一方その頃

  魔王補佐官の執務室は、魔王の執務室の隣である。


 さらにその正面には、魔王補佐官の補佐官の部屋がある。第一補佐官、第二補佐官、第三補佐官、計三つの席がある。その補佐官達は一つの部屋で執務室を共有していた。



「暇ねぇ……」



 第二補佐官のエルフ、エモシオン(自称クリスタル)が呟く。外見は美しい女だが、性別は男である。自慢の艶がある橙色の髪をくるくると巻きながら、憂い気味な溜め息を漏らした。



「平和が何よりじゃないか、クリスタル君」



 その声に応えたのは、第一補佐官のグラディウスだった。愛用の扇子でパタパタと扇ぎながら、笑う。



「たしかに平和が一番よ? けど、アタシは身体を動かしたいの!」



 エモシオン、基、クリスタルがバンッと机を叩く。机の上には、書類の山が積み上げられている。それはグラディウスの机の上もそうだった。 もう一人の補佐官が使っている机の上にも、二人ほどではないが書類の山がある。



「こらこら、山が崩れてしまうぞ。よし、それなら、こっそり廊下で競争しようではないか」


「ルシウスちゃんに見つかったら、怒られるじゃないの~。楽しそうだけど」


「では、ヨガでもするかい? 補佐官殿に見つかっても、固まった身体を解すため、と言えば許してくれる」


「採用! ちょうど、やりたかったヨガポーズがあるのよね~」



 クリスタルが立ち上がると、給湯室から声がした。



「では、お茶はヨガが終わったあとがいいかしら?」


「ああん! ミーちゃんのお茶も捨てがたいっ!」


「身体を動かしたいんじゃなかったのかい?」


「食後の運動は、身体に悪いわよ?」


「じゃあ、今はお茶にして、次の休憩にヨガをするわ!」


「はいはい」



 ミールが小さく笑いながら、返事をする。



「緑茶がいい? 花茶がいい?」


「アタシ、緑茶!」


「我も緑茶で」


「分かったわ。それまで、少しでも書類を片付けておきなさいね」


「は~い!」


「あい、分かった」



 クリスタルが機嫌良く手を挙げ、グラディウスも扇子を置いて、筆を手に取った。

 穏やかな空気が流れるなか、ノックの音が聞こえた。



「どなた~?」


「私です。入りますよ」



 返事を待たず、ルシウスが扉を開けて入ってきた。



「ルシウス殿、また魔王を探しているのかい?」


「ここにはいないわよ~。城下かリズタルト皇子のところにいるんじゃないかしら?」


「そういえば、今日は一回も来ていませんね~」


「……」



 ルシウスが来ると、魔王を探しに来たと瞬時に思うほど、慣れてしまっている。

 思わず深く嘆息するが、すぐに顔を改めた。



「魔王は城下にいらっしゃいます」


「あら、珍しい。野放しにしているなんて」


「繁忙期じゃないからだよ、きっと」


「そうではないですよ」



 ルシウスのただならぬ雰囲気を察したのか、二人の表情が見る見るうちに真剣な面持ちになる。



「一大事、かい?」


「ええ。皇子とキリランシェロが攫われました」


「あら、穏やかではありませんね」



 給湯室から、ひょこっとフェンリルが顔を出す。第三補佐官のミールだ。フェンリルには珍しく、子犬の頃と大きさが変わらず、そのまま成犬となった雌のフェンリルである。



「それはそうと、ルシウス様。声が少し嗄れていますよ。喉を潤すためにお茶はどうですか?」


「そう、ですね……では、お願いします」


「何がいいですか? 花茶もありますよ。カモミールかジャスミン。ホットにします? アイスにします?」


「ジャスミンをホットで」


「畏まりました」



 一笑して、ミールが再び給湯室に消える。


 ミールが淹れてくれるお茶は美味しいのだが、どうやって淹れているのか謎だ。本犬が頑なに淹れているところを見せないので、真実は誰も知らない。



「それで、お二人が攫われた、とは?」



 顔はおどけているが、目が笑っていないグラディウスに、ルシウスは首を横に振る。



「犯人は分かっていません。目的も。ですが、魔王は目星を付けているようです」

「つまりあの人、単身で乗り込む気でいるってこと~? 大丈夫かしら?」


「大丈夫じゃないだろうね~」


「そうよね~」



 クリスタルとグラディウスが頷き合う。



「大丈夫かしらね~。犯人」


「まあ、リズタルト様を攫った時点で死罪決定だから、大丈夫じゃなくていいけど」


「もう、ぶっちゃけすぎよ~」



 魔王サタンの心配は、誰もしていない。むしろ犯人を表向きだけ心配している。いつものことなので、ルシウスは気にせず言い募った。



「二人はお忍びで城下に行っているときに、攫われました。護衛をしていたゴーレム一体、壊れた姿で発見されました」


「魔核はどうなったんだい?」


「胸を粉々にされていました。魔核は無事ではないでしょう」


「徹底的にやられたか」



 グラディウスが難しい顔をする。



「犯人からの連絡はありましたか?」


「今のところは。それから、皇子の家庭教師が行方不明です」


「家庭教師?」


「たしか、セシルっていうエルフの子でしたっけ?」


「ああ、あの吊り目の子ね」



 クリスタルの呟きに、グラディウスがわざとらしく首を傾げる。



「おや? 同じエルフなのに、接点はなかったのかい?」


「そりゃ、同じ里の出身だけど、世代が違うしぃ。アンタだって、他のヴァンパイアと接点ないじゃない」


「我は同族と合わない、はぐれ者のヴァンパイアだからね」



 そう言って、グラディウスは愉快そうに笑う。



「ちなみに、家庭教師の捜索は影に任せてあります」


「アタシ達はなにをやればいいのかしら?」


「連絡があっても、慌てず騒がず、時間稼ぎをお願いします。あたかも、こちらに魔王がいるように装ってください」



 クリスタルが、ぽん、と手を合わせる。



「じゃあ、設定を考えなくちゃ」


「設定かい?」


「口裏合わせための設定よ」


「それもそうだね。魔王がここにいる理由を考えないと」


「そうそう。むしろ、城下にいない理由を考えないと」


「……」



 魔王がここにいないのが通常と思っている。

 全くもってその通りなので、ルシウスは嘆息した。



「……皇子が誘拐されたんです。さすがの魔王も、皇子の安否が気になって、犯人からの連絡を待っていた、でいいのでは?」


「それが妥当だね。魔王がリズタルト皇子のことをけっこう可愛がっているのは、知れ渡っているからね」


「あと、犯人の連絡手段を……って、皇子が殺される場合も考えなくちゃ駄目かしら?」


「それはないと思います。だったら、ゴーレムと一緒に殺しておけばいいのですから」


「でも、拷問してから殺す場合もあるわけで」


「貴方たち……けっこう、淡々と恐ろしいことを言いますね」



 考えないようにしていることを、こうもあっさりと言われると、なんかもう脱力してしまう。



「こらこら、あなたたち。息子を誘拐された親の前で、そういうことを言わないの」



 そこへ、三つの湯飲みと饅頭を乗せたお盆を頭に乗っけて、ミールが給湯室から出てきた。



「おや、饅頭があったのかい?」


「ええ。料理長から差し入れとして貰ったの。なにか考え事には、糖分が必要でしょう? ルシウス様、こしあんしかありませんが大丈夫ですか?」


「はい。ありがとうございます」



 三人の机の真ん中に、来客用の机と椅子が設置されている。滅多に来客など来ないので、専ら補佐官と魔王が使っている。


 その椅子に座り、ミールからカモミールティーを貰う。匂いを嗅ぐと、知らずのうちに肩の力が抜けた。一口飲んだら、ミールが話しかけてきた。



「少しは落ち着きましたか?」


「はい……」



 ミールが笑う。



「それはようございました。リズタルト様とキリランシェロ様も御無事でいられるよう、全力でご協力致します」


「ありがとうございます……では、後でこっそり調べてほしいことがあるのですが」


「畏まりました」



 ふぅ、と溜め息をついて、茶飲みを机の上に置く。



「心配なのは分かるけど、早口で喋られちゃ、こっちも疲れちゃうわ」


「早口、でしたか?」


「うん」


「早口だったね。あのお二人のことだから、状況は冷静に判断していると思うから、ひとまず大丈夫じゃないかな?」


「確かにそうでしょう……が」



 神妙な面持ちで、口の前で手を組むルシウスにグラディウスは首を傾げる。



「が……なんだい?」


「状況を把握しているからといって、あの子が……皇子が大人しくするのか……あの子は、時々、突拍子もない、というか予想外の行動をするから……」


「ああ……」



 グラディウスは、遠い目をして笑む。


 リズタルトは、普段は冷静で穏やかな子供だ。だが、思い付きとかなんとかで常春の楽園ではないほうの庭で焼き芋をしたり(しかも季節は春だった)、時間短縮とかで屋根の上から移動したり、魔法の師匠を喜ばせたいからと急に麺打ちを始めたり……その他諸々。


 たとえ血が繋がっていなくても、親と子は似るものだと、聞いたことがあるのだが、そういうところは似てほしくなかった。



「キリランシェロは一人だったら、大人しくしているでしょう。あの子は流されるがまま主義ですからね。ですが、いつも皇子の後を付いて、皇子がするのならオレもする主義でもある子が、皇子と違って大人しくしているかどうか……心配で、ほんとうに心配で」


「ま、まあ、そうね。気持ちはとても分かるわ……」



 リズタルトの突拍子のない行動に、度肝を抜かれたことがあるクリスタルが、たじろぎながら同意する。


 ミーナがルシウスの顔を覗き込んだ。



「心配するよりも、まずは設定を考えましょう? 犯人の目的は分かりませんが、なにかこちらに要望があるのなら、連絡を寄越してくるでしょう。その時まで待ちましょう。どうせ、ここで結論を出したところで、推測でしかありませんから」



 優しい声色に引かれるように、ルシウスは小さく頷いた。



「ですが、設定はいりますか?」


「いるわよ。口裏合わせなんだから」


「いるさ、口裏合わせのためだからね」


「はぁ……」



 ルシウスは呆れながら、相槌を打った。


 どうして、この二人はこういう時は息が合うのだろうか。


 溜め息を呑み込むために、ルシウスはカモミールを一気に飲み干した。

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狭い箱庭の中で勇者は傀儡と踊る 空廼紡 @tumgi-sorano

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