第8話




 物見台へ向かうと、ジェイドのおかげですんなりと中に通された。

 今までの面倒臭さは何だったのだろうと、ジャンパールは少し泣きたくなる。

 王子の登場に跪こうとした兵士を制し、見張り台へと上がる。ジェイドは王族扱いされるのが大嫌いだった。

 見張り台からは山裾を一望出来るどころか、遥か向こうも見渡せる。

 ジャンパールの言う通り、敵兵の姿は全く見当たらない。気配すらない。

 全員が首を傾げていると、背後から人の気配がした。

「妙だろう。ここまで何の気配もしないのはおかしい」

 聞こえてきた声に後ろを振り返ると、甲冑に身を固めた王国軍の副将軍である第二王子が立っていた。

 イザヤをはじめとする傭兵団の面々が跪こうとすると、フォルスはそれを手で制止した。

「確かに、獣の気配すらしないのは妙ですね……」

 フォルスの言葉に、イザヤは眼下の景色を睨みつけた。

 静か過ぎるくらい静かで、風の音すらしない。

 森に生きる全てのものが、何かに怯え姿を隠しているかのようだ。

「あんたも監禁解かれたんだな」

 ジェイドの兄王子に対する横柄な態度に、フォルスの近衛兵たちの肩がピクリと動く。

 例え兄弟であっても、兄王子に対して敬う態度を取るのが常識だ。

 ジェイド本人が不遜な態度を取ったつもりがなくとも、常識という固定概念から外れた彼の言動は誤解を招く。

 フォルスが止めるより早く、イザヤが視線だけで彼らを制した。

 睨みつけられた近衛兵たちは、強い眼力を放つ紫水晶の瞳に一瞬たじろいだ。

 フォルスは片眉を上げて、イザヤを見つめた。

 戦場で幾度か見かけるこの青年はいったい何者なのだろうと、常々疑問に思っていたのだ。

 剣の腕前はジェイドと互角か。本気で刃を交えれば、己でもてこずるかもしれない。

 フォルスはやめておけ、と兵士たちに視線を送る。渋々であったが、兵士たちは一歩後ろへと下がった。

「お前は見事に脱走したそうだな」

「あれくらい余裕だぜ」

 にかっと得意げに笑う異母弟に、彼一人満足に見張れないうちの軍は大丈夫だろうか?と一抹の不安を抱く。

「俺と違ってかなり厳重に見張られてたから、戦には来ないと思ってた。俺は抜け出すのが楽だったから助かったけどな」

 そう、フォルスの監視があまりにも厳重だったため、部屋を抜け出した後は王宮から出るのが簡単だった。

 腕の立つ者はほとんどがフォルスとジェイドの監視に駆り出され、外の見張りは手薄だったのだ。

 手薄とはいえ、屈強な王国軍の兵士が目を光らせているのだから、簡単なはずはないのだが。

 「アウローラが……」とフォルスらしくない小声で呟いた。

「そんなに開戦開戦と叫ぶなら、今すぐにでもジーク帝国に嫁ぐと言われてな……あいつは頑固だから今回は俺が折れてやったんだ」

 罰が悪そうにそっぽを向くフォルスに、その場にいた全員が事態を把握した。

 アウローラ王女は穏やかそうに見えて、父である国王や、兄である王太子にも遠慮なく意見を言う、自分の考えをしっかりと持った女性だ。

 こうと決めたら自分の意志を貫き通す芯の強い彼女は、フォルスが開戦を言い続けていたら、父や兄の言うことを聞かずにジーク帝国へと嫁ぎかねない。嫁ぎかねないというか、嫁ぐだろう。

「あの人なら言いそうだな……」

「そうだろう……」

 アウローラの姿を脳裏に浮かべた二人は、はぁっと重いため息を吐き肩を落とした。

「出撃は陛下直々のご命令だし、何よりスーが自分を連れて行けときかないのでな」

「あんたの守護竜が?」

「ああ、妙な気配がすると言ってな。今も様子を見に行っている」

 この世界で最強の生き物だと言われる竜までもが、未知なる得体の知れない気配に警戒を示している。

 イザヤは暗黒竜の紅い瞳を思い出し、身を竦めた。 

(やはりお前なのか?)

 この十年、削り取られた力を取り戻すために沈黙し続けていたであろう黒竜。

 イザヤの中で、予感が確信に変わっていく。

(やはりクレメイアを連れ来るのではなかった……っ!)

 あの暗黒竜が相手なら、クレメイアを気に掛ける余裕がなくなる。こちらも命の危険が伴うだろう。

 イザヤは舌打ちをし、彼女を連れて来た己を呪った。

 自分の直感が警鐘を鳴らしていたというのに。

 イザヤは腰に吊るしている剣へと視線を向けた。

 柄も鞘も白金色で、柄には竜が彫られ、四匹の竜が天に昇っているかのように描かれている。

 父の形見である剣。

 元々は宝石か何かで装飾されていたのだろうか。

 四匹の竜の手の部分には、何かはめ込まれていたかのような窪みがある。

 窪んでいる部分については剣を振るっていて支障が出たことはないので、特に気にしていなかったが今になって妙に気になった。

 くぼんだ部分に何かをはめれば、真の力が発揮されるのだろうか?

 いったい何がはめ込まれていのだろう?と剣を凝視していると、巨大な影と共にバサリという大きな羽音が耳に届いた。

 鉛色をした竜が、ゆっくりと地面へ舞い降りた。

 フォルスの契約竜である、スーティエランだった。

「戻ったか。スー、どうだった?」

『領地不可侵の盟約がある故、防御壁の向こう側までは見れなんだが獣や鳥の気配さえ感じられぬ。妙なことだ』

 何日も前から感じている妙な気配も消えている。と、人間よりも遥かに長い生を生きる竜ですら、戸惑ったように首を傾げる。

 十年もの間、誰にも居場所を悟られず姿を隠していたのだ。

 気配を消すことなど、お手の物だろう。

 黒い破壊神は既にこの地のどこかで息を潜め、自分たちを殺す機会を窺っている。

 殺戮、破壊、混沌、この世の闇を司る漆黒の竜。

 憎しみや悲しみ、欲といった人間の汚い感情を好物とする暗黒竜。

 暗黒竜の力の源は皮肉なことに、人間が決して失くすことが出来ない感情であった。

 イザヤは視線を感じ、顔を上げた。

 スーティエランがじっとイザヤを見つめていた。 

(何だ?)

 その視線に敵意は感じられず、探られているようで居心地が悪い。

 そして、何故か懐かしそうに目を細めて微笑んだ。

 すぐに主であるフォルスの方へ視線を戻したため、真意は問えずイザヤ首を傾げるばかりだ。

「嵐の前の静けさ……ってかぁ?」

 ジェイドがガシガシと、頭を乱暴に掻きながら大きなため息を吐く。

『おお、放浪王子。見事に脱走したらしいのう』

「放浪してねぇ!」

『全く、王宮に顔を出さん奴が何を言う。存分に放浪しておるだろうが』

 誰も好き好んで放浪しているわけではないのだが、口ではこの竜に勝てないことを知っているジェイドは口を噤んだ。

『お前はまだ若い。今のうちに外の世界を見ておくのは良い機会じゃ。恐らく国王陛下もそう思ってお主を自由にしておるのだろう。そして、たまには我が主に顔を見せに来てやってくれ。この間、迎えに行ったら逃げられたと落ち込んでおったからな』

「な……っ!?」

 フォッフォッフォと、それは楽しそうに笑うスーティエランの言葉にフォルスの顔が赤く染まる。

 がっくりと肩を落とす王子の姿が脳裏に浮かんだ。

 確かにあの時の王子は、大きな身体を小さくして明らかに落ち込んでいた。

 激昂したソヴァロにばかり目がいって忘れていたが。

「スー!余計なことを言うな!」

『フォッフォッフォ。本当のことであろう』

 フォルスは軍事以外のこととなると、不器用な男であった。

 心の底では大切に思い心配していても、照れくささが勝ちその感情を表に出せない性分だった。

 表に出さなければ、相手に伝わらないとわかっていても苦手だ。

 自分より遥かに長寿である相棒の契約竜は、全てお見通しで言葉に出来ない彼の代わりに話したりする。

 本人は話して欲しくなさそうだが、そんなことはお構いなしだ。

「なんだ、俺のこと一応気にしてくれてたのかよ。俺はてっきり口実に使われたのかと思ってたぜ」

「口実?何のだ?」

 フォルスはジェイドの言う意味が分からず首を傾げる。

「だから、フ……っ!?」

 ゴッ!と激しい音が辺りに響く。

 フォルスが赤かった顔を、青くさせてジェイドの頭を思いっきり殴った。

「いてぇ!何すんだよ!」

「お前!余計な事を言うな!」

『今のは放浪王子、お主が悪い。殴られても致し方ない』 

「何、兄弟で漫才やってるのよ。話が進まないからそれでおしまいにしてちょうだい」

 フレアの声で、ジェイドははっと己がやらかした失態に気付いた。

 そうだった。一緒にこっちに来ていたのだった。

 ジェイドは「わりぃ」とフォルスにだけ聞こえる声で呟いた。ギロリと睨まれ、ジェイドは身を小さくする。

「旦那たち楽しそうッスねぇ。俺も混ぜてくださいよ!」

 聞きなれた声が耳元で聞こえ、驚いて振り返るとヴァンが彼お馴染みの元気な笑顔で城壁の上に座り込んでいた。

 見事な気配の殺し方だ。お見事!と拍手を送りたい。

 カイト以外の人間はヴァンの突然の出現に、驚きで飛び上がった。

「普通に登場しろ!普通に!」

 ジェイドはヴァンの頭を思いっきり小突いた。というか殴ったと言った方が正しいくらい、勢いをつけて小突いた。

「痛いッスよ王子!何で殴るんッスか!」

「お前、いつか味方に敵と間違えられて殺されても知らねぇぞ」

 ジェイドが指を刺した先には、砦の兵士たちが殺気を込めて剣先をヴァンに向けている姿だった。

「あちゃー……ッスね」

「あちゃー……じゃない。申し訳ない、これはうちの団員ですのでご安心下さい」

 イザヤはじろりとヴァンを睨みつけた。異様な事態に、ただでさえピリピリしている兵士たちを刺激するのは好ましくない。

 ヴァンの顔を見知った兵士が、安堵のため息を吐き剣を鞘へと収めた。

 その様子を見ていたフォルスは、感嘆のため息を漏らす。 

「お前がいる庸兵団は、優秀な兵が大勢いて羨ましい限りだ」

 団長であるカイトは、漂う雰囲気から只者ではないことが窺い知れる。

 ジェイドと同じ歳であるイザヤという名の青年も、団長であるカイトをはじめ他の団員たちに一目置かれているようだ。

 傭兵団の上層部である面々からは特にだ。男を小馬鹿にしたような態度を取る、妖艶な女軍師であるフレアでさえ黒髪の青年には一目置いているらしい。他の男に対する態度とは明らかに違う。

 黒髪の青年は一体何者なのか。

 ちらりとフレアを盗み見ると、あからさまに視線を逸らされてしまった。

 フォルスは誰にも気付かれぬように、小さく肩を落とす。

 ジェイドはフォルスの言葉に、頭をがしがし掻きながらため息を吐いた。

 ヴァンを優秀と認めたくはないが、彼が優秀過ぎるほど優秀な人物であることは間近で見て知っている。

「あれは特別じゃねぇか?風の部族だしなぁ」

「そうか。彼はシルフの一族か」

 ジェイドの言葉に、なるほどとフォルスは頷いた。

 シルフの一族であるならば、あの常人離れした身のこなしや諜報活動に長けているのも理解出来る。

 シルフの一族、またの名を風の民という。

 彼らは褐色の肌に、金色の髪をしている。常人離れした身体能力を持って生まれ、代々アルバ王国の王家に仕えていた民族であった。

 王国はとある戦争で十年前に滅んでしまった。その後は、複数の民族が暮らす多数民族地帯のまとめ役として他国から一目置かれる部族である。

『フォルス、そろそろ戻らなければならんのではないか?』

 相棒である竜が、本陣のある方へと視線を向けた。

 そろそろ、バタルの軍も到着する頃だ。

「そうだな。そろそろ、王太子殿下の軍も到着される。到着されたら、軍議が開かれる予定だ。ローレン傭兵団には軍議にも参加してもらう。準備が整い次第、呼びに行かせるのでそのつもりでいてくれ」

「げ、あいつも来んのか」

「……そう嫌そうな顔をするな。王太子殿下が総指揮官だぞ」

 さらに嫌そうな顔をするジェイドに、相変わらずバタル兄上が苦手なのか、と苦笑する。

「ソフィアは来ないから安心しろ。そういうわけで、そこの少年。偵察で何か気付いたことがあれば教えて欲しい」

 フォルスに声を掛けられたヴァンは不敵な笑みで微笑んだ。 

「俺の情報料は高いッスよ?王子殿下様」

「有力な情報なら、高値で買わせてもらおう」

 「では、後でな」とフォルスは踵を返し、見張り台を降りて行った。

「あのお方も食えないお方ッスねぇ。バタル王太子殿下より好きッスけど」

「おや、ヴァンは王太子殿下がお嫌いですか?」

「だって、ジャンパール。あの人、おっかないッスもん。何考えてるのかさっぱり読み取れないのが、本当に身震いするほど恐ろしいッス」

「ポーカーフェイスがお得意なお方ですからねぇ」

「分かる。それよく分かる。本当におっかねぇんだあの人」

 思慮深く聡明な王太子の手腕は的確で迅速だ。無駄を嫌う彼だが、きちんと周囲の意見を聞いたうえで判断を下しているのだから、決断力の高さが窺える。

 頭の回転が、常人よりも遥かに速い。こっちが一つ考えてる間に、十の事を考えてるような人間だ。

 しかも、感情の起伏を一切顔に出さない。表情がないというわけではない。喜怒哀楽の表情はあるのに、その感情を読み取らせないのだ。

 実に怖ろしい男である。反対に、現国王陛下は世継ぎに恵まれた。

 彼は、良き王になるだろう。

「俺はフォルス殿下好きッスけどね~。フレアは興味ないッスか?」

「……何で私に振るのよ……」

「気付いてるくせに、気付かない振りするからッス」

「私はそれで迷惑してんのよ!」

 握り締めた拳が、小刻みに揺れている。何か腹立たしいことを思い出したらしい。

「ローザか?」

 カイトがからかうように、にやにやと笑いながら言う。

「そうよ!あの人のおかげで、あの女にネチネチ絡まれてこっちは迷惑してんのよ!」

「ローザ、フォルス殿下に憧れてるッスからねぇ。王子隠そうとしないから余計ッスよね。火に油注ぎまくって、ローザの嫉妬の火は灼熱の炎ッスよ」

「はっはっはっ!隠そうとしないのはあのお方らしいがな」

「……団長、笑い事じゃないのよ。ジャンパール、あなたも何笑ってるのよ」

「すみません……ついつい、可笑しくて」

「可笑しくない!」

 皆の会話に、ジェイドが拗ねたように頬を膨らませた。 

「何だ、皆知ってたのか。俺殴られ損じゃねぇか」

「いや、あれは殴られるだろ。自分の近衛兵も傍にいたのに、暴露されるんだぞ。お前もクレメイアの事言われたら怒るだろう?それと同じだ」

 イザヤの科白に、ジェイドは激しく頷いた。それは怒る。

「玉の輿だぞ?」

「団長……、あなたがそれを言いますか。私は王族の妃って柄じゃないわ。それに……」

「それに?」

「きっと物珍しいだけよ。傭兵団で女が軍師やってるなんて私だけだもの。そのうち飽きるわよ」

 「さ、行きましょ」と踵を返すフレアに、他の四人は顔を見合わせやれやれとため息を吐いた。

「フォルス殿下がそういう方じゃないって、フレアが一番知ってるくせに」

 金髪の少年の言葉は、彼女の耳には届かなかった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

CHAOS-漆黒の破壊神- 玉響 @tamayura0302

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ