keep at dogs

0 ~analysis~

 ‘昔のことをどれくらい憶えているか’

 その質問は、俺にとって困難なものでしかなかった。

 そもそも、質問の仕方が適当過ぎて好きではない。適当なつもりは無いのかも知れないが、漠然とし過ぎているじゃないか。

 サハラ砂漠の中で「ここどこ?」なんて聞いてくる奴はいないだろう。

 答えなんか返せる訳が無い。

 それが分かり切っているのだから、質問などされる訳が無い。それでもそんな質問をしてくるような時は、皮肉か戯言か。どちらにしても良い意味合いで使われていることではないだろう。

 それなら、俺へ向けられるその質問は、皮肉か戯言か、はたまた罵倒だったのだろうか。

 たった16文字しかないその言葉の中に、漠然とした曖昧さが3つも隠れている。

 昔の定義が分からない。

 何年も前のことなのか。それとも昨日の事なのか。それらを全て含んだ過ぎ去った時間のコトなのか。それすらをひっくるめた、自身の誕生それ以前の言なのか。

 どれくらいの定義が分からない。

 存在する全ての、どこからどこまでがどれくらいなのか。そもそもどれとは何の量なのか。くらいとはどんな単位なのか。全ての事はどれではないのか。0とはどれの量に含まれるのか。

 憶えていることの定義が分からない。

 意味記憶を示しているのか。エピソード記憶を示しているのか。瞬時に頭に浮かぶ事は憶えているに入るのか。唸って迷って、悩んで捻って、やっとこさ思い出したコトは憶えているに入るのか。思い出せないことは憶えているに入るのか。

 漠然として、曖昧で、空虚で、泡沫で、何でもない、ただの問い。

 自分を見ている様で、安心した。

 同時に、忌み嫌った。

 同族がそこにいたことに安堵し、同族がそこにいることに嫌気が差す。

 自分だけじゃなかった。自分だけでよかった。

 そんな、耳に届くことを期待しながら拒否する質問も、一度くらい応えよう。

 漠然とした質問に具体的に応えることはできないから。いや、可能なのかもしれないけど、俺はそんな器用なことできないから、曖昧に応えることにしよう。


 多分、無いよ。


 もちろん、言ってしまえば何一つ無い訳ではない。

 昔から、いや、もっと具体的には子供のころから、迫害され、他人と埋めようの無い隙間を、空間を、狭間を空けられていたということは、ハッキリと憶えている。

 それが当然だったし、当然だと分かっていた。

 だから悟っていた。

 諦めじゃない。

 諦めることなんかしていない。諦める前に、悟っていたのだから。

 そんな子供っぽくない幼少の記憶なら、脳の記憶容量を軽々凌駕するぐらいある。

 それ以外は、あの質問と同じくらい曖昧で、漠然としている。

 どうでも良かった訳じゃない。

 ただ、周りと同じになるための行動を取っていた。悟ってはいたが諦めたことは無い。分かっていたから悟っていたから理解していたから普通を目指して暮らしていた。異端を自覚していたからこそ、ずっと普通を諦められなかった。普通でないことを容認したのは、本当に最近のこと。

 普通を目指していたからこそ、そのために取ってきた行動は自己ではなかった。だから記憶としては薄いのだろう。タンスの角に小指をぶつけたような日常の些細な出来事から、自分の命に関わる重大な事件まで、迫害されていた事以外はよくよく憶えていない。そもそも憶えているの定義を聞かされていないため、他のことが憶えているに入るのかも分からないが、そんな微妙で漠然とした所がなんとも曖昧で、まったく、俺らしいと思う。

 いや、迫害されていたかと訊ねられれば、そうでもなかったかもしれない。他人と自分の間の溝は確かに存在していたが、それは迫害というより放置に近かったかもしれない。関わらないのが一番良いと。嫌いよりも嫌われて、むしろ嫌うことも通り過ぎて、無関心だった気もする。

 やっぱり曖昧。抽象的な昔の俺は、漠然としていた。

 だからこそ、今の自分が‘昔をどれくらい憶えているか思い出そうとする’と、必ず思う。

 ああ、俺らしいと。

 昔の俺そのままじゃないか、と。

 では、今の俺はどうなのだろうか。

 昔のように周りに合わせることは放棄し、昔のように普通にこだわることは消去し、昔のように悟っていた現実は容認し、昔のように漠然とした自分は否定し、昔のように曖昧な思考は模索し、昔のように作っていた溝は埋葬し、昔には無かった人間関係ができた。

 今さら俺にその質問をする人間はいないかもしれないが、もしそれが起こり得ることがあるならば、胸を張って応えよう。

 考えることに意味なんか無いと。

 今を満足しながら生きていけば、過去を振り返ることに意味なんか無いと。

 今の自分は、到底満足できる者ではないけれど。

 昔よりは確実に、今が満足できるからそう応えるつもりだ。

 そんな俺を、昔の俺が見たら何と言うだろう。

 自分のことだからおそらく分かる。過去の自分から今の自分へ向けて言うならば。

 俺らしくないな、だろう。

 それでいい。それがいい。そうでなければ、今を満足していないことになってしまう。だから間違ってはいないはずだ。

 そしてあわよくば、今の自分から、未来の今を満足している自分を見て、こう言えることを望む。

 ──まったく、俺らしいよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

seek at dogs @shirokazu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ