かくして、少女は死と踊る

黒田八束

【序】第一章 徒花に実は生らぬ

(1)嫌疑


 ――枯河サイルには敵わない、という言葉がある。


 枯河サイルとは砂漠にある川の痕跡のことで、ごくたまに雨が降ると、洪水のもとになるものだ。このあたりの砂漠といえば極度の乾燥のために、砂は小さな石英の集合体となり、水を吸収することがない。枯河に溜まった雨水は決壊しやすく、あっというまに砂を押し流して巨大な濁流となる。

 ともすれば砂漠にとっての雨とは、恵みではなく災いなのだ。

 雨は甚大な水害へと発展しやすく、枯河サイルをあふれた洪水はふもとの街をも呑む込むほどの威力がある。枯河サイルには敵わない――つまりは人の力ではどうしようもできない、自然災害に対する諦めをあらわした言葉であるといえる。


 ――だとしたら、人に降りかかるは、どう表現すべきなのだろう?


「ユリアナ・ファランドール。共謀罪の容疑で、あなたを帝都まで連行します」

 頭上に降りかかる男の声は甘美で、同じくらいに冷え込んでいる。

 私は背中に載せられた質量――男の片足だ――を感じながら、床に倒れ臥していた。すりむいた左足の膝がヒリヒリと痛む。両手を拳のかたちに握ると、おそるおそる、私は頭上に視線を向けた。

 ――カチャリ、と金属の音がして、後頭部に何かが突き付けられる。

 窓からこぼれる日の残照に、白金色の髪がきらめいていた――淡青色の瞳をすうと細めて、これまでみたこともないような美貌でもって、その男は酷薄にわらう。彼のしなやかな肉体を包むのは、帝国軍人であることを示す漆黒の軍装だ。


 ――ユリアナ・ファランドール、一六歳。

 港町の女学院に通う、平凡な学生である私は――どんな数奇の運命の導きか、今現在、絶体絶命の危機におちいっている。

 見知らぬ軍人に足蹴にされたあげく、銃を突き付けられて。




第一章 (一)


 原風景――というものがあるとして、私の頭に真っ先に浮かぶのは荒野の街だ。風が地上の砂をさらい、空気をよどませる。一寸先も見通すことのできない埃と塵。私の生まれ故郷だ。

 そしてもうひとつ。それは光輝く、――


「……ファランドール!」

 ――女教師の声に、私は弾かれたように顔を上げた。

 次いで、ぴしゃりと教鞭が飛んでくる。机の天板を叩いて跳ね上がったそれを目で追った先に、色褪せた金髪ブロンドをひっつめた女教師の顔があった。

 どうやら、私はらしくもなく居眠りをしていて――目ざとくこの教師がそれを発見したということらしい。

 ここは教室だ。大陸の左右に広大な領地と属領を擁するガザーラ・ハディージャ帝国連邦――の末端、アレクサンドリアの名を冠する港町、その海を臨む小高い丘に立つ女学院の。波がさざめくように周囲の少女たちの忍び笑いが広がるなか、私の眼前には厳しいと評判の歴史学の教師。その手にはくたびれた教鞭があった。

「――はい、先生。どうしましたか?」

「私の授業でうたた寝をするなんて、いいご身分ね、ファランドール。罰として今日の授業を要約してごらんなさい。今すぐに、簡潔にわかりやすく」

 踵高の靴を鳴らしながら、女教師が教壇に戻ってまっすぐに背を伸ばす。

 白墨チョークの文字でびっしりと埋まった黒板を一瞥する。

 わかりました、と私は悪びれもせず席を立つ。

 周囲の女生徒たちの視線が私に集中した。

 私はスカートの裾についた埃を払い、長い間椅子に座っていたせいでついた皺もついでに伸ばして、さらに勿体ぶって長い黒髪を背に流した。そしてコホンと小さな咳をひとつすると、口を開いた。

「十年前、属領アラクセス・カラバフで起こった遺構爆発事件は、近郊都市スケパナケルトおよび周辺住民を巻き込んだ甚大な被害を引き起こしました。この事件は当時泥沼の状況下にあったアラクセス紛争を終結させるとともに、帝国内での遺失技術の危険性に関する議論を白熱させた。現在、その遺構は立ち入り禁止区域に指定され、長らく閉鎖されている――ですね?」

 うたた寝をしていたのはほんの数分だ。そうでなくとも、この程度の内容で私が躓くはずがない。女教師はしかめ面で腕を組み、よろしいとうなずきかけ――「そこに自分の意見も足せたら満点ね」と鼻を鳴らしてみせた。

 どうやらまだご立腹のようだ。

 私は横目でちらりと教室の壁時計を確認した。――週末前、それもこの日最後の授業。時計の秒針は、刻一刻と終わりに近づいている。

「思うに――遺失技術ロスト・テクノロジーは悪いことばかりではないかと」

 慎重に言葉を選びながら、私は口を開いた。

 自然と、靴のつま先が秒針のリズムに合わせて床を叩く。

「知ってのとおり、遺失文明時代の技術を総じて遺失技術ロスト・テクノロジーと呼びます。その種類は多岐にわたり、医療や交通、都市計画など、広い意味での《インフラ》ともいうべき部分に多く転用されています。むろん、遺失技術には危険なものもあると聞きますから、運用のためのルールを厳格にする必要性も理解しています。しかし、アラクセス紛争の例は……極端なものであると言うほかないかと。甚大な被害を催したといっても、それがどんな施設だったのか、教科書には載ってませんし、先生の話にも出てきません」

「あなたは技術工エンジニア志望でしたね、ファランドール。あなたのいうように、遺失技術ロスト・テクノロジーは……」

 そのとき、教師の声をかき消すほどの音量で、鐘が鳴り響いた。授業の終わりを報せる鐘が、ごおん、ごおん、と女学院の敷地中に広がる。

 私は浮足立って、机に広げた勉強道具を鞄に放り込んだ。

「ファランドール! 話はまだ終わっていませんよ」

「先生、授業時間は終わっています。それにあなたの話は長くて聞いていられません! それではみなさんごきげんようマアッサラーマ、いい週末を」

 「ごきげんよう《マアッサラーマ》」、と陽気な女子生徒のひとりが返事をする。

「待ちなさい、ファランドール! ああもう、だからこの学校の生徒たちは……慎みというものが!」

 私を皮切りに、周囲の女子生徒たちもわらわらと帰り支度を始めた。とはいえここは全寮制であるから、みんな身軽なものだ。中には勉強道具すら持って帰らない者もいる――私はにっこりと女教師に笑いかけた。そして次の瞬間、鞄を小脇に抱えると、いのいちばんに教室を飛び出したのだった。


 風が吹いている。

 生ぬるい風はかすかに湿り気を帯び、磯の匂いがした。近くの港からやってきたものだろう――風は中庭に生えたナツメヤシの木を揺らしては、夕刻の空へと消えてゆく。傾きはじめた日が、砕いた貝殻を埋め込んだ壁や床を虹色に煌めかせていた。

 打って変わって、私は落ち着いたようすで校舎を歩いていた。

 校舎は帝国ハディージャ式建築のなかでもお手本のような造りで、広い中庭を取り巻くようにして二階建ての回廊が建ち、それぞれの教室や実験室、職員室といった部屋が面している。隣には木造の寄宿舎もある。――ここはアレクサンドリアの名門女学院。帝国中から良家の令嬢が集い、勉学と生活を共にする場だ。

 私は先ほどから、うろうろと一階の廊下で行き来をくり返していた。しきりに懐中時計を取り出しては時刻を確かめ、服に乱れはないかとむやみにスカートの裾を引っ張ってみたりをする。そして視界の端には、常にある部屋の扉があった。――清冽にきらめく白い石製の扉。そのむこうには、『面会室』があった。

 この日、私は後見人と会う約束をしていた。

 私はこの学院に通う多くの女子生徒とは異なり――《うまれながらの》令嬢ではない。生まれ故郷は帝国が統治する属領のひとつ、縁あって今の後見人に引き取られ、まるで高貴な令嬢のような生活を送っている。実際、私の戸籍はある『家』に入っているのだから、それも当然といえば当然なのだが。

 一か月ほど前、私のもとに後見人からある封書が届いた。帝都クテシフォンの消印が捺された封筒には、バースデーカードと、『彼』は私の一六歳の誕生日を祝うため、小旅行の計画を立てているという内容の手紙が入っていた。

 ――その約束の日が、今日なのだ。

 このまま彼と面会をしたあと、一緒に寄宿舎まで荷物を取りにいく。

 そして近郊の砂漠都市まで行く――そこで、私は新しい服を仕立ててもらえるらしい。それから夜行列車に乗って、観光名所のオアシスまで出かける。数か月ぶりに後見人に会える上に、旅行までできるなんて! 私は誕生日を祝ってもらえること以上に、そのことが何よりも嬉しかった。

 何度めかの時刻の確認を終え、私はいよいよ扉の前に立った。

 すうと息を吸い込み、慎重に、扉を叩く――。

 ――しばらくして、聞き慣れない声でいらえが返ってきた。

 不審には思ったものの気には留めず、私は室内に足を踏み入れた。

 国の要人を通すこともあるという面会室にはふかふかの絨毯が敷きつめられ、私の重さの異なる両足をひとしく受け止めた。入り口から少し離れたところに革張りの長椅子とローテーブルが置かれており、そこにいる人物を視界に入れたところで、私は固まってしまった。

 部屋を間違えたのだろうか?

 私が心待ちにしてた人物ではない。『彼』であるならばすぐに立ち上がり、優しい抱擁をしてくれるだはずだ。しかしそこに居座る人物は、横柄な態度で椅子に腰かけ、値踏みをするように私を見つめてくるのだった。

「あの、すみません、部屋を――」

「……ユリアナ・ファランドールですね」

 その声に、私はびくりと肩を震わせ、返しかけた踵を止めた。そしてまじまじと、今度はしっかりとその男の顔を確かめたのだった。

 ――美しい男だった。うら若く、二十代前半くらいだろうか。やわらかそうな白金色の髪をひとつに束ねていて、肌は陶器のように透き通る白。生えそろった睫毛にふちどられた瞳は、アレクサンドリアの海よりも澄んだ淡青色にきらめき、まるで宝石のように見えた。

 そして、その一見すれば華奢なからだを包むのは――漆黒の軍装だ。堅苦しい制服をさらりと着こなした青年は、立ち上がって、慇懃に右手を差し出した。

 ほっそりとしているようで、胼胝たこがところどころにある、皮の厚く張った手のひらだった。どこか、後見人の手に似ている――私が握手を返さないと分かるやいなや、彼はすぐにその手を引っ込めてしまった。

「はじめまして。私はクラエス・ハクスリー。見てのとおり軍人です。所属は皇帝直属軍イエニチェリ青色連隊狙撃部。IDカードはこちらです。……まあ、積もる話もありますので、そこに座ってくださってかまいませんよ」

 眼前に突き付けられた身分証をまじまじと見つめ、はあ、と私は煮え切らない返事をする。

「あの、私は後見人に会いに来ただけなのですが。何かの人違いではないでしょうか……?」

「いいえ、はあなたに話があるのですよ」

 我々、という響きに思わず周囲を見渡せば――部屋の隅に、もうひとりの人間の姿があった。大柄な、男――だろうか。黒々とした甲冑に身を包み、その顔さえも兜で覆って見ることはかなわないから、詳しいことは分からない。

 酷暑のアレクサンドリアでもあんな重装備をしなきゃなんて、と呑気な感想が頭に浮かんだ。

「あちらはキナア。私の部下です。彼のことは気にしなくてかまいません」

 困惑しながらも、促されるままにクラエスと名乗る軍人の正面に座る。

 彼の視線は刺刺しく、なぜ私がここまで居心地の悪い気分にならなければならないのかと、膝の上に置いた手と手をすり合わせる。それにしても、今ごろ『彼』はどこにいるのだろう。何かの手違いがあって、別の場所で私を待っているのかもしれない。

「まずは本人確認を。あなたはユリアナ・ファランドールで相違はないですね。出身は属領アレクセス・カラバフ、六歳で現在のファランドール家に籍を置く。養子ということは、出自は孤児ですか? ……つい先月、十六歳になったばかり」

「……家に関することなら、私に聞かれてもわからないわ」

 ファランドール、という単語が帯びた含意に、私は肩を竦めた。

「私は確かに帝国の一大商家、ファランドールの人間だけれども、ただ籍を置いているだけにすぎないわ。慈善事業って言うんでしょう? 孤児に融資をして育てるの」

「あの家は誰にも門戸を開いているわけではない。融資を受けるには相応の能力が必要です。その家の知能テストをクリアするのだから、大した逸材ですよ。……残念ながら、今回の用件は〝ファランドール〟絡みではない」 

 大した逸材、と言い放つ彼の態度はやはり刺刺しい。

「あなた本人に用があるのですよ、ユリアナさん。……これを」

 クラエスは脇に置いていた鞄から、数枚の資料を取り出した――誰かの経歴書らしい。そこに貼られていた顔写真を一瞥して、私は息を呑んだ。

「見覚えが?」

「バラド・ヴィ・サフサーフ。……私の後見人よ。帝国官僚で……」

 そこに映るのは三十代もそこそこの男だ。

 赤銅色の肌に短い黒髪。夜色の瞳――まぎれもなく、私の後見人だ。

 今日、私を迎えに来て、ともに旅行をするはずの。嫌な予感が胸を占める。

「これは帝国官僚の情報をまとめたデータベースから持ってきたものです。……バラド・ヴィ・サフサーフ。――彼は本来、存在しない人間です。帝国人ですが、それも一〇年以上前に『購入』された偽りの戸籍によるもの。名前も本名ではない。それもまあ、広大な領地や複数の異民族を抱える帝国連邦に限っては、めずらしい話ではない……しかし」

 クラエスは肩を竦め、経歴書の下から、もう一枚の紙を取り出した。

 ――後見人の顔写真とともに、《指名手配犯》という文字がある。

「彼は国家反逆人です」

 目を見開いた私に、クラエスは淡々と説明を続ける。

「……先週のことです。容疑者バラドは、帝国政府に対して謀反未遂を起こしました。彼は《難民解放戦線》の一員とみられ、現在は国内を逃走中です。そしてユリアナさん、貴方にはその共謀罪の容疑がかかっている」

「……は?」

 クラエスの言葉が理解できず、私は目を丸くした。

 全身から血の気が引いた。

 冷静になって彼の言葉をかみくだこうとする――後見人が、バラドが謀反を起こした。つまりは帝国政府にたいして歯向かった。そもそも、彼の戸籍は偽造されたもので、『本来は存在しない』はずの人間で……。

「嘘よ」

 どのことに対して否定のことばを発したのか、私にもわからなかった。

「しかし証拠が挙がっております。この」

 そう言ってクラエスは懐から紙を取り出した。

 一通の手紙だ。そこには見慣れた筆跡で宛名が刻まれている。

「貴方が後見人である容疑者の逃走を手助けした。それだけでなく、この手紙には貴方が謀反に協力したことを仄めかすような内容が。……これは貴方が容疑者に送った手紙ですね。涙ぐましいものだ。自分をみいだし、のなかから引き上げた男に保身も考えずにそこまで尽くすとは――」

「う、嘘よ……! そんなもの、私は送ってない!」

「失礼ながら、貴方の授業中に筆跡を確認させていただきました。この手紙とも完全に一致している。……弁解は帝都で聞きましょう」

 クラエスがそう断定する声には、追及の余地すらない。

 ――しかし私には当然、そんな手紙を出したおぼえはない。そもそもバラドと会うのだって、ずいぶん久しぶりのことなのだから……彼がどこで何をしているかなんて、況してや謀反を起こしたなど知り得るはずがないのだ。

 まったく知らずに、私はこの学院で平穏な生活を送ってきた――平穏な日常の崩壊する音が、どこからともなく聞こえてくる。

「そんなの嘘よ。嘘よ! 私は何もしていない! そんなのおかしいわ!」

「しかし貴方が共謀罪を犯していない、という証拠もありません。それに私に与えられた任務は、貴方を処断することではありません。貴方を帝都に連れて行くのみです」

 ああ、と言葉にならない叫びを私はこぼした。

 これは仕組まれた罪なのだろうか。……誰によって? 誰か、私に対して悪意を持つ人物か?

 わからない。わからないことだらけだ。

 混乱が加速する。汗で湿った手をぎゅっと握り、平静を取り戻そうと努めた。

 そして思い至った。わからないことだらけのこの状況で、確かなこともわずかながらにあるではないか。――それはこのまま帝都に連行されてしまえば、私のこの罪は覆せないだろうということ。

 帝国こと、ガザーラ=ハディージャ帝国連邦の建前は実力主義。しかしその裏には男性優位型社会と、《属領人》蔑視の風潮がある。これが誰かの仕組んだものであるなら、結果は考えるまでもなく死刑にちがいない。

 

「荷造りをしなさい。夜には出立します」

 容赦のないクラエスの言葉にうつむくと、私はスカートの裾を握り締めた。

 泣きそうなのを必死に耐えた。奥歯を噛みしめ、冤罪だと叫び出したい衝動をこらえる。そう主張したところで、この決定はもう変わらないこと、それがこの男の態度からはっきりとにじみ出ている。

 私は共謀罪という覚えもない容疑で、帝都まで連行される。潔白を証明することは不可能だろう。『上』が私を容疑者だと決め付けた時点で、すべては予定調和なのだ。どう足掻いても無駄ならば、することは一つ。


 ――逃げなければ。

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