―出羽 雄物川―

 砲声が辺りを包んでいる。昼過ぎから鳴り始め、既に日が傾き出している中なおも対岸より撃って来る。


 大曲駅周辺にまで突如攻め寄せて来た奥州軍、強いて言えば、「向かい鶴」と「割菱」の紋を染め抜いた幟を棚引かせている南部の軍勢を率いている南部晴信は一帯を蹂躙して瞬く間に平らげ、付近に陣地を構築した。天変地異の折に南部家に逗留し、南部の工兵達を教練していた幕府軍幹部 小菅智尚 工兵頭の指揮の下、早々に陣地を構えた。現在、南部方の砲撃の指揮を採っているのは福士源太信仲 陸軍砲兵士大将、そして最前線の幕府中央軍幹部である大島香織 砲兵差図役校尉である。


 出羽を守る清水家の農兵と東京政府の演習部隊も集められるだけの火砲を持ち寄せて反撃に出ているが、警告もなしに空軍による対地攻撃を仕掛けて来た奥州側の奇襲効果―完全な国際法違反であるのだが―と物量・練度・火砲の質に勝る奥州軍によって既に幾つかの砲台と陣地は敵の姿を目指する前に消し飛んでいる。


 火砲のみならず、対地攻撃機による襲撃も続いていた。航空戦力は急襲の報を聞きスクランブルを掛けて大曲まで迫ったが、一手先に動いていた南部軍5番戦闘機組の待ち伏せに遭ってしまった。出羽方は善戦し、迂闊な行動を取った新任搭乗兵の操縦する機体を撃墜して魅せたが、却って士気に火が付いた南部方の攻勢と技術力の差が響き、全滅の憂き目に遭った。現在、出羽方の航空戦力は酒田方面に集中しており、新潟港に停泊中の幕府海軍航空々母「美濃形〈カトウ トモサブロウ〉」率いる艦隊と睨み合っており動かせなかった。陸軍も同様である。充分に装備一式を揃えた東京政府派遣部隊と出羽の最精鋭部隊は最上町を目標に様子を伺いながら北進する幕府軍羽州探題軍酒井さかい了護のりもり陸軍歩兵士大将率いる1万余の兵に備えねばならず、大曲戦域へは人を寄越せない状態だった。


 結果、大曲の戦場は南部軍のやりたい放題となっていた。仮に、大曲の守備兵が士気と規律の高い出羽の熟練兵でなければ、既に南部軍に雄物川を越えられ対岸は屠殺場と化していたに相違なかった。


 それでも、限界は差し迫っていた。大曲西道路からの渡河を阻止に向かった出羽兵2千が川目地区にて放火・略奪をして激発を誘っていた「南部の妖」こと大光寺親季の騎兵部隊に釣り出されて撃破された。これにより、大曲西道路から南部軍が出羽清水軍領土へ浸透を開始し、対岸に陣地を構築して確実に制圧域を増やして行った。


 哀れにも、川を渡って逃げるしかないように包囲された出羽兵と川目の住民達は後方から遊び半分に発砲する大光寺親季の兵達に腕や脚などを撃たれ次々と溺れ、住民を恐怖のどん底に陥れる為に親季によって嘲笑われ、無理に引き上げられて首や四肢を切られた。疲労困憊で泳ぐ兵達は親季の命令により投げ付けられた同胞の首や四肢をぶつけられて衝撃を受け、或者は足を取られて溺れ、或る者は死の恐怖におののきながらもがくようにして泳いで再び笑いの種となった。対岸に辿り着いた者達も、川目からゆくりと見物をして渡河して来た親季の兵に回り込まれて川に蹴り落とされて行き、川目一帯は兵と住民の遺体で足の踏み場もなかった。


 親季は更に工兵隊を選抜して川目の地区会長を生きたまま磔にし、わざわざ危険を侵して砲撃戦の真っ只中の中洲へ移送し、そこへ打ち立てた。出羽方は戦慄と激昂の渦中にあって興奮極まり、東京政府からの駐留兵達は腰が砕け、軍規が壊れ始めた。


 全軍の実質的指揮を採る神前寺鳥海は傍らで歯噛みする主の清水賢一郎をよそに的確に兵の指揮を出していた。しかし、だからこそ、限界が近い事も同時に理解したのである。



 伝令、参謀が辺りを行き交い、物々しい響きが陣所を包み込む。大光寺親季による心理作戦の効果により、出羽側戦力は急速に纏りを失って行った。神前寺鳥海は周囲の動揺を他所にして、なお落とし所を模索していた。


「大曲は放棄せざるを得ません」


「懸命に戦った兵達は如何にする?捨てて行けというのか!?」


 鳥海は飽くまで落ち着いていた。しかしながら、近侍する主 清水賢一郎はある種の興奮状態にあり、故に対極の振る舞いをする鳥海に無意識に苛立っていた。


 今、清水賢一郎は極めて刺々しく、情緒が不安定だ。アテにはならぬ。鳥海はそう認めた。平時においては絶対の信頼を置く主人を切り捨てて指揮を採る事も考え始めた。取り敢えず、前線の指揮を握り、清水を後送する。そうするしかなかろう、そういう諦めの境地にあった。


 彼 清水賢一郎は地主時代から公正明大を地で行く人物で、正道を常に渡っていながらそれでいて商いという争いに打ち勝って来た稀有な人物だった。人を愛し、只管ひたすら努力と勤勉にて結果を生み出して来た。正直、鳥海の内の常識では彼は極めてイレギュラーであるのだが、しかしながら、そういう奇跡を目の前で起こして来た人物がそこに居る以上、どうにもならなかった。鳥海は唯々敬服し、彼を慕い敬った。だが、それは飽くまで平時である。今雪崩を打って攻め掛かって来る軍勢を前にしては、彼の「良質な正義感」は却って碌な結果を産みはしない。死した者達の為に涙し怒り狂う事ができる人間が少なくなった時勢において、賢一郎の存在は極めて輝かしい者であったが、今この場においては災いとなるのだ。


「捨てて行って頂きたい」


 鳥海は淡々と述べた。激昂まで一刻と持たなかった。


「馬鹿を抜かすな、鳥海っ!大曲には兵と民百姓がまだ大勢いるのだぞっ!?それを、見捨てて、何を、守るというのかっ!」


 賢一郎は眼前の右の拳で地図を広げた机を叩き付け、鳥海を怒鳴り付けた。


「では、このまま出羽を無主の地として、あやつらの食い扶持に捧げましょうか?」


「何っ!?」


「兵は未だ備え有り。武備弾薬共に後方にはいくらでもある。まだ戦えます。酒田の兵を呼び戻せれば如何様にでもなるというもの。にも関わらず、ここで倒れた千ばかりの兵と蛮人の手に委ねる万の民の為に、百倍以上の民百姓を共にくれてやりますか?そういう事ではありませんかな?」


「っ!だが」


「閣下は残念ながら、好戦的な敗北主義者でしかない」


「!?」


 賢一郎の眉間に皺が幾重にも寄る。そして、眉が釣り上がり、目に力が籠って前へ飛び出て来そうであった。その表情は平時において、まず見受けられる事はなかったであろう。最愛の愛娘達が見る事も決してなかったろうな、と鳥海は思った。


「そうではありませんかな?閣下は勝つ事を考えてはおられぬ。死した兵に気を取られ、行き着く先は玉砕以外の何物でも無い。今日、為政者の責務として兵を見捨て、民を殺す事を認めて兵を引き、明日その敵を討ち平らげ仇を討たれれば、それ以上の死を迎える事は御座いませぬ。然るに、閣下は眼前の敵の勢いに呑まれ、嘆かわしくも倒れた兵に気を寄せるばかりに国運を傾かせ、死の憧憬に憑かれたままに真っ逆さまに落ちていく事を望まれておられる。死に憧憬を抱き、いたずらに死を迎える事を強いる事が果たして政権の長者としての務めで御座りましょうやっ!?否、断じて否っ!」


 鳥海の気迫は次第に熱を帯びて行った。賢一郎は二の句が告げない。


「もし、今日ここで閣下がそれでも兵の為に砕け散る事をお望みならば、我もまたお供いたしましょう。決して、後に残って仇討ちも統治も一切行いませぬ故、お忘れなきようなされませ。私もまた耳川を渡る角隈つのくま石宗せきそうに習い、書き綴ってきた幾冊の書、書誌日誌の類を全て燃やし、雄物川を渡って対岸の陣中に突き入りますっ!どうぞ、御照覧あらん事を!」


「っ・・・・・・・!」


 言葉にならない叫びを無理に押し殺し、賢一郎は反論をやめた。いや、できなかった。鳥海はやや目を離し、机上の地図を見た。


 地図は賢一郎が拳を叩き付けた勢いで些か歪み、また机上にて戦況の把握をするべく置かれていた駒を乱して、最早地図は体を為してはいなかった。

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