木を隠すなら森の中

めぞうなぎ

木を隠すなら森の中

 木を隠すなら森の中、じゃあ一体、森の三つの木の中で、どれが闖入者の木なのだ?


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 左は縁起が悪い方向、右は吉兆を示す方向と言われる。古代語でもその傾向がある。例えばラテン語で右を示すdexterは同時に好もしい意味を持つし、逆に左を意味するsinisterは不吉という意味もある。古典ギリシア語ではそれぞれdeksioos、aristerosとなる。

 となると、下段の二つの木は位置関係により対を成していることになり、その場合関係の外側で傍観に徹し第三者面をしている上部の木が怪しい。上という漢字の対称性は、縦棒にくっついた短い縦棒によって崩されている。すると、これについて考察すれば手がかりを得られるだろうか?

 この横棒が右向きについているという事実は、果たして下段右側の木を告発するものだろうか? しかしそれでは擬態としてはあまりにも安直に過ぎる。どうやら上段だけに推量の材を求めるのでは不足のようだ。外野からも考慮に値する事実を探してこなければならない。

 さて下段の対称性に目を向けてみると、左と右という二つの文字の対称性について考えてみたくなる。ほとんど同一形の両者だが、非常に些細な差で対称にはなっていない。

 そう、左にあと一本の棒がありさえすれば……。

 これが上段の上に奪われたものだと仮定するとどうだろう。そうすればTを倒立させた形の下に右という漢字が二つ並ぶことになり、森という漢字それのみならず、内在するそれぞれの木についての位置関係を転写した場合においても対称性が生まれる。

 よって、一番上の木、お前こそが森に逃げ込んだ偽物だとするのが最も合理的な解答となるだろう。

 棒を奪われる羽目に遭った左には同情するが、生来の性質なのだから仕方がない。しかし、右下の右からも縦棒を一本拝借されていたなら、上ではなく土になってしまい完全にお手上げだっただろう。お手上げどころか、手を土で汚して草の根を分けて真実を探求せねばならなくなるところであった。土右右が並べば、右なのに左にある右を疑わざるを得なくなる。冤罪が引き起こされなくて済んだのだ。

 罪人の首を飛ばしたところ、林が残った。


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 右は男性原理だという。左は女性原理だという。二つの木は愛し合い、一つの子供を産んだ。先に生まれた方から死んでいき、両親の後には一つの子供が残された。その子供は他の子孫と出会い、惹かれ合い、愛の結晶を産んだ。森が生まれた。両親は逝き、子供が残された。その子供は別の子供と愛を育んだ。その間に邪魔者が入り込み、片方を深く傷付けた。邪魔者は除かれた。互いに支え合い、立ち直った二つは子供を産んだ。どちらの子とは知れず、森に木の血が入ったのかもしれなかった。

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