後編
秋宮さんと二人で、シロの空き地の入り口前へと立つ。
いつもと何も変わらないように見えるが、今朝、ここで仔猫の死体があったという話を聞いていると、何だかひどく不気味に見えた。
それに、もしかしたら仔猫を殺した犯人が、この近くにいるのかもしれない。背筋に怖気が走り、思わず周囲を見回した。
だが、秋宮さんはというと、空き地の入り口辺りの地面を何やら熱心に観察している。
「秋宮さん、何か見つけたの?」
「あっ! 森坂くん、まだ空き地には入らないでね」
近づこうとした僕に、秋宮さんはそう声をかけた。
立ち止まった僕を放ったまま、彼女は携帯電話を取り出して、空き地近くの地面に写真を撮り始めた。
彼女の肩越しに地面を見ると、雨でぬかるんだ空き地の地面にいくつかの足跡が残っている。それらの足跡はほぼまっすぐに空き地中央の廃車、つまりシロの巣まで続き、また入り口へと帰ってきている。
「やっぱり三人分。静本さんが言っていた通り」
「この足跡、今朝、静本さんたちがここに来てからずっと残ってるのかな?」
「たぶん。私も今朝、この空き地を通りかかったとき、この三人分の足跡を見たの。きっと、静本さんたちが仔猫の首なし死体を見つけたあとだったのね」
一通り撮影を終わったあと、秋宮さんは腕を組んで考え込むようなしぐさをした。
「でも、やっぱりおかしい。足跡が静本さんたちの三人分しか残ってないなんて」
秋宮さんが言ったその言葉に僕は首を傾げる。
「おかしいって、どういうこと?」
「だって、犯人の足跡がないよ」
「ああ……でも、昨日の雨のせいで足跡が消えただけなんじゃないかな」
僕がいうと、秋宮さんは少し呆れたような目で僕を見た。
「何言ってるの。私たち、昨日この空き地の前を通りかかったときに仔猫がまだきちんと二匹いたのを見たじゃない。しかも、この空き地の前で話している間に雨は止んだ。それから今まで、雨は降ってないはずだよ」
言いながら、秋宮さんは携帯電話を操作して僕に画面を見せた。そこに表示されていたのは降雨量を記録したウェブサイトのようだった。そこには、確かに秋宮さんが言った通りのグラフが示されていた。
そこで、僕はようやくどうして秋宮さんが足跡に疑問を抱いたのか理解した。
「そうか。雨が止んだ後に犯人がこの空き地に入ったとしたら、足跡が残ってないとおかしいんだ」
「そういうことになるね」
「ということは、犯人が足跡を消したんじゃ? 土を靴で踏みしめるとかしてさ」
「その可能性が一番あり得ると思うけど……でも、何だか優先順位が変な気がする」
「優先順位?」
秋宮さんの言葉にまた首を傾げる。
「証拠を消すために足跡を消すのはわかるけど――でも、それなら仔猫の死体そのものを持ち去ってどこかに隠してしまえばいいじゃない。そうすれば、仔猫を殺したということ自体を隠せる。仔猫の死体を放っておいて、何で足跡だけせっせと消すなんてちぐはぐなことをするの?」
そう言われると、確かにその通りだった。
「わからない。でも、それくらい頭のおかしい人がやったのかもしれない。たとえば死体を見せつけるため、とか」
「それならそれで、今度は首を切って持ち去ってるのが変だよ。仔猫の死体を見せつけて他人が怖がるのを喜んでるんだとしたら、一緒に生首も置いておいた方がよりショッキングでしょ。胴体を置いて、首だけは持ち去るなんて、いくらなんでもちぐはぐだよ」
「そう……だよね」
確かにこの犯人の行動は、まるで服のボタンをかけ違っているかのようにちぐはぐだった。
考えれば考えるほど訳がわからなくなってくる。
いったい犯人が何を考えてこんな残酷なことをしたのか……そもそも、その思考は、僕たちに理解の及ぶことなのかどうか。
「まあ、とりあえず一度見てみる方がいいかも」
突然、秋宮さんはそう言って空き地へと足を踏み入れた。
その行動に僕は驚いた。
「秋宮さん! み、『見てみる』って、何を?」
「もちろん仔猫の首なし死体だよ。話に聞いただけだから、実際に見てみたら何かわかるかもしれない」
それが何でもないことのように秋宮さんは言う。
そして、ゆっくりと廃車の方へと近づいていく秋宮さんの背中を、僕は呆然と見つめることしかできなかった。
僕にはとても、そんなものを見る勇気はなかった。
「あれ?」
廃車のそばで屈みこむ秋宮さんのそんな声が聞こえる。
「あ、秋宮さん。首なし死体があったの?」
僕は声を震わせながらそう訊ねた。
「ううん、ない。親猫――シロと仔猫が一匹いるだけ。首なし死体なんてどこにもないよ」
「え?」
思わずそんな声を上げた。
入り口から秋宮さんの近くまで駆け寄り、恐る恐る身をかがめて廃車の下を覗きこむ。
秋宮さんの言う通り、そこにはシロと一匹の仔猫が丸まっているだけだった。首なし死体などどこにも見当たらない。
いぶかしく思いながらも、立ち上がって空き地を見渡す。
廃車以外にはろくに物も置かれていない空き地なので、死角もほとんど存在しない。それなのに、猫の死体はどこにもなかった。
「おかしいな。もしかして、静本さんたちが見つけたときに埋めでもしたのかな?」
そう呟くと、秋宮さんは首を横に振った。
「静本さんたちは学校へ行く途中で偶然見つけたって話だよ。穴を掘る道具なんて都合よく持ち合せてるものかな? それに、見た感じどこにも埋めた跡なんてなさそうだよ」
秋宮さんの言うことももっともだった。
少なくとも二匹いた仔猫が一匹に減っていることは確かだ。まさか静本さんたちが嘘をついていたわけでもないだろう。
だが、そうすると死体はどこに消えたというのだろう。
「もしかして、犯人が持ち去ったんじゃ」
「今朝は切り取った首だけを持ち去って、今度は放置しておいた胴体の方を持ち去ったっていうの? それってやっぱり変だよ」
「じゃあ、大人とか、別の誰かがたまたま見つけて、かわいそうだと思って別のどこかに埋葬したとか」
「それだと、足跡が残ってないのが変だよ。犯人じゃないなら、足跡を消す必要はないじゃない」
「うん……確かに」
そこで、二人とも黙りこんだ。
消えた足跡に消えた死体。
なのに、今朝は首だけ持ち去られて放置されていたという胴体。
仔猫を殺した犯人は犯行を見せびらかしたいのか隠したいのかまるでわからない。
「――ねえ、森坂くん。昨日、『雨の日は静本さんたちはこの空き地に寄りつかない』って言ってたよね。それって、本当?」
そんなとき、不意に秋宮さんがそんな風に質問をした。
何の関係があるのかと思ったが、その考え込んでいる横顔はひどく真剣だった。
「うん。少なくとも、僕が静本さんたちと一緒にこの空き地に来てたころは、雨の日にこの空き地に集まることはなかったよ。この三日間は、雨が降ってたから空き地では静本さんたちを見かけなかったよ」
「……」
それを聞いて、秋宮さんは何か考え込んでいるようだった。
そのとき、空き地の外からいくつかの足音が聞こえてきた。
振り返ると、そこには静本さんと、いつも空き地に集まっている八人程度のクラスメイトたちがぞろぞろとやってくるところだった。
その先頭に立っていた静本さんは、僕の姿を見ると、怒りに顔を歪ませる。
そして、僕の方へとつかつかと歩いてくる。
「森坂くん、何をしにこの空き地に来たの?」
「いや……濡れ衣を晴らすために、ちょっと調べにきたんだ」
「そんなこといって、また、猫に何かするつもりなんでしょう」
言うと、彼女は突然手を振り上げた。
その手が振り下ろされると思い、目を瞑って備えたが、いつまで経っても痛みはない。
恐る恐る目を開くと、その前に秋宮さんが彼女の手首を掴んでいた。
「秋宮さん。あくまで森坂くんの味方をするなのね」
冷ややかな目で秋宮さんを睨みながら、静本さんが言った。
「そんなことより……聞きたいことがあるの」
睨みつけるような視線を意に介さず、そう答える秋宮さん。
静本さんはつかまれた手を乱暴に振り払うと、秋宮さんに向き直った。
「聞きたいこと? いったい何?」
「静本さんたちが今朝、この空き地で仔猫の首なし死体を見つけたって言ってたよね? そのとき、首なし死体をこの空き地からどこかに移したりした?」
その質問にいぶかしげな顔をしながら、静本さんは空き地の入り口で遠巻きに見ていたクラスメイトたちへと視線をやった。
「わ、私はそんなことしてないよ」
「私も」
その中から、二人の女の子がそんな風に答えた。どうやら、その二人が静本さんとともに今朝仔猫の首なし死体を見つけたという女の子らしい。
それを確かめてから、静元さんは秋宮さんに向き直る。
「私だってそんなことしてないわ。死体を見て、ショックでそれどころじゃなかったし……今、仔猫のお墓を作ってあげようと思ってみんなできたところよ。でも、何でそんなことを聞くの?」
「静本さんたちが見つけたっていう首なし死体、この空き地のどこにもないの」
それを聞いた静本さんはさらに怪訝そうな顔をする。
だが、すぐにその場にしゃがんで、恐る恐るといった様子で廃車の下を覗きこんだ。
「……ない。確かに今朝はあったはずなのに」
驚いたように彼女はそう呟いた。
そして、立ち上がると再びさっきの二人の女の子へと向き直った。
「ねえ、美奈ちゃんも洋子ちゃんも見たよね? 見間違いなんかじゃなかったよね?」
静本さんが念を押すようにそう訊くと、二人はこくこくと頷いた。
空き地に集まったクラスメイトたちにざわめきが広がる。
そして、静本さんは振り向くと、僕を睨みつけた。
「あなたがどこかに隠したんじゃないの? 森坂くん」
「そ、そんなことしないよ!」
僕は慌てて首を横に振って否定した。
そして、静本さんとの間に、秋宮さんが割り込んでその視線を代わりに受けた。
「もう一つ、ここに集まったみんなにも聞きたいことがあるの」
秋宮さんの声で、ざわめいていたクラスメイトたちは黙って秋宮さんに視線をやる。
注目が十分に集まったのを待ってから、秋宮さんは口を開く。
「雨の日は、みんなこの空き地に寄らないという話を聞いたよ。そして、昨日までの三日間は梅雨で雨が続いていた。そこで聞くけど、この三日間に、この空き地にシロの様子を見にきた人はいる?」
言うと、秋宮さんはクラスメイトたちの顔を見回した。
だが、彼らは互いに顔を見合わせるだけで、誰も返事をする者はいなかった。
一人だけ、男の子がおずおずと手を上げる。
「俺、昨日の放課後に空き地の前に来たよ。仔猫は二匹とも生きてた」
「空き地の中には入った?」
秋宮さんが質問すると、その男の子は後ろめたそうに首を横に振った。
「いいや。そのまま前を通り過ぎて、家に帰ったよ。確か、ちょうど雨が上がった後くらいだったかな」
その情報は既に僕たちが持っているものとほとんど変わらなかった。昨日、雨が止んだ直後には仔猫はまだ生きていた。何も目新しいところはない。
男の子の他には、誰も手を上げるものはいなかった。
そこにはいつもこの空き地に来ていたメンバーがそろっていた。どうやら、昨日までの三日間、誰もこの空き地に足を踏み入れなかったらしい。
「ねえ、それがいったい何の関係があるの?」
苛立たしげに静本さんは言った。
確かに、秋宮さんの質問に何の意味があるのかわからない。
少なくとも、昨日の放課後には仔猫は無事だったことは確認されている。つまり、仔猫が死んだとしたら、それから今朝までの間のことだ。だから、それ以前の三日間が何か関係があるとは思えなかった。
「関係はあるよ。というより……仔猫を殺したのが誰か、わかったかもしれない」
秋宮さんのその衝撃的な言葉で、再びクラスメイトたちがざわめきはじめた。
「仔猫を殺した犯人……そんなの、森坂くんに決まってる! シロが嫌いだから、仔猫を殺したんだ!」
静本さんは声を荒げ、僕を指差した。
「違う。森坂くんはそんなことはしてない。みんな、私の話を聞いてくれる?」
そう言って、秋宮さんはクラスメイトたちを見る。
誰も異論を唱えるものはいなかった。
「じゃあ、続けるわね。まず、静本さん。今朝、この空き地に来たとき、あなたたち以外に足跡はなかったよね?」
その質問に、静本さんは腕を組んだままそっぽを向いた。どうやら秋宮さんの相手をするつもりはないようだった。
「あ……確かに私たち以外に足跡なかった、かも」
そのとき、静本さんと一緒に死体を見つけたという女の子の一人がおずおずとそう言った。
静本さんは彼女の方を睨みつけると、その女の子は怖気づいたように口をつぐんだ。
「ただの確認だよ。私もさっきここに来たときに携帯で写真を撮ったの。だから、この空き地には静本さんたち三人以外の足跡はなかったのは確かだよ」
秋宮さんは携帯電話を取り出して、表示された画像を静本さんの方に見せながら言った。
「……それで、何? 昨日、雨が止んだ直後には仔猫は生きてた。で、そのあとついたはずの足跡が残ってないから森坂くんは犯人じゃないっていうの? バカバカしい。そんなの、土をかけて消すとか、いくらでもごまかしようはあるじゃない」
静本さんのその反論に秋宮さんは首を横に振った。
「確かにそれでも筋は通る。でも、もう一つ可能性があるよ」
「可能性……?」
「犯人が足跡を消したんじゃなく、そもそも足跡は最初からなかったという可能性。つまり、昨日の放課後の雨が止んだときから、今朝、静本さんたちが仔猫の死体を発見するまで、誰ひとりとして空き地の中には踏み入らなかった。……それでも説明がつくよ」
秋宮さんのその言葉を、静本さんは一笑に付した。
「何それ? やっぱりバカバカしい。犯人が空き地に入らずに、どうやって仔猫を殺せるっていうの?」
そして、顔を歪ませ、睨みつけるように秋宮さんを見た。
「秋宮さん、森坂くんをかばうために適当な嘘をついてない? もしかして……あなたも一緒に仔猫を殺したんじゃないよね?」
言いながら、静本さんはじろりと秋宮さんを見る。一触即発という空気だった。
「誰かが空き地に入らなかったら、仔猫を殺せない――本当にそうかな? 空き地に出入りがなくても、最初からずっとこの空き地の中にいたら、足跡を残さずに仔猫を殺せるんじゃない?」
言いながら、秋宮さんはゆっくりと視線を廃車へと向ける。
その言葉に静本さんはけげんな顔をする。
「何を言ってるの、秋宮さん? あなた、まさかシロが犯人だなんて言いだすつもりじゃないわよね?」
その声に怒りを滲ませながら静本さんは確かめるように言った。
「もしかしたら、そうかもね」
秋宮さんの言葉に、クラスメイトたちは騒然とし始めた。中には、異常なものを見るような目で秋宮さんを見る人もいる。
僕もまた、秋宮さんが何を言っているのか理解できなかった。ただ、そのときから、はっきりとした形を持たない嫌なものが、僕の心の中で渦巻いていた。
「本気で言ってるの? シロが仔猫の首を切って、その首だけをどこかに捨てに行ったってわけ? ふざけるのもいい加減にして!」
静本さんが声を荒げ、秋宮さんを睨みつける。
だが、秋宮さんは静かにその場にしゃがみこみ、廃車のタイヤ近くの地面へと手を伸ばす。そして、そこに落ちていた何かを拾った。
彼女はそれかを手の平に乗せて、みんなに見えるように示した。
「これ……首なし死体は見つからなかったけど、さっき落ちているのを見つけたの。ただのゴミかと思ってたけど……やっぱり違った」
僕も、静本さんたちも秋宮さんが持っているそれに視線を注いだ。
そして、息を飲む。
それは小さな白い毛で覆われた、仔猫の脚らしきものだった。切断面からは赤い肉が露出し、白い毛には微かに赤黒く固まった血がついている。
「そ、それって……仔猫の?」
僕は恐る恐る秋宮さんに訊ねる。
「うん、多分。静本さんたちが今朝見つけたっていう仔猫の脚」
その言葉に静本さんが驚いたように目を見開く。
「ちょ、ちょっと待ってよ。そんなのおかしい!どうして脚だけなの? 私たちが見つけたときは、仔猫の死体は首がないだけだった。それなのに、どうして脚だけになってるの?」
静本さんは混乱した様子でそう疑問を口にする。
「『減った』ってことだよ。首なし死体は持ち去られたんじゃない。今朝見つかってから今までの間に、この脚以外の部分が無くなったんだよ」
秋宮さんの言葉に、静本さんはさらに混乱したようで、仔猫の脚と秋宮さんの顔に交互に視線を泳がせた。
それは、僕や他のクラスメイトたちも同様だった。
静本さん自身もまた、何か恐ろしいものを見るように手の上の脚を見つめている。
「きっと、今朝、静本さんたちが来たから途中でやめたんだ。そして、その後に残った胴体を……」
秋宮さんが呟く言葉に、静本さんはいぶかしげな目を向ける。
「秋宮さん。あなた、さっきから何を言ってるの? わかるように説明して!」
静本さんが声を荒げると、秋宮さんはクラスメイトたちへと顔を向ける。
「……ねえ、みんな。みんながいつも、給食の残りをシロにあげて世話をしてたんだよね。でも、雨が降っていた昨日までの三日間、誰もこの空き地には入らなかった。仔猫を出産して体力を消耗し、栄養を必要としているはずなのに、いつもエサを与えてくれる人たちが来なかった」
そこで、秋宮さんは言葉を切り息を吸った。
「――じゃあ、シロはこの三日間、何も食べなかったのか。それとも……」
誰も、その疑問に答えようとするものはいなかった。
だが、その場にいる全員の脳裏に、ある一つの想像が浮かんでいたことだろう。
誰も言葉を発そうとしない、重苦しい沈黙が立ちこめた。
そして、その静寂の中で、どこからともなく奇妙な音が微かに聞こえてくるのに気が付いた。
雨音のように何かの滴が落ちる音。
そして、何か固いものを削る音。
その場にいるみんなの視線が、空き地の真ん中に置かれた廃車へと注がれる。明らかにその音は、廃車の下から響いてきていた。
秋宮さんでさえ、その音にごくりと唾を飲み込んだ。
「い、嫌……嫌ぁ―ッ!」
空き地に静本さんの悲鳴が響く。
それでも、廃車の下から聞こえ続けるその音をかき消すことはできなかった。
***
これは後で知ったことだが、イギリスではかつて『クロイドンの猫殺し』と呼ばれる事件が起きたそうだ。
ロンドン南部クロイドンで猫の惨殺死体が発見されたのを皮切りに、イングランド全域で猫やその他の動物の死骸が通報されるようになった。その数は、最終的に四百匹以上に膨らんだという。当初、警察はそれを同一の犯人による連続猫殺傷事件と見ていたが、犯人の手掛かりは一切掴めないまま。ただいたずらに殺された猫の死骸の数と、犯行の範囲が広がっていく。
そして、三年に渡る捜査の結果、警察はついに結論に達した。即ち、『クロイドンの猫殺し』なる連続猫殺傷犯は実在しない、という答えに。
もしも『犯人』と言える存在があるとすれば、それは狐などの野生動物だ。猫が野生動物に肉を貪られた後の死骸があまりに無残で、ショックを受けた市民が、それを「異常者が猫を惨殺した」と思い込み、警察に通報した――そして、その勘違いは拡散し、各地でもともと日常的に起きていた野生動物による猫の殺傷が、すべて人間によるものだと誤認されるようになった。結果、『クロイドンの猫殺し』という一つの虚像が生まれるに至ったのだ。
そして、動物にとって、共食いはさして珍しい行動ではないらしい。特に出産直後の栄養が足りない状態において、栄養を補給するために我が子を食い殺すことは。
そもそも今から思えば、猫が生む子供の数として二匹というのはひどく少ない。あの仔猫たちより以前にも我が子を食べたと考えるのが自然だろう。その時は肉片も残らないほどきれいに食べたが、食べ残し――もとい、あの首無し死体の仔猫だけはたまたま発見されたというわけだ。
それを『残酷』と感じるのは、人間の勝手なのかもしれない。
その出来事があってから、誰もシロの空き地には近寄らなくなった。教室でもみんな、シロの話題を出すことを避けているようだった。
そしていつの間にか、例の空き地からはシロの姿が忽然と消えていた。
誰かに拾われたのか、あるいは餌を求めて別の場所へと移っていったのかはわからない。
それでも、僕は空き地の前に来るたびに、自然と早足で通り過ぎるようにしていた。廃車の下から、まだ、仔猫の肉を食らうあの音が聞こえるような気がして。
終
誰が野良猫を殺したか 藻中こけ @monakakoke
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