平和

 間一髪戻ってきたメロスを見て、群衆はどよめいた。あっぱれ、許せと口々に歓声をあげる。

 そして、セリヌンティウスの縄がほどかれた。

 セリヌンティウスが喜びからメロスを抱擁しようとしたその時、メロスが叫んだ。

「セリヌンティウス」

 メロスは目に涙を浮かべて言った。

「私を殴れ。力いっぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君がもし私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえないのだ。殴れ」

 セリヌンティウスは全てを察した。そしてうなずき、刑場いっぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑み、

「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、君を疑った。たった一度だけ、ちらと君を疑った。生まれて初めて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない」

 メロスは腕に唸りをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。

「ありがとう、友よ」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。

 群衆の中からも、虚欷の声が聞こえた。暴君ディオニスは群衆の背後から二人の様子を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔を赤らめて、こう言った。

「お前らの望みは叶ったぞ。お前らは、わしの心に勝ったのだ。真実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしも仲間に入れてくれないか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい」

 どっと群衆の間に、歓声が起こった。

「万歳。王様万歳」

 ひとりの少女が、緋ひのマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友セリヌンティウスは、気をきかせて教えてやった。

「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ」

 勇者は、ひどく赤面した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

走れセリヌンティウス 峻一 @zawazawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ