帰還

 昼頃。セリヌンティウスは疲労しきった体で街につくと、彼の弟子、フィロストラトスが駆け寄ってきた。

「セリヌンティウス様」

 セリヌンティウスはうつろな目でフィロストラトスを見つける。

「フィロストラトス。メロスはまだ戻って来ていないよな」

 フィロストラトスは千鳥足のセリヌンティウスの肩をとった。そして、「ええ」と返事をする。

 セリヌンティウスは、遠くを見る目で、「よかった」と呟いた。

 そんなセリヌンティウスをフィロストラトスは横目で不安そうに見る。

「セリヌンティウス様、本気でもう一度磔にされるのですか」

 セリヌンティウスは彼の質問の真意をくみ取ることができなかった。

「もちろんだ。なぜそんなことを聞く」

 フィロストラトスはごほんと軽く咳をした。

「お友達のメロス様が戻ってくると、本気で思っているのですか」

「お前。何を言う」

 セリヌンティウスは激怒した。

「お許し下さい。しかし、戻って来ないように思えて仕方がありません。メロス様は死ぬために戻ってくるのです。私にはできません」

「メロスは戻ってくる。お前には理解できなくてもいい」

 フィロストラトスは疑念を拭えない様子だった。しかし、師匠が信じるのだから、仕方がない。彼は刑場へとセリヌンティウスを送った。

 そこには群衆が集まっていた。そして、群衆は戻ってきたセリヌンティウスを見つけると、口々に歓声をあげる。よくやった、ありがとうと、黄色い歓声が途絶えない。

 その歓声に反応して、うなだれていたルクレティウスは顔を起こした。そして、セリヌンティウスを見つけると、目に涙を浮かべた。

「セリヌンティウス。信じていたぞ」

「ルクレティウス。ありがとう」

 群衆の歓声はさらに大きくなった。拍手が刑場を包む。

「黙れ」

 突然のその大きな一声に、一気にその場は静かになった。暴君ディオニスが現れたのだ。ゆっくり、堂々と現れた。

 そして、セリヌンティウスの目の前に立ち、吐き捨てるように言った。

「勝ったつもりか」

「ああ。勝ったぞ。純白の友情を証明した。お前の負けだ」

 ディオニスは馬鹿にするように鼻で笑った。

「ルクレティウスを解放し、この者を縛れ」

 守衛はルクレティウスを解放し、セリヌンティウスをそこへ縛った。

「メロスが日没までに来なければ、お前は死ぬ。どうだ。実感が沸いてきただろう」

 磔にされたセリヌンティウスは、上から真っ直ぐ王の目を見つめ、「沸かぬ」と言った。

 王は再び鼻で笑う。

「こいつは救いようがない。お前がここへ戻ってくるのに必要な勇気と、メロスがここへ戻ってくるのに必要な勇気には、天と地の差がある。お前はメロスが戻ってくると信じているから、死ぬつもりは少しもないだろう。しかし、メロスは違う。死ぬために戻ってくるのだ。戻ってくること、すなわち死なのだ。それから逃れる方法はひとつ。逃げることだ。しかも、これは簡単にできてしまう」

 セリヌンティウスは「黙れ」と叫んだ。それに構わず、王は言う。

「どうだ。恐ろしいだろう。後悔の念が沸いてきただろう」

 王は笑っていた。こいつは悪魔か。セリヌンティウスは思った。王は人を信じることを知らない。彼は王を睨む。その時、セリヌンティウスは王の瞳から何かを感じた。王の瞳の奥は、決して笑っていなかったのだ。苦しみ、悲しみを感じた。助けてくれと、一瞬聞こえたような気がした。

「私は信じる。メロスは戻ってくる」

「そうかそうか。まあ、せいぜい妄想していろ」

 ディオニスは大きく笑いながら、近くの椅子に腰かけた。そして、サーカスでも見ているかのように、セリヌンティウスを見つめる。

 セリヌンティウスは空を見上げた。メロス、信じているぞ。

 空は、雲ひとつない快晴だった。

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