クリスマスプレゼントは、ここに

御手紙 葉

クリスマスプレゼントは、ここに

 いつものように朝起きて、いつものように歯を磨いて、顔を洗って、そして妹が作り置きしてくれたハムエッグを食べながら、ふと頭の隅に違和感を感じた。何かとても大きなことを忘れているような、そんな引っ掛かりを覚えたのだ。でも、それが何であったのか、すぐには思い出せなかった。

 食器を洗って棚に入れ、僕は寝間着からセーターを着こんで自室に戻った。蛍光灯を点けてマグから立ち上るコーヒーの香りを頼りに、勉強を始める。この冬休み中にもう少し頭の中で覚えることを整理したかった。来年は高三になるし、志望校も決まっていた。元々勉強は好きだし、特に国語はずっと飽くことなく続けられた。

 まさに冬の寒さとは程遠い、心地良い空間が自室には広がっていた。

 僕は窓の外の白い曇り空を何とはなしに見つめながら、住宅街のひっそりとした静寂をどこかしみじみと感じた。こうして休日に読書をしたり勉強をしたりして過ごしていると、窓の外を眺めることが自然と多くなる。そして、そのひっそりとした冬の毎日を愛しく思うのだ。

 こんなことを言ったら、お前は何歳だとか兄貴に言われそうだけれど、僕は元々本を読んでいられれば、もう何もいらないと言えるような本の虫で、図書館と自宅を行ったり来たりするような活字中毒だった。

 冬休み中に読みたい本は山のようにあるし、勉強しなくてはいけないことはさらにその山を積み重ねたぐらいあるし、とにかく僕は休みを有効活用することばかりを頭の隅で考えていた。国語の問題集を読みながら、ついつい時間を忘れてその問題文に読み耽ってしまい、解答時間が終わってしまったりと、いつもと変わらない時間が過ぎていった。

 そして、ようやく僕はその違和感の正体を思い出した。ペンを走らせている時にふと飛び跳ねるようにして振り向き、僕は待てよ、と思った。今日の日付を確認すると――何と、12月24日だった。

 まさかクリスマスイブであることを忘れて、日中のほとんどを家で悶々と勉強することだけに使うとは、僕の青春は少し間が抜けているというか、とにかく学生特有の浮き立つような気持ちがなかった。それはあまりに勿体なくて、寂しくて、僕は自然と椅子の上で魂の抜かれた人形のように硬直していた。そして、すぐに僕は勉強道具を机の上の仕切りに戻すと、立ち上がった。

 クリスマスをこんなことに使っては、あまりに残念すぎる。せっかくだから、外を歩きに行こう。

 僕はダウンジャケットとマフラーを身に付け、バッグを肩から提げると、自室を出て居間にメモを残して家を出た。肌をチクチク突き刺すような鋭い寒気がすぐに服の隙間をすり抜けてくる。

 僕はジャケットのポケットに手を突っ込みながら、住宅街の道を歩き出した。人通りは少なく、まるでクリスマスはとっくに終わってしまったんだよ、と誰かに突然言われるように、そこにはクリスマスの気配はなかった。あるのはただ、曇り空が漂ういつもの冬の寒さだけだ。

 大通りに出て、しばらくアーケードを歩いたけれど、とにかく手がかじかんで冷たかった。あかぎれになり始めているし、手袋が欲しかった。すると、ある洋服店の店先にちょうど手袋が並べられているのを見て、僕は足を止めた。

 店内からは有名歌手のクリスマスソングが流れていた。確か、今年の紅白に出場することも決まったんじゃなかったかな、とぼんやり思いながら、手袋を物色していた。そして、暖かそうな毛糸の緑色の手袋を取って、それを買った。

 店員の若い女性は開かれた入口の扉から吹き込む寒風にも、あまり頓着せず、とても楽しそうに接客していた。お客に品物を渡す時にも、「メリークリスマス!」と元気良く挨拶するぐらいだった。少し、サービスと言ってもいいくらいにそれは気持ちの良いことだった。

 僕はしばらくそうしてアーケードを進んだり戻ったりして店を物色していたけれど、そんな時、通りの先から歩いてくる二人の若いカップルに気付いた。どこか見覚えがある気がして近づいていくと、やはり同級生の葉山と時塚だった。

 二人共、クラスの生徒が皆知っているような、長いカップルで、彼らは僕に気付くと、満面の笑みを浮かべて早足に近づいてきた。

「三山、メリークリスマス! 誰かと待ち合わせしてるのか?」

 葉山が白いコートのポケットに突っ込んでいた手を抜き、親しそうに僕の肩に手を当てた。僕は思わず笑いながら、「これが残念ながら」と肩をすくめてみせた。

「確か三山、去年は誰かと一緒に遊びに行ったんじゃなかった?」

「違うよ、それは妹だよ」

「妹か。かなり物をせびられただろ」

「僕のお小遣いは妹のゲームソフトで消えたよ」

 二人は笑っていたけれど、少し歩かないか、と僕を促し、アーケードの脇道に入った。

「三山、結構友達多いし、誰か誘えば良かったのに。今まで何してたの?」

 時塚が薄く染められた茶色の髪を揺らしながらゆっくりと歩き、振り向いて聞いてくる。彼女のウェーブが掛かったその髪からどこか甘い匂いが漂ってきた。僕は少し葉山を羨ましく思った。

「家で勉強してたんだ。三十分前まで、今日がイブだって忘れてた」

「それは確かに残念なクリスマスだ」

「残念なイブの過ごし方だ」

 彼らは勝手に納得してうなずいている。僕はさらに一段階自分の残念さが増したような気がしながらも、こうして友人と街中で会って、少し一緒に歩けたことが嬉しかった。

「あ、もし良かったら、これ、さっき有名なワッフル店で買ったものなんだけど、いる?」

「え、でも、悪いよ」

「いいのいいの、友達に買ったものだけど、あいつら絶対に彼氏とどっか遊びに行ってるし」

 時塚がにこにこ笑いながら、ぐいぐい渡してくるので、僕は有難く受け取らせてもらうことにした。

「なら、僕からもプレゼントで、二人もココア飲む?」

 スイーツやドリンクを売ってる小さな店があって、僕らはそこで紙コップに入ったココアを買って、立ち止まって少しずつ飲んだ。僕の奢りだったけれど、二人は本当に美味しそうにココアを飲んでいた。

「じゃあ、メリークリスマス。二人共、楽しんでね」

 僕が手を振りながら離れると、彼らは会った時と同じ満面の笑みで手を振って送り出してくれた。僕は大通りに戻り、駅前の本屋へと向かって歩き出したけれど、最悪なクリスマスだと思ったことが間違いだと思った。

 こうして友人にも会えたし、小さなクリスマスプレゼントももらったし、ほくほく顔で駅前広場へと差し掛かった。広場へと上がるエスカレーターの手前に僕の行きつけの本屋があったのだけれど、広場のクリスマスの装飾やツリーを見たかったので、僕は先にエスカレーターの方へと歩き出した。

 すると、そこで突然背後から思い切り誰かに背中を叩かれて、僕はもんどり打ってコケそうになった。一瞬誰かに突き飛ばされそうになったのかと尋常じゃない気持ちで振り返ったけれど、そこに立っていたのは、もう遠くからでも誰かわかるような親しい人だった。

「お前、家で勉強しているんじゃなかったのかよ」

 兄貴はスーツを着込んでいて、短髪を掻きながら、にやにや笑っていた。銀色のフレームの眼鏡はどこか理知的に見え、実際兄貴は大手企業に就職して今、二年目だった。

「今日は早く上がれたんだよ。お前は誰かと待ち合わせか?」

「いや、せっかくだしお小遣いで目当ての本買おうかと思ってさ」

「何だよ、そんなの俺が買ってやるのによ」

「いいよ、自分で買えるんだし、クリスマスプレゼントに自分で買いたいんだよ」

「いつも本買う為に、郵便局のバイトやってたのか。いいから、これで買って来い」

 兄貴は僕に千円をもたしてくれた。本当に、僕としては頭が上がらない弟想いの兄貴である。

「兄貴、恩に着るよ。後で何かスイーツ買って帰るからさ」

「ああ。俺もそこでケーキ買って帰るから、楽しみにしてな。じゃあな」

 兄貴は指二本を重ねて額の前で振りながら、行列のできているケーキ店へと軽快な足取りで歩いていった。僕はそんな兄貴に思わず笑いながら、そのお金を大切に仕舞って、エスカレーターを上った。

 とても長いエスカレーターで、見下ろすと怖くなるのだけれど、大通りを往来する車の姿や、ごった返す人込みなどが点々と続く街路樹と共に妙にあざやかに映った。そろそろ辺りが暗くなり始め、いつの間にかイルミネーションが灯っていた。

「見てよ、あれ。すげえな」

 近くにいたカップルがエスカレーターの上で、徐々に広場のツリーが見えてくると、楽しそうな声を上げていた。僕もそれに続いてツリーを見ると、見事なクリスマスツリーがイルミネーションと共に広場に屹立していた。

 まるで都会の真ん中に立てられた、人込みの波を凌ぐ灯台のようだった。その灯台の周りにはたくさんの人々が集まり、カメラのシャッターが灯台の明かりのようにきらきらと点滅した。

 僕は広場に上がると、真っ先にその人込みに近づき、遠目からツリーを眺めていた。スマートフォンを取り出して何度も写真を撮る。広場には他にもイルミネーションが光っていて、クリスマスの装飾が至るところに散りばめられていた。

 クリスマスリースが飾られ、僕はその一つ一つを丹念に眺めていった。そして、ふとサンタの格好をした若い男女がクリスマスケーキを販売している隅の方へと視線が向いた。

 そこでは若い男女の売り子が忙しそうに動き回っていて、笑顔を振り撒きながらケーキを売っていた。僕はそこに小さなロールケーキも売られているのを見て、ここにしよう、と内心嬉しくなりながら、売り場に近づいた。

 そして、小さな列に並びながら、そのケーキを見つめていたけれど、自分の番が来て、そのロールケーキに指先を向けたところで、どこか聞き覚えのある柔らかな少女の声が聞こえてきた。

 僕はふと顔を上げて、そして、時塚からもらったワッフルの包みを落としそうになった。

「三山君じゃない。メリークリスマス」

 長いストレートの黒髪が似合う、どこか柔らかな笑顔を浮かべた少女が、僕の前に立っていた。彼女も他の売り子と変わらずにサンタの格好に身を包んでいる。彼女がそれを着ていると、サンタというより、どこかの写真会にでも現れたモデルのような気さえした。

「三山君は誰かと待ち合わせしてるの? すごく寒いけど、これから誰かとどこかに行くの?」

 彼女は少しぼそぼそとした小さな声でそう囁いてくる。元々大人しい性格で、いつも皆の輪の片隅で静かに黙って微笑んでいるような、そんな女の子だった。

「いや、ちょっとそこの本屋で買おうと思っている本があってさ」

 僕がその本屋があるビルを指差すと、彼女はどこか楽しそうに一つ、うなずいてみせた。

「私も後で自分の為に何か本を買おうかと思ってたよ。三山君は、明日の文芸部のクリスマス会、来るよね?」

「えっと、どうしようかなって思っててさ」

 明日は家でゆっくりしながら新刊を読んでいたいと思っていたのだけれど、彼女がとても楽しそうな顔で聞いてくるので、少し躊躇してしまう。

「私も行くからさ、プレゼント持って行くよ。前に三山君に勧めてた本、プレゼントで持って行くからさ」

「え……本当に?」

「明日、楽しみにしてるから」

 彼女の声が心なしか小さくなって、一層ぼそぼそと話すのを聞いて、僕は一瞬会話が頭からフェードアウトしてしまいそうになったけれど、すぐにうなずき、言った。

「じゃあ、明日僕も行くよ。僕も前に勧めてた本、必ず持って行くからさ」

「良かった。プレゼントの交換ね」

 そう言って彼女はくすくすと笑う。僕はいつも文芸部で一緒にいて、気になっていた彼女と突然ばったり会ったことよりも、彼女のその飾り気のない笑みがまた見られて、それだけで一日分のクリスマスプレゼントをもらった気がした。

「じゃあ、そのロールケーキ一つくれるかな?」

「うん。千五百円になります」

 僕は彼女から包みを受け取ると、小さく頭を下げて笑った。

「じゃあ、また明日。メリークリスマス」

「メリークリスマス!」

 いつもは小さな声で丁寧に話す彼女が、その時は本当に元気良く言ったので、僕は少し自分も元気になったような気がしながら、そっと広場を通り過ぎていく。

 エスカレーターに乗りながら、クリスマスケーキの売り場を振り返ると、彼女は小さく手を振って、すぐにまた売り子の仕事に戻ったようだった。僕はふっと微笑み、彼女の姿が遠ざかっていくのを眺めていた。

 そして、広場から出て、本屋の前に着くと、すぐにその中に入った。全てレイアウトは把握しているので、僕は特集のスペースへと寄り、先日ノーベル賞を受賞した日系人の作家の本を取った。これが僕が一番買いたいと思っていた本だった。

 僕は最後に、海外文学の棚へと歩み寄り、そこから一冊の本を手に取った。そのタイトルは、僕が小学生の時から読んできた有名なファンタジー小説のものだった。『ネバーエンディングストーリー』として、映画化もされている。

 僕は上下巻を持ってカウンターへと近づいたけれど、馴染みにしている書店の店員さんがちょうど僕の本を手に取って、「二冊目なの、これ?」と聞いてきた。

 その男性店員はとても本に詳しい若い男性で、僕の要望に必ず応えてくれる本当に僕としては助かる店員さんだった。彼は僕がこないだ自分用に買っていたのを覚えていたらしく、そう明るく聞いてくる。

「友達にお薦めでクリスマスプレゼントに買うんです」

「いいね、プレゼントに本を贈るのは。はい、メリークリスマス」

 彼はそう言って笑顔で本の入った袋を渡してくれて、僕はありがとう、と言いながら、そっと書店を出た。そこに広がる景色にはイルミネーションが煌めいていて、先程エスカレーターに乗っている時に見えた街路樹が、今では一つ一つ人々の心に火を点すクリスマスツリーとなっていた。僕は自分でも気付かないうちに笑顔になっていて、弾むように歩いていた。

 通りを行き交う人々の顔にもクリスマスの明かりが灯り、きらきらと瞬いている。それは、人々の心の炎が揺れる様子が、クリスマスの輝きに繋がっているのだと、そう思わせてくれる笑顔だった。

 僕はそんな楽しさに溢れる往来を久しぶりに散歩しながら、自宅への帰路についた。明日、クリスマス会に行ったら、彼女とどんなことを話せるのだろう、彼女からのプレゼントであるその本は、どんなストーリーなのだろう、と考えると、楽しくて頬が綻んでしまった。

 そして、自宅のドアを開くと、すぐに廊下へ妹が顔を出し、「どこに行ってたの! とっくに準備できてるよ!」とエプロンを揺らしながら怒鳴った。僕は明るく笑いながら、「ロールケーキも買ってきたよ」と包みを振りながら、靴を脱ぐのももどかしく、居間へと入っていく。

 クリスマスプレゼントは、もしかしたら僕がいるこの日常こそ、そうなのかもしれない。そう思った。何でもない一つ一つの物事が、実はクリスマスの輝きを持っていて、それを僕らは見付けるべきなんだ、と少し思いながら、そっと居間のドアを開いた。

「メリークリスマス!」


 了

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