第4話 三度死んでも、羊は歌う。

痛くて、悲しいことは。

その星の熱を冷ます。

どんな美しい宝石でも、それで殴られた子供は。

その輝きに憎悪を宿して、美しさを知らず育つのだろう。


羊毛の柔らかさで包まれた命は。

柔らかな命と優しさで育まれた両手が。

あなたにとっての美しさとの融和になりますように。


心の器に生まれた狼が、原初の心に従い、子羊を食らうのだろうか。

互いに愛し、この世界に生きる為に、他の者を食らうことがあれども。

子羊はそれを歓迎するだろう。


羊の皮を被った狼が世界で生きるためには。


命の循環が失われた赤い星で生きてゆくためには。


表の無垢と、裏の野生は。


共に愛を紡いで、牙を血に染めて生きるしかないのです。




透明なガラスを持って外へ出る。

風は冷たく、空は青い。

古い木製の階段を下りる。

歩いてほんのすぐのところにはカルデラ湖。

透き通った水を体に入れる。

冷たい潤いが体を走って、いくつかの細胞が歓喜の声を上げる。

遠くに先客がいた。

牡鹿だ。成体の鹿が水を飲むのを止め、こちらをじっと見ている。

「サイゴノ景色ヲ目ニ映ス為ニ見ルノダヨ。」

心の声が響く。

胸骨の芯から響く声が、落ち着いた声色で話す。

「命、終ワル時。ナニモカモ美シイ。リタモ知ッテルダロ。」

霞がかった記憶が沸き上がるが思い出せない。

かつての記憶。それを失ってしまった僕には何も答えられない。

牡鹿の大きな瞳は美しく、無垢だった。

今、この鹿は僕を何者として見ているのだろう。

敵意もなく、なんの脅威も感じさせない僕を見ても、やはり野生の感はごまかせない。

腰を上げ、立ち上がると同時に鹿が駆けた。

何かに追い立てられるように、森の中へ。

森から鳥が舞い、空へ上がる。

空には鷹が旋回していた。

「ムリ。一度死ノ光景見タラ。死ヌ。」

逃げ去る鹿を見て狼が呟く。


小屋に戻ると玄関口に小柄な少年が座り込んでいた。

黒い毛糸の帽子、首に巻かれた長すぎるマフラー、皮のベスト、茶一色の服から伸びる手には弓矢、帽子から飛び出した灰色の髪から見える目はいつものように瞑っていた。

思い出したようにゆっくり立ち上がると、片目を開け、空に向かい矢を放った。


矢は青い空に吸い込まれるように駆け、やや風に吹かれ、いびつな弧を描くようにして森へと消えた。


「キッ!!」と短い悲鳴が森から響くのが扉を閉める時に聞こえた。

軋む階段を下りる音が扉越しに聞こえる。

仕留めた鹿を取りに行くのだろう。


「今晩ハ鹿。昨日ハウサギ。今朝ハニンゲン。」

狼の言葉で今朝の出来事を思い出す。


走る人間を追いかける。楽シイ。


死にたいと森に来たのに逃げる人。面白イ。


倒れこんだ背中に突き刺すナイフの感覚。高揚感。


尽きかけの命に敗北を認識させる為の一撃。

魂を食らう一撃は食事のそれに似て。

暖かなスープを飲んだような喉の潤い。

消化され下腹部に流れる命の暖かさ。

今朝も人を狩り、魂を持ち帰る。


それが二度目の生を受けた、リタの仕事だった。

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羊の王 ヒツジノ @hituzino

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