坩堝 後編

 また学校での昼食の時間。ミキは事の顛末を二人に話した。

 トモがため息をついてから言った。

「何だ、そういう事だったの。ミキがここ数日どうも変だなと思ってたら意外な事実です事」

「いや~、ヒカルの奴がミナを呼び出そうとしてるのがすぐ次の日だったからさ。あたしも色々考えたんだけど、先輩に相談したの」

「確かにうちの人達より卒業生の方が、学校の件に関しては出入りしやすいでしょうしね。名案といえば名案」

 ミナも驚きを隠せない様だったが、口を開いた。

「でも、ミキちゃんは私とエドガワくんを守ってくれたんでしょう? 私はとてもありがたいと思うな」

「そう言って頂けると救われます」

「ミナがいいならば、私は文句ありません。ミキ、お疲れ様でした」

 穏やかな佇まいのトモがやると、こういう言い回しも様になるのが少しおかしくて、ミキは恭しく頭を垂れながら言った。

「どうもです、ボス」

「誰がボスなのよ、誰が」

「トモさんがどう考えてもボスでしょう、この三人では」

「確かにそんな感じ」

 ほわっとした表情でミナが言う。トモの左眉が少し引きつった。

「あらあら、あっさりとミナも同意するのね。分かった、私が司令官をやります。

 二人は私の腹心で」

「内緒話もこの三人だけで秘密と決めたら秘密だしねえ」

「そう考えると確かに腹心かも」

 しみじみ呟くミキとミナ。三人は少し笑った。

 しかし、トモが切り出した。

「ひとつ気になる所があるといえばあるわ。二人を怖がらせたい訳じゃないので、それを前提にして聞いて欲しいんだけれど」

「ん……」

「何?」

「ヒカルがこのままでいるとは思えないって事よ。学校の生徒という事で今までは所属を把握していられたけど、奴は退学になった。

 つまり、あれの上に何がいるのか知らないけれど、何も付き合いがないのだとしたなら、奴は誰にも抑えの利かない状態になった訳ね」

「確かに」

「うん……」

「例えだけど、警察が各団体関係を監視しつつも、実質壊滅させないのはどうしてか分かる?」

「後ろ暗い付き合いがあるから?情報網として利用してるのもあるだろうし」

 ミキの意見を、不謹慎ながらもそれなら納得だ、とミナは思った。

「それはあるわね。でも、それだけじゃないわ」

「そうなんだ……何でかな?」

 ミナはそういうシビアな発想をさせるには向いていないな、とミキとトモは改めて思った。そこが可愛らしい所でもあるのだが、二人の心配の原因でもある。

 トモが彼女に言い含める様に告げた。

「要はまとめ役が誰だか分からなくなるからよ。その団体の下部組織は上に調べさせればいいけど、何処にも属していないと、足跡を辿るのが困難になるの。

 刑事警察は今、間に外国人が入る事件には立場的にも捜査可能な範囲的にもかなり弱いんだけど、それでもまとめ役が誰なのか分かれば、探りは入れられる。

 ヒカルみたいな奴が沢山いると、事件が起きた際にそいつの単独の犯行なのか、もしくは何処かの組織の尻尾きりとしてのケチな仕事の一環で、別の所で大きな事件が進行中なのかの見極めも難しくなるって事ね」

「なるほど、警察は暴走族は解散させるもんね」

「そう、上が誰だか分かりやすいから。そう簡単に切れる縁でもないでしょうし、チームが解散になったら組織に入るのも何割か出て来るから、またまとめてるのが誰なのか分かりやすくなる訳」

「一匹狼の方が危ないって事か……めんどくさ」

 憂鬱そうにミキが言った。

「そう、だから、私はミナに許可が欲しいわね」

「許可?」

「ええ。父さんに話して、エドガワくんとミナをしばらく誰かに張らせるわ。

 その許可が欲しいの。何かあってからでは遅いもの」

「あ、そうか……確かに心配」

 多分今この子は自分の心配もしてなかったな、と、ミキとトモは思った。

 そのほんわかさ加減を見ていたら、滅茶苦茶心配になって来た。

「ミナ、ここは頼んじゃいなよ。あたしの先輩達だって、いくら顔が広いって言っても変なのの親玉が出て来たら行動範囲が狭められちゃうし、冷たい言い方かもだけど、最悪の場合は迷惑をかけちゃうと思うから」

「そうだね。トモちゃん、それじゃあ……お願いしていいかな?」

「分かったわ。父さんに話して、数日中には手を回してもらえると思う。

 明日からミナは朝と帰りは私とミキが一緒。車で送り迎えさせるから、二人とも朝は準備して待っていて」

「保育園以来のVIP待遇だね」

 ミキが懐かしげに呟いた。トモも穏やかな笑みを浮かべる。

「そう、懐かしいわね」

 彼女達はかなり昔からの付き合いだが、小さい頃はトモの家の車で三人まとめてそれぞれの家に送り迎えされていたのだ。あの頃は何時も三人一緒で楽しいな、と思うばかりで考えてもみなかったが、恐らくトモの事を彼女の父親が心配した為の対処だったのだろう。

 大きな邸宅といい、その手配の仕方といい、トモの父親がかなりの立場にいるであろう事は、想像に難くない。

「ヒカルの足取りを掴んで、完璧に背後関係を洗う必要がある。それには少し時間がかかるのね。

 エドガワくんも逆恨みされる可能性があるから、彼の方にも張り込み要員を用意するわ」

「ありがとう、トモちゃん。

 エドガワくん、何もないといいな」

「後輩に聞いた限りの話だけど、ヒカルみたいなのの外面に騙される奴が結構いるみたいだからねえ。学校内ではどうしたものやら」

 ミキが頭をかくと、トモが前に落ちて来た髪を後ろに払いながら言った。

「そちらは抜かりはないわ。二人には初めて話すけど、私達は車での送り迎えがなくなっただけで、校内に至るまできちんと四六時中見張りが付いてますから」

「そうなの!?」

 しれっと言ってのけたトモの声に、驚愕したミナとミキの声がハモった。

「気付いてなくて何よりだわ」

「いやはや、全く気付きませんでしたよ、トモさん」

「あのう……『四六時中』って、体育の着替えの時も?」

「うげっ、そうなる?」

 ミナの意外な発言にミキがうろたえ、トモの眼鏡がずり落ちた。それをつい、と直しつつ、恐らく間違いなく何処かの令嬢である眼鏡の似合う娘は告げた。

「何でそこだけミナは鋭いのよ。安心してちょうだい、そこの見張り担当は女性だから」

「見られてはいるのか」

「見られてはいるんだね」

「見られまくりです。私はもう慣れたわ」

「私らはこれから慣れないといけないんですが、トモさん」

「『水と安全がタダ』

というのは古代神話なので、我慢してちょうだい」

「ありがたいやら泣けて来るやら」

「あ、トイレも女性メンバーがチェックしております。デパートとかにあるあの水の音を流す機械も意味ないので安心して使ってちょうだい」

 今度こそ哀愁漂う雰囲気が、ミナとミキから露骨に伝わって来るのをトモは感じた。

 ミキが遠い目をしながら、うめく様に言った。

「……タダって滅茶苦茶に高いんだね……」

「そうだね……さようなら、何も知らなかった私……」

 何かで補導されてもこれほど落ち込んだ表情は見せまい、という雰囲気でミキの台詞に同意したミナは、これはこれでまた美しく可憐で、二人の友人は少し得をした気分になった。

「日常生活に支障はなかったみたいじゃないの、二人ともその様子なら。保安費用は請求しないから、そこは少しはありがたいと思って欲しいわね」

「ああ、アホみたいにかかってるんだ、費用」

「父さんにはっきり聞いた事はないけれど、私でも多分目玉が飛び出すほどにはね。友達だから特別サービスなのです。

 優しいお父様に感謝だわ」

「で、でも、あれでしょう? そのおかげで私もミキちゃんもトモちゃんも危ない目に遭わないで済んでるんだよね?」

「そうなるわ。父さんは

『お前達が知らなくて良い事も沢山あったね』

と言うだけなので、私も知らないけど」

「あたしは何だか吹っ切れて来ましたよ、トモさん」

「それはありがとう。ミナはどう?」

「うん、あのね、えーと……少し時間を下さい……」

「あら、色っぽいお返事。何だか告白した後みたいで少しドキドキするわね」

「何だかそれずるい。ミナ、あたしにもチャンスちょうだいよ」

「何だか分からないけど熨斗紙付けてあげちゃうよ……ああ、クリスマスも近いんだっけ。もみの木とか、ミキちゃんとトモちゃん欲しい……?」

 そう呟いて体操座りで虚空を見つめるミナは完全に目が死んでいる。ミキは心の中で合掌しつつぼそりと言った。

「……相当混乱してるな、こやつ」




 その夜だった。ミナとミキに、

『エドガワの家が放火されて焼け落ちた』

というトモからの連絡が入ったのは。


 病院。

 連絡を聞いてから間もなく二人がトモの車で送られて来たのは受付の前。

 トモはミキに支えられて青い顔をしているミナをソファに座らせた。手術室前は関係者と思しき人の姿で満員だったのだ。自分達も彼女の横にそれぞれ腰掛ける。

 その彼女達の周囲に、これはミナとミキは初めて見たが、ガードと思われる黒服の男達が立った。車を運転して来た人達とは別だな、というのが分かった。

 それを虚ろな目で見ながら、ミナが口を開いた。

「どうなの……?」

「ご両親はお気の毒だけど、先ほど息を引き取られたわ……エドガワくんについては、お医者様は、

『覚悟して欲しい』

と言った。さっき手術室の方へ、多分おうちの親戚の方達だと思うけど、お見えになられていた」

「何でエドガワくんの家が火事になんか……」

「そこは調べた限りでなら、教えられる」

「聞きたい」

「あたしも。今回の件では責任があるよ」

「ミキちゃんもトモちゃんも悪くないよ……助けてくれたじゃない。

 でも、私はそれを別にして、話を聞きたい」

 二人はミナの手をそっと握ってやる。彼女の手は冷たく震えていた。

「救急車が彼の家に到着した時には、ご両親と彼の状態がひどくて、見分けが付かなかったみたい。あちこちに問い合わせて、彼の身長や口調からなどから当人だと特定出来たくらい」

『口調』。

「喋れたって事?」

「そう、意識があったというの。

 それで、落ち着いて聞いて欲しいんだけれど、エドガワくんからは、薬物反応が出たって」

「……エドガワくんは、薬に手を出すとか、そんな事しないよ」

「ええ、そこはこちらでも調べてある。彼にそんな交友関係は勿論なかったし、入手ルートもない。

 今回の件であるとすれば、それはヒカルなの。

 エドガワくんがそんな状態でも意識があって、かれた喉でも喋れたのは、ひどい話だけれど、偶然にもその薬が意識を保たせていた、と、うちの者達は見ているのよ」

 ミキが苦々しげに訊ねた。

「そんな悪い意味で苦痛を麻痺させる様なのを、エドガワくんがあいつから何か飲まされたりしたって事?」

 その問いにトモは頷く。

「多分。今回は完全に出遅れたけど、彼の血液中から出たのは最近繁華街で流行り始めた薬物らしいの。

 クラブとか、一部の塾とかでも出回ってるらしいわ」

「塾……何でよ?」

 一番接点のなさそうな場所が挙がり、ミキが声を上げたが、ミナは床を見つめている。

「聞いたら呆れたわ。成績が伸びなくて苦労してる受験生とかに微量のその混ぜ物だらけの薬を、砂糖やらのお菓子作りに使うものでコーティングして、差し入れのお菓子として渡してるんですって。

 一時的だけど集中力が上がって、成績が上がるんですってよ。講師は儲かるし自分の評価が上がる。知らぬは親と生徒ばかりなり、という状態みたい。

 確かにそういう思考の人からすればの話だけど、その生徒を受からせちゃえば、後はどうでもいいんだものね」

「何だそりゃ……」

 ミキは頭を抱えた。

「話を戻すけれど、彼と薬物の間の接点があるとすれば、ヒカルだけよね?」

 ミナは頷いた。

「服用すると、幻覚や幻聴が聞こえるみたい。で、痛覚も麻痺する。

 けれど、効き目もそんなに長くなくて、切れて来ると吐き気や頭痛、興奮状態をも増幅させるって。

 服用したと思われるのは彼の家が火事になる数十分前。出火は家の中からで、一階の居間ですって。そこに家族みんながいたけど、煙に包まれて動けなくなったみたい」

「ひどい……」

 ミナの握力が強くなった。

「彼が下校してから火が出るまでの間に、何かがあった。理由は分からないけど、うちのみんなの話では、

『脅されて服用した可能性が高い』

って。注射ではなかった様よ」

「そうだよ……エドガワくんはそんな事は自分からしたりしないもの」

「ええ、何かで脅迫されたんだわ。その後、錯乱状態のまま、家に戻った。

 これは推測で、その時ヒカルが一緒だったかもしれないけど、そこはまだ分からない。奴の足取りを今追っているけど、何処かに匿われているのか、まだ掴めないそうよ。

 火災現場も検証中で、正確な情報がまとまって入って来るまではまだかかるわ。

 悪いけれど、今二人に話せるのはここまで」

「私……手術室の前には、行っちゃダメかな」

「今はやめた方がいいわ。みんな混乱してて、ミナに何をするか分からないから。

 そんな事になったら、ミナのエドガワくんとの思い出も滅茶苦茶になってしまう。だから私は行かせられない」

「だね。今はミナには悪いけど、危なさ過ぎる」

「……そうだよね」

 ミナがすすり泣き始めた。その背中をそっとミキとトモがさする。


 少しして、ミナが再び口を開いた。

「あのね、二人とも」

「ん?」

「何?」


「もし、ヒカルを見つけたら」


 二人の背筋を冷たいものが走った。

 ミナはこれまで、どれほど嫌な相手だろうと、呼び捨てにした事はなかったのだ。それが今、明らかに彼女の敵に回ったヒカルを呼び捨てにしている。

 こめかみに圧迫感を感じる二人の横で、ガードの男達などいないかの様にミナが俯いたまま、前髪に隠れたその奥から声を絞り出す。


「もし、トモちゃんがヒカルを警察より先に見つけられたなら……捕まえておいて。

 それで、私に真っ先に会わせて」

 ミキも初めて聞く、トモの恐る恐る切り出す声がミナに訊ねる。

「会って……あいつをどうするつもりなの?」

「分からない……でも、エドガワくんに何をしたのか、直接あいつから聞きたいの」

 この呼び方もこれまでのミナからは考えられなかった事だ。彼女の口からはふざけている時でさえ、『あいつ』という言葉が漏れたりはしなかった。

 何処までもほわほわとして、勉強でも彼女の好きな美術でもそれなりの実力を持っているのに、全く自分に自信がなく、何時も一歩引いている。

 それがこれまで二人が知っていたミナだったのだ。


 ミキとトモの頭の中で警報が鳴っている。

 恐らく、判断を少しでも誤れば、長く続いて来た自分達の関係が崩壊する。

 たった一人のつまらない人物のせいで、誰よりも大切な友達がいなくなってしまう恐れがある。


 それが、何よりも、ミキとトモには恐ろしかった。

 トモは一刻も早く、ミナの不安と怒りの原因を摘み取る事にした。ミナの希望には沿えないが、後でどう罵られようとも、彼女とヒカルを合わせる訳には行かない。

 何処に隠れているのか分からないが、何としてもヒカルの所在を確認し、警察の方法か、もしくは匿っている側の方法で、奴を処分してしまわなければならない。


 それも、状況的に絶望視されているエドガワが生存している内に―




 それを切り出そうか黙っていようか、トモが迷ったまさにその時、病院の職員と思しき人物が軽く会釈をしながら現れ、告げた。

「エドガワくんのお友達の方ですね?」

「はい」

 ミキが返事をした。改めて会釈をし、彼は静かに告げた。




「お気の毒ですが、エドガワくんが、ただいま亡くなられました。

……午前零時十二分、ご臨終です」




 親戚がごった返し、騒ぎになっている中へフラフラとよろけながら向かおうとしたミナを、トモはやむなくガードの男に手刀を首筋に落とさせて気絶させた。

 ミキは愕然とした様だが、崩れたミナを抱き締めながら膝をついたトモが改めて

「こんな中でミナが罵られたり、ぶたれたりしたら、私も黙ってられなくなってしまう。

 私も辛いの……ミナがこんな目に遭って。

……何を言ってもいいから、ミキ、それだけは分かって」

と、肩を震わせて声を絞り出すと、

「そうだね……」

と涙を流しながら、ミナの手を握った。




 それでヒカルの行方が掴めたならば、まだ良かったかもしれない。

 トモの父親の人脈やミキの先輩達の捜索にもかかわらず、彼の消息はついに掴めなかったのだ。

『多分消されたんだと思う。何処にとっても今の奴はただのお荷物だ。

 匿っておいて得をする者は誰もいない。もし生きているとしても、恐らくは何処かの船の上だろうね。

 そうなると、もう戻って来るかどうかさえ分からない』

というのが、トモの父親から出た結論だった。


 そして、その結論が、三人の関係を引き裂いた。

 責任を感じたのか、ミキが学校の屋上から飛び降りたのだ。

 遺書が並べた靴と共に残されており、そこにはこう書かれていた。




『トモとミナへ 

 二人とも本当に大事な友達でした。大好きでした。

 正直、死ぬのは怖い。すごく怖いよ。勝手だけど

『助けて欲しいな』

なんて、虫のいい事まで頭に浮かびました。でも、そんな権利はないよね。

 他にどうしたらいいか、トモとミナにどう謝ったらいいのか、私はバカなので、とうとう思い付きませんでした。

 こういう形でしか責任が取れなくて、本当にごめんなさい』




 ミキを慕っていた人々の嗚咽があちこちからこぼれている、その葬儀へミナは現れなかった。エドガワの件だけでなく、ミキの自殺の件で彼女は完全に壊れてしまったのだ。

 ミナがトモに葬儀の前日にかけて来た最後の電話の内容が、トモの耳から今も離れない。




「ねえ、トモちゃん。あのね、ミキちゃんが夢に出て来るんだよ。

『寒い』

って言ってるんだけど、手が届かないの。それでさ、ミキちゃん、冬なのに夏服なんだよ。

 それなのに私はコートを着てマフラーしてるの。それをほどこうとしてもほどく事が出来ないの。手が泳ぐばかりで、全然脱げないの。

 目が覚める直前まで、ミキちゃんを助けられなくて、それで目が覚めちゃうの。

 ミキちゃん、泣いてた。ミキちゃん、全然悪くないのに。そう言ってあげても聞こえないみたいなの。

 可哀想だよね、ミキちゃん、そんな所に一人でいるんだよ。私もトモちゃんにも迷惑かけちゃってるのに、まだ色々怖くて、それなのに生きてるしさ。

 悪いのは全部私なのに……」




 それは違う、と言おうとした瞬間に電話が切れた。幾度自宅へ向かっても会えず、

『その間にミナは精神的重圧に耐えかねて首吊りやリストカットをしようとしていた』

とトモが知らされたのはずっと後の事だ。


 精神病院へ入れられてしまった事が、かねてより自分に自信がなかったミナに最後のとどめを刺してしまった。彼女達の社会では、ノイローゼの人間やうつ病患者に対して、それを装って生活保護支給金をせしめようとする偽者も多くいる関係からか、世間の目が大変に厳しい。

 精神的なものであるから当然外見的に一般人と変わらない上に、まだ病気に関する情報がきちんと知られていないのも、未だに根性論で回っている社会からすれば、目障りだという声が大きいのだ。

 その世界で精神病院に入れられてしまうという事は、

『お前は社会不適合者だから外に出しては置けないんだ』

と、烙印を押された様なものだった。


 もう何も残っていない。

 トモにも自分からは多分連絡は取れないだろう、と、ミナは思い込んだ。

 ミキやエドガワだけを死に追いやって、ヒカルの行方は知れぬまま。そして一番の原因の自分がのうのうと生きている、と自分で自分を追い詰めた。


『いずれ身体が元気になる日も来るから、今はゆっくり休養を取るべきです』

と、担当の医師は言っていた。しかし、それが何になるのだろう。

 一生誰かから、

『あいつは精神病院に入っていたんだ』

と影で囁かれるだけではないか。

 中学校でのいじめなんか比較にならない地獄が待っているだけではないか。

 あのおぞましい行為の数々を、今度は道を歩いているだけでやられるなんて、とても耐えられない。

 トモだって実際はすごく困るはず……そうだ、絶対に迷惑をかける。彼女の将来にそれが響くはずだ。だって、自分のせいで既に学校の人だけで二人も死んでいる。

 だから、自分の家族だけでなく、一番の親友で最後に残ってくれたトモにだって、自分が原因で、絶対に何らかの迷惑がかかる。

 だって……エドガワだって、突然の不幸で死んでしまったではないか。ミキにも取り返しの付かない事をさせてしまったではないか。


 もう、誰かに迷惑をかけるのは……嫌だ。


 それに、ミキが夢に出て来るという事は、

『早く自分に助けて欲しい』

というメッセージではないのか?

 映画で昔見た事があるけれど、死んだ先では人は全ての病気が回復し、元の元気な姿に戻るものだという。もしそれが本当ならば、自分が早く向こうへ行ってあげれば、元気なミキ、そして、元気なエドガワに会えるのではないのか?


 自分がわずかの勇気を振り絞れば、あの二人に会えるのではないのか……?


 拘束衣を着せられて個室に入れられていたミナは、数日経たぬ内に、病院のスタッフのわずかな隙を見て、自分の舌を噛み切って飲み込み、窒息して死んだ。

 涙と血にまみれていたその死に顔は、意外にもとても穏やかなものであったという。




 立て続けに二人の友人を亡くし、トモはすっかりやつれ果てた。

 学校にも行かなくなり、わずかばかりの食事を口にし、後は部屋に閉じ篭もり、泣き明かす毎日。

 その彼女の所へ、一本の電話が入った。


「ヒカルですけどぉ」


 その声を聞くなり、虚ろだったトモの瞳に輝きが戻った。

 かつての輝きではなく、友人の仇をやっと見つけた喜びに打ち震える狂気を帯びた輝きが。

 トモは勝手に震える指先で録音ボタンを押すと、電話を自分に引き継いだ家の者に、

『発信元を探る様に』

とメモ帳に殴り書きして渡した。受け取った男は頷き、早速玄関へ向かう。


「生きてたのね」

「苦労したっすよ、それなりに。

 ああ、そう言えば先輩の友達二人、死んだそうですね。ご愁傷様~」

 たがの外れた笑いと共に告げられた何処までも腐り果てた台詞に、トモもまた、自嘲の笑いが漏れるのを抑える事が出来なかった。



 奴は自分の思った通りの人間だった訳だ。

 そいつを自分は高校三年まで放置していたせいで、かけがえのないものを失ってしまった。後戻りの出来ない状態へ追い詰められてしまった。


 ミナが最初にあいつに声をかけられた時に、クラスの女子からいじめを受けた時に、自分は手を尽くして、ヒカルを殺しておくべきだったのだ。笑いながらミナのかばんにあの汚らしいコンドームを入れた奴らを、まとめてやっておくべきだったのだ。

 そうすれば、ミキもミナも、今も一緒に―


 その仇が、獲物が、今、自分から現れたのだ。今度こそ奴を、絶対に逃がしてはならない。


 それが自分の口からこぼれているのにも気付かず、トモはヒカルの笑い声で現実に引き戻された。

「先輩もぶっ壊れてるんすか」

「何の事?」

「ははは、マジありえねえ」

 先ほどの男が戻って来て、トモに

『発信元を割り出しました。既に人員を回してあります』

と書いて渡した。それを見て頷き、トモはあえて訊ねる。

「今、何処にいるのよ」

「言う訳ないじゃないすか。先輩は別に好みじゃないんで」

 それだけトモの耳に届かせると、電話の向こうで争う音が聞こえ、すぐに途切れた。


 とある地方から、ヒカルは電話をして来ていた。

 トモ達の住んでいる地域から新幹線で数時間ほどのそこで、そちらに配置されている父の部下に捕らえられ、港へ連行され、後ろ手に拘束されて膝をついているヒカルの前に、今、トモは立っている。

 家の者から聞いた話では、やはりある団体の下部組織に匿われていたらしい。それも毎日遊んで暮らしていたという。幾つかの別の犯罪にも関与している疑いがあるが、それは現在調査中。

 ただ間違いなく、ヒカルがエドガワを脅迫して薬物を摂取させ、錯乱状態の彼に放火させた。

『『ミナに乱暴する』

と脅迫し、彼に自分から薬物を服用させた』

と、『質問』の結果、答えたそうだ。

 やはりエドガワはミナの見込んだ通りの少年だった。自分が父に頼んだ調査の通りの少年だったのだ。


 が、それを伝える相手は、もういない。

 一緒にそれを語り合って心配したり、笑い合ったりする友人達は、もういない。

 ヒカルの消息が掴めなかったのは、上の様々な政治的事情によるものだった。幾つもの、金と権利に踊らされた連中が調査の邪魔をしていたという事だ。

 それが、トモから二人の親友を奪った。


「どうするつもりだよ」

 両肩を抑えられ、銃口を向けられたヒカルが睨み付けて来る。どうせまた薬で頭がいかれているのだ。少なくともヒカルには銃口を向けられてこれだけ振る舞う度胸はない。

「トモさん、お父上からです」

と、父の部下が受話器を手渡して来る。受け取って返事をした。

「トモですけど」

『お父さんだ。そいつは今、そこにいるんだね?』

「ええ」

『可能な限り、お前の希望を叶えたいと私は思っているが、どうしたい?』

「そうですね……」


 トモは数週間前まで一緒だった親友二人の顔をふと思い浮かべた。

 悲しい結末に至った時にも立ち会ったトモだったが、不思議とその時の顔は浮かばず、思い出の中で二人は微笑んでいた。

 元気にポニーテールを揺らし、手を振っているミキ。

 その横で、前に流したおさげが特徴的なミナが、手を組んでいる。


……そこに自分も、確かに一緒にいたのだ。


「父さん」

『うん』

「可能な限り念入りにいたぶって、また拷問にかけられる様になるまで回復させるのを繰り返して下さい。こいつの家族も一緒に。

 出来ますか?」

『ああ、可能だ。だが、トモ』

「はい?」

『本当にそれでいいのだね?』

「他に方法が思い付きません。それに、私の友達二人は苦しみ抜いて死んだ。

 それでも、死んで欲しくはなかった。失敗だったとしても、ミキとミナ、そしてエドガワくん達には何の責任もなかった。

 全てはここにいるこいつが原因で、こいつとその親の責任です。

 違いますか?」

『その通りだ。彼らには落ち度は全くなかった。

 エドガワくんという子も、逃げ場がなかっただけなんだ。それもミナちゃんを心配しての事なら尚更だよ。

 彼はみんなの事を考えて、たまたまああいう結果になってしまっただけなんだ。ミナちゃんの事を考えた上での事だった。

 全ては私の落ち度であり、彼にも、そして亡くなったミキちゃんにもミナちゃんにも、全く何の落ち度もなかったんだ』

「ありがとうございます」

『いや、全く普通の事だよ。彼らは悪くない』

「で……私に出来る事なら、それで気が済む事なら、何でもしてあげたかった」

『私も同じだよ。家のしがらみから解かれて、お前が彼女達と一緒にいる時の楽しそうな様子をわずかでも見るのが、数少ない私の憩いの時間だったからね。

 それなのに、我々の都合にお前達を巻き込んでしまった』

「そこはもう、どうしようもない事です。後でゆっくり話し合いましょう」

『済まない』

「で、こいつはミナとミキから、立ち直ろうとする気力や、それを考える時間を選択する事すら、エドガワくんを死なせる形で一方的に奪った。

 二人が望もうと望むまいと、こいつにはもう自分の意思では何も選ばせたくない。死ぬ自由も発狂する権利も与えてなんかやらない。

 だから、さっきの希望を挙げました。それ以外に……ミナとミキ、そしてエドガワくんにしてやれる事が、私には他に思い付かない」

『……分かった。

 そちらはかなり冷え込んでいると聞いたよ。後はみんなに任せて、お前はなるべく早く帰って来なさい』

「はい」


 それだけ言うと、トモは電話を切り、部下に渡す。

「後はよろしく」

「了解しました、お嬢様。お車へどうぞ、ここは冷えます」

「そうか、クリスマスだっけ、今日は」

「はい。お父上から、トモさんへ三人分のクリスマスプレゼントが届いております」

「三人分?」

「はい。

『ミナさんとミキさんの分も』

という事です。エドガワさんの希望するであろう品は間に合いませんでしたが、後でお嬢様と相談したいと」

「そうね。その方がいいわね」

「それと、言い訳出来る立場ではありませんが、ひとつよろしいでしょうか?」

「聞きましょう」

「ミナさんとミキさんを昔から知る者は、私達もお嬢様のお家で働く者達もみんな、とても残念に思っております」

「……そう。

 ありがとう」

「いえ、お嬢様の大切なお友達であると同時に、とても良いご友人であったと思っておりますので」


 連行されて行くヒカルの声は少しも気にならなかった。気温とは別の怖気だけが、車へ向かうトモを心身まで凍て付かせて行く。

 車の後部席へ座ると、そこにあった物が目に入る。


……バレーボール、そしてPC用ペンタブレットと記された箱が、包装紙とリボンに丁寧に包まれて置かれていた。




 それをそっと抱えて、静かに走り出した車の車窓から、トモは無常に輝き続ける月を、再び輝きを失った瞳で、もう二度と元の純粋な輝きは取り戻さないであろう瞳で、何時までも、何時までも、見つめていた―

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三人娘シリーズ 躯螺都幽冥牢彦(くらつ・ゆめろうひこ) @routa6969

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