雪月花
ニル
雪月花
凍てつく灰色の空が重くのしかかる中、君は町はずれの公園に凛と立っている。君は僕に気づくと、どこか嬉しそうに笑った。
「まあ、今日も来たのね」
「これが仕事なんで」
そう言って君の傍らに寄り添うのもいつもと同じ。すると君は、寒そうに身を震わせた。
「やっぱり寒いわ。凍っちゃいそう」
雪だって好きで冷たくなったわけじゃないんだよ。僕がそう呟くと君は、
「でも、あなたがいるならあったかいわ」
「寒いんじゃなかったのかい?」
「でもあったかいのよ」
無茶苦茶なことを言いながら笑う君はやっぱり綺麗で、冬が過ぎなければいいのにと幾度思っただろうか。
*
「ねえ、あたしあなたと青空を眺めたい」
曇天があたりを覆う中、君は突然そんなことを言い出した。隣で空を仰ぐ君は不服そうで、僕はつい苦笑してしまう。
「そんな無茶な」
「言っておくけど、晴れてる時のあたしってとっても綺麗よ? あなたメロメロよ?」
「溶けちゃうかもね」
「春になったらもっと美しくなるわ。でもあなたって、冬が過ぎるとすぐ消えちゃうんですもの。冬が一番みっともないのに」
拗ねてしまった君が可愛くて、僕はつい笑みを浮かべてしまった。
「君はいつでも綺麗だよ。冬しか知らないけど、みっともないと思ったことは一度もない」
「………ホントに?」
「もちろん」
「……ありがと。そう言ってくれるの、あなただけよ」
優しく寄り添うと、君はまた眩しい笑顔を取り戻す。ふと上空を見上げると、曇天の隙間から遠い蒼穹が顔を覗かせていた。そういえば、今年は今日が最後の日だ。ああ、僕はまた君から離れなければいけない。君もそれに気づくと、寂しげに表情を曇らせた。
「……あたし、もっと寒いところに生まれたかったな。もっとたくさんあなたといたい」
「……来年もまた会いに来るよ」
残念そうに顔をしかめているけど、もう決まっていることなのでどうしようもない。君は僕に引っ付いて、拗ねたように注文した。
「ねえ、行っちゃう前に愛してるって言って」
「僕が?」
「他に誰がいるのかしら?」
そんなに威張られても。そんな言葉、言っただけで恥ずかしくて溶けそうだ。僕は軽く笑ったけど君は本気だったようで、拗ねたまんまの表情で僕を見つめている。僕は悩み悩んだ末、曖昧に笑ってごまかした。
「ま、まあこの先何度でも言ってあげることはできる。だから今年は保留ってことで、ね?」
今度こそ怒るかな、と思ったが、君は何故か泣きそうになって、それから何も言わずに笑った。それがどうしてだか無性に胸を締め付けるので、僕は目を逸らして付け加える。
「ほら、冬なんてこの先何十回何百回あるんだ。……そのたびに言ってあげるさ」
君は何も言わなかった。その年の僕らの冬は、そのまま終わりを迎えた。
*
それからもまた同じように何度も冬が訪れたが、君はまた僕に甘い言葉をねだることはしなかった。当然、僕に自分から「愛してる」を言う勇気なんてない。いつしか僕の方がその約束を忘れてしまい、進展もしなければ後退もしない僕らの冬は、何十回も繰り返した。
「寒いわね」
君は曇った夜空を見上げながら、何十回目かしれないセリフを呟いた。
「ねえ、まだ愛してるって言う気、ない?」
今更どうしたのだろうか。以前そんな約束をしたことを思い出し、僕は笑ってしまった。
「冬はこれからもまだあるんだから、今じゃなくても言えるよ」
「……ダメなの」
「何が?」
僕は小さな声に耳を傾けた。
「あたしにとっては、今日が最期の冬なのよ」
言っている意味が理解できなかった。君は切なそうに微笑むだけだ。
「さ、最後って、冬はこれから何度でも……」
「それはあなたにとって、でしょう? あなたはずっと昔から何一つ変わらないけど、あたしはそうはいかないのよ」
そう言われて、僕はやっと気づく。いつまでも美しいと思っていた君はすっかり痩せて、弱弱しくて、今にも折れてしまいそうだった。
「あなたにとってのたった何十年は、私にとってはすごく長い時間だった。特に、あなたに会えない時間が、すごく長く感じた」
僕は、どうして気づけなかったのだろう。冬しか知らない僕は、君が僕を待っていた時間の長さなんて想像もつかない。
「芽吹く春より、眩しい夏より、色づく秋より…。どんなに美しい季節よりも、あなたがいる冬が好きだったわ。でも、さよならしなくちゃ」
「そんな……」
急な別れの時に、僕の感情は追いつけなかった。待ってよ。まだ伝えてないじゃないか。
僕は考えることを放棄して、君を抱きしめた。もろそうな君が痛くないように、優しく包む。
「愛してる」
「……………やっと言ってくれたわね」
ずっと昔から変わらない、無邪気な笑い声が温かかった。君の姿が白く輝く。
「見て、月よ」
君を抱いたまま空を見上げると、雲の隙間から満月が煌めいていた。初めて君と眺める、晴れた夜空だ。
「結局、あたしの綺麗な姿は見せられなかったわね。でも、あなたと最後に月が見れたからいいかな」
「僕は綺麗な君しか知らないよ」
「あなたならそう言ってくれると思ったわ」
くす、と笑う君が昔と変わらなくて、僕もつい笑った。腕の中の君が、少しずつ力尽きていくのを感じた。
「凍えそう」
「でも、あったかいんだろう?」
「ええ、もちろん」
やがて月が傾き始めたころ、君は泣きながら笑っていた。
「大好きよ。あなたと、あったかいあなたの季節を愛してるわ」
*
雪の降る夜が明けた。
公園の隅には、朝日に照らされた一本の桜の木があった。
すっかり朽ちてみすぼらしくなってしまったが、その姿を優しく守るようにつもった雪が、きらきらと輝いていて。
日の光に照らされたそれは、美しい銀の花を飾っているように見えた。
雪月花 ニル @HerSun
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