【10,000PV達成記念】マジカル☆武侠! 東巌子ちゃん!

 刀と杖とが接触した瞬間、その接触点を中心に雷鳴と劫火が巻き起こった。この世の厄災のすべてが同時に到来したかのような轟音と閃光と衝撃が四方八方に吹き荒れ、すでに荒野と化した大地をさらに一掃せんと駆け抜ける。都合二十四回目の大地の大掃除。塵の一つも残るまい。


 反動を受けた体をひらりと一回転させ、着地ざまに柳葉刀りゅうようとうを一閃させたのは極彩色の衣装に七色の光を背負った少女。その表情には歓喜の笑みが浮かんでいた。


「あんた結構やるわね! でも次はそうもいかないわよ。喰らえっ! 『無限エターナル・星虹スターボウ』!」

 柳葉刀を立て続けに三度振り抜く。するとその一振りごとに刀刃から七色の光矢が迸った。それらは瞬時に空を駆け、正面で杖を手にして待ち構えるこちらへと殺到する。


 杖を構えた私は忌々しく舌打ちを漏らし、薄紗の羽を背に流しながらサッと杖を迫る七色光矢へと突き出した。

「鬱陶しいわね。さっさと骨まで燃え尽きなさい! 『灼熱紅炎ジュオラーホンイェン』――!」


 杖の先端から紅蓮の炎が噴き出す。傘のように広がったその炎は降り注ぐ光の矢を触れる先から蒸発させていく。受け止めるたびに光が弾け、炎が飛び散る。地に落ちたそれらは大地を焦がし、向こう十年を不毛の焦土と変えるのだ。ここがかつて一万人近くの居住する城市まちであったなどと誰が信じよう。


 そんな地獄絵図を眺めて茫然とする影が二つ。魔術仙術を交える私たちからそう遠くない、それでも直接の被害は及ばない位置でそれらは同時に息を吐いた。


「お前の連れ、めちゃくちゃだな」

「あなたに言われたくありませんよ」


 こちらが真剣勝負に勤しんでいるのに、何とも無礼な物言いだ。私は迷わず杖の先端をそちらへと向け変えた。爆炎に包まれて地面ごと吹き飛ぶ。大丈夫、あの程度でくたばるような奴じゃないことは私が良く知っている。


 ……ああ、私は誰なのかって?

 私の名前は東巌子とうがんし

 今何が起こっているのか、どうしてそうなってしまったのか――それは私にもわからないのよね。


*****


 事の始まりは日の出のころにまで遡る。

 昨夜もまたいつも通り宴会に興じ、ほんのり酔ったところで宿の自室に引っ込んだ。そうして朝になって目を覚ますと、枕元に一匹の見知らぬ小動物がちょこんと座っていたのだ。そいつは私の肩に前足を置き、体を揺すっているようだった。


 私はその姿を視界に入れるや、即座に拳を繰り出して殴りかかった。


「うおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!? あっぶね!」

 しかし相手は意外にも機敏で、標的を逃した私の拳はボスンと寝具を殴りつけるに終わった。起き抜けとはいえ一撃で仕留められなかったのは残念だ。


 いやそれよりも。今この小動物は人語を話さなかったか?


「いきなり殴りかかる奴があるか。おい東巌子、寝ぼけていないで目を覚ませ」

「そうね、まだ寝ぼけているみたい。犬ともイタチともつかない怪生物が何か喋っているわ。ひとまず――気持ち悪いから殺そう」

「小動物を見るなり殺しにかかる女子がいてたまるか! 落ち着け! 俺は辛悟だ」

 その一言で振り上げた拳をぴたりと止める。ほっと相手が安堵の息を漏らしたところで素早く鷹爪手に変えてその喉元を鷲掴んだ。ぐぇっ、とカエルみたいなうめき声を発する。そしてその声には確かに聞き覚えがあった。

「あらホント、辛悟だわ」

「自分で言っておいてなんだけど、納得するの早くね!?」

「あなたの声を聞き間違えるほど寝ぼけちゃいないわよ。で? なんで人間をやめちゃったのよ」


 首根っこを掴んだままぶらぶらと揺らす。そこに意味はない。何となく楽しいからそうしてみただけ。でも当のケダモノ辛悟はさっそく気分が悪くなったのか「うぇぇぇぇ」なんて呻いている。

「おい、やめろ振り回すな。どうしてこうなったのか、俺が知るものか。起きてみればこの有様だ。追い剥ぎならともかく、まさか体まで盗まれるとはな」

「今の姿もお似合いよ? 別にそのままでもいいじゃない。エサはできるだけ毎日忘れずにあげるから、ねぇ飼ってもいいでしょ?」

「嫌だよ!?」

 身じろぎする辛悟を仕方ないので放してやる。辛悟はぴょんと飛び退いて私の手の届かない場所へと逃げた。あん、ちょっと虐めすぎたかしら。


 そう言えば。ふとあることに気づいて私は左右を見渡した。今日はなかなかどうして静かすぎる。

「またあいつがいないわ。あれも盗まれたのかしら」

「ああ、あいつか。あの飲んだくれを誰が好き好んで連れ去るやら」

 その名を口にしなくとも、誰のことを言っているのか私と辛悟の間には共通認識があった。――李白りはく、あの男はこんな時にどこへ行ってしまったのか。

「あるいはあいつが何かやらかした結果が、ソレなのかもね」

 冗談めかして言ってみるけれど、辛悟は真面目にううむと考え込んでしまった。もちろんケダモノの姿なので片方の前足を持ち上げて頭を掻いているわけだけど。なにこれ可愛い。

「大いにあり得るから頭が痛いぜ」


 李白はとにかく滅茶苦茶な男だ。やること為すこと自分勝手極まりなく、他人のことなど毛ほども考えている様子がない。私は辛悟がいるから一緒にいるけれど、その辛悟が苦労を背負い込んでまであの男と一緒にいるのは理解に苦しむ。

 今回のこの怪現象も、あいつならやりかねない。そんな気は私にも大いにあった。


 寝台から起きて上着を着る。身支度はすぐに終わった。

「とにかくあいつを探しましょう。願わくは虫けらに化けていることを。踏んづけて潰してやるから」

「やるなら俺が元に戻ってからにしてくれよ」

「…………………………善処するわ」

「なんだ今の間は!?」

 ぎゃあぎゃあとうるさい辛悟を肩に乗せ、私は杖を手に部屋を出た。そこでふと気づく。

 いつも手にしているその杖の頭に、見知らぬ星の飾りがくっついていることに。


*****


「あなたもあいつの仲間なのね! ここで出遭ったが百万里、いざ勝負よ!」


 往来のど真ん中で出会い頭にそんなことを言ってくるのは、頭がお花畑なおバカさんか、真の狂人だと思う。この場合はどちらに該当するのか判別しかねたけれど、もしかするとその両方なのかもしれなかった。


 私はただ、子猫みたいな姿をした小動物をこれ見よがしに豊満な胸の合間に入れ、そのケダモノとさも当然のように人語で言葉を交わしている彼女を見かけたから声をかけただけだ。もしかしてあなたたち、李白という男を知っているのでは――と。


 その結果がこれである。


「あたしの林哥哥にいさんをこんな姿にして、絶対に許せないわ! こんな極悪非道の所業をする人間なんて、この世に二人しか考えられないんだから!」

「二人って……一人は李白で、もう一人は誰よ?」

「辛悟って名前の下衆野郎よ!」


 私は右手を閃かせ、肩の上から逃げようとしたケダモノの首を鷲掴みにして締め上げた。キュウ、なんてか弱い悲鳴を上げてもダメなものはダメ。


「辛悟ならこの犬コロがそうだけど?」

「いや言って信じるわけが……」

 私としても冗談で言ってみたわけだけれど、しかし効果は覿面。女は血相を変えて飛び掛かってきた。

「天誅ぅぅぅぅぅぅ!」

「信じたー!?」


 辛悟はもちろん私の手中から逃れられない。その代わりに私自身が飛び退いて女の両手から距離を取る。が、その手はくるりと軌道を変えてこちらをさらに追撃した。こいつ、意外と武芸ができるようね。こちらも擒拿きんなの外し技で応じる。


「確かにコレは辛悟だけれど、あなたの林哥哥がそんな姿になってしまったこととは無関係よ。私たちも李白を探しているの」

「誰がそんなことを信じるのよッ!」

 えー、こっちは信じてくれないのー?


蘭妹らんメイ、まずは話を聞いてからでも……うえっぷ」

 胸元に押し込まれている林哥哥とやらが止めようとするが、動くたびにぷるんぷるん震えるそれと一緒に振り回されて大分酔ってしまっているようだ。何だあれは私への当てつけか。もぎ取るぞ。


 というより、そもそもこの女の姿は奇抜だ。

 二の腕と太ももを大胆に晒した痴女みたいな仕立てで、五色の布地を組み合わせた曼荼羅のような衣装。頭には西域人のように緑布をぐるりと巻きつけ、玻璃の羽根飾りをシャラシャラと鳴らしている。

 でも一番目を引いたのはその腰に提げられたそれ。一振りの柳葉刀、その柄には私の杖と同じような星の飾りが付いていた。実に不釣り合い。


「あなた、その飾りはなに? もしかしてそれが何か関係しているのでは」

「こうなれば最後の手段ッ! へーんしん! えぃっ!」

 聞けよ。


 こちらの反応を一切無視して、その極彩色の女はぴょんと両腕を伸ばして垂直方向に飛び上がった。すると突如、七色の光が女の体から迸った。あまりの光量に視力を奪われそうになる。その光は一瞬の輝きの後に急速に薄れ、その中で女はトンッと地面に降り立った。抜き放った柳葉刀を天高く頭上に掲げる。


「悪者を見つければ即・参上! 不徳の輩は悉く我が刀の錆となれ! 人呼んで『マジカル☆美仙女』とう蘭香らんか様、ミラクルパーフェクトにご光来!」


 ドッゴォォォォォォォン!

 着地と同時に後方三ヶ所から爆発が起きる。十人からの人間が吹き飛んだように見えたけれど、あれは大丈夫なのかしら。おそらく大丈夫じゃないわね。


 同じ心配をしたらしい林ニャンがげっそりとした様子で私の心を代弁する。

蘭妹らんメイ、人前では変身するなとあれほど……」

「えーっ、だっていちいち岩場まで移動するのって面倒なんだもの」

 仕込みか何か知らないが、どうやらあの爆発はこの女が引き起こしたものらしい。別に赤の他人がどうなろうが知ったことじゃないけれど、さすがにやりすぎじゃないかしらね。


「……って、何よその恰好は」


 女の――桃蘭香の衣装はあの閃光が迸った一瞬で様変わりしていた。

 頭に巻いていた緑布は花飾りのように姿を変え、腕を隠す布地はとうとう手首のひらひらした飾りだけになっている。胴体は肩までが顕わで、脇から下は体に沿ってぴったりと裁断されたかのように輪郭線を強調している。さらには胸下から下腹までの布地は紗のようになっているためその下の肌やら臍やらが丸見え。腰回りはやたらとひらひらした丈の短すぎるスカート

 もう誰がどう見ても一流の痴女だった。と言っても、元が奇抜だったから大差ないけれど。なんであんなものを着て平静でいられるの?


 私は呆れながらも左手の二指を伸ばし、右手に掴んだ辛悟の顔面に突き込んだ。ギャーッ! と悲鳴を上げる辛悟。

「何をするんだ突然!?」

「あんなのを見たら目が潰れるわ」

「お前の指のおかげでもう潰れそうだよ!?」


 悶える辛悟を放り捨て、私は杖を構えた。何だかよくわからないけれど、私はこの怪力乱神の女と戦わなければならないらしい。まったくもって気が進まないけれど。


「さあ、こちらの準備は整ったわよ! そっちもさっさと変身しなさい! 一般人を巻き込むわけにはいかないからね!」

 それで以てあちらは何やら訳のわからないことをのたまいながらびしっと指先を突きつけてきた。とりあえず一般人云々は背後の惨状を見て言ってもらうとして……え、なに、変身? 瞬間衣装早着替えのことを言っているの? 私にそんな一芸はないのだけれど。


「その星の装飾を身に着けるものは「変身!」と叫ぶことで力は漲り衣装は可愛く、何かよくわからない効果で無敵になるのよ!」

「ああそう、説明ありがとう」

「どういたしまして!」


 正直まだよくわからないけれど、何かそういうことらしい。うーん、やるだけやってみるか。

「あーっと、変身?」


 杖を掲げて小さく飛んでみる。自分でもやり直しテイクツーを求めたくなるほどの酷い出来栄え。


 ――が、杖の方はそれでよかったらしい。私の体は眩い光に包まれてふわりと浮き上がる。何か不可思議の力が自身に働いているのを感じた。正直不安しかない。

「あら。あらあらあら」

 見る間に衣装が光の粒子となって溶けていく。え、なにこれ聞いてない。いくら視界が閃光に阻まれているからって往来のど真ん中で素っ裸なんてまともな神経でできることじゃない。それを一切のためらいもなくやったあの女はやっぱり痴女なのかしら。


 などと思考を巡らせているうちに、光の粒子は再び私の体を包み込む。

 まず右腕に螺旋模様を描く円錐形の袖が現れた。次に左腕。ただしこちらは薄緑の紗でできた手袋が肘までを覆っただけ。なお両腕とも肩はむき出しで、金色の輪のようなものがそれぞれを二の腕の位置で締めている。

 次に脚。両足とも太ももまでを光が包み、薄絹の体に貼り付くようなズボンが現われる。……いやちょっと待って。腰から太ももまでに布地がないんだけれど。これは褲と呼べないのでは?

 などと困惑している間にも光はついに胴体を包む。黄色の上着が現れて私の体を抱き包む。丈は腰より少し長い程度、そこから先は左腕と同様の緑紗がひらひらと舞っている。真正面の部分はまた白絹が覆い、胸と腹周りと腰から太ももまでを煽情的に包み上げる。

 ――端的に言おう。この衣装を設計した大バカ者は誰だ! 特に胸元! もっと詰め物施せよこれじゃあ貧相なのが余計に強調されちゃうじゃないの!


 私の体を持ち上げていた謎の力が消え去り、足先が地面に付く。と同時に光が薄れて消えて行く。周囲の風景が戻ってくる。

 唐突に、私は何か口上を述べなければいけない気がした。まるで遥かいにしえより定められた責務であるかのように。私はそれに逆らうこともなく口を開いて声を張った。


「巨悪に遇うてはこれを斬り、愚者を看ればこれを滅す。我こそは正道中庸の権化にして偉大なる神格! ――『マジカル☆武侠』東巌子! 今ここに、見・参!」


 ドッゴォォォォォォォン!


(――!?)

 望んでもいないのに背後で先と同じ爆炎が吹き上がる。どうやら口上を述べると自動的に爆炎が生じて箔を付ける仕様らしい。そんなの要らない。


「準備完了みたいね! それじゃあさっそくいくわよぉ~!」


 痴女が柳葉刀を振り被る。自分で言っておいてなんだけど、もうどう考えてもアブナイ字面よね。「痴女が柳葉刀」って。

 ……いや待って。もしかして今の私も痴女に等しい姿なのでは? 思い至った瞬間、何だかものすごく恥ずかしくなってきた。私にだって羞恥心はある。


「おい東巌子! 早く構えろ何か来るぞ!」

 すぐ足元で聞こえたその声だけを頼りに、私はその声の主を力の限り踏みつけた。

「ぐぎぇぇぇぇぇぇぇぇっ!? なぜ踏むぅ!?」

「恥ずかしいから見るんじゃないわよこのど変態! ケダモノ! 見た目通りの犬畜生!」

「理不尽!?」

「とぉぉぉぉぉぉぉぉぉうっ!」

 などとやっている間にも、桃蘭香は柳葉刀を振り下ろす。私はそれに対して無造作に杖を掲げてこれを迎え撃った。刀刃と杖とが噛み合い、衝撃波が周囲三十歩の距離を消し飛ばした。しかし私は動かない。私自身が有する両儀功とも違う、私自身さえも知らない不可思議の力がこの身を守り、そして活力を与えてくれていた。


 ところでこの桃蘭香が放った攻撃はその上体を大きく捻る動きを含む。ということは――もう自明だろう。

 ぷるん、と震えた。私の目の前で。これ見よがしに。見せつけるように。嘲笑うかのように。


「――よし、殺す」


 私にはそれだけで、世界を滅ぼすのに十分な理由だった。


*****


 何度目かの空中激突。私たちはもはや当たり前のように空を飛び回り、内力とも武功ともつかない未知の力で雷光や火炎を自在に操っていた。交わした手数はもはや五百に迫ろうとしている。互いの姿以外には何も見ていないし見えていない。ここは本来、往来行き交う街中であったはずだ。しかしその姿はもはや視界の端にも映らない。私たちはそれほどまでにこの戦闘に集中していた。まさか本当に何もかもが消し去ったわけでもあるまいに。


 子犬辛悟はすでに少し離れた位置に置いてきた。相手方の林ニャンもこの激闘の中を振り回されるのは勘弁と早々に抜け出し、二人(二匹?)並んでこちらを傍観している。たまに私たちに対する愚痴みたいなのを言い合っているのを聞くとすかさず火球を打ち込んでやっているけども。


 しかしこの戦闘、いつまで続くのだろうか。この不可思議の力のせいなのか、どれだけ戦闘を続けても疲れ果てる気がしない。とはいえ永遠に戦い続けるなんて勘弁だ。私はさっさとこの粛清を終わらせてもっと子犬姿の辛悟を嬲りたいのに。


 ところが、事態は前触れもなく急展開を見せた。突然それまで存在しなかったはずの第三者の声が耳に飛び込んできたのだ。それも、実に良く聞き覚えのある声が。


「おー! 何だか騒がしいと思えば、派手にやっておるのぅ」

 ガラッ、と大地の底から蓋を開けるようにして、紅に龍紋の刺繍を施した衣装を身にまとった男が現れた。その手には酒壺が握られている。酒を呑んでいる最中に瓦礫の下に埋もれたのだろう。地上に這い出すやその場に胡坐をかき、そのままグイっと一口あおる。


「李白お前、そんなところにいたのか!」

 辛悟の一言が終わるより先に。私と蘭香は同時に攻撃の矛先を変えた。示し合わせたわけでもないのに同時に声を張り上げる。

なますになれ! 『断魔剣デーモンキラー』!」

「脳髄ぶちまけろッ! 『火尖鎗フォジェンチャン』!」

「二人とも容赦ないな!?」

 最後に混ざったのは辛悟の声だから無視して構わない。


 漆黒の闇の刃と紅蓮の炎の槍とが李白を強襲する。しかし李白はカラカラと笑って焦りもしなければ避ける気配もない。

「ワハハハハハハ! そんな子供だましの術でこのわしが斃れるとでもグワァァァァァ!」


 ドッゴォォォォォォォン!

 爆発四散して一瞬で消し炭になった。それ見たことか、悪は滅びるのだ。


「いや待ていや待て。先に李白を消し飛ばして、俺たちはどうなる? 一向に元の姿に戻る気配が見えないのだが!?」

 慌てたように足元に駆け寄ってくる犬辛悟に、私はふふんと微笑みかける。何を些末なことを気にしているのだろうかこのケダモノは。

「そのままでいいんじゃない? 軽くて持ち運びも便利だし」

「いいわけないだろ!? おい、お前も言ってやれよ!」

 ギャンギャン吠えたてながら辛悟はお隣の同類こと林ニャンに同意を求める。が、こちらは至って冷静そのもの。何だか達観したかのように目を細めて。

「構わないでしょう。肉体が人の形であろうとなかろうと。元より道士は自然との合一を目指すのですから魂の器でしかない肉体などうんたらかんたら」

「冷静なふりして現実逃避に走るなよ!」


 ――刹那、私と蘭香はさっとそれぞれのケダモノ伴侶を引っ掴み、その場を飛び退いた。一拍遅れて地面が爆ぜる。何者かの攻撃だ!


「あ~ら、なかなかどうして勘が鋭いのね。仕留めそこなっちゃったわ」


 荘厳な音楽と共に(なぜそんなものが聞こえてくるのかについては無視することにした)、天空より差し込む光の柱に沿って何者かがゆっくりと降下してくる。長い披帛ひはくがゆらゆらと左右になびき、端に縫い留められた金銀の鈴がシャランと天上の調しらべを奏でる。その装いは時代遅れの深衣のようであったが、襟には玉が編み込まれ、金翠の腕輪と首飾りがキラキラと輝いている。長裙を履いているのにその下で曲げた脚の形がうっすら見えるのは薄い紗羅を重ねているからだろう。その顔は初め腕で隠していたが、やにわにその腕をさっと振るって明らかにすると、まるで深夜に燦然と輝く満月の如き銀光が周囲を照らし出した。七色の星虻を背負っているのは桃蘭香も同じだが、こちらは銀色一色でありながら彼女を遥かに上回る光量だ。そしてその光を背負いながらも影の落ちないその顔は、息を忘れるほどの美貌だった。


 そして私は、その顔を知っている。


嫦娥じょうがッ!」


 出会ったのは一回だけ、それでも私はその顔を忘れたことがない。こちらの武芸を圧倒し、嘲弄した挙句に点穴を施して生き人形にしたまま放置した極悪人。そして師父のことを知る数少ない人物。

 だがそんなことはどうでも良い。重要なのは今、あいつが攻撃を仕掛けてきたということ。そして攻撃を仕掛けてきた相手は、すなわち敵であるということ!


「覚悟ッ!」

「おい待て、突っ込むなら俺を降ろしてからにしろ!」


 飛翔。軽功とも違うその技術を私はすでに使いこなしていた。蘭香もまたすぐ後ろに続く。瞬きする間に肉薄し、杖を槍に変えて突きかかる。ぎゃあぎゃあ騒ぐ辛悟はしまい込む場所もないので内腿に挟んでおくことにした。空中なら脚使わないし。

「あら、危ない」

 嫦娥はそれを剣訣けんけつで弾く。その左手側に回り込んで斬撃を放つ蘭香に対しても同様に剣訣の一撃を与えて軌道を逸らすことで応じた。

「せっかくここでは魔法が使えるのにそれを使いこなさない辺り、まだまだね」

 嫦娥が剣訣を開く。直感的に危険を察知し、私は全力でその場から後退した。直後嫦娥の手には銀色の弓と矢が握られていた。


「そろそろ目を覚ます時間よ。『射天落日神威箭太陽射落とす神の技』!」

 遮る間もなく立て続けに三矢が飛ぶ。まったく狙いは逸れていたはずなのに、その矢は空中でくるりと進路を変えてこちらへと向かってくる。追尾機能だなんてものぐさもいいところね! 逃げてもきっと追いかけてくるに違いない。ならば真っ向から撃ち落とすまで!


「『火炎翼飛フォイェンイーフェイ』!」

 炎の翼が出現し、矢を飲み込み焼き尽くす。

「『九天応元雷声普化天尊ザ・グレイトフル・サンダーゴッド』!」

 雷光が迸り矢はおろか大地を千々に破砕する。やりすぎ。

「『勸君終日酩酊醉日がな一日飲んだくれ』!」

 誰だ今の。


「天下あまね睥睨へいげいし、酒壺に一滴も残すことなし。剣を片手に江湖をさすらい、道程に一人の悪人も残さず。『マジカル☆酔客』李白様の御成りじゃぁぁぁ!」


 ドッゴォォォォォォォン!

 背後で何もない空間から爆炎が生じる。もうその演出は飽きたってば。


「李白だ! あいつめ生きて、いた……」

 締め付けすぎたのかだらだらと鼻血を私の太ももに垂れ流しながら辛悟が呟く。視線をちらりと転じてみれば、確かにそこには撃滅粉砕したはずの見知った顔があった。あった、のだが。

 辛悟が途中で言葉を失ったのと同じように、私もまた吐き気を催した。


 星の飾りが付いた酒壺を掲げ、宙に浮いたまま名乗りを上げた李白の姿は私たちの見知ったものとはまた異なっていた。その誇大妄想じみた自信と態度の大きさをそのまま具現化させたかのような巨大な装飾を肩に乗せ、深紅の衣装にはギラギラと宝玉がちりばめられ――あれ絶対に武芸をやるには邪魔だと思うのだけど。でもそんな仰々しい姿に私たちは驚いたんじゃない。

 その脳天には銀の矢がプツッと突き刺さり貫通していた。迎撃できてないじゃんあのバカ。


「……というわけで、わしはここまでのようじゃ。後は頼んだぞぉぉぉぉぉ」

「お前何しに来たんだよ!?」

 まったく以て辛悟の言うとおりである。李白の体はきらきらと光に包まれ、そして蒸発するように消え去った。今度こそ確実に消滅したとみてよさそうだ。騒々しさが減って結構だけれど、あいつあれでも本編の主人公なのに出番少なすぎじゃない?


「仕方がないわよ、ただでさえ尺が伸びすぎなのだもの。でもとりあえずは一人、ね。全員送り返すのって大変なんだから、あなたたちもさっさと斃れてくれない?」

 まるでこちらの心を読んだかのように嫦娥。言いながらその姿が掻き消える。その気配の残渣を追って視線を転ずれば、今しも嫦娥の手にした矢が直接蘭香の胸と、その谷間に挟まれていた林ニャンを一緒くたに貫いていた。

 二人(一人と一匹?)はまた同様に光に包まれて退場した。


「これで二人、いや三人ね。あーもう、疲れちゃう。自分の不手際とは言え、さすがに参っちゃうわぁ」

 都合三人を瞬く間に殺傷しておきながら、嫦娥はやれやれと肩を竦めてそんなことを言う。あれ、こいつもしかして?

「あなた、この不可思議現象についてよく知っているみたいな口ぶりね?」

「そりゃあそうよ。これは私の不手際が引き起こしたことなのだもの」

 やはりかこん畜生。


「瞑想の修行をしようと思ったら、ちょっと術式を間違えちゃって。過去に私と深くかかわったあなたたちの精神を一緒に巻き込んでしまったの。つまりこれは私の夢で、あなたたちはその夢に迷い込んでしまっただけなのよ」

「……辛悟、あの悪女といつ知り合ったのよ?」

 ぐっと内股を締め付けて辛悟に問う。ぐげっ、と呻きながら辛悟はぴくぴくと頭を振る。ちょっとやめてよくすぐったい。

「おれは、あんなやつ、しらない……」


「私と直接関わりがあるのは、小李賢人と蘭香、そしてあなたの三人よ。でもあなたたちが普段から特に親密にしていたその二人は、もっと不完全な形で巻き込まれた。だからそんな畜生の姿をしているのよ」

「つまりあなたがこの怪異についてのすべての元凶で、ここは夢の世界で、死ねば現実世界で目が覚める?」

「ご明察! やっぱりあなた賢いわねぇ。もっと弟子にしたくなっちゃった」

「お断りよ」

「んもぅ、いけずぅ。じゃあ、死んで?」

「それもお断り」


 まさかそんな返しをされるとは思ってもいなかったらしい嫦娥はきょとん顔。あ、なんだろうこの優越感。私はさっと杖を構えた。

「むしろあなたを夢から追い出せば、もうしばらく私はこの世界に留まることができるのではなくて?」

「まあ、そうだけど」

「なら私はもう少しここに居座らせてもらうわ。だってここは――」

 それ以上を私は口にしなかった。誰に吐露したところで意味のあることじゃない。わかっている。この夢の世界を出ればここでのすべての記憶を失うのだということも。私はそれをなぜだか知らないが知っていた。だからここでどれだけの時間を過ごそうと意味などないのだということも。


 でもここでなら私は――ありのままの自分でいられる。


 激闘を覆っていた暗雲が消え去る。眩いばかりの陽光が帰ってくる。荒れ果てた大地は初めからそうであったように新緑を芽吹かせ、消え去ったはずの街並みが真下に復活する。やがてどこに隠れていたのか、人々の往来の音が聞こえ始めた。

 ここは夢の世界。望むものは何でも手に入る。

 私が望むもの。どんなに願っても叶わないそれは……ここでなら、手に入る。

 私が望むもの。それは――。


 ブツリ。胸を背後から矢が貫いた。気配なんて微塵も感じなかった。胸を貫かれ、私は死んだ。光に包まれ存在が霞んでゆく。


「ごめんなさいねぇ~。時間延長は受け付けていないの」

 ニコニコと底抜けに明るい残酷な笑みで見送る嫦娥。その手には銀の弓。やがてその弓は落下してゆくケダモノへ向けてもう一矢を放った。


 この女、いつか必ず現実世界で殺す。


(劇終)


==========


何書いてんでしょうね、私。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

剣侠李白・番外編 古月 @Kogetsu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ