トウィンクル・トウィンクル

 街並みはイルミネーションに彩られ、あたりはカップルや家族連れの姿が異様に目立つ。俺はひとり、仕事帰りで疲れた体を引きずって家を目指す。

 通りすがりの男と、肩と肩が擦れ合った。お互いに目礼して、小さくすみませんと呟く。ちらりとぶつかった男を見ると、その左側には可愛らしい女の子がいて、その右手と左手はがっちりと指を絡め、俺のことなんかコンマ二秒で忘れた、みたいな顔をして女の子との楽しそうな会話に戻っていった。

 ため息をつくと、吐息が白く染まる。とにかく寒いのだ、なんせ夜はもしかして雪が降るかもしれないという気象予報だったので。

 住んでいるアパートがある住宅街に道をそれると、クリスマスムードはぐんと目立たなくなるが、それでもきれいにライトアップされた家も多く、俺の気分を憂鬱にさせた。

 アパートに着いて、自分の部屋のドアの前で鞄をあさり鍵を出し、鍵穴に差し込んで回す。ドアを開けると、真っ暗で冷え冷えとした空気が迎えてくれる。玄関に鞄をどさっと落とし、コートを脱いでハンガーにかけ、電気をつける。ついでにエアコンもつける。

 締め切っていたカーテンの向こう側は、恐ろしいほど静かだ。

 とりあえず、会社の近くのコンビニで買ってきた弁当とビールをテーブルに置いて、食べはじめる。黙々と食べていると、怒りがこみ上げてくる。

 なんで俺がこんな目に遭わなければならないんだ。

 ほんとうなら俺はこんな狭いアパートの部屋で弁当を食べているはずじゃなかったのだ。仕事を定時で終えて、彼女と待ち合わせして、予約したフレンチを食べて、そう、あのイルミネーションに飾られた幸せな一夜の部品になっているはずだったのだ。

 それがどうして、一週間前にいきなりふられた。理由は、ほかにクリスマスを一緒に過ごしたい人ができたから。

 何が悲しいって、わざわざ予約したホテルのフレンチをキャンセルするときだ。イヴに予約を入れて、それを一週間前にキャンセルせざるを得ない状況になった俺の気持ちはどこへ行くというのだ。

 もうプレゼントも買ってあった。無言のアピールでねだられた、ネックレス。その細長い箱を眺めながら、一人でコンビニの弁当を食べるむなしさは、ほかに例えられない。

 だんだんむかついてきて、俺はビールのプルタブを起こし一気飲みする。

 クリスマスの予定がキャンセルになったことを知るや否や、課長は俺に仕事を押し付けてきた。クリスマスなのだ、家族サービスとかがあるのだろう。同僚たちの、お気の毒様、みたいな顔が忘れられない。

 二本目のビール缶を空け、酒にあまり強くない俺は、テーブルに突っ伏して彼女への恨み言を吐く。別れ話をするんならせめてイヴが終わったあとにしてくれよ。どうして俺があんな、キャンセルなんていう屈辱を味わわなければいけないんだ……。

 少しうとうとしていたらしい、俺は、コツコツと何かで窓を叩いている音にはっと覚醒した。

 酔っ払っていて、たぶん何も考えていなかったんだ。俺は、コツコツに誘われるままカーテンを開けた。

 そこにいたのは、サンタクロースだった。


「……ん?」


 酔いの回った頭で、そのサンタクロースの頭から爪先までを眺め回す。赤い三角帽に、袖口に白いファーのついた赤いミニ丈のワンピース。白いタイツの先は、赤いブーツに包まれている。そんな、いわゆるサンタクロースがそこに立っていたのだ。明るい茶髪の長い髪の毛は、ひげの代わりと言わんばかりにくるくる巻かれている。顔は……ハーフなんだろうか、ちょっと彫りの深いエキゾチックな雰囲気のある顔立ちだ。

 サンタクロースは、開けてくれとでも言うようにコツコツと窓を叩き続けている。俺は何も考えず無意識で窓を開けた。


「なんスか」

「汚い部屋ね。もっときれいにしておきなさいよ」


 なぜか怒られた。見た目を裏切らない、ちょっと高めの愛らしい声だ。俺は頭を掻きながら、こんな女の子を家に入れたら、俺は捕まるんじゃなかろうか、と思った。どう見ても未成年なのだ。


「で、なんスか」

「見て分からない? 私はサンタよ」

「見りゃ分かります」

「こっちは、トナカイのキャサリン」

「はあ」


 こっちは、と言われ視線を横に動かすと、たしかに、狭いベランダで申し訳ない、と思うくらい立派なトナカイがつぶらな瞳でこちらを見ていた。ご丁寧にそりを引いている。トナカイをこんなに間近で初めて見たが、意外と重量感があるというか、迫力があるというか。

 サンタクロースはブーツを脱ぎ、俺の部屋に上がってきた。そしてテーブルの上を見てため息をついた。


「最近の合田ごうださんがあまりにも悲壮感漂わせていたから、つい気になって様子を見に来たの」

「……」

「そしたらこのザマね。彼女にふられて一人ご飯なんて寂しすぎるわ」

「なんでそこまで知って……」

「だってこんな日に女の子向けのプレゼントを眺めながらご飯食べてお酒飲んでるんだもの」


 たしかに。この部屋を見れば一目瞭然だ。

 ところで、窓を開けたおかげで冷たい風にさらされた俺は、少し酔いがさめてきて、このサンタクロースはいったいなんなんだ、というところまで考えられるようになった。


「誰スか」

「あなた、私のこと知ってるから窓を開けたんじゃなかったの?」

「いや、あの」


 驚いた、と、呆れた、を同時に表した顔をして、サンタクロースが眉を寄せる。俺は、なんとなくで窓を開けてしまったことがなんだか申し訳なくなってきて、しかしもうどうしようもないのでそこにぼんやり突っ立っていると、たたみかけるようにサンタクロースが言う。


「私が誰だか分からないの?」

「サンタクロース、ですよね」

「違うわよ!」

「え、違うんスか」

「違わないけど。ほら、よく見て。思い出せない?」

「……」


 言われて、サンタクロースをじっと見つめる。二重の大きな瞳に、小さな鼻、上唇がめくれているいわゆるアヒル口、細くて少し長い首。そう言われて見れば、どこかで見たような顔をしている。


「思い出せないならもう帰るわよ」

「ちょ、ちょっと待ってください」

「行くわよ、キャサリン」


 サンタクロースは俺の懇願をまるで無視してトナカイの手綱を引っ張った。その横顔をたしかにどこかで見たのだが、思い出せない。

 と、そのとき俺は、そりに乗っている白い袋を見つけた。あれはもしかして。


「それって、プレゼントっスか?」

「……そうだけど」

「俺の分は」

「あなた、私のことを思い出せないくせにあつかましいのね」

「すいません」

「ほら、これよ」

「あるんスか」


 オレンジ色のてかてかした包装紙に包まれたプレゼントを投げつけられる。てのひらに載せてしまえるような小さなものだ。指輪の箱のような。サンタクロースにお伺いを立てようとそちらを見ると、くいっと顎を動かした。どうぞ、のつもりらしい。

 そっと、白いリボンを解いて、箱を開ける。しかし中には何も入っていない。

 困惑してサンタクロースを見ると、にっこり笑った彼女はこう言った。


「私たちサンタクロースが届けているのは、幸せの種よ」

「幸せの、種?」


 聞き慣れない言葉に首をかしげると、笑顔を浮かべたままサンタクロースが続ける。


「目には見えない幸せを届けるのが、私たちの仕事」

「幸せ……」


 俺は、思わず肩を落とす。サンタクロースは一歩遅かった。俺は今夜、幸せに暮らしたかったのに。

 その俺の反応が不満だったのか、サンタクロースがトゲのある声を出した。


「女はこの世にごまんといるのよ。たった一人にふられたくらいでめそめそしないでよ」

「あんたに俺がレストランキャンセルしたときの屈辱感が分かるんスか」

「ああ、何、そこに怒っているの?」

「え?」

「あなたは、彼女にふられたことが悲しいんじゃない。自分のプライドを傷つけられたことが悲しいのよ」


 愕然とする。あまりに的を射たその指摘に、俺は思わず黙り込んだ。

 そのとおりだ。クリスマスだから彼女と過ごす、というのを当たり前にそう思っていて、それがおじゃんになったから憤っている。結局、俺にとって彼女はアクセサリのようなものだったのだ。彼女が俺から離れていくのも、当然といえば当然だったのかもしれない。

 呆然としていると、サンタクロースは少し困ったような顔をして呟いた。


「言ったじゃない。幸せを運んでるって」

「……」

「きっとすぐよ。そんな最低なあなたを好きになってくれる女が現れる」

「……」


 トナカイが、蹄でベランダのコンクリートを叩く。時間が迫ってきているのを教えているようだ。

 サンタクロースはそれを見て、ちょっと待ちなさいね、と呟くと、俺のほうへ向き直った。


「たとえばこことか」

「え」


 サンタクロースがささっと近づいてきたと思ったら、部屋着のシャツを引っ張られてキスをされた。

 目をぱちぱちさせると、サンタクロースは唇を離して、照れもせず不敵に笑った。


「キスのときは、目を閉じなさい」

「あ、はい」


 サンタクロースが、ブーツを履いた。俺はそれをぼんやりと眺めながら、唇に手を当てた。そして空を見る。


「あ……」

「ホワイトクリスマスね。情緒があっていいんじゃない」

「そうっスね」

「じゃあ、また今度にでも答えを聞かせてね」

「あの」

「ハッピークリスマス!」

「あっ、ちょっと」


 そう吐き捨てると、サンタクロースはそりに乗り込み、トナカイの首を撫でて飛んでいってしまった。あっという間に雪の降る空の隙間かどこかに消えたかのようにいなくなる。

 俺は、手元のオレンジ色の空箱を眺める。


「幸せの、種……」


 すっかり酔いはさめていた。窓を開けたままぼんやりと、サンタクロースの唇の感触を反芻する。

 わざわざ、俺が元気がないのを気にして、この忙しい中様子を見に来てくれたのだろうか。どこの誰かはまったく思い出せないままだが、俺と彼女はそんな距離──顔見知り程度──の知り合いなのだろう。

 彼女にふられたとか、レストランをキャンセルした屈辱とか、そんなものはどうでもよくなっていた。とにかく、もう一度会ってあのキスの真意を聞かなければ。今はそれで頭がいっぱいだった。


 ◆


 翌日、いつものように出勤する準備をして地元の駅のホームで電車を待つ列に並ぶ。その光景はいつもと同じ繰り返しの日常で、昨夜のことがまるで夢のようだ。

 いや、よく考えればあれは夢なんではなかったのだろうか。酒を飲んでみた、俺の夢。幸せがほしくてあんな夢をみたのではないだろうか……。

 電車がホームに滑り込んで、口を開く。それに乗り込んで俺はいつものように空いていた席に座り、ほっと一息つく。


「ふわあ……」

「だらしない顔」


 あくびとともに、そんな冷たい声が聞こえてきた。……この声は。

 ばっと顔を上げると、俺の前に立つオヤジの眠たそうな顔が目に入る。横を見ると、昨日のサンタクロースがつんとした表情で座っていた。


「さ、さ、さ」

「あくびくらい隠れてすれば? 社会人のくせにみっともないわね」

「サンタ!」

「さ、ん、だ」

「え?」

「サンタじゃないわ。私の名前は、三田さんだよ」


 夢じゃなかったらしい。俺は、あまりのことに口を金魚のようにぱくぱくさせる。サンタクロース改め三田さんがそれに笑う。


「サンタは……」

「あれは、一夜限りの派遣バイト」

「サンタって派遣のバイトだったんだ……」

「一年に一日しか仕事がないのに正社員がいるはずないでしょ」

「いや、正社員とかそういう問題じゃなく」


 サンタクロースを信じる年齢ではないけど、なんとなく抱いていた夢が壊された気分だ。サンタクロースに派遣も正社員もないだろう、と。もっと、サンタクロースっていうのは白ひげの生えた恰幅のいいおじいちゃんだと思っていたのに。

 しかしまあ、この子の言っていることも一理あるか。と納得し、三田さんを改めて見る。深緑のチェック柄の制服のスカートを短く切って、黒いタイツをはいている。やはり未成年だったか。


「じぇいけいか……」

「そういうあなたはいくつなのよ」

「新米なんでまだ二十三なんスけどね」

「それでそのダッサイ体育会系の敬語なのね」

「……」


 昨夜は酒に酔っててあまり思わなかったが、ものすごい毒舌だ。でも、それが似合い、そして許される顔立ちなのが憎い。


「三田さん」

「何?」

「まずは、お友達から、どうスか」

「……悪くない提案ね」


 ふうっとため息をついて、三田さんが鞄から携帯を取り出して、ちょっと笑った。



 20121224

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メリーぼっちナイト! 宮崎笑子 @castone

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