沖田総司

沖田総司(短篇)


沖田は先程から、とある家の前で立ち往生していた。


ずいぶん長いこと無沙汰でいたのだ。それなりの言葉をもらうだろう。




「・・やはり今度にしておこうか」


と、漸く踵を返したとき。


「あら、やっぱり帰られてしまうの?」


驚いたことに空から鈴声が降ってきた。




振り返った沖田の視線の先、家の二階から身を乗り出して、女子がこちらへ手をふっている。


「おようさんは、あいかわらずだな」


沖田は思わず呟いて、陽光に煌く彼女の姿をあおいだ。


「何か仰った?」


「いいや、何も」


沖田は微笑って返す。


「おようさん、危ないから早く中にお戻りなさい」


「いいのよ、落ちたって二階ですもの」


沖田はその返事にぎょっとした。


「女性の言葉とは思えないな」


「女性らしくなくてごめんなさいね」


沖田は笑ってしまった。


「べつに悪いことではないよ。が、なにも落ちて怪我をすることもない」


「もう何度か落ちたことがあるから、大丈夫なのは判ってるの」


「・・・・」


沖田は唖然としておようを見つめた。


(とんでもないじゃじゃ馬だ)


こちらを見おろしながら、今もにこにこ微笑んでいるおようをあおいで、沖田は溜息をついた。


(あれで医者の娘だというのだから驚くな)


それとも医者の娘だから、怪我をするのを恐れないのだろうか。


といっても、ここの医者は本道のほうなのだが。


「沖田様はまた、ずいぶんお忙しかったようですね」


(おっと)


来るだろうと思っていた言葉の第一弾が、不意に降ってきた。


「ずっとお待ちしておりましたのに」


続いて降った、第二弾。


「ご無沙汰してすまない」


「ほんとよ。ちっともいらしてくださらないんですもの、どうやら私の片想いだったようですわ」


「・・・・」


そして、この調子だ。


毎回、日を置いて来るたびに、耳を疑うような台詞を言ってくる。


初めてこの手の言葉を言われたときは、さすがに心の臓が飛び出るぐらい驚いた。


(全く・・・こっちの気も知らないで。)


無邪気か邪気か判らぬ、おようの微笑みを見上げながら、沖田は今一度溜息を零した。


「悪かった。忙しかったんです」


「男の方は、皆そう言えばいいと思って」


がっくり、と沖田は首を垂れた。


「・・・おようさん、見つかってしまったことだし診察を受けていくよ。そろそろ中に入れていただけないかな」


おようは大きくその目を瞬かせて。


「玄関なら空いてますわ。なにも二階と庭を跨いでお話しなくてもいいことよ」


貴女が話しかけてきたのだが。


と沖田は苦笑しつつ、それでは、と玄関に向かった。


「私も降りて参ります。下でお会いしましょう、沖田様」


おようは玄関への道を行く沖田に最後の言葉を降らせると。


沖田の見上げる先で、ひょい、と窓の向こうへ引っ込んだ。






「これは沖田殿。お元気でいらっしゃったかな」


おようの父でありここの医者である彼が、目の前に現れた沖田を見上げて目を細めた。


沖田のほうは、親子共々のご挨拶にげんなりしつつも。


最近の新選組の多忙を思えば、この医者のいいつけを己はちっとも守らないで戻ってきたことに申し訳なさをおぼえた。


「どこか変わったところはありませんかな」


「いえ。とくに何も・・」


「お見受けしたところ、少し痩せられたようだ」


沖田ははっと彼を見返した。


「なにせ忙しかったものですから」


「貴方は療養という意味がお分かりでないようだ」


「・・・」




沖田が初めてこの医者を訪れたのは暫く前のことになるが、その際も”治す”つもりで訪れたわけではなかった。


”あとどれくらいもつのか”


それが知りたくて来た。


そしてその訪問の目的は、今なお変わってはいない。


今日沖田がここに訪れたのも、病の道の、どの位置に己が在るのか、改めて確認する為だ。


「・・・病は進行していますか」


沖田は医者の目を見た。


「沖田殿、」


そんな沖田に、医者はふと哀しげな情を目に灯し。


「何故いますぐ療養をお選びにならん。貴方ほど体の鍛えられた方ならば、本気で療養すれば回復できる可能性は大いにあるのですぞ。 何故、その希望を自ら捨てなさる?」


沖田の訪問の目的を悟っているかのような台詞に、沖田はどきりと心の臓の音を聞いた。


「不義理な患者で恐縮です、しかし・・」


本気で療養という事は即ち、これからへたすれば何年もの間、安静にして過ごすという事を意味し。


沖田には、それは採りようのない選択肢だった。


”もしも”


もしも、その間に。近藤に、土方に、何かがあっては。



己の生きる意味は、近藤たちを護ることにある。


己が剣をまだ握れるうちは、己が傍に居て彼らを護り続ける。


それが望むことだ。


畳の上で命を長らえることではない。


時代は刻一刻と滞ることなく動いてゆく。


今でなくてはならないのだ。


この激流の時代のちょうど、この今に、近藤たちを護り援ける存在が必要なのだ。


一日一日がどれほど緊迫しているか。


日々、肌でもって呼吸でもって理解している沖田だからこそ、いま近藤たちの身に絶えず迫る危険を知っていた。


その危機感は、家のなかで安穏に暮らす医者には、到底判ることではない。


「貴方がいま療養なさるおつもりが全くないというのなら、私にできることは何もないのですぞ」


医者の見つめる先で、沖田が重く頷いた。


そんな彼に、医者は小さく溜息を落とした。


「分かっております。沖田殿はその病を治すつもりで来られているわけではないと。しかし、それは医者にとっては哀しいことだ」


沖田は顔を上げた。

やはり、この医者には気づかれていたのだ。


「・・申し訳ありません」


「どうしても療養に専念なさるおつもりはないのですな?」


沖田は黙して頷いた。


・・ならばもう来なくてよい、と彼は言うだろう。


新たな医者を探さなくてはならぬか。沖田の脳裏にそんな思いがよぎった時。



「それで、次はいつ来られる」


予想もしなかった言葉が、沖田の耳に届いた。


思わず目を凝らして目の前の医者を見やった沖田に、医者は諦めた様子で微笑いかけ。


「貴方の気が変わることを気長に待つとしましょう」


「・・・・」


沖田の心内が疼いた。


・・・己が療養に落ちる時は、すでに己の使命を果たしきったと感じた時だ。


つまりは、


剣を握れなくなった時。


そのときはもはや、回復の見込みは無くなっているのではないか。


「新しい薬をお渡ししたい。また、十日後に、いらしてください」


沖田は頭を下げると、立ち上がった。






「沖田様?もう診察は終えられましたの」


廊下の先で、おようが首を傾げるようにして、沖田に手を振った。


その笑顔に救われるような想いで、沖田は足早におようへと近づいた。


「次は十日後あたりに来ます」


「まあ、十日もお逢いできないの?」


沖田が望んだ会話が始まったようだった。


「そのうち私、浮気してしまうわよ」


普段ならば沖田は、彼女のこの調子にたじたじになり逃げるように帰ってゆくのだが、


何故か今は、もっと聞きたかった。


「十日など、すぐでしょう」


「女にとって十日は、すぐではないの」


沖田は微笑った。


「では、どのくらいならば、すぐなんです」


「明日。」


「・・それは、確かにすぐだな」


この医者の家で。そんな、冗談の交わし合いが、


決して沖田の病のことには触れないおようとの会話が、


毎回医者と面会した後の沖田にとって、どれほどの癒しになっていたかということに。


沖田は今更ながら気がついた。


「おようさんは、すごいな」


「あら、やだ。なあに、いきなり」


おようは心底驚いたらしく、目をまんまるにして沖田を見つめた。


沖田のほうは口にしてから、自分が言ってしまったことに困って黙り。


だが、ややあってのち、 おようの澄んだ黒い瞳を見返した。


「おようさんが、」


沖田は静かに微笑った。


「浮気のひとつもできるように、十日かけて戻ってきますよ」



「・・まあ・・」


一瞬、おようは、ひどく哀しげな表情になって。


だがそれは本当に一瞬で、次の刹那には、頬を膨らませて沖田を見上げてきた。


「そんなこと仰るなら、ほんとに浮気しますわ」


つん、と膨らませた頬を背けて。おようは、踵を返して元来た廊下を帰り始めた。


「さよなら、おようさん。また十日後」


沖田はおようの小さな背に最後の挨拶を向けた。








「およう」


おようの背後で、父が声をかけた。


「沖田殿のことは、諦めなさい」


「・・・」


父は、振り返らないおようの肩を優しく手で支えた。


「おまえには、おまえに相応しい婿を探してやれる」


「・・・」


「あの方は命を削って生きていかれる。この先も。」


父は小さく溜息をついた。


「武士とは、かように命を悟られた方のことか」


一人ごちるように、父は呟いて。


「私達とは全く別の世界に、あの方は生きているようだ。・・だからおまえを、」


父は、静かに言葉を続けた。


「この先も生きてゆくおまえを、あの方に添わせてやるわけにいかぬ」


「父上、」


振り返ったおようの頬を透明な涙が伝っていった。


「私は、あの方との婚姻を望んでいるわけではありません」


「およう、」


「ただあの方といつまでも、たわいのない話をしていられたらそれで・・」


「およう、分かってくれ。おまえには幸せになってほしい」


「私はっ・・あの方とお逢いできれば、幸せでございます」


「だが、おまえがいつまでも祝言をあげぬままでいれば、沖田殿はじきに此処へ来られなくなるだろう」


「・・!」


おようの瞳からはみるみる大粒の涙が零れ出した。


「沖田様は・・」


おようの唇が震える言葉を紡いだ。


「沖田様は私の気持ちをご存知と、父上は言われるのですか」


父は、深く頷いてみせ。


「恐らく沖田殿も。おまえのことを同じ想いで見てらっしゃる」


おようの目が大きく見開かれた。


「だからこそ、おまえの一日でも早い祝言を望んでらっしゃるだろう」


「何故、です?私のことを想ってくださっているというのなら、沖田様は何故、私の祝言を望むのです」


「沖田殿も、おまえが幸せになることを望んでいるからだ」


「・・・っ」


おようは困惑した瞳を揺らして、父を見上げた。


「あの方は、」


父は哀しげにおようを見返し。


「ご自身の生きる目的を、先の短い生を、しっかりと見据えてらっしゃる」


おようの瞳が食い入るように父を見つめた。


「先の短い命と判っているからこそ、沖田殿はおまえを傍に置くわけにはいかないのだ」




「・・・」


おようは静かに俯いた。


とめどない涙に頬を濡らしながら、胸に沸き起こる恋しさを断ち切るように。


きつく目を瞑った。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

沖田総司 @utageyoru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ