9章 蝶葬

 翌日の早朝、雅也に指定された通りの制服を身に纏って管制室に集合した一行は、どこか緊張した面持ちでトランスポートの起動を待っていた。

「ところでどこに転移するわけ? 末羽たちがどこにいるのかわかるのか?」

「彼らの目的は蘇生術の完成と中央大陸全土の制圧です。術が完成した今、おそらくトランスポートの使用方法を検討している最中でしょうから管制室にいる可能性が高いかと」

 トランスポートの起動準備を整えながら、輝はそう分析する。

 末羽の使う転移魔術である桜舞千烈花は長距離の移動には不向きらしく、それを補うための代替案を探している最中のようだ。蘇生術の完成の為にその頭脳を利用されかけながらも、彼らからそれだけの情報を抜き取った輝が言うのだから、次はトランスポートの使用方法を探しているというのも可能性は限りなく高いのだろう。

 トランスポートは、隊員によって悪用されるのを防ぐために一部の隊員にしか起動の許可が出せないようになっている。総責任者である輝は当然だが、白鷺一番隊の中では漠夜の他には管理係の隊員にしか許可がされてない。それに加え、各々に配布された通信機による認証システムも採用しているため、末羽たちでは使用に手間取るのも仕方ないだろう。

「どうして自由に使えないのかずっと不思議だったんですが、そういう理由だったんですね」

「トランスポートの動力、権限保持者の魔力。無駄な乱用で魔力が枯渇するのを防ぐ意味もある」

 長年の疑問が解けてすっきりしていると、隣に立つ白羽~更に補足が入る。それに感心していると、トランスポートの起動準備をしていた輝がこちらを振り返った。

「それでは隊長、指揮をお願いします」

 トランスポートを背にそう告げる彼に、冷は慌てて気を引き締める。隊長と呼ばれる事に慣れていないため一瞬戸惑ったが、これからの事を考えて緩みがちだった自分を叱咤して気合を入れる。漠夜から隊員を引き継いだこの【特務隊】の隊員は、誰一人欠けさせてしまうわけにはいかないのだ。

「転移先は白鷺一番隊基地の管制室に設定していただきました。如月大佐の見立てが正しければ、そこにはおそらく何名かが配置されているでしょう……」

 漠夜のように全員の士気を高めるような指示が出せず、冷は内心で歯がゆい思いを感じながら言葉を紡ぐ。

 傷が癒えたばかりの彼らにこれを言うのは酷のようにも感じたが、冷にとっては基地の奪還よりも優先してほしいのは彼らの生存だ。末羽だけは刺し違えてでも裁くと玲は決めているが、それを彼らに強制することはできない。

「皆さん、ご無事で」

 色々と考えたが、結局その一言に終始してしまった自分の指揮に呆れているかもしれないと感じながら、冷は引き締めた双眸で彼らの顔を見る。もう漠夜を失った時のような思いはしたくないと思って放った一言だったが、それは誰かが吹き出した笑いによって冷の緊張感が霧散した。

「安心しろって、もう遅れは取らない」

「全員とっ捕まえて、そのガンクビを晒しあげてやるわよ」

 軽い調子で笑いながらそう言ったのは、魔力の消費が一番大きかった月華と神姫だ。まだどこか蒼白い顔をしているにも関わらず気丈に言ってのける彼らに、冷は肩の力が抜けていくのを感じる。

「さあ行こう、隊長」

「そんな肩肘張ってたらすぐ疲れるぞ」

 そう言ってすれ違いざまに肩を叩きながら、特徴的な音を立てて起動を始めたトランスポートに一葵と幸が足を乗せる。あらゆる修羅場をくぐってきた彼らだからできる事なのか、冷以外の全員は驚くほどにいつも通りの姿勢を崩さない。精神力が威力に直結する魔術を扱う彼らに最も大切なのは、平常心を崩さない事。隊長という重圧によって無意識のうちに気折っていた冷の心を解すように笑った輝の表情を見て、冷も小さく笑みを浮かべた。

「はい!」

 彼らと共にトランスポートに足を乗せ、輝の合図によって転移を始める感覚に身を任せる。

 揺蕩う水の中を抜けたような心地がして目を開いたそこは、ひどく見慣れた場所。漠夜と共に幾度も通った管制室であることを確認した冷は息をひそめて周囲を窺うが、予想に反してここには人の姿が全く見当たらない。

 臨戦態勢にあった一葵たちが訝る雰囲気を肌で感じながら、冷は管制室の扉に手をかける。

「冷、伏せてください!」

 扉が開かれると同時に強い殺気が噴出し、冷の胸から上を掠めて強烈な打撃音が鼓膜の奥底まで突き抜ける。目の前に広がったのは輝の作り出した結界だと認識した瞬間には冷の身体が地面に叩きつけられ、上から何者かによって首を掴まれた後だ。

「嘘だろ……!」

 誰かが愕然としている声が聞こえる。ぎりぎりと首を締め付けられて呼吸が苦しくなりながらも見上げた先には、目を疑うような光景が広がっていた。

 さらりと垂れる銀色の髪に、深海を思わせるような深い青。そして誰しもが見惚れるような端正な顔立ちを高圧的な絵ミニ歪めた青年が、冷の身体に乗り上げている。

「随分と間抜けな顔した侵入者だな」

 見間違えるはずもない漠夜そのものの顔をした男が首を締めあげ、冷は二重の意味で呼吸を詰まらせる。

 自らを庇って死んでいった彼が、つい昨日の深夜に火葬された筈の彼が、今まさに目の前に立ちはだかっている。信じがたい気持ちになって呆然と彼の顔を見上げていれば、乾いた発砲音と同時に呼吸が解放される。

 咳き込む冷を庇うようにして前に出た一葵と幸が立ちはだかり、彼らから一歩距離を置いた青年の全貌が涙でぼやけた視界に映し出された。

「少佐……」

 まるで喪服のような漆黒のスーツに身を包んだ漠夜が一葵と幸の動向を窺っており、多勢に無勢の状況にもかかわらず彼の表情からは余裕がにじみ出ている。冷の呼びかけにわずかに怪訝そうな表情を見せた漠夜だったが、瞬きの間にその表情すらも高圧的に覆い隠されてしまう。

「どうした、ここに用があったんじゃねえのか?」

 ふ、と嘲笑を漏らした漠夜が地を蹴る。目にも止まらない速さで懐にもぐりこんだ彼の蹴りが、一葵の顎を的確に狙って振り上げられる。反射的に避けた一葵の動きを追尾するようにもう片方の足も振り上げられ、その場で一回転するように漠夜の身体が宙を舞う。

 二撃目を避けられず、真正面から彼に蹴り上げられた一葵の身体はわずかに浮き上がった。苦し気に呻く一葵を見て我に返った様子の幸の足元から影が伸び、漠夜の動きを止めようとして四方八方から襲う。しかしそれを見越していたかのように最低限の動きだけで避けていく彼の身体は次の瞬間には攻めに転じていて、地面に近い距離まで身をかがめた漠夜が手をついて高く跳躍する。

 頭上から襲う踵落としを神姫が咄嗟に結界を発動させて防ぐが、それを貫通する程の衝撃が幸にまで届いているのが傍目からもわかった。

 体勢を立て直した一葵が漠夜に向けて発砲するが、それらは意図も容易く彼自身の結界によって防がれてしまう。着地した漠夜が拳を一葵めがけて拳を振り下ろし、間一髪で避けた彼の足元を深く抉った。

 手を起点にして円を描くように回された両足に、幸と一葵が同時に弾き飛ばされる。痛みに呻きながらもなんとか応戦した彼らの術は再び漠夜の結界に憚られ、決定的なダメージを負わせることが出来ない。

「一葵さん、幸さん!」

 漠夜の姿をした青年に戸惑っていた冷がようやく事態を把握し、吹き飛ばされる彼らを見て声を張り上げる。すると、今まで眼中になかった様子の漠夜の瞳が冷を捉えて、こちらに向けて血を蹴るのが見えた。

「くそっ」

「重いわね……!」

 あまりの速さに対応しきれなかった冷を庇って、月華と神姫が二重の結界を張って漠夜の蹴りを防ぐ。衝撃波が走ったと錯覚する程の刺すような痛みが冷の身体を突き抜ける。結界を張るために真正面から対峙している彼女たちは、おそらくもっと思い衝撃に耐えているのだろう。額から滲んだ汗が伝い落ちていくのが見えた。

「お前はいったい誰だ! 漠夜みたいな顔しやがって!」

 背後から幸と一葵の攻撃が同時に漠夜を襲う。甲高い音を立てて彼の結界に阻まれるが、それに負けない程の大きさで月華が声を張り上げる。

 漠夜そのものの顔をして、まるで漠夜のような体さばきを見せる彼はいったい何者なのか、この場の誰も正体に思い至らないようだ。なぜなら漠夜の遺体は処分してしまっている。蘇生術の脅威を知っている者たちによって骨も残さず焼き払われ、跡形もなく消えていくのを冷もきちんと最後まで見届けているのだ。それなのに、いったいなぜ。そう戸惑っていると、頭上からひどく耳障りな声が響いてきた。

「漠夜だよ。正真正銘、お前らが知っている月折漠夜本人さ」

 二人がかりで何とか均衡を保っていた所に、突如として雷と炎の渦が舞い上がる。中心地に漠夜がいるにも関わらず燃え盛るそれは一葵と幸の術を食らい尽くして更に勢いを増していく。

 術の発動を瞬時に察知した輝が術を発動させる事で二人の身体は守られたようだが、大術を打ち破られてしまった彼らはかなり疲弊してしまったようだ。目線で合図された冷が彼らに向けて治癒魔術を発動させた僅か数秒の間に、漠夜の隣に人影がいくつか立ち並んでいた。

「だから言っただろ? 術はもう完成したんだってな」

 漠夜の隣に立った奏馨が嘲笑を零す。

 おそらく漠夜と術の応酬をしている音を聞きつけたのだろう。馨だけではなく唯や煤までもがその場に立ちはだかっている。

「そんな馬鹿な! 少佐の遺体はとっくに……!」

「そこの天才様が答えを知ってるよ、研究所で体細胞の培養してましたーってな!」

 愕然として思わず声を張り上げると、馨は更におかしそうに声を上げて笑う。聞かされた内容が信じられずに冷は息を呑んで漠夜の方へと目を向けたが、そこに立っているのは生前と変わらず悠然と立つ彼の姿しか確認する事が出来ない。

 遺体の処理が無駄だったのなら、なぜ全て残さず灰にしてしまったのか。せめて骨だけでも残していたならば、愛した女性とともに眠りに就くことだってできた筈なのに。いくら後悔しても足りないほど押し寄せてくる疑問符に押し流されそうになっていると、ひとしきり笑い終えた馨がその双眸を歪めてこちらを見た。

「さあ、ここにいる奴ら全員、俺らの手駒になってもらうぜ!」

 馨の合図を受けて、漠夜が再び攻撃を開始する。今度は彼の体術に加えて馨や唯たちの魔術までもが加わり、戦況は一気に圧倒的な劣勢へと傾き始めた。

 漠夜の身体を傷つける事を気にも留めないのか、それとも彼ならば躱せると思っているのか、彼女たちの攻めの手は緩む様子を一切見せない。漠夜の蹴りを受け止めると背後から彼女たちの術が迫り、挟み撃ちの状態へと陥ってしまう。月華と神姫が分担して前後に結界を展開させると同時に冷が術を発動させて唯と煤の術を相殺させるが、すると今度は漠夜の方の守りが甘くなってしまう。素手で結界を破壊して突破してきた漠夜の蹴りによって月華の身体はトランスポートの支柱へと叩きつけられ、それに気を取られているうちに漠夜が眼前まで迫る。

 冷の腕を掴んで投げ飛ばそうとする彼を止めたのは、白羽の細い腕だった。強引に捻じりあげて冷の腕から掌を離させると、もう片方の手で発動させた術を漠夜へ向けて撃ち出す。しかしそれはやはり結界によって弾き飛ばされてしまい、管制室の天井に大きな風穴を開けるに留まるだけだった。

「法術、効かない……なんで」

 感情の希薄な少年である白羽だったが、そう呟く声にはどこか焦りが見える。魔術を無効化させることのできる彼にとって、きっと結界で術を弾き飛ばされるという経験は初めてなのだろう。しかしそれは冷も同じことで、まさか法術を軽々と弾き飛ばせる人間が存在するなんて思ってもみなかったため、恐れおののく事しかできない。

『出力で負けておるからだ』

 何故と思っていると、隣で静かに事態を観察していたベルゼバブが答えを指し示した。

『法術とて万能ではない。お主の出力を上回る魔術を無効化する事なんてできる筈がなかろう』

「……確かに、漠夜の最大出力値は測定不能でしたね」

 冷静に分析するベルゼバブの言葉を聞いて頷いたのは、冷と共に煤と唯の迎撃に当たっていた輝だ。戦局が目まぐるしく変わる現状で、今は漠夜の注意が冷に向けられているのを見て駆け付けたのだろう。わずかに息を切らせた状態で冷と背中合わせの状態になって立つと、呆れを含んだ声でそう漏らした。

「漠夜の相手は私に任せてください。あなたは彼女たちを」

「そんな、無茶です!」

「大丈夫ですよ。これでも私、訓練校時代の彼と何度も組み手をしているんです」

 そう言い放って漠夜を迎え撃ちにかかった輝の背中に声を投げかけるが、彼は振り返ることなく走り去ってしまう。後を追いかけようと思って足を動かそうとするが、視界の端に煤の術が迫っているのが見えてしまって、動くことが出来ない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る