グロウ・ゴールドの置き土産?

 そいつは、巨大だった。彼我の距離は100メートル以上離れているにも関わらず、そいつの顔面を見るには、こちらが十分に見上げることを要した。


 ネオサンライズヒルには、そいつほど大きな建築物と言えば、『ペンシル王の王宮』か『聖なる炎の燭台』しかない。ネオサンライズヒルの住宅街に潜むには、そいつはあまりにも巨大すぎた。


 何より、そいつは醜かった。裸の人間の女性を彷彿とさせる外見をしていたが、劣情を抱くには無理があった。


 まず、肌の色が毒々しい。腐乱したまま永く放置したような紫色で、近くにいるだけで鼻から脳味噌を殴られているような気分になる。先刻、議員を殺害した、あの液体とほとんど同じ色だ。


 次に、頭部。天まで伸長した頭部には髪がほとんどなく、岸壁から生えた地衣類のようにまばらに生えるのみ。爛と開いた眼は黄色く、下膨れた頬を筆頭に醜い痘痕の凸凹が顔全体に広がっている。斑模様の歯が剥き出しになった口からは、いかにも毒々しい液体が今まさに垂れ下がっていた。


 体系もまた然り。ひどく垂れ下がった乳房と思しき部位は、同じく肥大化した腹部と半ば一体化しており、もはや達磨のよう。脚部はこちらからでは全く見えず、代わりに太い触手が下半身から何本も伸びていた。


 まさに、異形の怪物。だが、それ以上に僕達を困惑させたのは、そいつの外見ではなかった。


「あンらァ、ゴメン遊ばせェ。ちょっと粗相シチャッたみたいねェ!」


 老いて枯れた女性の声がした。どこからだと思う? その魔物からだよ。そいつが、溶けた議員と車を見て、嗤っていたんだよ。


「なあ、兄弟。喋る魔物って、いたか?」


 冷静に一人ごちるように確認する兄弟に、僕は首を左右に振った。


「どうだろう。高い知力を持つ魔物の中には人語を解したりするものもいるし、低位の魔物でもゴブリンのような群れを作るのは独自のコミュニケーション手段を持っていたりするよ。けど、僕達みたいに実際に口を動かして喋る奴を見たのは、こいつが初めてだ」


「となると、こいつは俺達が初めて見た新種ってことか。こいつを討伐すれば、俺達が初の討伐者になる。胸が熱くなる話じゃねえか」


「右に同じ。議員の件で鬱憤もある。僕達で倒して総会に報告しよう。町の人々を守る為にもね」


 兄弟は光剣ライトセイバーを生成し、僕は四肢に身体強化の術式を巻き付ける。そんな気炎万丈な僕達に気付いたのか、魔物が僕達を見た。


 目を細めている。……何か、喜んでいる?


「あらァ……とてもカッコいいじゃなァイ……。好みヨォォォォォォォォオオ!」


 叫びながら、魔物が吐いた。しかも、胸いっぱいに昂る感情で身をぶるんぶるん震わせて。


 毒々しい奔流を衝撃で防ぐとかとても考えられなくて、僕と兄弟は散開した。


 たった一回の吐瀉で、辺りの情景は惨憺たるものに変わっていた。豪奢な邸宅には、その威容をよりよく彩るべく、色鮮やかな植物の生い茂る美しい庭園が広がっているものだ。吐瀉物は、そいつらを台無しにした。触れた木々は溶けるように朽ち、沁み込んだ地盤を介して、隣接する芝や生垣までにも死が伝染していく。権威ある者達の華やかさを標榜する邸宅は、瞬く間に毒気のみが広がる死の館へと成り下がってしまったのだ。


 兄弟は舌打ちする。


「なんて奴だ。こんなのに好みと言われるとか、ますますゴメンだぜ」


 全くだよ。しかも、吐いた当の本人(?)に至っては、やらかしておいてなんとも思ってない。


「やァだァ! またやっちゃったわァ!」


 とか言って笑ってるし。さらに僕は困った事実に気付いた。こいつ、どうも兄弟に注目しているようだ。


「ねェ、あなたァ……、前に私が惚れタ人に似てるのよねえェ。誰だったかしらァ……?」


 そう言って、魔物は口元に指を当てる。その姿は想い人を脳裏に描こうとする少女のようにも見えたが、生憎、そいつは醜い魔物だし、芋虫のような指は三本くらいしかない。


 ここで、ネオサンライズヒルの警護でいた警察機関の人達に動き。残忍な溶解液の被害を潜り抜けた部隊が、一斉に魔物へと銃を構えた。先刻、議員を手にかけ、このネオサンライズの景観にまで重大な損害を与えた元凶を、彼等が黙って見ているわけがないよね。


 発砲。統制の取れた隊列から轟音と共に放たれる弾丸が、魔物の巨体に命中する。ダメージは入っているようで、手で庇われている顔面が苦痛で歪んでいる。けれども、その表情はすぐさま憤怒へと塗り替えられた。


「今ァ、思い出そうとしてイル最中でしょうがァ!」


 魔物の周囲から生えている何本もの触手が、展開された部隊目掛けて勢いよく振り下ろされた。


 たったそれだけで、武装SUVや近所の邸宅は大破する。おまけにその触手にも溶解液はびっちりついている。ただでさえ先ほど撒き散らされた吐瀉物のおかげで行動範囲が制限されているというのに、そこへ溶解液付きの太い触手が突っ込まれればひとたまりもない。


 人が溶ける瞬間を、僕はまた見てしまった。警察機関は撤退せざるをえないだろう。けど、僕達にとってはそちらのほうが都合が良い。魔物は彼等にとって門外漢だし、僕達も彼等に仕事を盗られたくはないからね。


「ああ、思い出したわァ!」


 次の瞬間、魔物が叫んだ。そして、何やらうっとりとしたような表情を浮かべて、両手を合わせる。それは可愛らしい少女だったころの思い出を反芻して喜んでいるようにも見えて。


「グロウ様……! グロウ・ゴールド様! あなた、私が愛シたグロウ・ゴールド様にそっくりだワ」


 僕達は愕然とした。聞きたくもない男の名が、まさか目の前に魔物の口から出てくるとは思わなかったからだ。兄弟も「グロウだと⁉ てめえ、なんで知ってやがる⁉」と怒りを露にしたが、肝心の魔物の耳には全く届いていない。


「グロウ様! アア、私のグロウ様! この私がグロウ様を忘れてしまうなんテ、なんて悪いコトヲしてしまっタのかしら。デモ大丈夫。グロウ様は優しいカラ、全て笑って許してクレルはず。……そもそも、私ガこの町に舞い戻ッテ来たのも、全てはグロウ様に再ビ会いに行クためだったジャナイ! アア、グロウ様! ああ、グロウ様! 私はここにいます!!」


 何言ってんだこいつ⁉ 僕は茫然としてしまった。グロウが魔物と何かしらの関係を持っていたというのか⁉ そんなの前代未聞だ。大体、グロウは魔物とは悪い意味で縁の無い男だ。そんな人間が、魔物――よりによって醜悪な外見の種と交流していたなんて、とても考えられない。


「はん、グロウが、てめえみたいな気持ち悪いモンと甘い関係を持ってたっていうのか? あいつもワケ分かんねえ所あるな」


 兄弟に至っては、もはや失笑すら漏れている始末。しかし、そんな僕達のリアクションなど意にも介さず、魔物はなんだか楽しそうな様子で兄弟を見ている。


「アァ、あなた、グロウ様じゃないけど似てイルってことは、さては、あなたがフラッシュなのネ。フラッシュ・ゴールド! グロウ・ゴールド様の、腹違イノ兄弟! グロウ様のオ兄サン! 会エテ光栄だワァァァァァ!」


「違えよ、ボケ! ふざけんな!」


 歓喜のあまり吐き出された吐瀉物は、兄弟の憤怒と共に放たれた光線によって蒸発した。熱線で頬を掠めた魔物は、禁句を言われて怒りの形相を浮かべる兄弟の姿を見る。


「あのクソ議員ばかりか、魔物にまで同じことを言われるとか、マジで今日はなんて日だ! いいか、てめえはどうせ俺達に狩られるだろうから関係ねえだろうが、よく覚えとけ。俺はフラッシュ・ゴールドじゃねえ。フラッシュ・ゴールドだ。そこ忘れるな。あと、グロウは俺の兄弟じゃねえ。俺の兄弟は、シャドウだ!」


 兄弟の言葉に、魔物は目を丸くした。いや、こっち見るな。まあ、そうだよ。僕が兄弟だよ。グロウは僕達の兄弟じゃない。何も間違ったことは言っていない。


「何言ってルの? 意味が分からないワ⁉ 私は知ってるノヨ⁉ フラッシュ様のお父様がゴールドユニオン創設者のブライト・ゴールド様で、そノ方とフィアンマ・バーンズ様の間に生まれたのがグロウ様だと! ああ、私、ウェヌス・ラスト・エリュキナは、あなたに会いに行ったのです、グロウ様。そうダ、フラッシュ様なら知っていルんでしょう? グロウ様の今の場所」


 途中から僕達のことを言ってるのか、意識だけ別世界にトリップしてしまってるのか、実に精神が安定していない。ただ分かるのは、こいつは兄弟に対して、フィアンマという更に言ってはいけない人の名を言ってしまったことだ。


「いねえよ、グロウのクソ野郎は。魔物に殺られてくたばった。その魔物も、俺らに狩られて宝珠になっちまったがな」


 次の瞬間、魔物の動きが止まった。醜いゼリーのように震えていた下膨れの頬すら硬直せしめるほど、表情が徐々に青くなっていく。


「ハ……? あなタ、何を言っていルの?」


「だから、グロウのクソ野郎は死んだんだよ。ウェヌスだかアヌスだかなんだか知らねえが、もう一度教えてやるぜ。グロウは、死んだ。この世にはいねえ。って言ってん――」


 ――絶叫。


 兄弟の口からグロウの死が再び出るや否や、ウェヌスと名乗った魔物は天を仰ぐように大絶叫した。耳の穴から針を差し込まれたような甲高い声に僕は思わず耳を塞ぐ。そして、近隣のビルから窓ガラスが飛散するのを見た。


 続いて、甲高い声が収まったかと思いきや、次にウェヌスの口から放たれたのは、吐瀉物。臭くて危険な液体が、ネオサンライズヒルの舗装道路を再び溶解する。


「うソ……、グロウ様が死んだなんて……、そんなの信じられないわ。私ノ、私のグロウ様が、どうしテそんなことになラナきゃいケないのヨ」


「つーか、あのクソ野郎の何が良いんだ。魔物のセンスから見りゃ、あいつが最高ってわけか? なら納得だぜ」


「あなタ……よくそんなことガ、言えるワネ……。……そうカ。そうイウことか。ソウイウことなのネ……!」


 ウェヌスが再び僕達を見た時、そいつの顔は憤怒に震えていた。


「そんな酷いことを言ウあなたはフラッシュ様じゃないワ! あなたは偽物! フラッシュ様を騙リ、私に嘘ヲ言うなんテ、許されナイ悪徳! 死ね、偽物ォ!」


 刹那、周囲に巨樹のごとく伸びていた触手が先端をこちらに向け、襲い掛かってきた。先端でも丸太ほど太い触手が鞭のように突っ込んできた衝撃は凄まじいもので、たった一撃で整地された地面を吹き飛ばし、背景の家屋を木端微塵にした。


 ま、瞬間移動とかすれば、どうってことはないんだけどね。


「俺達を許さねえってんなら好都合だぜ。てめえがグロウと何の関係があんのかは知らねえが、俺もてめえを許す気はねえからよ」


「というか、この町に手を出した時点で、僕達は君を倒さなきゃいけないけどね」


 僕達は、故レッドフィールド議員邸宅の向かいにある建物の上に立っていた。そんな僕達へとウェヌスが振り向く。憤怒に歪んだ表情で。


 触手が襲い掛かる。今度は、家屋をまるまる薙ぎ払うように真横から襲い掛かる。近隣の邸宅ごと粉砕し、屋根瓦やら資材やらが派手に吹っ飛ぶ。けれども、そんなデカいだけの物理攻撃なんて、魔方陣に隠れれば回避するのは造作ない。


 兄弟? 怒り心頭の兄弟に、ウェヌスの薙ぎ払いを回避する余裕なんてないよ。


「『残光剣キリングロウ・エッジ』!」


 屋根が完全に吹っ飛ぶ刹那、一筋の光――身を閃光へと変えた兄弟が、一直線にウェヌスへと突っ込んだ。そして、醜い巨体をぶった切った。


 悲鳴。眩い背景からわずかに見えたシルエットは、兄弟によってウェヌスの頭部が切断された瞬間を確かにとらえていた。が、再び確認すると、兄弟が斬ったのはウェヌスの首から上じゃなかった。額より上――異様に伸長していた部分だけだった。


「痛アアアアアアアイ! やっぱりィ、あなたは偽物ヨォ! 偽物の兄弟もろとも、ぶっ殺してやるわアアア!」


 怒りと苦痛で叫ぶウェヌス。兄弟が切断した部分の中には脳味噌が無かったようで、奴の致命傷にはならなかったようだ。てことはあれ、本当に何もないみたいなのだったんだ。


 別の建物の上に着地した兄弟を、ウェヌスが睨む。感情が昂った奴が次にすることと言えば、ゲロだろう。だが、させない。


 口を開けたウェヌスは見た。突然目の前に魔方陣が生成され、そこから兄弟に斬り落とされた自身の一部が出てきたことを。そして、別に生成された魔方陣から僕が飛び出してきたことを。


「『魔法士の蹴り飛ばしメイガス・シュート』ッ!」


 飛ばすボールは、奴の一部。向かうゴールは、奴の口内。寸分の狂い無く放たれた僕のシュートは、放出寸前の口を見事に塞いだ。さらに、シュートの勢い余って、ウェヌスの頭部が大きく仰け反る。


 真上を向いたウェヌスが見たのは、太陽の光。いや、その輝きに重なって怒りの光を掌に集める、兄弟の姿だった。


「『破壊光線ハヴォック・レイ』!!」


 真上から放たれた閃光の砲撃が、ウェヌスの巨体に降り注いだ。圧倒的なエネルギーの奔流が、文字通り魔物を押しつぶした。兄弟の激昂がこもった一発は、衝撃の余波で僕の立っている屋根すら壊さん威力だった。兄弟が僕の隣に立った時、僕達の目の前には触手だけ残ったいびつなクレーターが穿たれていた。


「ありゃ、まだくたばっちゃいねえな……」


「あいつが魔物なら、そうだろうね」


 それにしても、言葉をしゃべる魔物って何なんだよ。しかも、よりによってグロウのことを知っていたなんて。ウェヌス・ラスト・エリュキナとか名乗っていたけど、後で調べた方が良いかもね。


 ふと、僕達の背後から人の気配。振り返ると、知ってる人がこっちに向かって来ていた。青みがかった黒い皮膚の男と言えば、僕達は彼以外知らない。


「ツァボ!」


「クロスファミリー!」


 僕達も屋根から飛び降りた。ツァボが着ていたアカデミーの衣服は、すでに何か所かボロボロになっており、焦げ付いた箇所も見られる。


「火野郎、何の用で来た?」


「撤退の道中に君達がいただけだ。護衛対象が壊滅してしまった以上、もう僕達にはここにいる意味がない」


「その身なりから察するに、そっちも派手に戦っていたみたいだね。他のアカデミーの人達はどうしたんだ?」


「僕はしんがりだ。仲間は、手に届く範囲の民間人を救助して、今頃は共にサンブレイズを脱出しているはずだろう」


「おいマジか。それはつまり、アカデミーもサンブレイズの人を助けてるってことか? 火野郎にしちゃ珍しいことをするもんだな」


 兄弟が皮肉を言うと、ツァボは苦笑交じりに答えた。


「金十字の言いたいことは分かる。だが、僕達もまた魔物ハンターの端くれ。この町を守る義理は無いが、魔物に苦しむ人間を見捨てる理由も無い」


「……そういうところがあるから、なんだかんだで僕は四元素王が嫌いになれないんだよねえ」


 アホみたいな研究してるところは好きになれないけど。


「ところで、クロスファミリー、この辺りから強力な魔物の気配を感じたのだが……」


「ヴィダルケンの勘か? ああそうだ。俺達でなんとかなる程度の相手だがな」


「まあ、これまた変な魔物だよ」


 その時だった。僕が言い終わるか否かのところで、背後から轟音。ウェヌスが、僕達との間を阻んでいた家屋を片腕だけで振り払ったのだ。カーテンをシャッと開くように、子供が積み木を崩すようにあっさりと破壊された資材が僕達の所まで降りかかってくる。


 僕達が振り向いた時、ウェヌスは怒髪天を突く形相で僕達を見下ろしていた。


「よくモ……ヨクもこの私ヲ……! 偽物め、絶対ニ許さナイ。あなた達の四肢を引き裂いて、苦痛に満チテ死んだ亡骸を、愛しのグロウ様に届けてやるワ! そしてまた、グロウ様から褒メテ貰ウのよ! いい子ってネエエエエエエエエエ!」


 吠えると共にウェヌスが吐瀉物を吐いた。


 汚いだけでは済まされぬ奔流が、僕達の集団へと襲い掛かる。僕と兄弟なら横っ飛びで容易くかわせるが、ツァボはそういうのは苦手だ。彼だけが、もろに食らう形に――なるわけがなかった。


「『胎動焔の爆風ノヴァ・ブラスト』!」


 ツァボが咄嗟に翳した掌から、火炎が放たれた。脈打つように燃え滾る熱量は吐瀉物を容易く蒸発せしめ、まだ嘔吐の真っ最中であるウェヌスの口の中に直撃。爆ぜた炎は、悲鳴ごとウェヌスの口を焼き尽くした。火の四元素王と名乗るに相応しい火力の一撃を受けて、魔物は口から煤を漏らしたまま白目を剥いてしまう。


「うるさくて臭い魔物は嫌いだ。触りたくもない」


 その一言には僕も同意。だが、彼の一言がきっかけなのだろうか、ウェヌスのひん剥いた白目がごろんと一回りしたかと思いきや、再び爛とした眼光をこちらに向けた。


「……誰が、魔物ヨォ。私を、誰だと思ってんのよォ。この私にこんなことをするなんてェ」


「こいつは驚いたぜ。まさかあいつ、てめえ自身が魔物だって自覚がねえのか?」


 てことは、やっぱりあいつ、元人間なんだ。ウェヌスって何者なんだ⁉


「魔物ォ!⁉ 確かに、私を魔物と呼ぶ不届き者は沢山いたわ。性格の悪イ女とか、皆私のことヲそう言ってたワ。でもね、グロウ様は違うの。こんな私を美しいと愛してくれた。そして、私を魔物呼バワリする汚らわしいクズ共を懲ラシメる力ヲくれた。グロウ様ハ、本当に素晴らしイ人だったワ!」


 ウェヌスはその場で手を合わせ、上を見た。その姿は、何か崇高なものを見上げて恍惚な表情を浮かべているようにも見えた。醜い魔物がやると悍ましさが逆に酷く感じられるもんだが、代わりに奴の周囲の触手は僕達へと容赦なく襲い掛かってくる。


「アア、グロウ様、アナタはどこにいらっしゃルのですか。私、ウェヌスは帰ッテ参りましタ。あなたが私にホワイトアッシュのカばンをプレゼントしてくレタ美しい日々も、後ろカラ激しク突いてくれた熱い夜も、私は決して忘れておりまセン。どこにいらっしゃるのですか。私は、アナタに会エル日をコンニチまで楽しみにしてきタノデす」


 なんかまたわけわからない独白を始めてるし! てか、


「だから言ってんだろ! グロウは死んだ! この世にはいねえんだよ!!」


 無数の触手によって建物が容赦なく破壊される中、崩れた建物の一部を踏み台にして跳躍した兄弟が叫ぶ。そんな兄弟を蝿でも振り落とすかのように容赦なく襲い掛かる触手の数々。怒る兄弟の手には、光剣ライトセイバー


 閃光の軌跡が数々の触手の根元を伝ったかと思いきや、触手が瞬く間に切断された。自分がまた斬られたと知るや、ウェヌスが悲鳴を上げる。もうここまで来るとパターンは読めてる。奴はゲロを吐く。だから、今度は僕が止める。


「『魔法士の蹴り飛ばしメイガス・シュート』!」


 兄弟が切断した触手のうち、最も近くにあった最も太い一本を、僕は勢いよく蹴り飛ばした。触手はまたもやウェヌスの口にヒット。疑似的に猿轡をかまされ、ウェヌスの巨体が後退する。


 え? ウェヌスの触手には溶解液が付いてなかったかって? 脚を保護する僕の魔方陣は溶解液なんて受け付けないよ。


 ウェヌスが、口にかまされた触手を外し、こちらへ乱暴に放り投げてきた。避けたかったが、僕達の背後はウェヌスの被害をまだ受けていない地区だった。咄嗟の判断で、兄弟の光線とツァボの火炎が触手を破壊する。


 ここで、ツァボが一歩前に出た。


「ちょっと僕にやらせてくれ。サンブレイズに魔物が出たものの、みんな弱すぎて貴重な戦闘データを得る前に死んでしまう。おかげで、僕の可愛い『彼等』が退屈すぎて不満を言っているんだ」


「『彼等』ってアレのこと? 全く、そういうところなんだよ。戦いを実験か何かにしてるところが、僕はギルドクラブのことが好きになれない理由なんだ」


「勝手にしやがれ。けど、あいつにとどめ刺すのは俺だから、死なすんじゃねえぞ」


 ツァボの掌に炎が灯る。


「『亡霊ゴースト暗黒ダークネス』」


 彼の両脇に燃え盛る魔方陣が生成。身の丈程の直径もある陣から、まるで火の輪をくぐるように飛び出して現れたのは、二頭の炎のライオンだった。


 僕達の住む地から遠い南にある大陸で、凄惨な害獣事件があった。鉄道を敷く工事を担っていた労働者たちが、野生のライオンの兄弟に襲われたのだ。やがて、勇敢なハンターによってライオンは退治されたのだが、そいつらの巣穴を調べた結果、驚愕の事実が明らかになった。なんとそいつらは、襲った労働者を食べていなかったのだ。ただ、快楽のために労働者たちを殺し、遺体を巣穴に集めていただけなのである。百人以上の労働者を殺戮した人食いライオンならぬ人殺しライオンの兄弟は亡霊ゴースト暗黒ダークネスとそれぞれ呼ばれ、今でもなお伝説となっている。


 それが、ツァボの操る召喚獣の由来だ。


「ンンン~⁉ 何よォ~! 黒いヴィダルケンまでぇ、偽物に続いて、私にたてつくわけぇ⁉ 身の程知ラズにもほどがあるんじゃない⁉」


 両目をグワっと膨らませて、ウェヌスはツァボを侮蔑するように睨んだ。


「昔いたわァ~。あんたに似タ色の皮膚の女! ソイツ、なまじっか歌と踊リが上手いばっかりに、調子ニ乗ッテ『聖なる炎の燭台』の舞台に立チやがったのよねェ!」


 何の話をしているんだ? 一方、ツァボは腕の動きだけで指示をする。ツァボの右手にいたライオンが、まるで天を駆ける炎のようにウェヌス目掛けて飛び掛かった。


「だから私、懲ラシメてやったのよ。ソイツの本番の直前に、衣装ヲズタズタに切り裂いて、恥ヲかかせてやったわ。でもそれだけじゃスマナイ。グロウ様の仲間に指示ヲして、そいつを後ろから犯シ殺スように命令してやったワ!」


 ――こんな風ニネ! 新しく再生した触手を、ウェヌスはライオン目掛けて死角から叩き込んだ。太くも強靭な触手の一撃により、ライオンは花火のように散る。


 いや、消えてなかった。飛び散った火炎は再びライオンの姿へと収斂し、勢いを変えぬままウェヌスへ襲い掛かったのだ。


 そりゃそうだ。亡霊ゴースト暗黒ダークネスは炎の獅子。炎に決まった形が無いように、実体を持たない彼等に、物理的な攻撃は効きやしない。


「ナニヨ、そのケダモノ、イギャアアアアアアアア!!」


 亡霊ゴーストがウェヌスに食らいついた途端、奴の頭部が炎に包まれた。悲鳴すら焼き尽くす業火に蹂躙され、ウェヌスが頭部をもみくちゃにするように悶える。


 そこへ続くは、相方の暗黒ダークネス。砲弾の如き勢いでウェヌスに突撃し、爆発。業火がウェヌスの巨躯を覆った。


「素晴らしい威力だ、亡霊ゴースト暗黒ダークネス。これほどの大物相手にも十分に効く火力とはな」


 火炎獅子の兄弟がウェヌスの全身を火炎と共に駆け巡る様を眺めながら、ツァボは満足そうに呟いていた。


 再生した触手やらぶっとい腕やらを振り回して、ウェヌスが二体の獅子を振り払うべくもがいている。しかし、実体を持たぬ亡霊ゴースト暗黒ダークネスは、近くの家屋を巻き込むほどの打撃を与えようも消えず、瓦礫に埋まろうとも隙間から炎を噴き出してライオンの姿に戻ってしまう。吐瀉物で沈下しようにも、火炎に焼き焦がされた喉からは出るものも出ない。二頭のライオンは、ウェヌスにとっては相性が最悪すぎた。


 やがて、ウェヌスが召喚獣の持ち主を先に殺せば早いという事実に気付いた時には、奴は地面に倒れていた。二度目のダウン。倒れる直前、猛火の中で僕達を睨み付けた眼光は、ウェヌスの身を焦がす業火よりも熱く、そして、どす黒かった。


 焼け跡には、ウェヌスの投影したシルエットと全く同じ形の黒々とした虚無が広がっていた。巨大な宮殿がまるまる焼失したようだ。けれども、僕達はまだウェヌスを斃したとは思っていない。あんな醜い敵、魔物と判断せざるを得ないし。焼け跡のどこかに宝珠が落ちていなきゃ、奴が死んだと確信できないよ。


 真っ黒な焼け跡に踏み込み、確認する僕達。一応、灰には触れないよう、魔方陣で足場を作りながら進むよ。灰にまで腐食性の高い毒が含まれてたら大変だからね。


「ったく、なんて威力だよ、火野郎の召喚獣はよ。あいつを倒したかったのは俺だったんだぞ」


「金十字の獲物を奪ってしまったのは申し訳ない。まさか、あそこまで威力を発揮できたとは僕も予想できなかった」


「嬉しそうに言いやがって。おかげで俺はスッとしねえよ」


 満足そうなツァボとふくれっ面の兄弟が何か話しているのをよそに、黙々と宝珠さがしをする僕。灰の中央にはこんもりとした山があり、なんだか嫌な色の煙が立ち込めている。もし本当にウェヌスが魔物なら、この中に宝珠があるはず。豪快に灰を退かそうとすると、もしかしたら宝珠を壊してしまうかもしれないので、ここは慎重に。僕はゆっくりと魔方陣を巻き付けた手を伸ばしていき……。


 ボッ! と灰が爆ぜるのと、あらかじめ唱えていた僕の障壁の術式が発動したのは同時だった。障壁は毒々しい灰から僕を守ったが、爆風の衝撃までは守れず、僕は後方へ吹っ飛んでしまう。僕を呼ぶ声がして振り向くと、白い障壁を展開して灰から防御する兄弟と、同じく赤い障壁を展開していたツァボがいた。


 そして、灰が爆発した方向を見ると、とんでもないのがいた。なんだありゃ⁉


 女の人だと思う。痘痕で覆われた下膨れの頬は、枯れたヘチマが二つぶら下がっているよう。一方、目の周りは皺くちゃに痩せこけており、もはや眼窩に嵌まった目玉に薄皮の瞼が張り付いているだけのようにしか見えない。髪の毛もまばらで、白くて長い髪の束が、何もない頭部の所々から生えているようにしか見えなかった。


「おい、まさかあいつって」


 兄弟の声からは、もはや殺意すら引いていた。でも、そのまさかだ。あいつの顔は、さっきまで戦っていた奴とそっくりだ。


 謎の女は、僕達を見るや否や、大声で怒鳴り散らした。


「こんな私に男三人で寄って集ってリンチするとか酷すぎるじゃないの!! 男として本当に最低! 私のグロウ様と比べたら下の下の存在ね。あんた達の顔、覚えたわよ。次遭った時は覚悟しな。死よりも惨たらしい目に遭わせてやるから!」


 目玉を眼窩からこぼさんばかりに見開き、女は捲し立てた。そして、「覚えていろ!」と吐き捨てると、その場で「はッ!」と叫んだ。


 次の瞬間、女の口から煙が迸った。その色は、あの毒々しい吐瀉物と同じ。僕達は再び防御した。女が吐いた煙がただの煙幕だったと気づいた時には、毒々しい煙は空に立ち消え、同じく女の姿も消えていた。


「逃げられたか! あいつ、マジで何だったんだ⁉」


「さあね。けど、あいつの姿は僕の撮影魔法で取り込み済みだ。直前の巨大魔物も含めて、ギルド総会に提出して報告しよう」


 掌に展開した魔方陣から二つの映像を見せると、さっきまで舌打ちしていた兄弟の顔が綻んだ。


「ナイスだぜ、兄弟。今すぐぶっとばしてやりてえ魔物だったが、そういうのがなきゃ、追い掛けることすら出来ねえもんな」


「けど、問題が一つある。あいつ、完全に姿を消しちゃってる」


「?」


「さっきの女の人、手掛かりになりそうだから探索サーチの対象にしてるんだけど、全然引っかからない。例の煙幕が僕の魔法に干渉してるのか、それとも瞬間移動のような別の手段を使ったのか分からないけど、どこにいるのか全然分からないんだ」


「マジかよ。……けど、あのデカいのがいなくなっただけでも、この町にとっては十分って奴なんじゃねえの? 他の所の奴等も倒しに行こうぜ。なに、あのデカいのがまた現れたってんなら、また倒してやればいいんだしよ」


「まあ、その通りだね。他の地域でも今まさに魔物に苦しめられている奴等がいる。炎神会だけで何とかなるとも思えない規模だし、支援しに行かなくちゃね」


 というわけで、今後の予定が決まった時、全然違う行動をしている者が約一名。


「おい、ツァボ、どこ行く気なんだ? そっちは町の出口だぜ」


「何を訊いているんだ? さっきも言ったが、僕はこれからサンブレイズを出る。欲しかったデータは得られた。欲しいものはこれ以上無い。つまり、これ以上僕がこの町にいる理由は――無い」


 ツァボは、こちらを振り向かずに答えた。


「ちょっと待ってくれよ! ここには、まだ沢山の魔物が残ってて、今まさに魔物に襲われて命を落としている人がまだまだ沢山いるんだぞ⁉ あんた、さっき言ってただろ、魔物に苦しむ人間を見捨てる理由は無いって。あんたも魔物ハンターの主力なら、もう少しここに残って活動してもいいんじゃないか⁉」


 僕が叫ぶと、ツァボは背を向けたまま、しばしの沈黙。やがて出たのは、この一言だった。


「だから、僕達はP.E.N.C.I.Lなのだろう?」


「はあ?」


 僕が眉をひそめると、ツァボは続けた。


「君達クロスファミリーは、特に黒十字は、魔物の脅威から人を守ることを第一に活動している。しかし、僕達プラチナアカデミー・ギルドクラブは、魔法の根源を解明し、よりよいものへと高めることを第一に活動している。君達が魔法の研究を優先事項にしていないように、僕達は人々を守ることを優先事項にしていない。


 結局、僕達は表面上では色々と重なるところがあって協力出来るのかもしれないが、根っこの部分では大切にしていることがそれぞれ全く違う。だから、僕達はひとつになれない。P.E.N.C.I.Lとして分かたれるしかないのだ」


「ごちゃごちゃうるせえな。要は、これ以上やる気はねえってことだろ? なら出て行っていいぜ。てめえらに獲物を奪われるのも癪だしな」


「流石は金十字、話が早い。お言葉に甘えて、去らせてもらうよ。黒十字もそれでいいな?」


 兄弟は了承したようだが、僕はまず深い嘆息が出た。


「分かった。好きにしてどうぞ。人助けは僕達だけでするよ。戦いに協力してくれたのは感謝するよ。テトラ含めて、プラチナアカデミーのそういう所が僕は嫌いだけどね、全く」


「君達に嫌われたところで、特に損は無い。僕達のテトラを貶められることを除いて」


 そう残したツァボは、最後まで僕達の方を見ないまま去っていった。


 仕方がない。あんな奴にいつまでも絡んでいられる暇なんて、今の僕達には無いのだ。


 カラスバとヤマブキをそれぞれ呼び、僕達はネオサンライズヒルを後にする。場所はどこでもいい。魔物退治は終わっていないのだから。

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Tale of P.E.N.C.I.L バチカ @shengrung

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