4話 忍び寄るもの(ルノ)
頬が痛い。口の中がじゃりじゃりしていて、錆びた鉄の味がする。
寝台から身を起こすと、天井がぐらぐら歪んで見えた。
平衡を保てず、僕の体は、弱い磁石のような重力を発する寝台に吸い付けられた。
顔に我が肉球を当てると……とても熱い。
「顔が…腫れている?」
もしかして、誰かに殴られたのか? 夢を見ただけではこうはなるまい。
なんともひどい夢だったが……
まどろみの奥底にて、僕はどうにも抑えられない飢えに襲われた。
それは一拍もじっとしていられないほどの、激しい欲求だった。
食べたい
食べたい
いますぐ食べたい
腹に穴があいたかと思うほどの苦痛と、熱い衝動が我が身を蹂躙した。
寝台から転がり落ちた僕は、廊下を這い進んで船内食堂に入ったのだが。
その瞬間、そこはシングの家のダイニングに変化した。
なんともそそる香りが、カウンターの奥から漂ってきていた。
あれこそ、食べたいものだと、僕は片手で腹を抑えながら、懸命に這い進んだ。
おそろしいことに、我が身はずるると軟体動物のように床に溶解していき、非常にねばつき、重たくなった。それでもなんとか戸棚の前まで進み。戸棚から袋入りの特性カリカリを引き出し。無我夢中でがっついた。
なんとはしたないことをするのかと、自分に呆れつつも、カリカリの海に顔をつっこむ我が身を止られなかった。
しかしどんなに噛み砕き、どんなに呑み込もうとも、体内からわきあがる衝動はとまらなかった。
欲しい。
欲しい。
もっと欲しい――
これだけでは足りない。カリカリは美味だが、固すぎる。
もっと柔らかいものを噛みたい。ぷつりと弾力があり、血が通っているものを。
生のもの……を。
そのとき背後で何かが動いた。変な奇声とともに、たちまち周囲の景色が変化した。一瞬にして、あたりは燃える水の星の、奇岩ジャングルのただなか。
穴だらけの岩の木々の間に、そいつはいた。ぷひぷひと、ふっくらふくらんだ、ゴムまりのような体をゆさぶりながら。
そいつは、「肥える肉」という意味の名で呼ばれる獣だった。
あの星の青や緑の人々が好んで狩り、祝いのときなどに食べるごちそうだ。
しかし狩るには、相当な戦闘力が要る。とても獰猛で危険な生き物だが、その肉の弾力はすばらしく小気味よく、その血液は、たえなる蜜だ――
狩れ。
狩れ。
その首に食いつけ。
引き裂いて蜜を吸え。
欲求が我が身を動かした。僕は獣の喉元めがけて、鋭い爪を繰り出した。
食べたかった。
ただひたすらに、悲鳴をあげる肉を、喰らいたかった。
獣はすばしこく、なかなか捕まらない。腹の中でなにかがきいきい叫んで、僕を罵った。
早く! 早く食べさせて!
獣は一頭だけではなく、何頭も現れた。群れに遭遇した幸運を喜んだものの、獣はまだ、年端もゆかぬ子供だったらしい。
ずんずん地響きをたて、獣の親が駆けてきた。
怒りの咆哮をあげながら、巨大なそいつは僕を殴り飛ばした――
ああ……だめだ。
食べたい。
腹がぐうぐう鳴っている。
何か食わせろと、僕の体内にいるものが泣き叫ぶ。
「ごめん……ごめんね。大丈夫、いますぐに」
腹をさすりながら、僕は寝台から転がり降りた。熱を持ってじんじんする頬より、ぐるぐる唸る腹の方が気になった。ふらついて立てない。でもここから出て、早く何か、食べなければ。
ああ、泣いている。
僕の中で渦巻く小さなものが、わめいている。
食べたい。
食べたい。
食べたい――
「キィィィィイイイ!!」
気づくと僕はまた、燃える水の星の奇岩ジャングルにいた。
両手でとっさに取りおさえた「肥えた肉」が、きいきい悲鳴をあげている。
これも幼体なのだろう、かなり小さい。かわいそうだから、できれば親の方を食べたいのだが……
ひどい飢餓状態ゆえ、今の僕に大きな獲物を狩る力はないだろう。この肉でしのがなければ。
「キィイ! キィイ!」
獲物が激しく抵抗する。僕は首根っこを岩面におさえつけ、やわらかでまろい首に歯を突き立てた。
瞬間。
背後からごおうと、炎の嵐が襲ってきた。
奇岩の木々の合間から、「肥えた肉」の一匹が一所懸命、火の息を吹いている。
気を取られたすきに、僕の手から獲物がすり抜けた。
追いかけようとすると、どんと目の前に黄金色の塊が立ちふさがる。
「……して! ……ノ!」
塊はたちまち、人間の姿をとった。
ふわりと揺れる、金の
ああこれは、よく知っているもの。僕がとても気に入っているもの。
大好きでたまらないもの。
名前は――
「しっかりして! 目を覚まして、ルノ! タマを食べちゃダメ!」
タマ?!
いや、僕が捕まえたのは「肥えた肉」だ。ぷつりと弾力のある、美味なる獣のはず。
ああ、奇岩が消え去った。
待ってくれ、金色の子。ここは……どこだ?
白亜の宮殿? はてなく並ぶ円柱。見上げれば、天使たちが舞う天井画。
「帝宮?!」
なんと、生まれてから五年間、僕が住んでいたところではないか。
エルドラシアの帝都フライアの中枢。まっしろな大宮殿。ここは大広間へと続く廊下だ。
なつかしい……
「待ってくれ!」
金色の子が、僕が逃した獲物を抱えて走り去る。踵を返して、廊下の彼方へ逃げていく。
食べたい――
むろん僕は追いかけた。背後からごうごう、炎が飛んでくる。宮殿のセキュリティが、僕を排除しようとしているようだ。金色の子に続いて大広間に飛び込もうとすると、入り口の両脇に立っている
こんなセキュリティなどあっただろうか?
僕は歯を食いしばり、横倒しになった彫像を飛び越えた。
金色の子はどこだ? ああ、あそこに。玉座が据えられているはずのところに……
そこにあるのは無機質な灰色の作戦テーブル。卓上から、立体的な星図が浮かび上がっている。
小さな「肥えた肉」を抱える金色の子が、テーブルの一番奥にいる者に近づく。
軍服を着た、銀髪の少年に――
「だめだ!」
腹をさする僕の口から、叫び声が出た。
「そいつに近づくな! アル!」
金色の子が、少年のすぐ脇に来る。じっと星図を見上げていたそいつは、ちらと一瞥を投げると、金色の子に片手を伸ばした――
「アル! 逃げろ!!」
『
金色の子が、うねる波動に吹き飛ばされた。つんざくような悲鳴をあげながら、砕けていく。
金の髪が焼け、肌が落ち、金属の骨格がぐずぐず崩れていく……
「アル! アレイシア!!」
『は。こやつは、アレイシアなどではない』
銀髪の軍服少年が、ぞくりと冷たい声を放った。
『ただの複製だ。真正ではないものに、存在する価値などない』
「その子は本物だ!」
僕にとってはまごうことなく。
それにオリジナルと同じものだと思える証拠もちゃんとある。機械のAIは記憶を消去されたら二度と復旧できないが、アルの記憶は消えなかった。
人の手の及ばぬ、不可侵の領域をもつもの。すなわち、ほんものの魂に情報が刻まれているからだ。
「人の魂は分けることができるんだ! だからその子は本物の――」
『ほう? 分割しただと?』
銀髪の少年が片目をすがめる。
『そしてその片割れを、おまえが所有している? くく、身の程知らずだな。人形!』
「僕は人形ではない! アルだって、物ではない!」
いまいましい少年が、倒れた金色の子に近づく。かつかつ軍靴の音をたて、ひどく偉そうに。
「その子にさわるな!!」
食べたい――
待ってくれ。今はそんな場合ではないんだ。アルを助けなければ。
食べたい。早く。食べたい。食べたい。食べたい。
「頼む、少し我慢してくれ!」
伏した金色の子の手から、「肥えた肉」が飛び出す。僕の視線はその獲物を追いかけた。
腹の中にいるものが、あれを追いかけろとわめきたてる。
でも僕は。
「アル――!!」
金色の子に這っていった。銀髪の悪魔に触れさせるなんて、絶対嫌だった。
『まこと魂の分裂が本物ならば。朕はこの娘も、手に入れねばならぬということか』
靴音が止まる。銀髪少年が片膝をつき、金色の子に手を伸ばす。
ああ、必死で這っているのに、届かない――
『アレイシアは朕のものだ。かけら一片とて、他人にやるわけにはいかぬ』
「やめろ! その子にさわるな! 容赦なく処分しようとしたくせにいまさら!」
『なくなればいたしかたないが。他人が所有しているなどという事実は、看過できぬ』
「なにを、勝手なことを――」
何度言えばわかるのだ? 金色の子は自由だ。誰のものでもないのに……!
おのれ、腹が重い。獲物が逃げた方向へ動けと、僕の動きを妨害している。
届かない。金色の子に、手が……届かな……
『ふふ、この子は朕がもらうことにする。手に入れたらひとつになるかどうか、試してみることにしよう』
頭に、冷たい笑い声が降ってきた。重い軍靴の底の、圧迫と共に――
「ルノ! 寝てる場合じぇねえ! ルノ!!」
う……やめてくれ。頭が割れそうだ。揺さぶらないでくれ……
「起きろよ! まじ、やばいんだってば!」
テル・シング? 僕は狩りをしていた……いや、夢を見ていたのか?
ここは治療室か? ずいぶん暗くて、治療機材が火花を出しているように見えるが……
「なんだか船の様子がおかしく……ないか? 警戒音が鳴っている」
「おまえが変なもの食ったり、タマを食おうとしたのをさ、アルが助けたり俺がばんばん炎の精霊だしたり、ミミが風の精霊だして必死で止めてるさなかに、敵襲受けたんだよっ!」
「なん……だと?」
「相手の船、いきなりニアミスしてきやがった。ひったりついてきて、全然船籍コードが読めないんだ。たぶん海賊船で、倉庫にたんまり積んでる浮遊石を狙ってきたみたいなんだけどよ、ドンドコ入ってくるロボット兵駆除してる間に、アルが……」
テル・シングの口調の、歯切れの悪さといったらなかった。
「アルがさらわれたっ」
僕の頭はがつんと衝撃を受けて、さらに痛んだ。
アルが捕らえられた? 僕が見た夢は、まさか予知夢というものだったのか?
ふらつく僕を、テル・シングが抱き上げた。彼の胸をつかもうとするが、力が入らない。
エネルギーが、全部腹の中のものに吸われているようだ。
「タマルノくん、これを食べなさい!」
途方に暮れかけた僕の目の前に、山盛りのカリカリ皿が差し出された。いつもの特製と色合いが違う。金属のような銀色のものが入っている。
「お腹の中のものの嗜好に合わせてみたぞい。浮遊石味じゃ」
「なっ、石が混じっているというのか? なぜ?!」
「ルノおまえ、狂ったように浮遊石食ってたぜ?」
なんだと……シングの家の台所にある、カリカリをくすねたはずなのに。浮遊石など、金属ではないか。僕の腹は大丈夫なのか?
「数回排泄物を確認したんじゃが、砂のように細かく砕かれ、輩出されとる。腹の中のものが食らって消化して無害なものにし、排泄して、おまえさんの腸に流しとるようじゃ」
「中にいるものは、金属が好きということか」
「タマルノくんの卵獣はそのようじゃのう。しかし一匹一匹、嗜好は異なるでの。それだけがよいとも限らぬし。とりあえず、これで飢えをしのぎなさい」
山盛りのカリカリは一瞬でなくなった。
それは驚くほど美味だった。今まで食べた、どんな食べ物よりも。
もっと! と思わず叫んだ僕の前にざらざらと、がたいたくましいシング老はカリカリを注いだ。
「いくらでも合成するぞい。しかし、急いでアルくんを救出せねばならんぞ?」
そうだった。はやくアルを。だが、なぜか皿から顔が離れない。がつがつ食べてしまう。くそ……
「アムルノこっちだ!」
見かねたテル・シングが皿を持ち上げた。つられて僕も追いかける。
なんという体たらくか! しかしこの作戦はてきめんに効いた。皿めがけて時々飛びかかる僕は、テル・シングに誘導され、敵の侵入場所へと行き着いた。船倉目前の第六下甲板である。
そこには敵がうちこんだ侵入用カプセルが深くめり込んでおり、今まさに、銀色の人型ロボット兵が入り口を閉じようとしていた。タマ機霊を展開させるミミが果敢に追撃しているが、ロボット兵のレーザー光線による反撃がすさまじい。
テル・シングが、背中に背負う機霊箱からオオカミ機霊を起動させた。
「アルは、どこだ?!」
レーザーの炸裂がまぶしすぎて、カプセルの中がよく見えない。いや、そもそもロボット兵の数が尋常ではない。人間の大人二人分はゆうにある幅の通路にぎっしり、群れ成している。
兵たちは脇にそれぞれ、大きな箱を抱えている。中にたっぷり、浮遊石を詰め込んだのだろう。
「アル!!」
ロボット兵たちの合間に、うっすら黄色のスーツが見えた。人間の目だと、あれは桃色に見えるはず。兵に担がれているあれは、アルに間違いない。両腕をだらりと下げて失神しているようだ。
僕は白い竜翼をただちに展開させ、テル・シングの結界から飛び出した。
「アルを離せ!」
レーザーの迎撃がすさまじい。ロボット兵が、つっこむ僕に腕を伸ばしてくる。発射された無数のレーザーが、僕が展開する結界にあたって、乱反射す……
突然。
僕の結界がぶつりと途切れた。声を出すひまもなく、あまたの光線が僕の翼を撃ち抜く。
ロボット兵の海の中に落ちた僕は、あれよというまにがしりと一体の兵士の腕に囲まれた。
もがこうとしても自由がきかぬ。
テル・シングとミミの叫び声が、光の炸裂音にかき消される……
「くそ! なぜ機霊の力が消えたんだ!」
ああ、また腹が鳴ってきた。僕に宿っているものはなんと貪欲なのだ。
僕の体まで食べ始めているのではないだろうな。
「あ……もしかして、機霊の力を食べ……た?」
群れなすロボット兵がぞろぞろ、カプセルの中へ入っていく。アルを抱えた兵も。僕を抱えた兵も。
光が。炎が。風が。カプセルの扉を閉めさせまいと、躍り迫ってくる。
テルとミミが必死に僕らを奪還しようとしているのだ。
抗戦する兵たちが一斉に片手を伸ばした。
「な……これは……!」
伸ばされたロボット兵の手の先に、みるみるエネルギーの塊が溜まっていく。
馬鹿な。そんなまさか。でもこの「気」はまさしく。
「よけろテル・シング! ミミ! 結界ごと飛ばされるぞ!」
僕が叫ぶと同時に。ロボット兵たちは、テルたちに向かって信じられぬ攻撃をくり出した。
エルドラシア帝国の兵にしか伝授されない、大いなる体術の技を。呼吸を合わせ、一斉に――
『
機霊戦記 ――光と闇の女神たち―― 深海 @Miuminoki777
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