夜更けの邂逅【音羽雅】

 現在、シングルベッドを二つくっつけた疑似ダブルベッドが3人の寝床である。

 元々朝霧美晴と霧島涼介それぞれの部屋にあったものを一部屋に集め、共用の寝床としているのだ。年明けを前に家具を思いきり動かし、ついでに掃除も済ませたので、年末の大掃除はラクできると朝霧美晴は上機嫌だった。もっとも、朝霧美晴は上機嫌でないことの方が少なく、また他の二人は朝三暮四だろうと苦笑していたが。


「んぅ……」


 泣く子も眠る丑三つ時、目を覚ましたのは音羽雅。

 狭いが故に密着を余儀なくされるという建前で温もりを過剰に共有しているのだが、今はやけにスペースが広いことに気が付いた。


「えへへ……リョウくん、もう食べられないよぉ……」

「ベタな寝言っすね」


 どうやらこの場に不在なのは霧島涼介らしい。ドアの隙間から光は漏れてこないが、きっと寝る子を起こさぬための気遣いだろうと踏んだ。


「リョウくんがいっぱい……もう食べられないってばぁ……」

「…………食べられないってそういう?」


 すこぶる羨ましいが、他人の夢には入れないし、幸せな夢から起こすのも酷だ。音羽雅は細心の注意を払ってその場を離れた。



 ほどなくして、スマホの明かりを頼りに冷蔵庫の前で立ったままお茶を飲んでいる霧島涼介と邂逅した。霧島涼介も音羽雅に気付き、グラスから口を離した。


「悪い、起こしたか?」

「たまたまっすよ。あ、下ネタじゃないっすからね?」

「わざわざ言わなくてもわかってる。飲むか?」

「ください」


 グラスと麦茶のピッチャーを置き、暗い棚から新しいグラスを探す霧島涼介をよそに、音羽雅は飲みかけの麦茶に注ぎ足した。


「今のは減点っすよー先輩」

「む、すまん」

「ふわあ……いいっすよ、寝起きだし」


 溶けかけた氷が妙に艶めかしく映るのは、寝ぼけているからだろうか。そんなことを思いながら、音羽雅はキンキンに冷えた麦茶を流し込んだ。冷たさが喉から全身に回り、思わず身震いする。


「うー、さむ……ってか、冬場なのに氷入れて飲んでるんすか?」

「ん? ああ、言われてみれば、そうだな」

「寝ぼけてるっすね、だいぶ」

「朝は弱いんだ」

「朝っつーか、深夜っすけどね。まだ2時半っすから。いいんじゃないすか、仕事納めは過ぎてますし、多少ポンコツでも。ギャップ萌え狙っていきましょ」

「それが二人の好みなら、悪くないか」

「今のままでも大好きですけどね」

「ああ、俺もだ」


 くしゅん、と音羽雅がくしゃみをした。年度末、深夜の最も冷える時間帯に冷たい飲み物を口にすれば、無理もない。


「冷えるね、涼介」


 澄んだ空気、雑音のない空間に、慣れない呼び捨てが響く。

 霧島涼介は言葉に詰まり、目を逸らした。初い反応がまた愛おしい。暗がりで互いの顔色までは伺えないが、想像は容易い。きっと自分と同じだと、音羽雅は思う。


「なーに今更ドギマギしてんすか?」

「い、いや。急だったから」

「不意打ちは基本テクっすよー。隙がある方が悪いっす」


 音羽雅は霧島涼介の顔へ手を伸ばす。麦茶の冷たさはどこへやら、火照った頬に手を添える。

 そして、どちらからともなく引き寄せられた唇と唇を重ねる。


「冷たっ!?」


 最も皮膚の薄いところに感じた鋭敏な感覚に、霧島涼介は驚き、反射で離れてしまった。音羽雅はその様子を面白がって、ぺろんと舌を出してみせた。


「麦茶の氷っすよ。たまにはこういうのも新鮮でいいでしょ?」

「そういうのは先に言ってくれ」

「不意打ちは基本っす。……次は、こいつが溶けきるまで、離しちゃダメっすからね?」


 そして、もう一度求めあう。

 温度差のある舌を絡め、口から口へと小さな塊を移す。氷の幅だけ空いた空間に彼女の舌はするりと入り込み、無防備な彼を貪欲に弄ぶ。昂る二人の体温で、0度は長くは保たなかったが、二人はなおも温度と水音を確かめ合う。零れないよう、いつも以上に密着させた唇同士が不意に離れ、彼女の口元を一筋の水滴が伝う。その道筋を指先でなぞられると、激しい酩酊感に苛まれ、吐息が漏れるのを我慢できない。

 芯まで冷えていた体が、離れるころには額に大粒の汗を浮かべるほど。喉も心も、心ゆくまで潤した。



「はあー……ヤバいなーこれ。ハマっちゃったっすね完全に。脳内物質どばどば過ぎて、中毒っすよ」


 霧島涼介の引き締まった胸板に体を預け、音羽雅は熱いやりとりの余韻に浸る。


「俺は構わないぞ。いくらでも溺れさせてやる」

「全然主導権握れてないくせに……あー、涼介のパジャマいい匂いする……」


 蕩けた瞳でうっとりしている音羽雅。霧島涼介がさらさらの髪を梳くように撫でると、音羽雅は瞳を閉じ、彼に身を任せた。


「今日はやけに積極的じゃなかったか?」

「そっすかー? あたしの性欲なんていつものことっすよ」

「まあそうだが。なんとなく、いつもと違う感じもしてな。気のせいならいいんだ」

「どーなんでしょうね。あのクリスマスから、ずっと、ほとんど満たされてるんすよね」

「ほとんど?」

「そっすねー。独占欲以外は、全部っすね」


 霧島涼介の手が止まる。

 その手に、音羽雅の手が重なる。


「止まってる」

「あ、ああ。すまん」

「涼介が気にすることなんてなんにもない。なにひとつ満たされなかったあの頃と比べたら、天国だから」

「雅……しかし」

「くどい。先輩はくじで2等当たったら、1等じゃなかったーって残念がるんすか?」

「……自分のくじなら外れてもいいが、雅や美晴には1等を引いてほしいと思う」

「そりゃあ、先輩と幼馴染で実家が近くて小中高ずっと同じ学校で両片思いのまま甘酸っぱい青春を過ごせてたらなーとか妄想したりはしますけどね。んなもん言い始めたらキリがないっすよ」

「はは……確かにそうかもな」

「勘違いしないでくださいよ。これは妥協でも我慢でもないっす。つーか、あたしはいいって言ってるのに勝手にかわいそう扱いするの、フツーに失礼っすからね」

「そうだな、悪かった」

「謝っても許さないっす。ちゃんと払ってもらわないと」

「払う? なにをだ?」


 音羽雅は、空のグラスを指さした。


「そのグラスに、麦茶を一杯、氷入りで」

「ああ。わかった」

「溺れさせてくださいね。今よりも、もっと」

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朝霧美晴は結婚したい!!! 井戸 @GrumpyKitten

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