息も出来ない空気を吸って

新成 成之

第1話

 スポットライト浴びる舞台の上で、俺は一人佇んでいる。観客も他の演者もいない、不気味な劇場の、不気味な舞台上に。


 そんな状況の俺だが、自分の身体にはまるで自由が無い。手足に力は入らず、だらんと垂れるだけで、動かそうにも身体のどこにも意識が回らない。それこそ自分の身体ではないような、他の誰かの物のような、そんな感覚すら感じて恐怖すら感じるが、それも一瞬こと。


 何も出来ない俺の身体はときたまゆっくりと、俺の意識を無視して動き出したかと思うと、節から軋む音が聞こえる度に動かなくなる。よく見れば身体の至る所にピアノ線くらいの太さの糸が天井に向かって伸びている。何の線なのか、考えてもさっぱり分からないが、天井の向こう側、照明が並び人が入る隙間すら無いはずの場所に誰かがいるのが見える。


 怪しく笑う口角が、目を細めながらでも見える。



 *****



安形あがた!飯行こうぜ!」


 午前の授業が終わった昼休み、友人の木瀬きせが声を掛けてくれた。見ると教室の入口の付近に男子が数人固まってこっちを見ている。相変わらずの光景に安心感を覚えた俺はこう応える。


「ちょっと待ってろよ、お前ら早すぎんだよ!」



 食堂に着くと先に席を取っていた友人が手招きをして俺らを導く。


「お前ら遅いよ!一人で席取ってんの気まずいんだからな!」


「わりぃ、わりぃ」


 皆がそれぞれ謝罪の言葉を述べる中、俺も適当な言葉を見繕い口にする。


「つったく......、明日も来るなら他の奴に頼むぜ?」


 嫌そうな顔をしながらそんな事を言っているが、心の底から嫌がっている様子は見えない。寧ろその直後、笑顔になって話を続ける様子からそんな事は伺えない。


「早く飯食おうぜ!」


 俺がそう言うと、二人だけが席に残り、飯を取りに行った。




 こんな話を誰かに話すつもりはさらさら無いが、俺は今の自分が置かれている環境が過ごしやすいと思っている。休み時間になれば人が集まり、暇になることはないし、飯の時間だって誰かが近くにいる。何かに不自由すること無く生活が出来ているのだ。これは確かに恵まれた環境なのかもしれないが、俺がそうした環境を作り上げたとすら思っている。変な話、人間関係には自信がある。どんな奴でも当たり障りなく平等に接し、幅広い交友関係がある。そのおかげあって今の俺があると思っている。だから人間関係で苦労した事はこれまでの人生無いに等しい。あったのかもしれないが、覚えていないし、どうせ大したことではないはずだ。なんせ覚えていないのだから。


 だからだろう、一人でいる奴を見ると不思議でしょうがない。何故一人でいるのだろうと。




 俺のクラスは担任曰く、「仲のいい」クラスらしい。高校生では珍しく男女の仲も良く、面倒な問題事も起きない、まさに理想のクラスだ、とそんな事すら口にしている。確かに先生の意見には賛成だが、一つだけ気掛かりな事がある。それはクラスの中で唯一孤立した存在の女子がいることだ。


 彼女は誰とも群れることなく、ほぼ全ての行動を単独で行っている。強がりなのだろうか、そんな風にも見える彼女は、やはりクラスでは浮いた存在として見られており、中には彼女の単独行動を気にくわない連中から煙たがられ、心無い言葉を浴びせられている場面を目にする事もある。先生の言う「仲のいい」は彼の理想であり、理想でしかないのだ。




 いつものように休み時間になると友人が俺の周りに集まり中身の無い会話が交わされる。俺はこの時間がすごく好きだ。笑顔で話を聞いては上手い具合に相槌を打つ。誰が見ても仲の良い集団と呼べるような光景に、上手く出来ているなと思える自分がいる。


 自分の席で話をしてるのだが俺はいつも椅子には座らず皆と同じように立ちながら話を聞いている。その為、少々話が盛り上がったりすると動くこともある。俺は背後への注意が怠った為、あろう事か誰かとぶつかってしまった。


「あ、わりぃ......」


 振り向くとそこにいたのは単独行動を好む女子、加賀かがさんだった。


「別に大丈夫。あのさ前から思ってたんだけど、安形くんってつまらない人よね」


 加賀さんは突然そう言うと自分の席に戻ってしまった。


「なんだあいつ。なんだよ安形!あんな女の言ってることなんて気にすんなよ?」


「あぁ......、分かってる...」


 分かってる。分かっているのだけれど、正直怖かった。見透かされたのか、勘づかれたのか、どれにしても恐怖しかない。どれだ、どれの事を言っている。


「安形?お前、大丈夫か......?」


「何がだよ?大丈夫に決まってんだろ!」


 この時唇が震え「な」の音が上手く出なかった。



 *****



 学校から帰り、家の玄関を前にして俺は足を止めた。これは今日に限ってのことではなく、毎日していることだ。鞄から鍵を取り出すと大きく息を吸い込んで鍵穴に鍵を差し込む。これを回した瞬間から俺は上手くやらなければならない。そう思う度に俺は鍵を引き抜いてこれを投げてしまうかと何度も思った。けれどそんな事をする勇気など無く、俺は覚悟を決めて扉を開け、一歩足を踏み出す。


「今帰りました」


 そう言うと奥のリビングから「おかえりなさい」の声が聞こえる。それを聞くと俺は靴を脱ぎ、階段を上り、自分用の空間に逃げ込む。


「何でこんなことしてんだろ......」


 自分の居場所などないこの家で唯一の避難場所がこの部屋だ。それもそうだ。ここは俺の家ではないのだから。



 *****



 俺がまだ家族と暮らしていた時の話だ。家に帰れば母が夕食を作っていて、夕飯の前になれば親父が仕事から帰ってき、家族三人で楽しく過ごしていた。俺にはそれが当たり前で、ずっとこのままこの場所で俺は大人になっていくんだろうな、そんな風に考えていた。だけれど現実はそんな甘くはなかった。


 俺の母は笑顔が絶えないそんな人だった。授業参観で学校に来れば友人から羨ましがられるような、俺が言うの変だが美人で若い人だった。けれど、時々夜中に一人で泣いているのを目にしては俺はそれを見ないフリをしていた。母のそんな姿を見るのが嫌だったのだ。あの人の性格上色んなことを溜め込んでいる事は知っていた。けれどそれを抱えきれなくなった時、人知れず声を殺して涙を流しているあの姿は、俺は嫌いだった。


 親父は馬鹿が付くほど優しい人だった。俺は一度も親父に怒られた事は無かったし、手を挙げられたこともない。俺はその優しさが好きだった。今でも親父の大きな手をよく覚えているし、笑った顔も思い出せる。ただ、親父は自分のことを喋る人ではなかった。けれど友人は多く、仕事も出来るそんな人だと会社の同僚である親父の友人から話を聞いたことがある。


「君のお父さんは、人が良すぎるんだよね。どんな奴にでも心を許してさ。俺はさ、安形の事が少し心配なんだ。誰彼構わず受入れるあいつの性格がさ......」


 その人が心配していた事は現実のものとなり、俺の人生を狂わせた。




 ある日の事だ。学校が終わり家に帰ると玄関先に全身にして血を浴びた母が座り込んでいた。衝撃の光景に頭が真っ白になったが俺は必死に頭を回した。泥棒でも入ったのか、母は無事なのか、一瞬にして色々な考えが過ぎったが次の出来事で全ての考えが吹き飛ばされてしまった。


「あら......、信司しんじ......帰ったのね......」


 俯いていた顔を上げた母の口元は笑顔で歪んでいたのだ。そして一番衝撃的だったのは母の手に血の付いた包丁が握られていたことだった。


「ねえ信司......?どうしよう......お父さん死んじゃった......」


 ゆっくりと奥の和室に目をやると、血の海に沈む親父の姿がそこにはあった。その瞬間俺は劈くような悲鳴を上げると、意識を失ってしまった。




 後に警察から聞いた話によると、その日たまたま仕事が早く終わった親父が帰宅すると母が一人で泣いており、心配した親父が声をかけたところ様子が一変し、キッチンに包丁を取りに行くとそのまま親父の身体を数回刺し殺したとのことだった。


 留置所で母はこんな事を口にしていた。


「私はね......怖かったの......、あの人は、あの人は何を考えているのか分からないの......何も言ってくれないんだもの......何も言おうとしないんだもの、怖いわよ......、ねえ信司...、母さんはずっと───」


 母のそんな言葉を聞いて俺は親父とのある会話を思い出した。


「親父は何でこんなに友達が多いの?」


「なんだ、信司にはそう見えるのか?だけど俺はそうは思わないな」


「だけど皆親父のこと慕ってるじゃん?」


「慕われてるか......、だとしたら嬉しいな。いいか信司。人のことを信じろ。そうすれば自然と分かるものがある。どんな人でもそうだ、まず相手を信じろ。人間自分のことを信用してくれてる人にしか心を開いてくれないんだ。だから俺は皆のことを信用している。もちろん信司お前もだ。だから俺は何も特別なことなんてしてないんだ。俺はただ相手を信じてる、ただそれだけだよ」


 親父のお人好しは度が過ぎていたんだ。だからこんな事になった。


「結局親父は一番信頼していた人に裏切られてんじゃねぇか......何が人を信じろだ...信じた結果がこれかよ。何で信じてたんだよ?人間はそんなに綺麗なのかよ。なあ親父、教えてくれよ。母さんに、あの人に刺された時何を思った?また受け入れたのか?何で抵抗しなかった?「何でだ?」って、親父は思わなかったのか?そこまでして何がしたかったんだよ......。なあ親父、人を信じる意味なんてあるのかな?どうせ......どうせ裏切られる最後なら俺は───」


 親父の墓の前で花を手向けるよりも前にそう呟いた。たった一人墓の前に立ち、苛立ちに似た感情を覚えながら。



 *****



 それから俺は親戚の家に引き取られることになり今の家に住まわせてもらっている。親戚と言えど、ほぼ他人のようなものだ。だからこの家は居心地が悪い。俺のことを気にかけてくれている事は知っているし、色々としてもらっていることも分かっている。


 それでも俺はこの人達が怖い。



 *****



 俺の居場所は学校のあの教室にしかない。慎重に、慎重に作り上げたものだ。ここを無くしたら俺は本当に居場所が無くなる。俺は常に恐怖を感じているのだが、心の奥底、井戸の底のような暗闇に口には出来ない言葉が沈んでいることに気付き始めていた。


 今日もいつものように、友人と仲良く談笑をする。考えて、直して、やっと作り出せた言葉を口にする。大丈夫か、正解か、色んな言葉が頭の中を駆け巡る。


 怖い。


「おい、安形。加賀さんがお前のこと見てんぞ。あいつ最近お前のこと見てるよな」


 そう言われ狂ったようにそちらを向く。


「なんだよ、そんなに気に何のかよ。でも加賀さんだぜ?あんな根暗のどこが良いんだよ」


 違う今俺が考えてるのはそんな事じゃない。最近と言ったか。それはいつからだ。いつから加賀さんは俺のことを見てる。そして何で見てる。あの日からか、俺が加賀さんにぶつかった、あの日から分かれているのか。いや、それよりも前に知っていたのか。


「おっ、こっち来たぜ」


 来るな、やめてくれ。なんでこっちに来る。


「ねえ安形くん?何で貴方は笑っていられるの?」


 笑ってる?俺は今笑ってなんかないぞ。


「安形くんっていつも笑ってるよね。今は違うけど。でもさ、今の表情が本当の安形くん何でしょ?怖いんでしょ?何で、誰かといるの?辛いんでしょ?何で言葉を選ぶの?喋りたくないんでしょ?何で、 “ フリ ” をしてるの?誰も信じてないんでしょ?」


 直後俺は頭を抱えて叫んだ。


「黙れ!!いきなりなんだよ!!何でそんな知ったふうに喋んだよ!何でこんなことお前に言われなきゃならないんだよ!はっ?意味分かんない?加賀さん何言ってるの?俺がフリをしてる?何の?俺が何のフリをしてるって言うのさ?」


「友達」


 その一言で、俺を吊るす糸が緩んだ。


「だって安形くんさ、私と同じでしょ? “ 誰のことも信じてない ” でしょ?分かるんだよね、だって同じだから。でもさ、安形くんってタチ悪いよね。まるで “ 自分は貴方のこと信じてます! ” に振る舞うんだもんね。酷いよね。思ってもないこと口にしてさ。体裁取り繕って足元固めてさ。臆病だよね」


 彼女が何を言っているのか。俺にはさっぱり分からない。いや、正確には理解したくない。


 それは俺が見てこなかったことで、見たくなかったことだから。それを見てしまったら、俺は自分を自分として見れなくなるから。だってそうだろ、 “ 誰のことも信じようとしない ” 人間が誰かとつるんでいるなんて、そりゃあ色々考えて、時にはゲームの様に思って接してたよ。だけどさ、それの何が悪いのさ。


「人を騙して、自分を騙して、楽しいの?」


 加賀さんの言葉は、俺を殺すに値する言葉だった。


「おい......、安形?嘘だよな?加賀さんが言ってることは嘘なんだよな?友達のフリしてるとか、そんなの、そんなのしてないよな?!」


 何でこうなってしまったんだろう。


「ごめん、分からない......」



 *****



 スポットライト浴びる舞台上。俺の身体はマリオネット。四肢から伸びる細い糸は、良いように俺を操り動かしている。


 その糸の先、不気味に笑う正体を、俺はいつまでも見ない振りをしている。









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