くそげー太平洋戦争

岸洲駿太

史実に憧れ、夢破れ

 「おい、そんな装備で大丈夫か?お前さんも比島に行くんだろう?」

 満蒙国境でのチュートリアルを終えたばかりの私がHN:卍無敵☆皇軍卍さんと出会ったのは第六次フィリピン攻略作戦直前のことだった。はじめ、私は彼の禍々しいハンドルネームに警戒心を抱いたが話してみれば何という事もない、サービス開始以来のベテランプレイヤーである彼は一目で初心者とわかる私を心配して声をかけてくれたのだった。

「そんな北国向きの装備で南方に行った日には、お前さんポルトガルの首都送りだぜ。俺の予備で良ければ熱帯用装備を貸してやるが、どうだ?」

 私はありがたくこの申し出を受けることにした。今でこそ陸軍の歩兵用装備にも詳しくなった私だが、この頃はどちらかというと軍艦や飛行機にばかり目が向いていた。

 しかし、当時まだ賑わっていた『太平洋戦争オンライン』で軍艦や飛行機に乗るのはなかなか大変なことだった。リアリティを売りにしたこのゲームでは乗り物系装備は一人では使用できず、搭乗員はもちろんのこと整備スキルや補給スキルを持ったプレイヤーも含めた部隊(プレイヤーたちはギルドと呼んでいた)を編成する必要があった。素人のスキルなし歩兵を加入させてくれるギルドなどあの頃はロクになかった。

「私は無課金を貫くつもりなのでしばらくスキル購入も兵科転換もできません。だから、手っ取り早く戦果ポイントを稼ぎたくてこの作戦に参加することにしたのです。」

「そうか、中国戦線は割に合わないからな。いい判断だと思うぜ。まあ、日本軍プレイ自体あまり稼ぎがいいわけじゃないがね。よろしく。」

 卍さんのアバターが差し出した手を私は何秒か遅れて握り返した。卍さんはせっかちらしくチャット欄に「?」の文字が浮かんだ。

「すみません。私、まだコマンド入力に慣れていなくて。ネトゲをやるの初めてなのです。」

「そうか、そうかwwww」

 恐る恐る打ち込んだ私の謝罪に、彼はいかにもネット慣れした文字列をいささか大げさに思えるコマンド動作とともに返してくれた。どこかほっとした気持ちになったのを今でも覚えている。

 「ところでどうしてずっとフィリピンへの上陸作戦が続いているのですか?もっと遠くの、ガダルカナル島とかミッドウェー島とかにはいかないんですか?」

「嫌なこと聞くなあ。普段だったらwikiでも読んで来いと言うところだが、俺は今日は機嫌がいい。船の中で話してやろう。」

 後から思えば私は実に幸運な初心者プレイヤーだった。自由度が高いのだか低いのだかよくわからないこのゲームでは歩兵が船に乗るという行為すら困難である。なにせ輸送艦を有する海軍系ギルドに話をつけなくては、NPCと一緒に自動運行の輸送艦に乗せられてしまうのだ。そんなものに乗った日には外洋にでて一海里も進まないうちに敵潜水艦の餌食となってリスポーンしていただろう。

「ここの艦長は俺のフレだ。信用してくれていいぜ。まあ、腕のいいガトー乗りならどこからでも現れるからダメなときはダメだがな。」

 輸送艦の甲板からはたくさんの軍艦が見えた。その中でもひときわ私の目を引いたのは一隻の戦艦だった。前甲板にふたつ、後甲板にもふたつ。合わせて4個の主砲塔をもち、中央部に上部構造物をまとめた美しい戦艦。

「金剛型だ!かっこいい!」

「ほう、戦艦が出撃するのか。今回こそはマニラを攻略できるかもしれんな。」

 卍さんが語るには戦艦や空母は大ギルドが温存してしまうために滅多に軍港から出てこないのだという。彼は戦艦は持ってて楽しいコレクションじゃねえ!と怒った。

「でも、戦艦が損傷したら何万円分もの課金がパアになるくらい修理のための戦功ポイントが必要なんですよね?それなら慎重になるのも仕方がないのでは?」

「あのなあ、フィリピンやグアム島が敵の手にある限りいつかB29が飛んできて軍港に引きこもっているご自慢の軍艦は吹っ飛ばされるんだ。そうでなくても、敵が真珠湾攻撃みたいに空母で攻撃してきたらどうするんだ?前進!前進!前前進!勝つためには積極的に攻め込んで距離の防壁を築くことが必要なのだ!」

 私はモニターに向けて苦笑いした。太平洋戦争における戦略というものを私は今でも理解したとは言い難いが、卍さんの主張がどこまでも勝ち続けなくてはならない苦行であることは察せられた。だが、自分がこのゲームを始めたのは太平洋の地図を日本の色に染め上げたかったからというのもまた事実だった。

「フィリピンはな、ほんとならとっくに俺たちのものになっているはずなんだ!それが海軍ギルドの連中が引きこもっているからいつまでも陥落しねえ!」

 後で知ったことだが、海軍ギルドにも言い分はあった。第三次フィリピン攻略作戦の時、日本軍プレイヤーたちは後にも先にもないほど団結し戦艦4隻、空母4隻を主力とする大艦隊を出撃させた。だが、攻勢を察知した連合軍プレイヤーたちも太平洋各地から戦力をかき集めたことで艦隊決戦が発生。双方の水上戦力が一時的に消滅するような死闘となった。結局、第三次フィリピン攻略作戦は失敗。海軍プレイヤーは被害の大きさにショックを受けて消極的にしか行動しなくなり、陸軍プレイヤーから恨まれることになったのだった。

「何のための戦艦だ!何のための空母だ!海軍、無能!」

「FF外から失礼するゾ、卍無敵☆皇軍卍。海軍ギルドにもいろいろあるのだ。ひとくくりにされてはたまらない。」

 卍さんの海軍批判に、どうも使い方が間違っているように思われるSNSスラングをもって割り込んできたのはすらっとしてかっこいい、白い軍服を着こなしたプレイヤーだった。

「よう、艦長。見回りご苦労さん。」

「卍無敵☆皇軍卍、他プレイヤ―批判は個別チャットでやれといつも言っているだろう。あと、僕のことは艦長ではなく船長と呼んでくれよ。そこの君も頼むよ。」

 この船長さんが自ら語ったことによると、私がこの時乗っていた輸送船は彼の祖父が現実の歴史で乗っていたとある徴用船をモデルにしているのだという。

「この船のモデルになった船はあの戦争を生き延び、戦後も復員船や貨物船として活躍した。僕はゲームとはいえ祖父が乗っていたこの船が艦として使われてはいても船としてのあり方や価値があることを忘れないでほしい。そう思うのさ。」

「それは素敵な話ですね、船長さん。」

「w」

 私はまだまだネット慣れしていなかったから船長さんの話を信じ、日本の歴史やその流れの中で生きた人々、そして船のことに思いをはせた。だが、今思うとあれは全て電子の海に浮かんでは沈んでいく、ありがちなホラ話だったのかもしれない。


 フィリピンへと向かう私たちの乗る船は十数隻からなる輸送船団の中の一隻だった。甲板から周囲を見渡すと同じような輸送船に交じって4本煙突の軽巡洋艦が何隻か見えた。

「ずいぶん川内型がいますね。駆逐艦より多いんじゃありませんか?流行り?」

「いや、より実用的な理由がある。僕ら日本軍はまだオランダ領東インドの油田を確保できていない。そのせいで、戦功ポイントと石油の交換比率が悪いままなのだ。だから......」

「混燃缶なんぞに頼らずに大人しく松型でも造りやがれ、チクショウメ!そんなに魚雷を積みたいか、バカヤロー‼」

 卍さんはまるで大井篤が乗り移ったかのように荒れに荒れ、長くて読みづらい長文でチャット欄を埋め尽くした。誰に読まれることもなく無数の文字列が流れ、そして消えていった。

「彼は魚雷4本でも多すぎると思っているのだ。」

 私が覚えているのは、船長さんが個別チャットで送ってきた一文のみである。


 出港してから現実時間で一時間ほどが過ぎた。嵐の前の静けさであろうか。敵機も敵潜水艦も現れず、私たち三人は太平洋をおしゃべりしながら南下した。なんでも卍さんも船長さんもできればドイツ軍でプレイしたいのだという。

「はやくヨーロッパ戦線が追加されねえかな。日本軍も好きだが、俺はやっぱりパンテルに乗って戦いてえ!」

「日本にもチハがあるじゃないですか。」

「あんなもんマスコットだよw」

「僕も実はUボートが好きでね。呂500が造れるようになったら乗り換えるかもしれないな。」

「おい、じいさんの船はどうしたw」

 けれど、そんな楽しい時間も長くは続かなかった。ギルド司令部から輸送船団に対して帰港命令が出たのだ。

「そんな⁉あと少しでルソン島なのに!」

「偵察機がボルチモア型重巡洋艦二隻とその護衛多数を発見したらしい。僕らの負けだよ。」

「重巡洋艦が二隻?こちらには戦艦があるんですよ!今回は勝てるかもしれないって、そうですよね?卍さん!」

 NPCソ連軍との戦闘しか知らなかった私はいくらか興奮してキーボードを叩いた。だが、先ほどまであれほど饒舌だった卍さんは一文字たりとも入力しなかった。

 パソコン画面の中から熱帯のぬるい海風が吹き込んできた気がした。船長さんは命令に従うらしい。船首はゆっくりと北へ向いていった。けれど、何隻かの軍艦は舵を切らず私たちから遠ざかっていく。それらの影の多くは4本煙突だった。

「戦功ポイントだ。」

 卍さんが静かに入力した。戦功ポイントがこのゲームをクソゲーにしている。

「そうかもしれない。このゲームのデザイナーは戦功ポイントによって独善的なほどはっきりと艦と船を区別している。計算式上は間違いなく私の船は、艦ではなく船だ。」

 私は訳が分からなかった。目の前の敵を倒し、陣地を広げればそれでよいのではないのか。これはゲームなのだから。

「船は港に帰って初めて戦功ポイントをもらえる。どんなに目標地点に近づいても沈んでしまえば犬死だ。」

 だが、艦は違うと船長さんは説明した。艦は戦って敵を倒したなら自らは沈んでも戦功ポイントの帳尻を合わせることができる。

「だが、今回ばかりは無茶だぜ。この戦いであの勇敢な連中はが得られるのは名誉と赤字だけだろうよ。ボルチモア型は強い。しかも重巡だ。」

「重巡だからなんだというのです!」

「戦功ポイントだよ。重巡に分類される限り、ボルチモア型二隻と金剛型一隻は相打ちになったとしても割に合わねえ!」

「実艦ではどうか知らないが、このゲームでは米軍艦の装甲と徹甲弾は高く評価されているからね 。差し違えられるならいいほうだろう。中途半端に戦艦を出撃させたのは今回は失敗だった。」

 でも、と私は食い下がった。日本海軍の実力が過小評価されているように感じて悔しかったのだ。私は無い知恵を絞ってキーボードを叩いた。

「こちらの戦力は金剛一隻ではありません!日本が誇る酸素魚雷の一撃が命中したならば、必ず勝てるはずです!」

 私が熱くあっているので困ったのだろう。卍さんと船長はアバターに肩をすくめるような仕草をさせながら、相談した。

「少なくともこちらと同数はいる敵の護衛を突っ切ってボルチモア型に雷撃か。船長はどう思う?」

「たぶん君と同じ意見だよ、卍無敵☆皇軍卍。本物の日本軍ならともかく、僕らゲーマーにはそんなことはとてもできない。このゲームはだいぶリアルで、シビアだからね。」

 それっきり会話は途絶えた。幸い、輸送船団は攻撃を受けることなく港へたどり着き、私はそこで第六次フィリピン攻略作戦の失敗と出撃した軍艦の全滅を知った。一度たりとも敵影を見ることのなかったこの戦いが、チュートリアルを除いたならば、私にとっての初陣だった。


 その後、私と卍無敵☆皇軍卍や船長の関係はごく普通のネトゲ仲間として数か月に渡って続いた。私はその間、太平洋各地で暴れまわり、大和vsアイオワの海戦も零戦とP51のドッグファイトも見た。人生における最良の日々だったと言っても良い。その終わりは唐突にやってきたけれど、彼らとの連絡が取れなくなったのは欧州戦線を舞台にした類似のオンラインゲームのサービスが開始されたころだったから私は寂しさを覚えこそすれ、心配はしなかった。彼らはしがらみのない戦場へと、自らの望みのままに旅立ったのだ。かくいう私もこの頃はこのゲームのための時間を割けないでいる。戦史資料探しや古戦場巡りといったリアルでの趣味が忙しくなったのだ。

 けれど、私はいまもきっと答えは出ないだろうと思いつつ、金剛とボルチモアのどちらが強いのか考えるときがある。大和とアイオワのどちらが優れていたのか。零戦は最良の戦闘機だったのか。あの戦争は何だったのか......

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