「かく死」は勇気を与えてくれる

 まず本作は、痛快でハッタリの効いた、優れたエンタメ性を備えた少女小説であると言って間違いありません。我々とは異なる歴史を辿った世界線、クテシフォンを首都に据えた巨大な「帝国」を舞台に、個性豊かでケレン味あふれるキャラクターたちが西へ東へ大活躍します。彼らが各々異なる行動原理と価値観を持って動き、物語を転がしてゆく様は、まさに圧巻の一言。
 一方で本作のもうひとつの大きな魅力は、テンプレ的なキャラ類型には到底おさまりきらない、複雑な人物造形が随所に散りばめられている点です。記号化されていない生々しい心情のゆらぎや、思考/感情/行動の間に矛盾をはらむ複雑な人間性を、高い濃度と精度でもって味わうことができます。 
 主人公の思考/感情/行動のあいだに次々生ずる様々な不協和を、彼女はいかにして解消するのか、あるいは解消しないのか!?…という点が、物語上の重要なフックであると同時に、メインドラマのひとつとなっています。彼女の前に「難題」が立ちふさがるごとに、読み手は主人公と一緒になって狼狽し、考え、彼女の選択に寄り添い、また「自分ならどういう選択をするか」と思いを巡らせてみたり…するとかしないとか。(わたしはする)

 本作を読みはじめてすばらしいと思った点は、筆者がこの物語の語りの視点として一人称を選んだことです。
 読者は必然的に、まだ十代半ばの少女のやや狭窄な目線を通して物語世界を覗き込むこととなります。不条理な世界へ放り出されて右も左もわからない不安と混乱、そこからどうにか世界のりんかくを掴み取ろうともがく彼女の痛み、苦しみ、勇気、熱量…そうしたものが、一人称視点の語りをとおして読み手の心に直に伝わってくるのです。
 たとえば主人公と同年代の読者が本作に触れたなら、ユリアナの不安や恐れ、勇気や決断を、そのまま「私の物語」として読むことができるかもしれません。また、社会人が読んだなら、「かつてのゆらぎ」が蘇り、そこに新たな意味を見出したり、勇気づけられたり、慰められ癒やされたりするかもしれません。そのうえで、もう一度フレッシュな目で世界を見つめ直す機会を与えてくれるかもしれません。…いや、社会人だって常に新しい次元へ向かって歩み続けねばならないわけで、そこに広がっているのはたいてい「未知の」「不条理な」領域であるわけです。全然「過ぎた時代」のことなどではありません! 
ユリアナ頑張れ!私も頑張る

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