疑念
時間は刻一刻と過ぎていく。太陽はセリヌンティウスの後ろにあるが、少しずつ落ちていくのが、彼は目に見えるようにわかっていた。そして、この時セリヌンティウスはディオニスが何か罵ってるだろうと思っていたが、にやにやと笑うだけで、何も言ってこなかった。それが恐ろしく不気味に感じていた。
セリヌンティウスは心の中で叫ぶ。メロス、がんばれ。走れ、と。
太陽が夕焼けになり始めた頃。長い時間が、セリヌンティウスに疑念を抱くようにさせてしまった。弟子フィロストラトスや、ディオニスの言葉が脳の中を巡るのだ。メロスは戻ってこないという言葉。それが巡るのだ。そんなこと考えたくないのだが、何もすることがないので、嫌でも考えてしまう。
メロスは戻ってくるだろうか。死を恐れず、友情を守れるだろうか。人とは、生に執着するものだ。友情は、生の執着に勝つことができようか。
そしてふと、セリヌンティウスは、心の中で走るメロスではなく、実家でくつろぐメロスを浮かべた。
「メロス!」
思わず声になった。悲痛を訴えるように叫んだのだ。悔し涙がセリヌンティウスの頬をつたう。
その様子を見たディオニスは、立ち上がり、セリヌンティウスの前へと立った。
「ようやく気づいたか。愚か者め。メロスは戻ってこない」
その声は、深い憎しみを込めていた。重々しかった。誰も信じることができない、苦しみを含んでいた。
セリヌンティウスは、ただただ泣いた。静かに泣いた。死を覚悟したのだ。すなわち、メロスは戻ってこないと悟った。
「目を覚ませ。セリヌンティウス」
静まる群衆の中、ひとり大声をあげた人物がいた。ルクレティウスである。
「私はお前を信じた。一瞬たりとも疑わなかった。友情の力を信じたのだ。お前はどうだった。逃げようとしたか」
セリヌンティウスは必死に走っていた頃を思い返す。私は一度もルクレティウスを裏切ろうとしなかった。常に必死だった。彼を助けるために。裏切るなんてとんでもない。
「いや、一瞬たりとも考えなかった。お前を助けるため、走ることに必死だった」
「そうだろう。メロスも同じだ。お前を助けるため、必死に走っているはずだ。なぜ信じてやれないのだ」
セリヌンティウスの全身に衝撃が走る。セリヌンティウスを囲んでいた雲は消えていった。悪夢から覚めたのだ。
セリヌンティウスは涙を止めた。そして、ディオニスの目を真っ直ぐ見つめ、言い放った。
「メロスは帰ってくる。もう疑わない。お前の負けだ」
ディオニスは強く歯ぎしりをする。セリヌンティウスを睨み付け、鼻息を荒くする。そして、不機嫌そうに歩いてまた近くの椅子に腰をかけた。
メロス。すまなかった。疑ってしまった。申し訳ない。戻ってきたら、謝ろう。
そんなセリヌンティウスの思いとは裏腹に、メロスは戻ってこない。夕焼けの明かりが少しずつ消えて行く。群衆はざわついていたが、セリヌンティウスは静かに信じていた。メロスの帰りを。疑念は少しもなかった。目を閉じ、メロスが戻ってくるその時を待っていた。
そんなセリヌンティウスの想いとは裏腹に、ついに彼は処刑台へとうつされる。もはや夕焼けは沈む直前。ディオニスはセリヌンティウスに言う。
「もう終わりだ。メロスはお前を見捨てた」
「違う。今も走り続けている。はっきりとわかる」
「馬鹿なやつだ」
ディオニスは哀れむようにそう吐き捨てると、静かに刑場から降りていった。
夕焼けは地平線の彼方へ消えようとしていた。結局、メロスは戻ってこなかった。セリヌンティウスを除いて誰もがそう思った。
その時、かすれた声が形場に響いた。
「私だ、形史!殺されるのは私だ。メロスだ。彼を人質にした男は、ここにいる!」
メロスはセリヌンティウスの両足にかぶりついていた。
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