大切な言葉

御手紙 葉

大切な言葉

 僕はゆっくりと身を起し、彼女の姿が隣にないことを確認した。ふっと息を吐いてしまう。

 きっとまたジョギングにでも行っているのだろう、と部屋を出ると、テーブルに置手紙があって、確かにそこにはそんな内容が書かれていた。

 毎日の習慣なら、わざわざメモなんて残さなくていいのに、と思う。でも、何かあった時に不都合があるから、と彼女は几帳面にメモを残していくのだ。

 僕は冷蔵庫からアイスコーヒーのボトルを取り出してグラスに注いだ。それを一息で飲み干すと、ソファに座ってテレビを点ける。

 すると、朝のニュース番組が今日の天気を予報していた。僕は画面の時刻を確認し、少し遅いな、と思った。

 いつも七時にはジョギングから帰ってくるのに、今日は二十分が過ぎていた。何をしているんだろう、と思って彼女に電話を掛けようとした時、ちょうど連絡があった。

「ごめん、迎えに来てくれない? 足を挫いちゃったみたいなの」

 僕はスマートフォンを耳に当てながら、一瞬言葉を失った。でも、すぐに近くにあったウインドブレーカーを手に取り、それを肩に引っかけながら歩き出した。

「すぐ行くよ。今、どこにいるんだ?」

 彼女は短く公園の中の現在位置を告げると、「ごめんね、本当に」と言った。

「そんなの、気にするなよ。近くに座るところはないのか?」

「今、ベンチで腰を下ろしているの」

「わかった」

 僕は部屋から駆け出て施錠すると、階段で降り、車を出した。急いで公園へと向かいながら、彼女のことばかり気になって仕方がなかった。

 大通りを突っ切って市営プール近くの公園へとやって来ると、僕は駐車場に停めてすぐに走り出した。彼女に言われた場所まで向かうと、彼女がベンチにもたれて左足首を押えながら顔を歪めていた。

「佐代!」

 僕がそう叫んで駆け寄ると、彼女がこちらに振り向き、弱弱しい笑みで「ごめん」とまず最初に謝った。

「大丈夫か? 歩けそう?」

「すごく痛くて、歩けそうにないんだ。本当にごめんね」

 これで彼女は今日何回謝ったのだろう。こんな時ぐらい人を頼ったっていいのに、本当に人を気遣いすぎだ。

「ほら、背中に乗れよ」

 僕が屈んで彼女に背中を向けると、彼女は「いいの?」と不安げに言った。

「いいんだよ。ほら」

 彼女はうなずき、僕の背中にもたれかかり、僕は彼女を抱え上げた。

 そのままゆっくりと車へと歩いていく。

「少しスピードを出しすぎていたのか?」

「うん。ちょっと楽しくなっちゃって、飛ばしていたら、転んじゃって」

 彼女は僕の肩に顔を擦りつけながら、そう言う。

「病院に行った方がいいな」

「そうね。でも、本当にありがとう」

 彼女がすぐ耳元でそう囁いてきた。

「私、浩と暮らしていて、本当に良かったよ。これからも、ずっと一緒にいてくれたら、いいな」

 彼女のその何気ない言葉に、僕はふっと笑って言った。

「もちろんだよ。僕も一つずつ準備しているから、それまでゆっくり待ってて」

 僕がそう首を傾けて言うと、彼女は僕のうなじに手を掛けてうなずいた。

 僕はゆっくりと車に近づきながら、彼女の温もりを感じ、その暖かな感触を手放したくないと思えてくるのだった。




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