第36話 アポトーシス
20XX年7月。アメリカのワシントンでホワイトハウスが深夜、かなりの数の悪魔達に占領された。このニュースはすぐさま世界中に知れ渡った。そのテレビの中でトカゲ男が指揮を執っている様子が映し出された。テレビ局のキャスターはこのトカゲ男が悪魔の親玉であることを強調して伝えたのだ。
これが全ての悲劇の始まりだった。
誰かが、アメリカのワシントンに標準をあわせている核ミサイルのボタンを押してしまったのだ。狂気のなせる事態だった。そして、それは誰もが夢想していた結末だった。
あまりにも当たり前すぎて、どんな物語にも書かないような単純かつ明快な結末を、人類はあっけなく選択してしまった。しかし、こうなる事は最初からわかっていたに違いない。どんな戦争も理性で起こされたものなどない。感情が人間の行動原理である。
人類が核開発に何故手を出したのか不明である。しかしこの爆弾の壮絶な威力に人類は魅了されてしまった。
燃え盛る火の中に飛び込む虫たちのように、わが身を滅ぼしてしまうのも省みず飛び込むもの達の様だった。そしてそれは自分たちを自滅させる事が出来るモノを手にした瞬間でもあった。
人間の体内にはアポトーシスと呼ばれる、細胞を自滅させるプログラムが仕込まれている。核爆弾はまさに自殺遺伝子そのものだった。アポトーシスはプログラムされた細胞の死である。この死があるからこそ生物は、形態変化をすることが出来るのだ。おたまじゃくしの尻尾の細胞は、アポトーシスの作用により死滅し蛙への変化が完成する。
細胞が無制限に増殖する事を抑え、人体の生存を手助けする重要な作用がアポトーシスである。地球という惑星に誕生した生態系の中で、人類の核爆弾はまさにプログラムされた死だったのかもしれない。
あっという間だった。自動的に報復ミサイルが発射された。これまでの緊張事態の続いていた世界だったら、その間違いは直ちに修正され、被害は最少限度ですんだだろう。
しかし、今は戦争のない時代だ。誰もが緊張感を失っていたのだ。コンピューターは、報復ミサイルを全世界の主要都市を狙っていた。さまざまな国の核弾頭ミサイルもコンピューターの自動報復処置として、世界中を飛び回り、きのこ雲を立ち上らせた。
日本も何時間か後、核ミサイルが東京に落ちた。続いて大阪、福岡、仙台、札幌も壊滅した。まさに世紀末だった。 放射能汚染はさまざまな動物の息の根を止めていった。
悪魔たちも同じだった。神たちもひとたまりもなかった。世界中に雲が張り巡らし、放射能をたっぷり含んだ雨を降らせた。その雨は何か月も、降りやむことはなかった。
地球に命が誕生して初めて、人間たちは自分の力で、地球の環境を変えたのだ。そして、自分たちの力で自分たちの命を絶つ自殺を敢行したのであった。今まで地球では色んな種が誕生したのだが、自分たちの力でその種を終わらせる事ができる生物の誕生は生まれてこなかった。それが地球の生態系の中で、初めて人類だけが可能にした結果だったのだ。
朝があける頃には、日本は一変していた。厚い真っ黒い雲に覆われており、朝があけても太陽を見ることは出来なかった。その時阿修羅は真たちが戻っている富士山の麓の寺院へいた。ここも厳重な警備がしかれていたのだが、人っ子一人いなかった。
日本の神たちは、その使命を終えて座禅したまま息絶えている。もはや残っているのは真一人だけだった。真の使命も終かけていた。後はミロクにすべてを任せればよいのだ。少女のようなミロクは本堂の奥の段に座禅を組んで座っていた。眠っているのか、死んでいるのかわからない。
真はミロクを見つめていた。もう1週間も前から座っているのだ。食べ物も水も、全くとっていない。どういう形で人類が幕を引くのかはわからなかったが、夜の大音響と地震でこの世の中がもうすぐ終わることを感じていた。
ミロクを見つめても、ミロクは何も語らなかった。真は、これまでの事を考えていた。しかし、頭の中には幕が掛かっているようにぼんやりとしていた。
初めてミロクの声を聞いたときから、意識ははっきりしていたのだが、考えることが出来なくなっていたのだ。いつの間にか、一人の女が横にすわっていた。
真はその女が阿修羅だと直感で認識できた。「阿修羅か?」真は阿修羅が横にいることに初めて気づいたのだ。
「真、あなたを愛しているわ」阿修羅の声と容姿は女そのものだった。「いつから女になったのだ。何故ここにいるのだ。私とお前は敵同士じやないか。」
真の声はだんだん間延びしてきている。もうすぐ命が終わろうとしているのだ。「あなたと私は元々一つの命なのよ。貴方は人間の種の終わりのために生まれてきたの。私は貴方の役目が終わった後、貴方と協力して、次の命の源にならなければならないの。あなたはもう何も考えられなくなっているのね。それでいいのよ。全ては運命なのよ。後は私に任せて」
その時ミロクは、目を開いた。38億年前、ミロクはこの星に来た。小さな流れ星にのって、この星にやって来たのだ。元々ミロクは宇宙の意思エネルギーの具象化である。
生きるとか死ぬとかの概念などない。此の星にいる命達も元はエネルギーである。宇宙が突然はじけて、ビックバンと呼ばれるエネルギーの放射が宇宙に散らばった。
人間の概念からいうと、ミロクはウィルスそのものであった。ミロクの役目は真の遺伝子を転写して阿修羅へ写す事であった。そして其れが、新しい種の源になるのだ。
ミロクは真に近づいていった。二人の手をつなぎ光り始めた。活性化しているのだ。そして実態が見えなくなった。真の中に進入したのである。
それを確認して阿修羅は真の唇に唇を真に重ねた。ぴくりと阿修羅は動いた。くちずけをしていた唇を優しくはなす。阿修羅はうれしそうに口を大きく開ける。
真の鼻に食いついた。真は幸せそうに眠り続けている。阿修羅は鮮血を浴びながら顔にむさぼりつく。
ばりばりと軟骨を砕く音が響く。喉元に食らいつく。動脈が破れ鮮血が勢い良く吹き出す。肉を喰い、骨を喰う。まるで雌のカマキリのように真を食い尽くす。
3時間ほどであろうか。阿修羅は真を食い尽くしてしまった。そしてそのまま眠ってしまった。
阿修羅のお腹が迫り出してくるのがわかった。妊娠しているのだ。阿修羅は幸せそうな顔をして眠っているのだ。神と悪魔の子が生まれるのだ。
遺伝子の旅
人と呼ばれる生き物は、不思議な考えを持っていた。たしか「進化」と呼んでいるもので、よりよきものへの変化を信じていたのだ。
確かに人類にとどまった遺伝子は、ゲノム重複でビット数を上げ、脳というハードディスクの容量を上げ高機能化を果たしている。
だがその目的は一つ。人類が人類の命を一瞬で絶つ道具の開発だった。そして、神という名のアポトーシスを実行し、それに合わせて阿修羅のウィルスで、その核爆弾を大量に発射させ、地球上の大多数の生物を死滅させる計画を実行した。
人間の短い歴史の中に合った神と悪魔の記憶の残像が信仰を生み、この計画を成功に導く伏線だったのだ。遺伝子の目的はバイオ半導体の雛形つくりだった。
生物が生きる事でON
死ぬ事でOFF
単体のON、OFFは出力が弱すぎるのだ。地球上の生物のON、OFFが信号として宇宙空間に発射される。その事で、宇宙は何かしらの事を成し遂げるのだろう。地球は半導体を置く場所であり、地球上の生物はその半導体の一つに過ぎなかったのだ。
生物はしぶとい。すべてが死に絶えたわけではない。微生物や細菌はかなりの数が生き続けている。此の空気は放射能という恐ろしい大気だが、昔生物たちが酸素という恐ろしい大気を吸えたように彼らも適応していくだろう。
阿修羅の陣痛が始まった。
体中が蠕動している。
しだいに阿修羅の身体は風船のように膨らんでいった。
皮膚がぱんぱんに膨らんでいくと、パンとはじけた。
それと同時に小さな小さなモノが霧のように噴出していった。
よく見ると、螺旋に絡まった遺伝子の破片のようだ。
無数といえる遺伝子の霧は、放射能の大気の中を風に乗って拡散されていく。
生き残った生物に取り付き、取り込まれ、その生物をのっとり進化というサイクルをスタートさせるのだ。
それには気の遠くなる時間が必要だろう。
そして新しい次の時代が始まる。
完
神々の遺伝子 海 潤航 @artworks
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