第3話 小池さん(3)
二ヶ月くらい経ったか……。
小池さんの病名と、医師からちょいと反則をして聞き出した経過観察からすると、そろそろ限界が近い。
俺の仕事も最終段階に移すときが迫っている。
うまくいくかどうかは、あの偏屈じじい次第だろう。
そして、最期の『花』がやってきた。
「今日もいい天気ですよ、小池さん」
「……」
爺さんからの返事はない。
病状が悪化してしゃべるどころではないのかもしれない。けれど、俺にはしゃべること自体への興味を失ってしまったかのように見える。
窓の外を見つめる瞳はひどく冷めていて、もう意思がここに帰ってくることはないなどと錯覚してしまうほどだ。
「おっといけね、花を買ってくるの忘れちまった」
「……」
「すまんね、爺さん。ちょっくら売店まで行って買ってくるわ」
「……」
そして俺は部屋を後にした。
さあ、最期の花よ、俺の仕事をしておくれよ?
「ほんとうに? ほんとうに、このお花を持っておへやにはいればいいの?」
「ああ、頼んだよ」
俺はただの看護師だ。
ここから先は、俺の領分じゃあない。
まあせめてことの成り行きを確認するために、耳をそばだてることくらいならしてもいいだろう。
扉の向こうから声が聞こえた。
「おじい、ちゃん?」
「……お嬢ちゃん、はいったい?」
「やっぱり、おじいちゃんなんですね! おとうさんのおとうさんなんですね!!」
「なんじゃと? 儂に家族は……いや、かつて、いた。確かにいた。ま、まさか」
「おとうさんは、おじいちゃんはすっごくむかしにいなくなったっていってた!」
「お嬢ちゃん、その、きみのお父さんのお名前を聞いてもいいかい?」
「――、――だよ!」
うまく聞き取れなかったが、まあ大丈夫だろう。
爺さん、素直になれよ?
「おお……おおおおお……」
「おじいちゃん、ないてるの?」
「すまん……! すまん……っ!!」
「なんであやまるの?」
「そうしなければ儂の気持ちが収りきらんのじゃあ……」
「むぅ、むずかしい」
「あ、いや、その通りじゃな。ところで、その花はどうしたのじゃ? おこづかいで買えるような代物でもなかろうに……」
「んっとね、おじいちゃんのおみまいをするなら、お花をもっていったほうがいいよって、おにいちゃんがくれたの!」
「お、お兄さんがいるのかい? 今日は一緒じゃないのかのお?」
自分の寿命が縮まるお仕事って嫌なものですね。
「おにいちゃんは、だいじなおしごとがあるから、またこんどくるって!」
「そうか、お嬢ちゃんのお兄さんは勉強家なのじゃなあ。できればでよいのじゃが、今度は一緒にきておくれ」
「うん! あ、お花、ここにおいておくね! そろそろ帰らなくっちゃ!」
「もう、帰ってしまうのかい?」
「ちょっとだけ、っておとうさんとのやくそくだから、ごめんねおじいちゃん」
「いや、ええ……。儂はあやつにひどいことをしたのじゃ。孫とこうして話ができたことだけで充分に喜ばねばならん。これ以上を望めば、地獄行きだけではすみそうもなさそうじゃからのお」
「おじいちゃん?」
「あ、いや、気をつけて帰るのじゃぞ」
「うん!」
やべっ!
俺は扉から身を剥がし、左右の足をうまく運んで、壁にべったりと張り付いた。
シャー、パタン。
「……」
「おにいちゃん? なにやってるの?」
「い、いや、うまくお話できた?」
「うん、おじいちゃんのことおしえてくれてありがと! またくるね!」
さて、お仕事に戻りますか。
「戻ったぜー。元気そうなガキんちょとすれ違ったんだが、爺さんの知り合いか?」
「ああ……、金には換えられぬ宝よ」
「よぉーわからんが、爺さんが握ってる花束、生けたほうがいいか?」
「すまんが頼む」
「あ、あの爺さんが……すまん、だと? こっわ、天変地異の前触れ?」
「小僧よ、詫びるから事態が好転するのではないのじゃな……。事態が好転したことに感謝したくなれば、自然と詫びたくなるのやもしれん。儂は死に際にしてようやくそのことに気づけたわい」
「すまんけど、俺にはさっぱりだわ」
「きさまの言葉に誠意がないと、いまの儂ならはっきりわかるわい」
「あ、ばれた?」
「はよぉ、生けい」
「へいへい」
「む、そういえば小僧。きさま花を忘れたから買いに行ったのではなかったのか?」
「ああ、それね。なんだか今日は安めの花が軒並み売り切れててよお、俺の財布じゃ買えなかったんだわ。ってことで、俺からは気持ちを込めた想像の花で我慢してくれねえかい?」
「そう、か。ふふふ……」
「なんだい爺さん、気味の悪い声で笑いやがって」
「いやなんじゃ、花屋が品薄となっている理由に心当たりがあってのお」
「ふーん、景気のいい見舞い客でもいたのかねえ、あーやだやだ」
俺は、爺さんの孫が手渡したはずの花束を、部屋でいちばん大きい花瓶に生けてやった。
「小僧」
「なんだい?」
「空とはこんなにも蒼かったのじゃな。花とはこんなにも色鮮やかだったのじゃな」
「……それを感じるのは俺じゃあねえよ」
「なんじゃと?」
「いまの爺さんに流れているもんが、風情ってやつだ」
爺さんの瞳は生き生きとしていた。
俺のできる仕事といえばこの程度だ。「風情というやつがわからん」と言った患者にそれっぽいものを提供する。名前を覚えられることなんてまずあり得ない。まあ、この患者に関して言えば、俺の仕事はほぼ終わった。
じゃあ次の仕事に取りかかろう。
俺はただの看護師なのだから。
(おわり)
ホスピタル 水嶋 穂太郎 @MizushimaHotaro
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