9-1
いくらなんでも無謀だという言葉は術の波にかき消されてしまって届くことはなく、縋るように向けた視線も雷の渦によって途切れてしまう。聴覚も視覚も激しい術によって遮られ、残されたのは自身の勘のみという状況で、冷は必死に思考を巡らせて打開策を探す。こういう時、漠夜ならどうするのか。それを基準にして頭を働かせながら、手負いの月華に治癒を施す。結界の外では冷に狙いが向いたと気が付いた一葵が馨の動きをけん制するために加勢しており、銃声と爆撃音が断続的に響いている。
「隊長、命令を。俺、まだやれる」
「白羽さん……!」
自らの術を破られたショックで呆然としていた白羽だったが、馨と交戦している一葵の姿を見て正気に戻ったようだ。冷を仰ぎ見るその瞳は悔しそうな炎で燃え盛っている。法術は術者の感情エネルギーを触媒として力を増すという性質を持っているため、消耗した感情が再び熱を持つのは良い兆候だろう。漠夜が駄目だったとしても、馨や煤たちの術を無効化できるだけの余力なら残っているかもしれない。そう判断した冷は、白羽を見返しながら強く頷いた。
「なんとか隙を作ります、その間に法術のフィールドをこの場に展開してください」
「わかった」
彼の言葉を聞いた冷は、月華を守るために敷いた結界をそのままにして駆け出し、術の応酬が繰り広げられている中心へと飛び込んだ。脳裏に描くのは、今までずっと見続けてきた漠夜の姿。自分ならできると何度も言い聞かせ、彼の戦い方を踏襲するように頭の中でなぞっていく。彼ならどのような術を展開するのか、どうやったら三人を足止めすることが出来るのか、この場を切り抜けるために、冷は自らの頭の中に漠夜の姿を形作った。
「炎舞・雛菊!」
馨と一葵へと接近し、目視できる範囲に入ったところで術を放つ。真っすぐに飛んでいく炎舞・雛菊の炎が周囲の雷を突き破り、馨の心臓めがけて突き進む。それに気付いた彼が飛び退ってよけようとするが、すぐ隣に鏡面結界を作り出して炎を反射させる。直角に曲がった炎は勢いを増して馨を追尾し、避けられるたびに新しい結界を作り出して強引に矛先を曲げていく。
馨が小さく舌打ちをし、指先で大きな雷球を作り出した。密度の高いそれを貫くことはできずに雛菊の炎は散ってしまうが、冷にはそれも計算づくだ。巨大な雷球に空いた細い穴は、冷から見て一直線に馨の体を捉えている。
「一葵さん!」
言うのと同時に上体を屈め、背後に控えていた一葵に射線を譲り渡す。新しい弾を装填した一葵が引き金を引くと同時に発射された複数の銃弾は、まるで針に糸を通すように正確に雛菊の開けた直線状の穴を通り抜けていく。
上体を低くした勢いで地面に手をついて巨大な結界を作り出して雷球を防いだ冷は、耳をつんざくような破裂音の合間に一葵の術が発動する音を聞いた。
鎌鼬のように鋭い風の刃が馨の体をおそっているだろう。そう思って顔を上げて巻き上がる粉塵の向こうに目を凝らした冷は、馨の眼前に強固な結界が張られていることに気が付いた。
「魁、出てくんなって言っただろ」
「仲間がやられそうになってるのに、黙って見てるなんて無理に決まってるだろ」
黒い髪を揺らして立ち上がったのは、茶色と赤の異なる瞳を宿した青年。末羽の協力者の中で唯一のタイプⅯ、かつて写真で見た覡魁その人だ。
「……ようやく姿を現しましたね」
彼らの中で治癒や防御を担当できるただ一人の青年、その張本人が姿を現さない事を、冷はずっと疑問に思っていた。普通ならば前線に出る三名のサポートに当たってもおかしくないにも関わらず、なぜ彼は今まで姿を見せなかったのか。その答えは、馨の反応を見て確信へと変わる。輝の分析により事前に立ててあったいくつかの仮説、その中の一つに当てはまる。彼らにとって覡魁こそが末羽の次に重要な戦力の要。蘇生術を操る事ができるただ一人の人物。そう思えば、今までろくに姿を現さなかったことにも説明が付くのだ。
「力比べといこうか、忌童子さん」
「その名前はとうに捨てました」
悠然と佇む魁の潜在魔力がどの程度かはわからないが、蘇生魔術という前代未聞の術式を成立させるほどの実力者であるのなら、一葵の術を凌駕する可能性は格段に高い。冷自身もベルゼバブと融合してからまだ日が浅く、攻撃魔術と支援魔術を両立させる感覚に馴染めていない。その状態でどれだけ魔力を残して末羽の元へ辿り着くかが重要となってくる。気を落ち着けるために深く息を吸って体勢を整える。すると、冷の体内からゆらりと姿を現したベルゼバブが不敵に笑った。
「利用できるものは全て使え。一瞬の好機を見逃すでないぞ」
ちりん、とベルゼバブの耳飾りが音を立てる。彼の視線の先には、揺れる白銀が舞っている。
「こうして手合わせするのは久しぶりですね漠夜」
振り上げられた足をかわし、地面に付いた手を起点にして一回転してわずかに距離を取る。すかさず飛んできた二の手を結界で防いだ輝は、怪訝そうに表情を歪める漠夜を見て笑みを浮かべた。ぽつりと浮いた汗の玉が頬を伝い落ちていくのを感じながらも、彼は笑みを崩すことなく漠夜から瞳を逸らさない。ひときわ重い蹴りが結界に直撃してヒビが入り、その一点の急所を逃さないかの如く間髪入れずに漠夜が攻める。足技を得意としている彼の身のこなしは軽やかで、まるで舞でも踊っているかのように滑らかな動作で連撃を作り出していた。
「手合わせの時、貴方はいつも私に合わせて手加減していました」
「だから何だ」
結界を破壊して掴みかかる漠夜を飛び越えてかわした輝は、振り返る一瞬を狙って放たれた一撃を掌で受け止める。神経を切り落とすような鋭い痛みに一瞬だけ眉を顰めた彼だったが、それでも漠夜を見る表情は常に微笑みを湛えている。それがよほど異様だったのだろう、漠夜はわずかにだが戸惑いの色を顔に浮かべる。
「貴方は私の事を知っていますか?」
微笑みを浮かべ、拳を受け止めたまま輝が問いかける。その真意が掴めていない様子の漠夜は、表情を歪めたまま手を離した。
「知るわけねえだろ、頭沸いてんのか?」
言葉と共に地を蹴り、輝との距離を一気に詰める。すぐさま発動された結界に対して術の発動を阻害させる結界を張り、そのすきに生じた隙間から捻じ込んだ踵が発動途中の結界を粉々に粉砕する。乾いた音と共に消えていく結界を横目にして輝の首に手をかけた漠夜は、彼の体を引き倒して地面へと押さえつけた。ぎりぎりと首を圧迫して呼吸を奪い、術を発動できるだけの集中力を削ぎ落す。その隙に彼の媒体を破壊するか、このまま殺してしまえば漠夜の勝利だ。
「末羽の命令だ、命だけは助けてやるよ」
彼は前者を選択したようだ。末羽が輝を活かしたがっているのは、おそらく情でもなんでもないだろう。彼女が欲しがっているのは輝の頭脳。そして蘇生術を操れるだけの手駒を増やすために屈服か、もしくは洗脳するためだけに生かすつもりなのだ。輝にはそれが痛いほどよくわかる。
何故なら彼女も、輝にとっては大切な妹だから。
「、……っ」
気道を圧迫されて意識が朦朧としている中、輝が口角を吊り上げる。この状況で勝ち誇ったような表情を浮かべる理由が彼には分らなかったのだろう。片眉を上げて訝しそうにする漠夜を見ながら、輝はすかさず懐から小さなナイフを取り出した。
それに気付いた漠夜が結界を発動させようとするが、輝の方が瞬き一つ分だけ早かった。躊躇いもせずにかき切られた腹部は白い隊服を汚し、血しぶきがその場を赤く染める。
「てめえ何して……!」
驚愕に開いた瞳の先に映るのは、自らの腹を切り裂いて笑う輝の姿。末羽の命令を思い出したのか、それともわずかな良心が残っていたのかはわからないが、咄嗟に治癒魔術を発動させようと伸びた手首を掴んで、輝は口を開いた。
「捉え、ましたよ……っ」
ばちゃり、と血の海に手をついて輝が体を起こす。体を動かすたびに引きちぎれていく血管を気にも留めず、漠夜との距離を詰める。そして、まるで別れを惜しむ子供のような表情を一瞬だけ浮かべて彼は声を張り上げた。
「――フェニックス!」
血だまりから一筋の光が走り、するすると紋様を描いて行く。その端々からあふれ出る炎の奔流は瞬く間に漠夜と輝の体を覆い尽くす。先ほどの漠夜と同じように、結界の発動を阻害する術を発動しながらフェニックスの召喚に、文字通り命を賭けた輝は、燃え上がる炎の海の中に親友の顔を見た。
甲高い鳴き声を上げて召喚されたフェニックスの劫火が周囲一帯を襲い、積みあがった瓦礫すらも肺に変えていく。燃え盛る炎は地面に黒く濃い影を刻んで燃え盛り、まさに火の海という形容がふさわしいほどに勢いを増す。
「今です! 幸さん、白羽さん!」
フェニックスが召喚されたのを視認した冷は、咄嗟に通信機を繋いで声を張り上げていた。
足元に伸びる影を見て合点がいったのか、幸からは短い返事が返ってくる。延焼していく炎の海の中ではまともに身動きができない中で、たった一人、その術を最大限に活かすことのできる術者が存在している。それが、『影』を操る術者である幸だ。炎の海の中では足元から伸びる影が鮮明に地面へと刻まれており、それが彼の術を強化させる。
「神姫、サポート頼む!」
言うや否や発動された術が、彼の目の前にいた煤や唯の頭上へと急激に伸びていく。異変に気付いた彼女たちが脱出を試みるが、神姫の存在がそれを許さない。内側に向けて展開されたドーム状の結界が彼女たちの行く手を阻み、まるでその結界を覆うように影が彼女たちごと包み込んでいく。
「影牢か……!」
術の正体に気が付いた時には遅く、影の格子によって雁字搦めにされた馨が腹立たしそうに歯噛みしている。
「お前たち、もう身動きできない」
影の檻に捕らわれた馨たちはそれぞれ影を破ろうとして術を発動させるが、幸の術が発動した時点で冷が描いていた作戦の完遂まで秒読みという段階だ。彼らの術が発動すると同時に影の格子は四散して消えていくが、彼らの術が冷や幸たちから逸れる一瞬の隙がその時生まれた。
その隙を逃すまいと、表情を鋭くした白羽の瞳が周囲一帯を目視し、法術のフィールドを展開する範囲を定めていく。それにいち早く気が付いたのは魁のようだったが、影に捕らわれたままの彼では手出しなどできる筈もない。一番遠くに位置していた彼女たちを取り込める範囲に法術フィールドを展開した白羽は、大規模な術の展開によって体に負荷がかかり、その場に膝をついた。
消滅した影の檻から放たれた唯や煤、そして馨は当然のように白羽を狙うが、それよりも、誰よりも早く反応を見せたのは乾いた音。立て続けに二回三回と上がるその音は、冷にも聞き馴染んだもの。拳銃の発砲音だ。
「うそ……」
「なんで、避けられな……っ」
足を撃ち抜かれてその場に崩れ落ちる彼女たちの視線の先には、媒体である鉛玉の込められた拳銃を構えた一葵の姿。魔術を使って肉体を強化していた時の彼女たちならば話は別だが、普通の人間としての身体能力しか有していない今は違う。魔術を奪われ、足を奪われた四人はその場に崩れ落ちるようにして倒れ、ごうごうと燃える炎の海に沈んでいく。
「月華さん、大佐は!」
燃え盛る炎の中で、冷の結界によって守られて傷を治していた月華が、その小柄な肉体を活かして炎の海の中から輝の姿を見つけ出す。至近距離でフェニックスの炎をくらい、防ぐ間もなく法術の力によって魔術を無効化された漠夜の体は粒子となって崩れ落ちており、遺された輝は息も絶え絶えな様子でその場に倒れ伏していた。
月華の合図を確認した冷は炎の中を進んで彼らに駆け寄り、張り巡らされた法術に負けないくらいの出力で輝に治癒魔術をかける。なんとか一命を取り留めた輝は荒い呼吸を繰り返しながら、薄目を開いて困ったように笑った。
「……死に損なってしまいました」
「当たり前だろ! 大佐まで死んでどうするんだよ」
冗談を口にできるだけの余裕があるとわかって肩の力を抜いた月華は、その場に座り込んでしまう。漠夜に加えられたダメージの余波がまだ残っているのだろう。彼は痛みに朦朧とする意識の中で自らに治癒魔術をかけていたが、それでは足りなかったように見える。法術によって囲われているこの状況は、馨たちも身動きが取れないが、一葵や月華たちもろくに魔術を使う事が出来ない。自然と治癒が遅れてしまう為、輝だけでも戦線から離脱させたいところだが、フェニックスの炎によりトランスポートは焼け落ちてしまっている。幸い、冷の治癒魔術によって応急処置は済んでいるが、それでも早く安全な場所に移したいというのが隊員たちの総意だろう。
世界が君を壊すまで 壬光 @seika00
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