グランツールの反乱軍

 サンブレイズの天に現れたのは、人の映像だった。


 スタジアムのオーロラヴィジョンに匹敵するほどの巨大なホログラム画面が、突如として王立議事堂の真上に映し出されたのだ。しかも、その四方向を向いた映像機は、他の場所にも浮かんでいる。


 映像の男が、ゆっくりと口を開いた。

 

『我らは、グランツールの反乱軍リベル・オブ・グランツール


 地面を流れる冷気のような声は、地面を空気ごと震わし、僕達の脳内を容赦なく揺り動かすほど響いてきた。


『我らは、グランツールの偽りの繁栄に異を唱える者達』


 僕は、改めてそいつの顔を自分の脳に焼き付けた。長い髪と豊かな髭が、見る者にいにしえの戦神の姿を想起させる。その色は戦場に流れた鮮血を浸して染めたかのような真紅で、睨むだけで相手を圧倒せしめるほど峻酷な眼差しが、太い眉の下から映像越しに僕達へと注がれていた。


『我らには、神の獣がいる。神の獣は炎を纏って、グランツールに棲み付く貴様ら傲慢な権力者共の喉を引き裂き、虐げられし弱者達の骸の上で奢侈淫佚しゃしいんいつに暮らす愚か者共を食らいつくすだろう。神の力を得た我々による、貴様らへの憤怒の裁きは終わらぬ。神の獣の力のもとに、貴様らグランツールに棲み付く罪深き者達の次に起こることは、より苛烈で、より甚大な被害を与えるものとなるだろう。我らの進撃は、これから始まる。――我らは、グランツールのリベル・オブ


 さっきまでスピーチしていた政治家達の面子を潰すには十分すぎるほど大層な演説が、上空でループする。てかちょっと待て。さっきから画面のこいつ、聞き捨てならないことを言ってない?


「なあ、兄弟。あの髭野郎の言っている神の獣ってなんだ? まさかとは思うが、あの火蜥蜴サラマンダーのこと言ってんじゃねえか?」


「多分、そうだと思う。あいつ、神の獣と称して魔物を使役している! どんな手段でそんな事をやったのかは知らないけど、それでこんな凶行をするなんて、魔物ハンターとして絶対に許せない……!」


 で、僕達はハッとした。そう言えば、例の火蜥蜴サラマンダーはどこ行った?


「……!?」


 道の上で仰向けになっていたはずの火蜥蜴サラマンダーが、いつの間にか姿を消していた。あの髭野郎の演説に夢中になりすぎて魔物を見失うとか、魔物ハンターとしてあるまじき失態を犯してしまった! まずい。ここには一般人が山ほどいるのに……。


 が、火蜥蜴サラマンダーは思ったよりも早く見つかった。それも最悪の形で。


 突然、僕が担当していたのとは反対側の議事堂前庭が、激しく燃え上がった。見る者の網膜を焼き、近付くものの皮膚を焦がさんばかりの大炎上に、弱き市民達の動揺がさらに広まる。やがて、炎の海の中から雄叫びを上げて立ち上がった主の登場に、彼らのパニックは更に悪化した。


 巨大な火蜥蜴サラマンダーが、聴衆を見下ろしていた。それは、かつて死体の山を取り込んで巨大化した屍山あさりスカベンジャーと同じ。奴は、自ら焼いた森の炎を取り込んで巨大化したのだ。そんな火蜥蜴サラマンダーが、眼下にいる哀れな獲物を見てやろうとすることと言えば……


 火蜥蜴サラマンダーの口元から小さな火が漏れたかと思いきや、大口を開けて灼熱の奔流を吐き出した。僕は見た。避難し遅れた聴衆や誘導中の警察機関の絶望の表情を。彼等を死の火炎から防ごうにも、僕の位置からでは間に合わない。


「『氷結スージェレチオネ』」


 微かながら脳髄にまで響く声が僕達に届いてきたのは、まさにその時。聴衆のいる場所から冷気の奔流が迸り、火蜥蜴サラマンダーの火炎放射と真っ向からぶつかった。その勢いは魔物の力を凌駕し、火蜥蜴サラマンダーの火炎を徐々に押しのけていく。


 あれが出来る人間を僕は知っている。凍炎のパウラ。聴衆の近くにいた彼女が、露となった機械仕掛けの手の平の先に魔方陣を形成し、そこから青白い冷気を放っていたのだ。


「あなたの炎の加護は、私が氷結させていただきます」


 パウラの冷気が、とうとう火蜥蜴サラマンダーの火炎に競り勝った。冷気をもろに浴び、燃え滾る蜥蜴の巨体が徐々に凝固していく。顔面から冷え固まった溶岩のような色に染まっていき、岩の巨像よろしく動かなくなってしまった。


 そんな哀れな火の魔物の周囲に灼熱の魔方陣が無数に生成される。それらからそれぞれ飛び出してきたのは、灼熱色に染まった鎖。鎖は凝固して動けぬ火蜥蜴サラマンダーに絡みつき、硬化した外殻に亀裂が入るほどきつく締め上げる。


「こんな悪いコは、『八つ裂きラチェランド』しちゃいましょ」


 僕は驚いた。この鎖を召喚した張本人が、いつの間にか僕の隣に立っていたからだ。苛炎のフィリパは「そこを動いちゃダメ」と色っぽい視線を僕達に投げかけると、右手をクイッと手前に動かした。


 それだけの動作で、火蜥蜴サラマンダーに絡みついていた鎖が動いた。鎖に巻き付けられた蜥蜴の四肢やら頭部が、それぞれ全く違う方向に引っ張られる。当然、そんなことをしたらどうなるか。


 岩の外殻が裂け、隙間から炎が噴き出した。あれを見ると、僕達にとって忌々しき男の最期を思い出す。強靭な鎖によって、火蜥蜴サラマンダーの巨体が引き裂かれたのだ。冷え固まった部分が四方八方に散らばり、中の炎が鮮血のように飛び散る。


 フィリパは、その炎の中にあった何かを見逃さなかった。パウラが手の平に描いた魔方陣から鎖を飛ばすと、炎の中にあった何かを捉えて引っ張った。そのまま道路の上に投げ出されたのは、元のサイズの火蜥蜴サラマンダーだった。


 これは僕も驚きだった。パウラが凍結させたのは偽りの巨体。その外殻をフィリパが剥がし、その中に埋まっていた核――本体を引っ張り出したのだ。精霊エレメント系の魔物にそんな性質があったとは……。僕達は、苦手な属性の魔力ぶつけて内側から壊す方法しか知らなかったからなあ。


 さて、道路の上で横たわる火蜥蜴サラマンダーの所へ、歩み寄る修道女が一人。雷炎のジョバンナだ。彼女の手には、巨大なハンマーが握られていた。白亜の頭部は異様に大きく、聖なる炎を象徴する篝火の刻印が施されている。そんな大の男が両手でやっとであろう大得物を、ジョバンナは片手で軽々と掴んでいた。


「我ら人類を脅かす魔物よ。我らの聖なる裁きを受けなさい」


 彼女の華奢な体躯からは考えられないほど高く放り投げられたハンマーは、くるくると回りながら火蜥蜴サラマンダーの真上で静止した。やがてそれは電気を帯び、辺りに稲光をまき散らすほど激しく閃く。次の瞬間、ジョバンナは高く上げた右手を、勢いよく振り下ろした。


「『天からの裁炎フォーコ・ディ・チェーロ』!」


 帯電したハンマーが、一筋の稲妻となって火蜥蜴サラマンダーへと落下した。あまりの眩さに直撃の瞬間は見れず、雷熱で空気が急激に膨張する轟音が僕達の鼓膜を蹂躙した。


 雷光に目が慣れて瞼をゆっくりと開くと、辺りに火の粉が飛び散り、道のど真ん中にクレーターが穿たれた異様な光景が広がっていた。穴の真ん中を覗いてみると、灼熱色の宝珠が転がっていた。


 ジョバンナの雷は、ハンマーという『実体』が付加されるだけあって、テトラの雷撃サンダーボルトよりも破壊力が段違いに違う。あっちのは僕達の視界に悪影響が及ばぬよう眩しさがセーブされていたんだが、ジョバンナのはまるで違った。彼女の内なる厳格さが如実に表れているといっても過言ではない。


 ジョバンナの所に、パウラとフィリパが合流する。華麗なチームワークで魔物を討伐した炎神三強の雄姿に、避難途中の聴衆から称賛の声――どころではなかった。未だ制空権を握る髭男の悪趣味な演説と、都市の至る方向から聞こえて来る嫌な叫び声が、彼等の不安をより煽っていたからだ。


 更に酷い情報が炎神三強の下に舞い込んできた。耳元の無線機より送られた情報にジョバンナが顔を顰めている。どうした? と訊くと、無線機を外して僕達にも聞こえるように調整してくれた。耳栓のような黒い塊から溢れ出たのは、今まさにこの町で起きている惨事の数々だった。


『こちらブラックトーチ、イグニス通り! 多数の10トントラックの荷台ウィングから人狼ウェアウルフが! 数が多くて対処できません! 至急応援を、うわああっ!!!』


『メルトチェイン、グランツールモータース本社工場付近にて火蜥蜴サラマンダー火の精霊ファイアーエレメントが大量発生しました! 我々の装備では応戦しきれません! 応援をお願い致します』


『メルトチェイン、旧ジョンソン農場付近にて正体不明の魔物が発生した! 物資の他、食料や民間人に手を出して、多数の被害が出ている!! 応援を要請する! 応援を……やめろ!! うわああああ!!』


『応援要請! 応援要請! こちらアッシュヤードだ。劇場前大通りにて大量の魔物が発生した! 既に民間人が多数被害に遭っており、こっちも負傷者が多すぎて消耗している。私達だけじゃ無理だ! 早く応援をよこしてくれ! 繰り返す!』


 顔から血の気が引くような感覚に見舞われた。これが本当に現実で起きている事実なのか本気で疑った。都市中が魔物だらけってことじゃないか!


「ああ、なんてこと……。罪なき市民の尊い命が、今まさに蹂躙されているなんて!」


「嘆くなんてまだ早いわよお、ジョバンナちゃん。一応、会長に連絡を入れてみたら、すでにイグニス通りで交戦中みたい。私達も応援に行ったらどうかしら?」


「ムーヴァース大聖堂のマシューに確認したら、その周囲も魔物の群れが多いようです。会長を援護しつつ、まずは大聖堂の安全を確保するところから始めましょう」


「全員を助けたいところですが……やむを得ませんね。一旦、大聖堂へ向かいましょう。ですが、途中で市民を見付けたなら保護するように。彼等の安全が第一です」


 どうやら、炎神三強の方針が固まったようだ。


 ちなみに、ムーヴァース大聖堂とは炎神会の拠点の名前だ。政治の中枢であるブラックトーチ、現代産業の中枢であるメルトチェイン、王宮のあるネオサンライズヒルの三地域が重なった部分に建っている。彼女達の方針が確かなら、三人は今いる場所を南下してイグニス通りからメルトチェインの地域をぐるっと回って、ムーヴァース大聖堂に向かうのだろう。


「兄弟、俺達はどうする? 片っ端から魔物をぶっ潰していくか?」


「そうだね。でも、やるなら効率的な方がいい。炎神三強がメルトチェインの方へ行くのなら、僕達は反対側を通って都市を南下していこう。ここから南で、かつメルトチェインの東側だから、アッシュヤードの繁華街を通るね。あの無線でも魔物がいるって言うし、ちょうどいいんじゃないか?」


 というわけで、僕達の方針も決まった。その時だった。


「待って下さい。クロスファミリーのお二人に、やって欲しいことがあります」


「――?」


 ★★★


 ジョバンナから指示された内容は、僕達の士気を尋常でないほど萎えさせた。


「ふざけんなよ……、なんでこいつの護衛なんだよ……!」


 兄弟、気持ちは分かるけど、無線切ったヘルメット被ってても声が漏れてる。


 僕等がそれぞれ運転する二台のバイクの後ろを、一台の高級車が走っていた。老舗車メーカーらしい年期のあるデザインに黒光りした塗装が、乗っている主の権威と力を見る者に標榜する。中に誰が乗ってるのかって? 少し前、スピーチで僕達を中傷したあの議員――クラウス・レッドフィールドだ。


 当然ながら、僕達は大反対した。当たり前だろ。いくら議員様だとて、こんな奴を護衛できる気がしない。けれどもジョバンナは、とある書類を冷酷にも突き出した。


「この依頼状を見てください。私達が出した依頼は『議事堂演説会場および参加議員の警護』です。つまり、魔物が襲来した今でも『議事堂で演説をしていた議員の保護をする』という依頼の内容は生きています。ですので、私達の代わりに、今回の演説に参加していた議員の一人を避難場所まで警護してください。まさか、依頼状を読んでいないのですか?」


 改めて確認したよ。……確かにそう書いてある。つまり僕達は、契約上、レッドフィールド議員の警護をしなければならないことになる。


「あなた達、報酬はいらないのかしら?」


 むぐぐぐ……フィリパめ、僕達の足元を見るようなこと言いやがって! いいよな、あんたらには『業炎ごうえん』がいるから、こんな高額報酬の依頼を蹴った所で何の痛痒も感じないんだもんな。


「他にも参加してた議員はいただろ? それはだめなのか?」


「そうだそうだ! 兄弟の言う通りだ! 他にもいただろ⁉ その警護なら僕達は歓迎だ」


 食い下がる僕達に、ジョバンナは冷徹にも首を左右に振った。


「他の議員は、先に軍の警護を受けてイグニス通りへと非難しました。その結果が、あの無線です。レッドフィールド議員だけ、ネオサンライズヒルに住居があるので無事だったのです」


 眩暈がした。イグニス通りと言えば、さっきの無線曰く、人狼ウェアウルフが大量発生したせいで軍が壊滅的な被害を受けた場所だ。あの無線に残っていた断末魔の叫び声が脳裏に蘇る。嗚呼、なんでまともな議員に限って死んでしまうん⁉


 かくして、僕達は渋々レッドフィールド議員の護衛を引き受けることになった。


 と言っても、無言でやるのも癪だから、依頼始める前にきっちりと済ませたよ。例のをね。


「議員、先刻の演説、警備中にしっかりと拝聴しましたよ。レッドフィールド議員らしい威厳のある演説でしたね」


 そんな適当な感じで、すでに高級車の後部座席に座っていたレッドフィールド議員に挨拶する僕。相対する議員は、恐ろしいほどむすっとした表情で座っていた。振り撒いているのは、どうやら威厳ではなく不機嫌の模様。いや、魔物の出現に怖気づいているのを必死で誤魔化しているだけか?


「ですが、いくつか訂正していただきたい箇所があります。まず、ゴールドユニオンが衰退したのは僕達が原因ではありません。あたかも僕達が潰したような言い方を、ましてあのような公の場で発言するのは控えていただきたい」


 ちなみに、兄弟はバイクに乗って出発待機中。胸糞悪い血族の顔なんて見たくもないんだって。


「……何が訂正だ。事実だろう?」


 唸るように議員の口から捻り出てきたのは、そんな冷徹な返答だった。体の中で何かがざわつく感じがしたけれど、抑え込みながら僕は続ける。


「事実ではありませんよ。僕達はあくまで、ゴールドユニオンの策略で僕達が離れ離れになってしまうことに対して、抵抗しただけに過ぎません。その過程で漏れたゴールドユニオンの悪事が、彼等自身に致命傷を与えてしまっただけの話です。要は、自業自得ですよ」


「何を言うか。君達が余計なことをした結果が、この有様だろう?」


 眉間にこぶのような皺を寄せて、議員がこちらを睨んだ。


「ゴールドユニオンの功績は、君達も知らぬはずはあるまい。同ギルドのおかげで、我が国は盤石なる対魔物戦力を堅持することが出来ていた。それを、結果として、P.E.N.C.I.Lのように分断させる事態を作ったのは、他ならぬ君達ではないか。おかげで対魔物戦力は衰退し、グランツールの反乱軍リベル・オブ・グランツールなどという訳の分らん襲撃者の到来を許してしまった! このような事態になったのは、君達が生意気にもゴールドユニオンに歯向かったのが原因だろう!」


 報道機関の前では断じて見せない激しさで、議員は僕達に怒りをぶつけてくる。けど、その声の大きさは、議員以上に怒っている彼の神経を逆なでするには十分すぎた。


「なんだと、この野郎! だったら俺達は大人しく離れ離れになってれば良かったって言いてえのか!!」


 いつの間にかバイクから降りていた兄弟が、僕の反対側から怒鳴った。議員は険しい表情のまま、窓越しに兄弟を睨みつける。


「ゴールドの嫡男め。私には、君がなぜグロウ・ゴールドの異母兄であることを選ばず、このような男と一緒にいようとするのかが理解できんよ。フィアンマの誘いに大人しく乗っていた方が、より優雅に暮らしていただろうに」


 さらっと議員が口から漏らした三つの禁句は、兄弟の最後の枷を蹴っ飛ばすには十分すぎた。


「ふざけんなてめえ! あのクソ野郎とクソ女の名前を出すばかりか、兄弟をバカにしやがって! てめえのようなクソジジイに俺達の何が分かる! これ以上ふざけたこと言いやがったら、てめえマジでぶっ」


「やめないか兄弟!!」


 兄弟の拳から殺戮の光が閃いているのを見て、僕は大声で静止した。僕の声で我に返った兄弟が、息を荒くしながら怒りを抑え込む。


「僕は言いましたよ、レッドフィールド議員。ゴールドユニオンの衰退は、僕達が原因ではありません。僕達は、ゴールドユニオンが僕と兄弟の関係を侵害する行為に対して、嫌だと抵抗しただけに過ぎません。議員は、僕達がその侵害を大人しく受け入れなかったから、ゴールドユニオンが衰退してP.E.N.C.I.Lが台頭し、挙句の果てにはこのような事件が起きてしまったとお考えのようですが、到底受け入れられるものではありません。すぐさま撤回してください」


 言葉は、思ったよりもすらすらと出た。怒りで頭が逆に冴えてしまったようだ。こんなに腹が立ったのは久しぶりだ。いくら質の悪い魔物でも、こんなに息が荒くなったことはない。


「言いたいことは済んだか。だったら依頼を続けろ。私は、君達がゴールドユニオンを衰退させ、このような事態が起こるほど国の対魔物戦力を喪失させたという考えを改める気はない。私はより大きな視野で物事を見ているのだ。君達のように、身内だけによる狭い視点で見ているわけではない。早くするのだ」


「……そうですか。それでは最後に一つ。僕達はプロの魔物ハンターですから、依頼には常に全力で取り組んでいます。けれども、僕達もまた一介の人間です。ときどきこともありますので、何卒、ご了承を」


 やがて議員がウィンドウを閉めるまで、僕はじっとそいつの目を睨み続けていた。「行くよ、兄弟」と一言合図した後、僕もバイクに乗る。


 ふと、手の平に痛みを感じて、見てみたら驚愕した。掌側のバイクグローブに、一筋の横線が入っている。どうやら、グローブ越しに爪が深く食い込んでしまったらしい。


「良く耐えてくれたよ、兄弟」


 呟くように言ったが、兄弟は答えず、ただ向こうを向くのみだった。


 レッドフィールド議員の護衛は僕達だけがするわけではない。警察機関もまた、議員の前後を守るように配置されている。しかもその車両は、頑丈な装甲で覆われたSUVだ。おまけに、屋根にはデカい機関銃まで乗っかっている。正直、僕達なんていらないのでは? と思ってしまう程の厳重さだ。


 これほどのモノを持ってる彼等が、さっき議員に抗議していた僕達を止めようとしなかったのはなぜだったんだろう。運が良かったからか? それとも、僕達の威圧が、議員を守る彼等の使命すら押し退けてしまっただけなのだろうか。


 先導車両のからの無線が、バイクに搭載された魔導無線より届く。バイクのカウルから魔方陣が展開され、ブラックトーチとネオサンライズヒル周辺の地図が映し出された。


 青白く光る地図の映像の中で、オレンジ色のラインが輝いている。無線曰く、このルートを通って議員を避難場所まで運ぶのだそうだ。議員の安全を確保するのを最優先とするために最短ルートを使うそうだが、こんな嫌な依頼を早く終わらせられるなら大歓迎だ。僕達はすぐさま同意し、バイクのエンジンを捻った。


 かくして、兄弟がヘルメット越しに愚痴を言った現在に至る。


 あの髭野郎が出た時点で期待してはいなかったが、何事もなく議員を送って、さっさと報酬を貰って帰ろう。という当初の予定は、早くも覆された。


 背の高いビルに挟まれた通りの奥から、市民の悲鳴が聞こえた気がした。けれども、その場に差し掛かった一行を待っていたのは、何かに貪る異形の群れだった。


 歩道側に集る彼等を横切ろうとした僕達だったが、案の定気付かれた。群れのうちの一体と僕は目が合った……気がした。なぜそのような曖昧な表現にしたのかというと、そいつの顔のパーツが完全にバラバラだったから。かごに乗せたパーツを顔という盆の上に適当にぶちまけただけのような、そもそもパーツ自体がパーツとしての体を成していないような、それほどの異形だったのだ。


 なんだあの魔物は。僕は見たことがないぞ。さっきの悲鳴の主は、こいつらに食い殺されたのか。魔物と縁のないがないはずの都心のど真ん中で、まさかこんな異形に寄って集って食われる最期を迎えるとは、被害者は想像すらしていなかっただろう。無念なことだ。


 とりあえず、他の魔物と識別するために名前を付けよう。顔のインパクトが強すぎるから『不細工ジ・アグリー』だ。決定。


 後続の武装SUVが背負う機関銃がフルオートの雄叫びを上げた。振り向くと、不細工ジ・アグリーが群れを為して追い掛けてきた。けれども、車載武装の威力は凄まじい。燃え盛る鉛の鞭が、死を招く黒い奔流を薙ぎ払っていくようだ。十体ほどいたはずの群れのうち、三体くらいは宝珠に還ったのかいなくなっている。


 ここで不細工ジ・アグリーの挙動に変化。互いに顔を合わせるような動きをしたかと思いきや、今度は左右の建物の壁にそれぞれ飛びつき、そこから四足で這うようにして追い掛けてきたのだ。こうなってしまうと、射手側は片方しか狙えないため、防衛が不利になってしまう。


 射手に狙われていない方の不細工ザ・アグリーは、武装SUVを狙わなかった。そいつらは、なんと議員の乗る高級車に狙いを定めていた。片腕を鎌のような鋭利な武器に変え、建物を蹴って飛び掛かる。


 だが、残念だったな。君達にとって一番の脅威は、前後の武装SUVじゃないんだ。バイクに乗った僕なんだ。


 ハンドルを駆使して前衛の不細工ジ・アグリー目掛けて僕は手を翳し、魔方陣をぐんと展開する。その直径は、議員の高級車に匹敵する。


「『捕縛バインド』」


 大型の魔方陣から伸びた何本もの光の縄が、飛び掛かる者、まだ壁を這っている者――僕の視界にいる全ての不細工ジ・アグリーを虚空で拘束する。で、この全身を縛られて身動きの取れぬ哀れな獲物をどうするかというと、兄弟の出番だ。


「『光線掃射レイ・ストーム』」


 兄弟の頭上に光輪の魔方陣がいくつか展開される。そこからペレット状の光弾が何発も放たれ、拘束された不細工ジ・アグリーの群れを瞬く間に蜂の巣にした。光の弾痕を何点も穿たれた魔物は、僕の捕縛バインドから解放されると同時に宝珠へと姿を変えて道端に転がっていく。


「すでに致命傷を受けていたのか。あの射手は有能なんだなあ……」


 なんて呟いてたら、その射手が今まさに担当していた不細工ジ・アグリーも、壁から全て撃ち落されて宝珠に還っていた。


 と、ここで兄弟から無線。


「なあ兄弟、あの魔物、妙じゃねえか? 簡単に宝珠になっちまった脆さもあるけど、なんで真っ先にクソ議員の車狙ったんだ? ああいう魔物なら、まずは一番近くの獲物を狙うもんだぞ」


「うん、僕もそれ思った。あのレベルの魔物には、わざわざ統制の取れた動きを取ったり、特定の獲物だけを狙うような知能はないよ。となると……?」


 ふと、景観が変わり始めていることに僕達は気付いた。古風な邸宅や聖堂のような宗教的な建物が目に付く。ブラックトーチを抜け、ネオサンライズヒルに入ったようだ。


 別の道と合流するY字路に差し掛かかった時、兄弟側の方から何かが並走してきた。全長だけでも議員の高級車の倍ほどもある漆黒のボンネットトレーラーだった。眉を潜める僕達だったが、荷台に刻まれた『Rebel of Grandtool』が視界に入った途端、僕達は身構えた。


 荷台のハッチが開く。それは、トラックが黒い片翼を開いているようにも見えたが、僕達には、地獄への顎が死の吐息と共に開かれたようにしか見えなかった。


 鋭い眼光が闇の奥から閃き、唸るような声がエンジンの音に混じってこちらまで伝わってくる。黒い靄が薄くなっていくとともに、荷台の中に隠されていたものの輪郭がゆっくりと明らかになった。


 人狼ウェアウルフ――二足の足で立つ獰猛な狼が、トラックの中から僕達を睨み付けていた。毛むくじゃらの皮膚を内側から押し広げんばかりの隆々たる筋肉が全身を覆い、剥き出しになった歯茎と牙、そして両腕から伸びた鋭利な爪が、哀れな獲物達を慄然とさせる。


「こいつか。レッドフィールド以外の議員をやっちまった魔物ってのは。残る獲物を探して、ここに来たってわけだな」


 兄弟の呟きが聞こえる。その口調から察するに、人狼ウェアウルフに対して抱いているのは嫌悪。てめえが余計なことをしやがったせいで、こっちは嫌な奴の警護をしなくちゃいけなくなっちまったんだ。的な。


 鞘から刃を抜いた騎馬よろしく兄弟が光剣ライトセイバーを生成したのと、人狼ウェアウルフの群れが僕達に襲い掛かったのはほぼ同時だった。


 僕達――特に護衛の警察機関にとって不幸だったことに、人狼ウェアウルフの強さは不細工ジ・アグリーを軽く凌駕していた。退魔仕様のライフル弾を数発当てた程度では、荷台から飛び掛かる奴等の屈強な肉体を押し退けることなんて出来なかったのだ。


 前方の武装SUVから鮮血が迸った。人狼ウェアウルフの凶悪な爪が、積載銃ごと射手の胸部を貫いたからだ。やがて射手の身体は引き裂かれ、鮮血の一筋と共に落ちた上半身が僕の横を通り過ぎていった。


 さらに、ボンネットに飛び乗っていた別の人狼ウェアウルフもまた、運転席へ凶悪な腕を突き立てていた。真っ赤な液体が運転席の窓から噴き出し、操縦者を喪った車両は制御を喪い、右へハンドルを切って通りの建物に衝突。爆発炎上した。燃え盛る車両の様子を確認しようと後ろを振り向いた時、僕は後続の武装SUVもまた同様の運命を辿っていたことを知った。


 僕達は、護衛を一気に二つも喪失してしまった。兄弟は閃光の剣のおかげで見事に善戦している。飛び掛かる敵の腕を切り落とし、時には投げて虚空で串刺しにし、再度生成して応戦している。けれども、人狼ウェアウルフのトラックが、議員の高級車を挟んで僕の向こう側にあるおかげで、兄弟を応援することが出来ない。兄弟だけで議員を守るには無理がある。


 というわけで、僕はとある策を披露するため、バイクに魔力を込めた。


「『変形トランスフォーム』」


 魔方陣が前方に展開。それを僕がバイクごと通り抜けると、乗っていたバイクが光に包まれたかと思いきや、異なる種類の車体へと変形していた。


 長時間の走行に適したクルーザーバイクから一転、悪路の走行に適したオフロードバイクへと『カラスバ』は姿を変えたのだ。クルーザー仕様と異なり長い距離をゆったりと走ることも、重さを活かして敵を蹴散らすことも出来なくなったが、オフロード仕様になれば強靭なサスペンションやタイヤ、持ち前の軽さを活かして全く別の戦い方が出来る。


「兄弟、援護を頼む。僕は『魔弾アモ』で行儀よくやるのは性に合わないんでね」


「マジかよ、あれを披露してくれるのか、兄弟!」


 兄弟が嬉々とした反応をしてくれたが、事態はより悪くなっていた。兄弟の防衛をスルーして、一体の人狼ウェアウルフが議員の車の上に乗っかってしまったのだ。いくら暴漢対策が備わっている高級車とはいえ、魔物の爪にまで耐えられるとは期待できない。あのまま腕を天井から振り下ろされてしまえば依頼失敗だ。


 ふと、僕は歩道側を見た。何かが積み上がって山のようになっているのが見えた。一か八か、やるしかない。


 僕はバイクの速度を上げ、そいつをジャンプ台替わりにして乗り上げた。カラスバが宙を舞う。車道側へと放物線を描いて飛ぶ先にあるのは、議員の車――の上に乗っかる人狼ウェアウルフだ。


 モトクロスのトリックの一つに、空中でバイクの車体を地面と水平になるように寝かせるものがある。ウィップと呼ばれるのだが、僕はその姿勢のまま人狼ウェアウルフに激突した。


 流石の狼野郎も、バイクという重量物に思いっきりぶつかられてはひとたまりもない。人狼ウェアウルフの巨体が、車の屋根から思いっきり吹っ飛ばされた。その軌道の先にあったのは、大型トレーラーのタイヤ。いくら屈強な人狼ウェアウルフの肉体とて、駆動中のそんなもんにぶつかったらどうなるかは、火を見るより明らかだ。水分を含んだ固い何かの砕ける音が、聞こえた。


 で、僕はどうなったかって? 人狼ウェアウルフにぶつかった時の勢いを上手く利用して、見事に着地したよ。車の屋根の上にね!


 あ、兄弟が楽しそうな顔してる。ふと、僕は後方を見た。護衛車両を破壊してもなお飽き足らぬ捕食者たちが、巨体に似合わぬ俊足で追い掛けてきている。


「兄弟。後ろの奴等を頼む。僕は、まだ荷台に残ってるのを迎え撃つ」


 僕の指示で兄弟が後ろへと下がっていくのを確認した僕は、トレーラーの中に未だ立つ人狼ウェアウルフを見る。数は五体。僕を見て唸り声を上げていたので、同じくらいのボリュームのエンジン音を聞かせてやった。挑発がてら、手招きをしてやる。


 人狼ウェアウルフが雄叫びを上げた。三体がまとめて僕目掛けて飛び掛かってきた。横一列で来るとは愚かな。僕はスロットルを捻り、前輪に全体重を込める。前輪を軸に一回転――虚空で駆動する後輪で、人狼ウェアウルフを纏めて薙ぎ払った。


 直撃した人狼ウェアウルフは尽く弾かれ、地面の上に投げ出される。そんな彼等を待っているのは、下がっていた兄弟による光刃だ。


 残る人狼ウェアウルフは二体。さてどう来るかと見ていると、そいつは僕に直接飛び掛かって来なかった。代わりに、セダンである議員車のボンネットとトランクの上に飛び乗ったのだ。鋭い爪の伸びた掌を開き、僕を前後から挟み撃ちにすべくじりじりと迫る。ならばと、僕は兄弟に一言確認する。


「今からカラスバを一時離脱させる。だから、兄弟はこの車の真後ろから離れて」


「? なるほどそういうことか。分かった」


 僕の言葉の意味を汲んだ兄弟が道の隅っこに移動した。それを確認した僕は、トランク側から迫る人狼ウェアウルフを標的にする。スロットルを捻り、後輪だけをその場で盛大に回転させる。


 「行くぞ!」の掛け声と共に、僕はその場でトンボ返りをしてバイクから降りた。さて、エンジンが駆動したまま突然主を失ってしまったバイクは、一体どうなってしまうのか。答えは簡単。ひとりでに急加速し、人狼ウェアウルフに正面衝突した。


 トランク側にいた人狼ウェアウルフが、僕のバイクごと車から落下した。けれども、地面に身体を強打したのは人狼ウェアウルフのみ。僕のカラスバは僕の発生させた魔方陣を通り抜け、この現実世界から帰還リターンした。僕のバイクは大切な一品モノ。戦闘で軽々しく使い捨てるわけにはいかないのだ。


 さて、回れ右して、僕はボンネット側の人狼ウェアウルフと対峙する。腰を落とし、指先に力を入れる。指をかぎ状に曲げた僕の構えは、二足で立つ虎のよう。車の上のような足場が制限される場所では、この構えの方がやりやすい。僕が得意なのは、蹴り技だけじゃないんだよ。


 人狼ウェアウルフが襲い掛かる。鋼鉄を引き裂く爪が際限なく僕に迫る。僕は仰け反り、いなし、スウェーを駆使して尽くをかわす。鍛え上げた筋力に加え魔力による身体強化が成された下半身の安定感を以ってすれば、走る車の上でも断じてバランスは崩さない。さらに、同じく筋力と魔力の相乗効果で強化された腕力を以ってすれば、


 ――丸太のような人狼ウェアウルフの強靭な腕の振り下ろしが、僕の片腕によって止められた。


 魔物の膂力を防ぎきることなど造作もない。


 車体に吸い付く脚力を腕まで伝え、拳打を人狼ウェアウルフの巨体に何度も打ち込む。伸ばした腕を振り回し、敵の攻撃を片腕で止め、反対側の腕で打撃を振るう。華麗な連打で押し込み、トランク側の端にまで追い詰める。


 人狼ウェアウルフが反撃に転じる。鋭利な爪から左右から僕に襲い掛かる。仰け反り、捌き、いなしながら防御する。その流れの中で、僕は両手を右腰に引き寄せ、合わせた掌の間にありったけの魔力を込めた。


「『魔法士のメイガス――」


 僕は突き出す。両掌の一撃を。


「――胡蝶掌バタフライ』ッ!」


 技の由来は、手首側を合わせた二つの掌が蝶に見えることから。両手による掌底が人狼ウェアウルフの胴体に直撃し、掌に仕込んだ魔力が炸裂――魔物の巨体が盛大に吹っ飛んだ。四肢で壁を掴んで走る後続にぶつかり、もろともアスファルトの上に落下する。


 と、屋根の下から喚く人が約一名。


「貴様! この私が乗っているんだぞ! 車の上でガタガタ騒ぎおって! この車がいくらするか分かっているのか」


「あ、レッドフィールド議員、自ら無事であることをアピールして下さるとは有り難い。お元気で何よりです」


「何が元気だ! 貴様は護衛する気があるのか⁉ 魔物ならまだしも貴様らに傷付けられるとは。この依頼が終わったら弁償してもらうからな!」


「それ依頼には書いてなかったですよ。依頼以上のことを要求するのは、議員とてルール違反ですから。命が無事なだけ良いもんでしょ」


「なんだと貴様! 私を護衛させてもらっている分際で偉そうにほざきおって!」


「議員! 車は傷つけば直せばいいんです。壊れたら買い替えればいいんです。けど、人の命はそうはいかない。議員様なら分かるでしょ? あなたは自分の命のことだけ心配すれば良いのですよ、今はね」


 自分以外の心配なら、せめて市民のことを心配して欲しいもんだよね。


「兄弟!」


 ここで兄弟から提案。ちなみに兄弟は、僕が車の上で戦っている間、派手に仕事をしてくれていた。光線を飛ばし、光刃を振り回し、人狼ウェアウルフの群れを片っ端から相手している。すでに何体かは宝珠に還っているようだ。


「こいつらマジで埒が明かねえ。そこの運転手に伝えてくれねえか。並走しているトレーラーを思いっ切り抜いてくれって。こいつを横転させて、鬱陶しい人狼ウェアウルフ共を足止めさせてやるんだ」


「おお、それは名案だね。ならば早速――もしもし運転手さん。とにかくスピードを上げるんだ。隣のトレーラーが近付けないほど、思い切り速くね!」


 運転手は議員様と違って話の分かる人だった。ぐんぐんとスピードが上がるのを感じる。風の抵抗がとにかくすごい。地面に吸い付くような下半身の力でなんとか踏ん張っているが、常人ならば間違いなく落っこちてしまうだろう。


 ふと、トレーラー側もこちらの意図を察したのか、スピードを上げ始めた。さらに、僕達を議員車ごと押しつぶすために、彼我の距離を詰め始めたのだ。


 僕は障壁の魔方陣を展開する。その表面に斥波のエネルギーを纏わせ、近付こうとする者を弾き返さんとする。この斥波に横から触れたドライバーは、横殴りの風以上の衝撃に戸惑い、車体のバランスを維持することに意識を囚われすぎてしまうだろう。


 トレーラーが僕達に近付けない間に、兄弟がしれっと議員車を追い抜いて行った。さて、議員車がトレーラーを追い抜くのみだ。


 次の瞬間、人狼ウェアウルフが一体、車の屋根の上に飛び乗ってきたのだ。いや、一体だけじゃない。二体目まで。加速している真っ最中の車に追い付くとか、なんちゅう執念と走力だ。


 唇を震わせながら唸る彼等が睨んでいたのは僕だった。大勢の維持と障壁の展開で手一杯な僕に、彼等を迎え撃つ暇はない。そんな僕を嘲笑うかのように、人狼ウェアウルフの鋭い爪が閃いた気がした。


「おい兄弟、前!」


 兄弟の叫び声が聞こえた。その言葉の意味が分かった僕は、真っ先に車から飛び降りた。


 なぜ目の前の獲物が急にそんなことをしたのか――その理由を人狼ウェアウルフが理解した時には、彼等は背の低い高架に嫌というほど身体を強打していた。


 僕は、クルーザー仕様に戻ったカラスバに乗り、兄弟と共に議員車の後ろを走っていた。


「さっきは乱暴な扱いして本当にごめんよ、カラスバちゃん。もうちょっと付き合ってくれよな、よしよし」


 この状況下であっても、定期的に声をかけてあげないと、カラスバが拗ねそうな気がしてならないんだよね。


 一方、大柄すぎるトレーラートラックもまた、背の低い高架を無理矢理くぐった影響をもろに受けていた。牽引車は屋根を失い、荷台に至っては上半分がごっそりと無くなっていたのだ。あの音は実に酷かった。高架が崩れなかったのが救いだった。


 てか、改めてトレーラーを確認したんだが、牽引車に運転手がいないぞ。魔物が積まれていた時点で十分アレだったが、自立起動とはますます妙な車両だな。


 高架で身を削った影響で、トレーラーは速度を失い、議員の高級車との距離が開いていく。まさにこれこそ好機、手を下すのは兄弟だ。


「食らえ!」


 兄弟の投げた光剣ライトセイバーが、牽引車の後輪に深々と突き刺さった。制御を失ったトレーラーが、こちらに曲がってくる。当然ながら、僕達は速度を上げることによって衝突を回避。一方のトレーラーは急な方向転換に対応できず、道を塞ぐように派手に横転した。


 けれども、これだけでは止まらない奴等がいる。人狼ウェアウルフの残党は、たかがトレーラーごときに道を塞がれた程度では追跡するのを断念はしない。無理矢理よじ登ったり、近くの建物の壁を使ったりして、横たわるトレーラーを越えようとする。だから、こうする。


「『爆轟デトネイト』」


 兄弟が低い声で詠唱すると、横転したトレーラーが派手に大爆発した。理由は明白。トレーラーに刺さっていた光剣が、内包していたエネルギーを瞬く間に放出させたから。


 その爆発は凄まじく、炎の熱が僕達の背中まで届いたばかりか、車の破片と思しきものがこちらまで飛んできた。そして、それらに混って鈍く輝く珠のようなものもまた、道の上に転がっていた。


 ★★★


 目的地に到着したのは、それから程なくのこと。周辺にはすでに何人かの警察機関の人間が立っていた。警護の力が及んでいるってことは、ここは他の比べて安全ってことなんだろう。


 避難場所とは、議員の邸宅だったようだ。偉い人の住んでる場所だからさぞかし豪勢な場所なのかなって思ったんだが、大きさだけで言ったらコバデフの中産階級の家程度のサイズでしかなくて正直拍子抜けした。いや、ネオサンライズヒルという高級な地域に、庭付きの一戸建てが建てられる時点で十分にアレなんだけどさ。


 後に僕は知るのだが、あれは議員の住む家ではなく、議員が私有するシェルターなのだそうだ。で、シェルターになっているのは地下の部分だけで、じゃあ地上の家は何だって言ったら、別荘みたいものなんだとか。財力のある人は本当に違うなあ。


 着きましたよ、議員。と、ボロボロの高級車から議員様をエスコートしてあげようとする僕。けれども、車内にいる彼の顔はいつにも増して険しい。


「どうしたんですか? 無事に、目的地に到着しましたよ」


「君達に支払う報酬などない。さっさと立ち去るがいい」


 守ってやった恩人になんだその態度は⁉ と怒りたい所だが、すでに彼に対する僕達の好感度は皆無に等しい。むしろ、向こうからあっさりと離れさせてくれるなんて有難い限りだ。でも、なんか癪に障るのも事実だし、黙って去ってあげられるほど、僕達も大人じゃないんだよね。


「ええ、構いませんよ。あなたに支払う義務はありません。依頼主はあなたじゃないんですから」


「つーか、せめて俺の兄弟をバカにしたことくらい謝ってから去って欲しいもんですね」


「それをするつもりは毛頭ない。むしろ、シャドウ君こそフラッシュ・ゴールドのことをどう思っているのかね? 彼は、ブライトの力を引き継ぐ存在――君のような零細ギルドの魔物ハンターならば、喉から手が出るほどの逸材だ。それが、兄弟として君に従っている。実に都合が良いことだな」


「何が言いたいんですか? 議員」


「君がフラッシュを失いたくないのは、自分の立場が不都合になりたくないからに過ぎないのではないか? と、言っているのだよ」


 僕は、怒りを通り越して笑いそうになった。


「あー、そういうことですか。考えたことすらありませんでした。まあ、私欲にまみれた世界に生きてた人間じゃ、そういう曇った目で僕達を見てしまうのは仕方ありませんよね。――そんなバカな話なんてしてる暇があったら、さっさと避難所に引きこもっててくれませんか?」


 ご丁寧に、車のドアまで開けてあげながら言ってやった。我ながら、兄弟を笑えない挑発ぶりだ。


 これは議員も堪忍袋の緒が切れたようで、降りるときまでは静かだった議員は、地面の上に立つや否や、鬼気迫る表情で僕達を睨んで捲し立てた。


「私は君達を断じて許さん。ゴールドユニオンが衰退したのは君達のせいだ。フラッシュ・ゴールドがゴールドユニオンに所属さえしていれば、ゴールドユニオンの戦力は更に増大し、より強いギルドになれたのだ。それを、シャドウ・クロスなどという下らぬ男なんぞにこだわりおって! 私情に囚われた貴様らに魔物ハンターを名乗る資格などない。魔物の脅威から民を守る者を名乗りたいのなら、そんな下らぬこだわりなど捨てるべ――」


 議員の暴言の奔流は、兄弟の叫び声によって中断させられることとなる。しかし、それは「ふざけるな!」というような怒りの感情とは全く異なるもの。


「兄弟、危ねえっ!」


 突然、兄弟は僕の肩を掴むと、僕もろとも近くの道端の上へ飛び込むように伏せた。


 何が起こったんだ? 兄弟と共に起き上がると、ついさっきまで僕達がいた場所が謎の液体まみれになっていた。


 世の中の汚水を搔き集めて混ぜたような毒々しい色をしていた。あまつさえ、まるで吐瀉物のような饐えた臭いが僕達の鼻孔を刺激する。更に問題なのは、その液体を、レッドフィールド議員と車がもろにかぶってしまったことだ。


 最初、議員は自分の身に何が起きたのか分からなかったのだろう。やがて、自分が恐ろしい液体を浴びてしまったことに気付き、今まさに我が身に起きている出来事を理解した瞬間、議員の顔は恐怖と絶望で激しく歪んだ。


 いや、見てるこっちだってゾッとしたよ。普通、液体を浴びたら、液体だけが皮膚の上を伝うもんだろう? そうじゃないんだ。その液体は、そいつに触れた体組織までも、ごっそりと流してしまうんだ。目の前で自分の手の肉が流れ落ちて、白い骨が露になる様でも想像してみろ。僕だってあの議員みたいな顔になってしまう。


 議員は悲鳴を上げなかった。苦痛に悶える間もなく、水を含んだ土人形のようにボロっと崩れた。高級そうなスーツの生地が溶け、その下で剥き出しになった骨までも溶けていくのを、僕達はリアルタイムで目の当たりにしてしまった。


 そして、同じ運命を辿ったのが、近くにあった高級車だった。最新鋭の合金フレームで作られているであろう車体も次第に溶けていき、溶解液の沼に沈み込むように消えていってしまった。


 てかちょっと待て。あの中に運転手がまだいなかったか? 議員はさておき、彼もまた車と同様の運命を辿ったというのか。それは、あんまりじゃないか……。


 恐ろしい溶解液をばら撒いた張本人は、すぐ近くにいた。突然現れた乱入者に身構える僕達だったが、そいつもまた議員と同じくらい厄介な存在だと思い知るのは、それから程なくのことだった。




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