第21話 ラベンダーの花言葉
#2028年12月23日 日曜日 12時10分
天候 はれ 気温12度 浜松市北区 浜松先進技術大学病院 量子サーバー収容棟
繋がった。
ぺたんこ座りをしている姿勢から、よいしょと立ち上がった。
浜松博士との連絡係のウサギ
「輪華さん、いま、ブラウニーさんからも連絡がありまして…… 浜松先生の所へご案内しますね」
後ろから声がして、ひょいと抱きあげられた。ぬいぐるみだから、看護婦さんたちには、微妙な人気があるの。
浜松先生は、思ったとおりソードフィッシュ・サーバーの前にいらっしゃった。制御卓に並ぶデータ画面を、技術者数名とともに見詰めていた。
「浜松先生、睦月副支部長さまがお見えになりました」
看護婦さんが私を抱っこして、白衣の医師と技術者たちに声をかけた。一斉に彼らが振り向いた。浜松先生の他は、知らない人たちだった。
IDカードを吊り下げている。IDカードに認証用ICチップが付いていたから、無線通信で認証データを取得して確認した。私、リンカー協会で副支部長しているから、ぬいぐるみさんの中に名刺データ交換機能を付けているの。無線対応の認証ICも、そんな関係で読み出し可能だった。
「輪華さん、お待ちしておりました」
浜松先生がゆっくりと私のぬいぐるみへ頭を下げた。眼光は相変わらず鋭い。この頭脳と勇気とメスに私たちは救われて、いまも幸せな毎日を過ごしている。
医師が患者を救うことに全力を捧げるのは当然という人もいるけど、少なくとも私は、毎日がごく普通に幸せなことに感謝している。
だけど……
「浜松先生、答えてください。沙加奈ちゃんを使って何を始めるおつもりですか?」
浜松先生たちの前にあるデータ画面には、沙加奈ちゃんの大脳を模式化したブロック図とソードフィッシュ・サーバーの通信リンクが表示されていた。そして、そのステータス表示の全部が、使用可能を表す "ENABLE" 表示にされていた。
IDカードから取れた認証データに対して、問い合わせをかけた結果が戻ってきた。それは、
つまり、見知らぬ技術者さんたちは、文部科学省の技官さんたちだった。
「彼らは、文科省系の研究機関にいるワシの教え子たちだ。量子通信コンソーシアムにおいて産学共同研究をしている。人手が欲しいので、口が堅いメンバーを厳選した」
浜松先生の紹介と同時に、白衣姿で銀縁メガネの技術者さんたちが次々に挨拶してくれた。確かに杓子定規で堅そう。ソードフィッシュ・サーバーは、未認可医療技術の塊だから、医療関係者には内緒で進める必要があった。
それで、医療行政を所管する厚労省系ではなく、科学技術が専門の文科省系の研究機関から、教え子たちを引っ張ってきたの。縦割り行政を上手く使うあたり先生は
ため息をついた。
もっと早く気付くべきだった。
「仮想鋼鉄運営委員会から、同業他社との特別ルールでの試合について相談を受けた際に、アイディアを確かめられると思った。あなたにとって大切な双子の姉妹のような沙加奈さんを、こんな形で利用することになり申し訳ない」
浜松先生は心から詫びてくれた。とても鋭い眼光はそのままだけど、この方は医療技術の進歩のためなら、かなりの無茶もやってしまう。患者さんを救いたい。医療の力で患者さんの生活の質的向上を追求したい。その目的のためなら……
「シリウスリンクに関して沙加奈ちゃんの "保護者" は、私です。私にバレるように、わざと、シリウスリンクの遠隔コンソールを使ったのですね」
浜松先生のお気持ちはわかるの。内緒の研究だけに、リンカー協会副支部長の役職にある私を巻き込みたくない。でも、沙加奈ちゃんの "保護者" だから知らせる必要もある。医師だからこそ、説明義務を果たしたい気持ちも強いの。
だから、私には責任が及ばないように―― 事前承諾なしに進めた。突き止められて白状した―― というシナリオにしたの。
色々とご配慮いただいたことは感謝してるの。
でも、つい、詰問みたいな言葉になってしまう。
ちっちゃなウサギさんの姿でしゃべっているから、まるで迫力ないけど。
「本当に済まない。だが、おかげで一次感覚野についても理想的な量子プログラムコードが得られつつある」
浜松先生は、ソードフィッシュ・サーバーを見遣った。
それが目的だったの。
そして、少なからず悔しかった。
「沙加奈ちゃんからは、すでに動作記憶データをもらっているはずです。もう、沙加奈ちゃんには充分に貢献してもらっているはずです」
内心泣きたかった。
言葉ではそう言えても、理解はしているの。
沙加奈ちゃんの動作記憶から、義手や義足を動かすための量子プログラムデータをもらうのなら、そのフィードバックを担う感覚野のデータも必要なはずと。
そのデータが得られるのは沙加奈ちゃんしかいない。
だから、無理と解っていても気持ちが言葉になってこぼれてしまう。
「沙加奈ちゃんではなく、私で試してくだされば…… でも、私ではダメなんですよね」
私の声はだんだん小さくなる。解っていることだから。ウサギの耳がしゅんとなって垂れる。無力な自分が申し訳ないほどに悲しかった。
「……済まない。宇佐美沙加奈さんは特別な存在なのだ。脳バイパス技術が抱える課題を解決できる可能性がすぐそこにあるのだ。指を咥えてみていることなど、多くの患者を抱える医師として我慢できなかったのだ」
浜松先生は、制御卓のデータ画面を私にも見えるように回してくださった。
沙加奈ちゃんは大脳新皮質の全てに脳機能バイパス手術を受けていた。かなり回復しているとはいえ、沙加奈ちゃんという存在は、量子サーバーの支援なしでは生きていけない。
それどころか、沙加奈ちゃんという存在自体が、このソードフィッシュ・サーバーとの量子通信リンクの中にあるの。
そして、使わないように言い含めていたはずの一次感覚野とのリンクまで、沙加奈ちゃんは使って戦っていた。仮想鋼鉄というゲームの中で、驚くほど大きな太刀を振り回す大技を成功させていた。
データ画面の中で嬉しそうに頬を赤らめて沙加奈ちゃんは笑っていた。
でも、痛みを感じているのも見て取れた。
グラスビット側の
「痛いときに、痛いよって言わないのが、沙加奈ちゃんの悪い癖なのに……」
沙加奈ちゃんは、本当は痛いときでも痛くないって、自分に暗示をかけてしまう。頑張ってしまうの。そんな沙加奈ちゃんなのに、仮想機械騎士にどんな負荷や衝撃を与えたら、どんな痛みを脳が感じるのか? そのデータを集めようとしてたなんて。
だけど……
浜松先生がどんな言葉で釈明するのかも、私はもう知っていた。だから、先生をあまり責められない。
「おっしゃるとおり沙加奈さんの一次感覚野とのリンクを
私はうなずいた。
リンカー協会副支部長のくせに、私が車いす生活で、文字を描くにもぬいぐるみリンクに依存している理由はそこにあるの。体性感覚は個人差が大きくて、しかも、「痛い」という感覚がどんな仕組みで「心」に到達するのかは、医学的にまだ解析されていない。
痛みがメンタルに到達する仕組みは、医学的にはまだよくわからないの。
外部のセンサーから得た情報をもとに、量子サーバーが生成した人工的な痛みは、気持ち悪い感じがするの。痛みが大きすぎたり、逆に感じなかったり、違和感があり過ぎたり……
痛みとひとくちにいっても、実際にはいろいろな種類の "痛み" があるの。
頬を叩かれたようなヒリヒリする痛み、心臓を締め付けられるような痛み、お腹に沁みるような痛み、頭痛みたいに鈍くぼんやりな痛み、刺すような鋭い痛みもあるし…… もっと酷くガンガン響く激痛だってある。
脳科学ではクオリアって呼ばれているけど、頭蓋骨の中に引き籠っている脳が、世界を新鮮なものとして感じることができる理由は…… 謎に包まれているの。
脳機能バイパス技術はまたまだ発展途上で、とくに体性感覚と味覚、嗅覚は不完全なものなの。
もちろん、脳機能バイパス手術を受けた人たちのうち、義手や義足でも普通に生活できるくらいに回復した方々は数多くいる。リハビリを頑張れた人は本当にすごいと思う。
でも、私みたいに、痛みや違和感を克服できなかった人も少なからずいるの。
浜松先生は、リハビリが上手くできなくても責めたりしない。
悪いのは脳バイパス技術が未熟なせいだと、ご自身をむしろ責めている。そして、日々、困難解決の糸口を探っておられるの。
――その、困っている人々を救う手掛かりがソードフィッシュ・サーバーにある。
だから、仮想鋼鉄運営さんから持ち掛けられたサプライズ企画を利用して、沙加奈ちゃんに全力全開の試合をするように強いたの。
沙加奈ちゃんの動作記憶から得られる量子プログラムと、いま手に入りつつある感覚野の情報の両方をリンクできたら…… 他の患者さんにも適用できる形に一般化を進められたら…… もしかしたら、私だって沙加奈ちゃんみたいに自由に飛び回れる体になれるかもしれない。そう考えてしまう自分が悲しかった。
>> to be continued next sequence;
仮想鋼鉄: array of eXtended Real; 天菜真祭 @maturi
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