最終話:ありがとう


 誰の人生でもそうなのかもしれない。

 人生なんて、最後までよくわからないものだ。

 高校時代、順調に進んでいるはずだったのに転げ落ちたり。

 引きこもり生活をした果てに、子供が生まれたり。

 子育てしてるうちに、ちゃんと人の親になっていたり。

 まったく、想像もしていなかった人生を歩んでいる。

 那智の人生は波乱ながらも、様々な人に支えられる事で人並みの幸せを得られることができている。

 

「……ふぃ、疲れた」

「私のセリフです、それ」

「ごめんねぇ、シアもあそこまでお説教されるとは思わなかったの」


 悪びれることなく、てへっと娘は言い放つ。

 放課後の学校。

 今日は信愛の三者面談だった。

 仕事を抜けさせてもらい、先ほどまで面談をしていた。

 信愛は成績面では特に言うことのない、それなりの成績。

 問題は進路の方である。

 あろうことか、進路志望に“専業主婦(総ちゃんのお嫁さん)”と言い出した。

 それが担任教師の怒りを買うことに。


「ぐぬぬ、『今どき、専業主婦なんて甘えたことを言わない』と説教されるなんて。真面目に怒られました」

「まぁ、ダブルワークは基本ね。信愛も就職は考えておきなさい」

「はーい」

「まだ焦ることはないわ。一年生だもの」


 結婚に関しては今更、那智が反対することではない。

 信愛の人生、好きにさせてあげたい。

 

「総司君は大学生だっけ?」

「んー。どうだろう。その辺、ちゃんとまだ話あってないかな?」

「将来を考えているのなら、真面目に将来図を考えておくべきね」

「分かってます」

「あと、子供は生活に余裕ができてから。これ、重要」


 引きこもりニートが子供を作ると本当に大変な思いをする。

 身をもって、体験してきたので、それだけは言っておきたい。

 学校の廊下を歩いていると、昔を思い出す。


「私にも青春時代があったんだなぁ」

「ママ?」

「昔を思い出しちゃった。中退したけど、一年以上は通った場所だからね」


 高校の校舎自体は改修もされて雰囲気はずいぶんと変わっている。

 しかし、雰囲気というか空気感のようなものは変わらない。

 

「ママはどんな青春時代を送ってたの?」

「恋人とイチャイチャしたり、放課後デートをしてたわ」

「……それ、相手がアヤちゃんだって最近知ったんですけど」

「信愛は彩萌にだけは昔からずいぶん懐いてたわよね」

「んー。シアが知ってるママの友達はアヤちゃんくらいだし」


 小さな頃から遊んでくれていた彩萌を信愛はとても懐いている。

 なお、アヤちゃん呼びなのは本人がおばさんと呼ばせないだけだ。


「ママとアヤちゃんが特別な関係だったなんて、むむむ」

「ふふふ。そんなこともありました」

「……ママの人間関係は複雑そうデス」

「そうかもしれないわねぇ」


 思い返すこともない思い出ばかりでもある。

 結局、彩萌は二十代はフラフラと付き合う相手を変えて、ようやく結婚した。

 相手は会社の上司で出世コースに乗ってるお方。


――あの子、何だかんだで良い人生を送ってるわよねぇ。


 ずっと男子から、ちやほやされまくり、最後は優良な相手との結婚。


――普通、人生遊び尽くした先に待つのはバッドエンドじゃないの?


 まさに可愛いのは得。

 神様は不公平というか、元相方としては微妙に複雑な心境である。


「あっ、友達だ。少し、話してきてもいい?」

「どうぞ。私はそこの中庭で待ってるわ」

「うん。ちょっとだけだから」


 友人と話をするため信愛がいなくなり、ひとりで中庭を歩く。

 しばらくして、ベンチに座って学内の喧騒に耳を傾ける。

 青春時代の空気が流れているその場にいると、否応なく昔を思い出させる。


「いろんなことがありました」


 楽しいことも苦しいことも、多くの経験を重ねて今がある。

 人生をやり直せたら、とよく言うけども。


「私はきっと、やり直さない」


 これでいい、自分の人生に後悔はない。

 もちろん、すべてが満足のいく道ではなかった。

 でも、八雲に出会えたことも、信愛と巡り会えたことも。

 なかったことにはしたくない。


「ふふっ、なんだ。私の人生、案外、悪くないじゃない」


 そう思えるようになっただけ、ずいぶんとマシになった。

 でも、願わくば、もう一度くらい八雲に会ってみたい。

 それは叶わぬ願いで、自分から会うつもりもない。


「例えば、偶然出会うとか。そんなことがあれば……」


 ふっと自分で言って鼻で笑ってしまう。


――何を考えてるのやら。私、この空気に乗せられてるな。


 もう会うことなんて、ないはずだった。

 そんな奇跡はないのだと、思っていた。

 だけど。


「――もしかして、那智か?」


 振り返るとスーツ姿の男性が驚いた顔をしていた。


――会いたいと思ってたら会えるなんて、奇跡あった。


 そこにいたのは八雲だった。

 自分の知る彼の顔よりも少しだけ年齢を重ねている。

 

「八雲君?」


 それは十数年ぶりの再会だった。

 信愛を身籠って、彼の前から姿を消して以来だ。


「ホントに那智か。偶然だな。こんなところで会うなんて」

「どうして、貴方が……あぁ、三者面談か。それしか理由ないし」

「そういうこと。和奏の都合が悪くて、俺が代わりにね」


 わざわざ、仕事を抜けてきたのに、その娘は面談が終わるや、


『はっ、さっさと帰って』


 と、つれなく置いていかれてしまった。

 自業自得とはいえ、娘との関係が微妙に冷えてしまっている親子である。


「うちの子は来年受験なのに、ギターリストになりたいとか言い出して」

「あらら……音楽の道に進みたいの?」

「どうだろう。好きなことはさせてやりたいけど、んー」


 お互いに子供の進路については悩むところだ。

 無理に親の思う道を押し付ける気はないが、考えなしに応援する気にもなれない。

 そんな親心など知らずに、子供たちは自由に夢を追いかけるもの。


「って、そんなことを話してる場合じゃなかった」

「……久しぶりね」

「ホントだよ。那智は変わってないから、びっくりした」

「貴方は少しだけオジサンっぽくなったわ」

「ひでぇ」


 二人して笑いあう。

 こんな風に落ちついて話をする機会がまた来るとは思わなかった。

 

「元気そうで何よりだ」

「社会復帰できて、今は普通に暮らせてる」

「それはよかった。……いろいろと言いたいことはあるんだけども」


 どうして、子供ができたことを黙っていたのか。

 そのまま姿を消して心配していたこととか。

 これまで、どこでどういう生活をしていたのだろうか。

 八雲としても聞きたいことはたくさんある。

 彼は引きこもっていた那智を見捨てられなかった。

 間違いを犯していたのも、突き放せなかった優しさだ。

 突き放してしまえば、今度こそ那智が壊れてしまう気がした。

 そんな、ずるい優しさが招いた結果が信愛の誕生である。

 二人の間にあるのは複雑で、どうしようもないもの。


「やめましょう。必要ないでしょ」


 それらは過去の話、今さら改めて話すこともでない。

 

「信愛は16歳になりました。ちゃんと成長しています」


 それだけ伝えられたら十分だ。


「そっか。うん、そうだな」

「写真は見てくれてる?」

「あぁ。ちゃんと見てる。那智そっくりな顔をしてるよな」

「……私の子だもの」


 写真を送り続けているのは、ただ娘の成長を知ってほしいだけ。

 自分のことはいい。

 だが、娘のことは時々、一年に一度だけでも思い出してほしい。

 そんな娘を思う母心からしてきたことだ。


「……」


 こうして、再び出会えて言いたいことが一つだけあった。

 それでも、実際に言うには勇気が必要になる。

 言うべきでもないか、と誤魔化して帰ろうとする。

 このまま話を続けたい気持ちはあるが、長話はよろしくない。


「ちょっとでも顔を見れてよかった」

「え?」

「もう、行くわ。和奏に知られたら面倒だもの」

「……那智」


 そう言って、ベンチを立ち上がろうとする。


――逃げてばかりだな。もう次に会えるかどうかなんてわからないのに。


 こんな偶然は何度もない。

 ふいに思い出したのは娘の言葉だった。


『ママはもっと素直になった方がいいよ』


 その言葉が心に突き刺さる。


――素直か。そうね、一度くらいはいいかもね。


 娘の言葉に後押しされるように。

 彼女は迷いながらも、八雲を見つめた。


「あのさ、八雲君。これだけ、言いたかったことがあるの」

「ん?」

「――私に“信愛”を与えてくれてありがとう」


 信愛の存在が那智を救ってきた。

 ひとりではないことが、人生に輝きを与えた。

 その感謝だけは気持ちとして伝えておきたかった。


「あの子のおかげで、人生が幸せに溢れているわ」


 嘘偽りのない笑みを浮かべてそう言った。


「――ママ?」


 偶然には偶然が重なってしまうのか。

 ちょうどタイミングが合い、信愛が戻ってきた。


「むむ? ママが男の人と……お知り合い?」


 さすがに信愛に実父です、とは言えず。


「えぇ。昔のお友達よ」

「へぇ、そうなんだ」


 信愛は興味ありげに八雲に視線を向ける。

 戸惑いと驚きに彼は「えっと」と困惑する。

 写真でしか見たことのなかった隠し子との初対面である。

 そんな動揺を知ってか知らずか、信愛は無垢な表情で、

 

「ねぇ、おじさん。シアの事、可愛いと思う?」

「え? あ、あぁ、とても可愛らしいよ」

「それじゃ、シアの頭を撫でてもいいよ?」

「……こうかな」


 信愛の言葉に乗せられて、彼はそっと髪を撫でた。

 さらさらとした女の子の髪。

 子猫のように気持ちよさそうにする。


「ありがと、えへへっ」


 それで満足したのか、那智に促す。


「ママ。そろそろ、帰ろ」

「そうね」

「おじさんもまたねぇ」

「……うん。元気で」


 こんな形で親子が出会うなんて。


――まったく、運命ってやつは。もう、勢いついでだ。言っちゃえ。


 運命の悪戯には笑うしかない。

 立ち去ろうとする瞬間、那智は「――」と八雲の耳元に囁いた。


「――なっ!?」

「ふふっ」


 囁かれた言葉に戸惑いを隠せず、八雲はその場にたたずむ。


――い、言っちゃった。でも、いいわよね。言ったもの勝ちだし。


 一度だけでいい。

 どうしても、言っておきたかった言葉があったのだ。


「どうしたの、ママ?」

「なんでもない。行こうか」


 呆然と立ち尽くす彼を置いて歩きだす。

 彼の姿が見えなくなったところで、信愛はようやく口を開いた。


「あのね、ママ?」

「んー?」

「さっきの人さ、もしかして、シアのパパじゃないの?」


 バレていた。

 信愛は勘のいい子なので、雰囲気で察したのかもしれない。


「絶対、そうだよ。だって、ママが恋する乙女モードだった」

「え、えぇー。そうかな?」

「シアはどんな形でも、会えて嬉しかったよ。ちゃんと頭も撫でてもらえたし」

「信愛……」


 ふたりがどんな想いで関係を持ち、自分が生まれるようになったかを知らない。

 そんな信愛でも、両親が見守ってくれている愛情は感じている。

 

「シアはパパとママの娘に生まれて幸せです」

「……ありがとう」


 娘の手を握り締めて那智はつぶやく。

 それはこの子が生まれた時に心配だったこと。

 自分は娘から愛されて、信頼されるような母親になれるかどうか。

 その想いはちゃんと伝わり、現実のものになったのだ。

 真っ赤な夕焼け空の下、仲良くそろって親子は帰路につく。


「そうだ、さっきパパに何か言ってたよね? 何だったの?」

「さぁ、何でしょうね」

「あー、ずるい。教えてくれてもいいのに」

「教えなーい。くすっ」


 じゃれつく娘に「秘密よ」と誤魔化す。

 言えるはずもない。

 那智が八雲に囁いたのは、最初で最後の告白だ。


『――私、八雲君の事が好きだったわ。大好きだった』


 那智の人生はバッドエンドに向かうはずだった。

 しかし、その後に思わぬところでルート変更。

 好転した人生はまさかのハッピーエンドへとたどり着いた。


「まったく人生って、面白いものね」


 そう、満面の笑みで言い切った。

 思い通りにいかないことに絶望し、苦悩した日々。

 しかし、もう不安はない。

 あるのは希望、輝ける未来。

 いつか人生に終わりが来たら胸を張って言えるに違いない。

 最高の人生だった、と――。

 

【The END】

 

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親友の妹はなぜスト子なのか? 南条仁 @yamato2199

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