できないなんてことになったら」
「そういうことも、あるかもしれません。でも僕は、ニーナやシアンとの未来が欲しくてたまらないと思うから」
「……あんた、ちょっと走っただけで死にそうになるのに」
「ちゃんと薬を飲んでいれば、少しは役に立てると思います。お医者さんにツケで……ツケというか、近いうちに必ず払えるあてがあるということで、薬を数年分ふんだくって……いや、頂いたので」
「今までちゃんと薬を飲んでいなかったような口ぶりだね?」
「飲んでました、かなり苦しいときは。毎日は、勿体なくて」
シアンは思いきり、ミズノの脇腹をどついた。
ミズノが戦争に行くまで、ひと月を切っていた。何も変わっていない。今日だってミズノは、ソファに横になって眠りこけていた。
「ミズノー、起きてよぉ。スープできたよ。パンも焼けたし、先に食べちゃうからね」
瞳を開けたミズノが、ぼんやりとニーナのことを見る。
「何見てるの?」
「僕の天使様を」
テーブルに皿を置いて、ニーナは照れて笑った。それからミズノに近づいて、そっと彼の前髪をかきあげる。ミズノの額に、口づけをした。
「天使さまからの祝福のキス。なーんてね」
言ってから、ひどく恥ずかしくなってニーナはすぐに離れる。目を丸くしたミズノが、しかしすぐに楽しそうに笑った。
「無敵になった気分だ」なんて、言いながら。
ミズノとニーナ hibana @hibana
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