脱出

 夜光石の光が、暗く埃っぽい空間を仄かに照らしている。


 その空間の中にいるのは、ヴァンスロットと男のヴァンパイアだった。

 男のヴァンパイアは黒子姿をしていて顔は分からないが、ヴァンスロットは黒子が誰なのか知っていた。



「首尾はどうだ?」


「上々ですよ。補佐官の息子はドラゴンも動けなくする上級の拘束魔法で動けなくなっていますし、皇子も拘束魔法は掛けていませんが、手足を封じております。補佐官の息子を盾にされているので、まず動かないでしょう」


「でかしたぞ。後は魔王に文を送りつけるだけだ」



 黒子の男が会心の声色を上げる。



「勿体なきお言葉。ですが、油断はなさらぬよう。相手はあの魔王ですので」


「分かっている。だが、溺愛する息子が人質にされているんだ。さすがの魔王もそう易々と手は出さないに決まっている」


「……然様で」



 ヴァンスロットの声色が少し低くなる。黒子の男は気付いていないのか、上機嫌に鼻歌を口ずさんでいた。


 無事に皇子達を誘拐できて、浮かれているのだろう。計画はここまで順調だ。皇子が城下町に出るよう誘導し、護衛を倒して魔王に邪魔されず皇子を誘拐する。


 補佐官の息子を誘拐するという予定はなかったが、一緒に誘拐できて良かったと思う。補佐官の息子を人質にしたら、皇子は大人しくするだろう。一人の時は身軽なので、脱走をしようと企む。だが人質がいれば、しかも拘束魔法付きなら易々と脱走できまい。



「私はこれから文を出してくる。あの二人の監視を頼んだぞ」


「はっ」



 ヴァンスロットは恭しく頭を下げ、黒子の男が出て行くまでじっとする。黒子の男が出て行き、頭を上げて顔を顰めた。



「油断しているな、あの人」



 小さく呟く。それを拾う者はいないが、その一言がヴァンスロットの中に不安という影を落とす。


 溺愛する息子が手の内にあっても、魔王を侮ってはいけない。


 先代の執事長が引退してから一年。執事長から任命され、新しい執事長となってから魔王と接する機会が増えた。最初は隙だらけだと思った魔王だが、そんなことはなかった。


 隙があるように見せかけている。隙を取ったつもりでいても、掬われるのは魔王ではないのだ。


 あの男は、決して油断してはいけない相手に対して油断している。言っても分からないだろうから、自分がその分注意しなければならない。


 短絡的な男の許に来たものだ、と自分に失望する。だが、こちら側に着いたからには最後までやり遂げないといけない。


 あの男の裏の目的がなんでやれ、表向きの目標は一致している。


 ヴァンスロットは険しい顔をしながら、黒子の男が出ていった扉とは別の扉を開けて、その空間から出た。


 仄かな明かりが揺らめく廊下に出る。ヴァンパイアは夜目がきくので、光景がはっきりと見える。


 ヴァンパイアにとって、これくらいの光がちょうどいいのだ。ヴァンパイアは元々闇の中に生きるグルーテリュスだ。


 最近はヴァンパイアでも太陽の下を歩けるように、魔女印の日焼け止めとサングラスが開発されたのだが、価格が高くて金持ちのヴァンパイアしか買えない。金持ちではないヴァンパイアが日中出歩く時は、黒子の服装(しかも特別製)を身に纏う、そうではないと肌が焼けてしまうのだ。


 ヴァンスロットも勤務時間では使っているが、出来るだけ節約している。なので日中でも素肌を晒している時間が多いのだが、やはり暗闇の中が一番落ち着く。



(他にも光に弱いグルーテリュスはいる。皇子たちにヴァンパイアと特定されても、黒子姿のヴァンパイアはたくさんいる。すぐ私だと気付かれない)



 だが油断してはならない。魔王補佐官の息子はあまり関わりを持っていないので、どんな子なのかあまり知らない。だが、まともに会話したのは朝が初めてだ。あの子供にはバレていないだろう。


 問題は皇子だ。あの皇子は何かと勘が鋭い。今は自分の正体に気付いていないようだが、いつ気付かれるか分からない。

 できれば気付かれない前に、魔王を揺すらないといけない。


 そう思いながら、ヴァンスロットは二人を閉じ込めている場所に向かった。定期的に様子を見ておかないといけない。


 人間はグルーテリュスよりも、脆弱なのだという。ぽっきりと逝かれてはこちらが困る。あの魔王が条件を飲みそうな貴重な人質だ。だから、丁寧に扱わなければならない。



(なんで人間の子を養子にしたのだ、あの魔王は……気まぐれな気質とはいえ、理解に苦しむ)



 なにか特別な力があるのだろうか。本当に気まぐれなのか。

 そう考えている内に、二人を閉じ込めている部屋の前まで来ていた。

 分厚い扉の傍らには、同志が一人見張っていた。



「変わりはないか?」


「はい。様子を見に来たんですか?」


「ああ。扉の鍵を」


「分かりました」



 見張り番が手のひら程ある鍵を取り出し、それを鍵穴に差し込んで回す。

 カチ、と鍵が開いた音がした。ゆっくりと扉を開ける。


 部屋の中は静かだった。物音一つしない。大人しくしているのだろうか。

 大小の木箱が置かれており、その奥に二人を隠している。


 その方向に足を向けていると違和感を覚え、胡乱げに眉をしかめる。


 あまりにも静かすぎる。布が擦り合う音もしない。二人は物静かな質だが、まだ幼い。ここまで静かにいられるのだろうか。


 自然と足早になる。

 二人を置いた場所に行くと、そこに二人の姿はなかった。皇子を縛っていた紐と布の残骸だけが残っていた。


 一瞬、心臓が止まった。頭が真っ白になり、思考が戻ってくると冷や汗が滲み出てきた。心臓が不規則に高まる。



(してやられたっ!)



 大きく舌打ちを打つ。


 ここは防音に優れている。それが裏目に出た。

 中で何かをやっている二人を、音で気付けなかった。


 走って見張り番に大声で命令する。



「他の者を呼びに行ってこい!!」


「え、どうしたんですか?」


「二人が逃げた! はやく捕獲するぞ!!」


「えぇ!? わ、分かりました、すぐ呼んで来ます!」



 見張り番が慌てて、立ち去った。

 ヴァンスロットは深呼吸した。



(落ち着け……)



 早鐘を打つ心臓を静め、冷静になるために心の中で呟く。

 何回も繰り返していく内に、心臓の音が治まってきた。



(そうだ……落ち着くんだ。補佐官の息子には拘束魔法がある。あれは早々解かれるものではないし、解かれたら私が気付くはずだ。そう遠くには行けれまい)



 術者である自分がなにも感じない。つまり、拘束魔法は解かれていないということだ。



(こうなるのであれば、追跡魔法も付けておくんだったな。今更後悔しても遅いが)



 辺りを見回す。あの二人が、この倉庫から脱出した経路を見つけださなければならない。


 下を見ると、通気口の格子が外れているのを発見した。

 通気口はヴァンスロットには通れないが、あの二人ならば通れるほどの幅がある。



「なるほど……ここから出たか」



 これでは後を追えない。この通気口を通れるほどの体格の仲間がいない。



「呼んできました!」



 見張り番が数人の仲間を連れて来た。仕事が早いことだ、と感心しながら仲間達に告げた。



「二人は通気口から逃げたと思われる。通気口の入口を見張り、二人を捕獲するのだ!」





 その様子を木箱の中で見ていたキリランシェロは、内心安堵した。



(よかった……とりあえず、こちらに気付いていないみたい)



 誰かいる時は、物音を出したらいけない、溜め息一つも出してはいけない。それが一人逃げたリズタルトからのお願いだった。本当は音を出して、こちらに気を向けさせたいが、約束したからそれが出来ない。



(リズはうまく逃げられるかな……)



 脱出を開始してから、然程時間が経っていない。まだ逃げ切れていないだろう。キリランシェロは硬く瞳を閉じた。



(リズ…………どうか無事でいて)

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