死の運命(2)

 幼子のように眠りについてしまったマリアを、絨毯に横たえた。店側は冷える。暖炉に火をいれるべきだろう。そばから離れても、彼は目を醒ます気配がなかった。来た時から憔悴しきった顔をしていたのだ、それも無理はない。どうしようもないほどにぼろぼろで、その翳が彼をうつくしくしているのだと、そこがすきなのだと、言ったらマリアはなんと思うだろう。

(かわいそうなマリア)

 火を熾し、マリアのために毛布を運んだ。かけてやると、寝ぼけながらくるまって、ちいさく縮こまる。寝顔は苦悩に満ちており、ようやくたどりついた眠りだとしても、彼を憩わせるには足りないのだということを知った。オルガは円椅子に座って、もとそうあったようにテーブルに突っ伏した。

 眠る。それがいちばんだ。そうすれば、この奇妙な時間を終わらせることが出来る。正気に戻ったマリアが、逃げるようにこの《人形店》から出てゆくだろう。オルガの眠っている間に、必ずそうなる。マリアにつねにそばにいてほしいわけでもない。

 オルガは湿った疲れを感じて、動くのも億劫だった。マリアの輝く髪、薄い目蓋のしたに隠れた濃い碧眼、どこをとっても彼は痛々しく、美々しい。人形のように。

 テーブルのうえには、イジュの欠片が落ちていた。崩れるときに、このテーブルにも降ったのだ。白い陶片を、つまみあげて呑みこんだ。躰のなかにイジュが入る。正確には、人形のイジュの一部分が。いろいろなことがあった。ここ最近、間延びしているようでそうでない日常を過ごしている。ヴィヴィアンネと暮らしていたときのあの、おそるべき単調さはもうどこにもなかった。

 これがオルガの生活なのだ。

 予感が這い上ってきて、オルガは小さく慄えた。アネモネもいつか死ぬだろうか、突然に、イジュやエリカのように。そしていまオルガの足元で眠っているマリアも、死ぬのだろうか。オルガにはそれを見送るほどの時間があるのだろうか。いつ訪れるとも知れない「死の運命」は、どのようにやってくるのだろう。

 なにもかもがわからないことばかりだ。

「こわいんだ……マリア」

 僕は、死の運命がおそろしい。

 だがそれは、きっと、すべての人間には当たり前のことなのだろう……。

 目を閉じ、耳をそばだてた。雨音のほかに聞こえてくる、マリアの浅い呼吸の音、彼は眠っているのか、そうでないのか、オルガにはわからなかった。オルガは眠るだろう。そしてマリアはいなくなる。オルガから逃げる。怪物が眠っている間に、というように、オルガの眠りのうちにホーンの暗がりに消える。

 また幾日かの平凡な日々を過ごしたら、マリアはきっとここへ帰る。

 そういうふうになるはずだ。飢えが、渇きが、そうさせる。

 赤い雨は道を遮らない。煙る紗幕に頬を濡らし、舌に血の味を感じながらやってくるマリアを、オルガはここで待つのだ。

 絨毯を買おう。新しく、すばらしい織りの絨毯を。いずれアネモネを招待するのもいいかもしれない。マシューに言って、代書の仕事を増やしてもらおう。そしてオルガ自身も、もっといい仕事ができるようになりたい。わずかなお金で暮らす、黴が生える前にパンを食べる。死の運命を待つ。ただ待つ。

 鮮やかな色あいをうつくしく映えさせる、そのためにオルガの日常はある。

「俺もこわいよ、オルガ」

 赤錆びの雨が降る。誰の渇きも癒さぬままに。

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赤錆びと渇きの。 跳世ひつじ @fried_sheepgoat

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