夢の道すがら
「新聞、新聞だよ! そこのお兄さん、おひとつ買ってかないかい?」
新聞売りの少年が一枚刷りの束を抱えて通りを駆けていく。印刷業が盛んなこの国ではこういった出版物が民衆にとっても身近なものであるらしい。首切り男は少年を呼び止め、貨幣を渡して新聞を一部受け取った。少年は物珍しげな顔で首切り男をじろじろ見つめた。
「おじさん、見慣れない顔だね。旅の人? どこから来たんだい?」
隣国といえど、海を渡れば人の顔つきも仕草も変わるものらしい。少し訛った発音で生まれを言うと、少年はへえ、と目を丸くした。
「あそこから? 外国の人なのに新聞読めるの?」
「勉強したからな。赤ん坊の頃は誰だって、自分の国の言葉もわからんだろう?」
余程よそ者が珍しいのか、少年は仕事もろくろくせずに首切り男の後をついてくる。まさかこんなちびが追いはぎをするはずもあるまい、と気にせずに歩いていると、少年が話しかけてくる。
「勉強したの? 学校で?」
「いいや、最近だ。実を言うと、ほんの数年前までは自分の国の言葉すら読めなかった」
「ほんとう!?」
聞いた少年が目を大きく見開いた。その様子に察しが付く。首切り男の国にも、こういうビラ配りの仕事をしながらも、自身はまったく文字を読めない子供がよくいたものだ。
「なんだかずいぶん良いように変わったって言うね、おじさんの国」
「らしいな。もう何年も戻っていないから、詳しいことはわからんが」
「あの国じゃあ、貧しくて仕事がない人もパンがもらえるんだって。それに、子供のための学校がいっぱいできて、そこで字とか計算とかを教えてくれるんだって」
「よく知っているのだな」
少年が照れくさそうに鼻の下をこする。
「おれっち、学校に行きたいんだ。勉強すればもっといい仕事ができるだろ? 今はこんな仕事しかできないけど、少しずつお金を貯めて、弟達にも行かせてやるんだ」
立派なことだ、と思う。聞いた話だと、学校に通うには入学金だ謝礼だなんだととにかく金が要るらしい。金を用意できても平民では何かと苦労させられるだろう。しかし首切り男はあえて語らず、少年を励ます言葉を口にした。しかし少年は、言葉の途中で表情を曇らせた。
「でも……実は、ちょっと不安なんだ。誰かにこの夢を教えると、みんなが笑って馬鹿にするのさ。できっこないさ、身の程を考えろって」
「………………」
「けれど、おじさんは学校に行かなくても勉強ができたんだろう? だったらおれっちも頑張れば勉強ができるかな? 新聞になんて書いてあるのか読めるようになれるのかな?」
「そうだな」
不安と期待が入り混じった表情の少年に、首切り男は静かに言った。
「やりたいことがあるのなら、まずはやってみることだ。方法を考えて、道を探して……やろうと思えば、やれば、なんでも案外簡単にできてしまうものだ。たとえ、できなくても……そのために試した方法は、おまえの中でちゃんと残る。それがおまえ自身を変えたり、あるいは別の夢を見つけてくれたりもする」
そばかすが浮いた少年の顔に、忘れられない友の姿を思い出す。この少年はきっともっと大きくなるだろう。家で帰りを待っている家族のために精一杯生きていくのだろう。
「とにかく、やり続けることだ。そうやっている瞬間から、おまえの願いは叶いはじめているのだから」
「……ありがとう、おじさん」
少年の顔が和らぐ。「ところで、仕事はもういいのか」と訊ねると、途端に慌てた表情になった。
「いっけねえ! 早く売り切らねえと!」
大慌てで駆けていく少年だったが、ふと思い出したように首切り男を振りむいた。
「そういや、おじさん。なんでこの国に来たんだい?」
「探し物だ」
首切り男は小さな笑みを浮かべて言った。
「小鳥や花より素敵なものを探しているのだ」
宿屋に入り、通された部屋の文机に羊皮紙を広げる。窓から見える空はどんよりと雲で覆われ、とても星は見えそうにない。今日は珍しく晴れていたが、明日は再び雨が降ることだろう。首切り男は窓を閉め、ペンを握った。
「こんにちは、おれの友達――」
――この国はどういうわけか、いつも天気が悪い。街は栄えているし、田舎には綺麗な湖があったりするのだが、連日の雨や霧はどうも気に入らない。そろそろ、別の国に行こうかと思う。
おまえは元気にやっているだろうか? いくら手紙を書けども、おまえに送ることはできないから、おまえがちゃんと幸せでいるか心配だ。いや、おまえはずっと主に正直でい続けたのだから、きっと天の国に辿り着けたろう。だから、あとはなんとかして、これをおまえに届ける方法が見つかればいいのだが。
たぶんおれは、おまえと同じところへは行けぬだろう。おれはあまりに多くの人を殺してしまったから、その罪を裁かれて地の底に堕ちるか、主の赦しを得るまで天の門の前で燃やされ続けるかもしれない。いずれにせよ、きっとおまえと再び会うことはできぬだろうと思っている。
別に、それが寂しいわけではない。おまえが幸せでさえあればおれはそれだけでいいのだ。ただ、せめて……おまえが元気で、幸せでいる証が欲しい。
おれが死んで、地の底に堕ちても、おまえに手紙を届けることはできるだろうか? ここしばらく、色んなものを見たのだ。手紙に書いて、おまえに書きたいことは山程ある。河の中にある街や、古代の神が祀られた神殿のように大きな門だとか……楽しいし、とても面白い。おまえにも見せてやりたい。
とにかく、おれは元気でやっている。まだまだたくさん、いろんなものを見るつもりだ。手紙に書くための土産話をたんまり作って、こうしておまえに書き続けよう。いつかおまえに届けるときは、きっとそれこそ山のようになっていて、何百台もの馬車が必要になるだろうな。
いつか、おまえにこの手紙が届くことを願って。
おまえの、永久の友達より
貴人、英雄、首切り男 古月むじな @riku_ten
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます