最終話 光臨
それからまた数日が経って、四月末の連休の中日。
四月に入ってからもしつこかった寒さの名残は既にないが、空は、陽気を遮るかのような曇り空に覆われている。
時刻は午前九時を過ぎたところだが。
駅前の広場の人通りはまばら。待ち合わせをしている人は多少居るが、休日という条件下では多少物足りなさを感じるかも知れない。
「…………」
そんな、まばらな待ち合わせの人々の中にあって。
七末那雪は、難しい顔で佇んでいた。
この曇り空と同じく、どんよりとした様子である。
なんで私は、休日の朝からこんなところにいるのだろう……などとも思ってしまうのだが、理由は既にわかっていた。
連休に入る前日の放課後のこと。
「そういえば、ゆっきー、信さんとオージーパークに行くって約束してたでしょ? どうすんの?」
桐生信康と市内のテーマパークであるオージーパークに行くという、先週に交わした約束の話題を、桜花が持ち出してきたのだ。どういうわけか。
「いや、やめとくよ。連休の後にでも、先輩に言うつもり」
自分の状態が状態だし、信康が学校に復帰してからも面を合わせていない……と言うより、意図的に彼のことを避けてしまっているしで。
那雪の中では、既に答えは決まっていたのだが、
「行ってきたらいいではないか。折角なんじゃし」
横から、菜奈姫が口を入れてきたのだった。
しかも、
「好きでなくなってしまったのなら、『あのときはああ言ったけど、実はそうじゃなかったのー。てへ☆』みたいな感じで、はっきりとフってこればよい。それで何もかも解決じゃろ」
などと無責任なことを言ってきたのには、さすがに反論したかったのだが。
このまま彼のことを避け続け、疎遠になって、ゆくゆくは関係の自然消滅……なんて展開は、那雪の望むところではない。
だからこそ、
「……わかった。行って、白黒ハッキリさせてくる」
那雪は、そのように決意したのだが。
――決意してからは、展開がやたら早かった。
「あー、もしもし、信さん? うん、桜花だよー。元気元気。んで、いきなりなんだけど、明後日の予定空いてるー? 先週言ってたやつ。そうそう」
那雪の首肯の直後に、桜花が携帯電話で信康を呼び出し、電撃的とも言える早さで那雪とのオージーパーク行きを了解させて。
その翌日――つまりは昨日。
「ゆっきー、買い物行こうっ! 買い物っ!」
「ククク、我も一緒じゃぞっ!」
那雪は、桜花と菜奈姫にほぼ強制で連行される形で市内のデパートへ行き、当日出かけるための洋服の買い物をした。
流行の洋服に興味がないと言えば嘘になるが、やはり、本格的な買い物をしたことがないだけに、那雪は大いに気後れしたのだが、
「ゆっきー、任せて。いいのを選んだげるっ」
そこで、桜花が率先して選んでくれた。
あれやこれやと取っ替え引っ替えして、一時間以上の選定の結果。
白と赤のチェックの肩掛けを羽織った淡い桜色のトップスに、水色の膝丈のデニムスカート。
週刊誌やネットで一押しの、淡色中心の春物衣装であるらしいのだが、
「ふわああああっ、ゆっきー可愛いっ! これ、絶対に可愛いっ! むしろわたしが抱き締めたいっ! というより、抱きたいっ!」
「オーカの不穏当な発言はさておくとして……ふむ、ナユキが普通の女子に見えるとは。衣装を変えるだけで、ここまで雰囲気が変わるものなのかのう」
その試着を見て、桜花はともかく、菜奈姫にまで絶賛された。
那雪は那雪で、普段着慣れないものを着て落ち着かなかったのだが……まあ、ここまで来れば、慣れるしかないのだろう。
その後、菜奈姫の服の買い物をしてしまおうという流れになったのだが、菜奈姫が子役モデル顔負けの着こなしを披露して、プチファッションショーの様相で店内の客及び店員を魅了するというエピソードがあったのだが、その辺りは割愛。
で、買い物が終わって、昼食後の喫茶店の席では、
「支部長……じゃなかった、知り合いに頼んでおいたツテで、オージーパーク内の効率のいい回り方をまとめておいたぞ。役立てるが良いっ!」
何故か菜奈姫から、当日の行動の様々なレクチャーを受けた。(ツテの先が非常に気になったのだが、そこは勢いで押し切られた)
休日、しかも連休という条件下での、時刻毎のアトラクション待ち時間の推移や、ヒーローショーのタイムスケジュール、園内にある各売店のオススメ品まで網羅されていたのに、那雪は驚くと共に、思わず真剣に聞き入ってしまった。
……何で私は、こんなにも準備に気合を入れてるんだろうと、心の片隅で思いつつも。
「ゆっきー、明日は頑張ってねっ! 明日はずっと応援してるからっ!」
「ククク、神である我がこう言うのも変じゃが、敢えて言ってやるわい。幸運を祈る!」
この二人の気遣いが、なんだか有り難いと感じながら。
連休初日は、あっと言う間に消化されたのであった。
で、今の待ち合わせの状況に至る。
「ここまでお膳立てされると、引き下がれないよなぁ」
昨日までのいろいろを思い返して、那雪は苦笑。
購入した春物衣装を生真面目に着て、しかも朝出かける前に、母に軽いコーディング程度の化粧もしてもらったのもあってか、やはり落ち着かない。
化粧も含めて、こんなにも本格的な女の子な格好をしたのは初めてのことだ。
いつも下に着用しているスパッツも、今日はない。これでは、那雪の得意の蹴り技は絶対と言っていいほど出来ない……まあ、今日は蹴り技が必要なシチュエーションはないのだろうけども。
「……いや、待てよ? これ、立ち位置によっては……」
待ち合わせまでまだ時間があるので、那雪は、駅前の喫茶店にあるガラスに映る、自分の出で立ちを確認する。
「こうやって、少し、こう……」
テレビで見たようなファッションショーなどの真似事で、ポーズを何通りか試してみると、角度によってはいい感じに映ったりもする。
……なんだろう、ちょっと楽しくなってきた。
この衣装、桜花のコーディネートのセンスもあるのだろうが、もっと、ここをこうやって、こうしてみれば、なかなか……。
「うぃーっす、今日も面白いことをしているな、なゆきち」
「うひゃおうっ!?」
と、そのガラスに、待ち合わせ人である桐生信康がいつの間にか映ってたのに、那雪は大きく仰け反った。
「き、き、き……」
「ん? なんだ、またもブレーキ音か?」
「き、き、桐生、先輩?」
「おー、桐生先輩だぞー。で、相変わらずの良いリアクションをありがとう。ごちそうさま」
「あ、それはどうもお粗末様で……って、これ、前にもあったやりとりのような……」
改めて考えると、先ほどまでのポーズがものすごく馬鹿なことのように思えてきて、内心、結構というかかなり恥ずかしさで頭から湯気を出しそうになりながらも……那雪は改めて、信康に向き直る。
「おはよう、先輩。……久しぶり」
「おー、そだな。久しぶり」
久しぶりと言ってもたった一週間、されど遠い昔のようにも思える一週間。
こうやって改めて面を合わせても、那雪の気分が高揚することはない。
やはり……本当に、彼のことを好きでなくなってしまったのだろうか、と少し後ろ暗い気持ちなるのだが。
そんな那雪とは裏腹に、信康はいつも通りの緩やかな雰囲気だ。
「それにしても、どしたの今日は。可愛いカッコして」
「え……あ、いや、私はあまり気が進まなかったんだけど、桜花が選んでくれたのと、母さんが……」
「ほほう、よく似合ってんなー。ちょっとびっくりした」
「あ、ありがと……」
こういうやりとりの時でも、彼に対して特別に何も思うことはないのだが。
褒められると、やはり、なんとなく嬉しい。
「でも、先輩も、結構気合い入ってるような感じだよ?」
「んー? 俺は普通だと思うけど?」
言って、信康は腕を広げて、自身の出で立ちを示してみせる。
無地の白のカッターシャツの上に、ラフに羽織った紺のカーディガン。シンプルな青のジーンズ。肩に掛けるタイプのメンズバッグ。飾りっけはないが彼の長身痩躯には結構合ってる。
普段はいつもニュートラルな信康でも、そこまで服装に無頓着というわけではない。
昔から何度か、桜花や他の友達と交えて彼と遊びに行ったことがあるから、なんとなくわかる。
「さて、今からパークに向かっても、開園時間よりも先に着いちゃうかもだけど、もう向かっちゃうか? それとも、少しゆっくりしてく?」
「ん……」
時刻は九時十分。
オージーパークまでは、電車と最寄り駅からの徒歩で三十分ほどで着く。総合して、開園時間の十時には、少々時間がある。
待ち合わせ時間は九時半だったというのに、二人ともこんなに早く着いてしまうとは。
……本当に、なんでこんなにも早く来てしまったんだろう、と思いつつ。
「今から向かってもいいと思う。連休だから、時間前でも並んでる人とか結構居るかもしれないし」
「おっけー。んじゃ、行くかー」
「うん」
そのように決めて、二人して、ICカードで駅の改札を潜った。
ホームで一分も待つことなく電車が来て、しかも車内はそこまで混雑しておらず、二人は簡単に空席に身を落ち着けることができた。
「月並みな言葉かもしれないけど、今日は生憎の曇り空だよなー」
「そうだね。雨が降る心配はないって天気予報は言ってたけど、やっぱり晴れてて欲しかったかな」
「ま、雨降らないんなら、気にせず楽しめばいいか」
意外にも。
道中は、不思議と会話が途切れると言うことはなかった。
「なゆきちはどこから回りたい?」
「ん……早速、カレッジのヒーローショーに行きたいな」
「ははは、なゆきちは相変わらず好きだなー。俺も好きだけど。まあ、開園からはショーまで少し時間あるみたいだから、その前になんか食ってこうぜ」
「先輩も相変わらず食べるの好きだね……ああそうだ、友達にオススメの売店とか聞かせてもらったんだった。そこ回ってみようよ」
「お、いいねー」
今日のこれからの話で、期待に胸を膨らませたり。
「でも一瞬、なゆきちが弁当作ってきたとか、そういうのがあるかとも期待してしまったぜ」
「え? あー……ごめん先輩。やれないこともなかったけど、まだ練習中だから」
「おお、ちゃんと練習はしてるんだな。えらいえらい」
「モノになるまでどのくらいかかるか、わかんないけどね」
世間話に花を咲かせたり。
「にしても、なゆきちの手料理、楽しみだな」
「先輩が満足行くかは、あんまり自信ないんだけど」
「大丈夫大丈夫。俺、基本的に好き嫌いないから」
「確かに……先輩、何でも食べそうだよね。食べられそうにないものまで食べてしまいそう」
「えー、なゆきち何気にひどくねー?」
「ははは」
何気ないボケとツッコミで小突き合ったりと。
自然と、普段通りの会話が出来る。
そんなやりとりの裏で、那雪は少し……と言うより、かなり安堵していた。
そう。
特別な気持ちを抱かなくなったとしても、桐生信康は、七末那雪にとっては有り難い先輩で、気の良い友達なのだ。
二人で遊びに行くにしても、そこまで気負う必要はなく、自然体で居ればいい。
そしてこれからも、そういう緩やかな友人関係を続けていけばいいだけのことだ。
まったく。
あの時から今の今まで彼のことを避け続け、あれやこれやとグダグダ考えてた自分がアホのようだった。
ただ。
あの時、那雪があれだけ劇的な告白をしたことについて、信康が何も触れてこないのは少々気になったのだが……それも些末なことか。
「お、着いた着いた。降りるぜー」
そんな、楽な気分で会話しているうちに、あっと言う間にオージーパークの最寄り駅だ。
ここからは、ものの徒歩数分で目的地にたどり着く。
開園時間まではまだ十五分ほどあるが、待ち合わせ場所の時とは異なり、駅からオージーパークの門前までの道中で、結構な人だかりが出来ていた。
さすがは県内でも指折りと言われるテーマパークだ。
「おー、いっぱい並んでる並んでる。さすがだな」
「はぐれると大変そうだね、これ……」
「ふむ……なゆきちよ、人混みが落ち着くまで手でも繋ぐか?」
「ん……」
那雪は考える。
やけに突拍子もない信康の提案であったが、それでも胸が高鳴ることがないのは……もう、意識する必要はあるまい。
あくまで、はぐれないためならば。
「そうだね」
信康が差し出した手を、那雪はそっと握る。
その手指は細くて、大きくて、
「……先輩、相変わらず体温低いよな」
「そうだなー。ちゃんと食ってんだけどなー」
温かい、とまで行けばムードも生まれるのだろうが、生憎、信康は体温が低めの体質なのであった。この数年の友達付き合いの中で、何度か触れたことがあるからわかる。
まあ、現実はこんなものだろう、と那雪が思った、その矢先、
「さて。手も繋いだところで、今日一日を楽しむ前に、この前の返事でもしておこうか」
「……え?」
桐生信康は。
こちらの手を、少し強めに握り返してきて。
「好きだぜ、なゆきち」
突然。
こちらの目を真っ直ぐに見て、でも、緩やかに笑いながら。
聞き返す必要もないほど、はっきりと。
その言葉を、告げてきた。
「…………………………は?」
無論、那雪は驚いた。
――ずっと。
ずっと、彼から聞きたかった言葉が。
今、聞けてしまうなんて。
「えっと……」
でも。
今、この時にあっても、己の鼓動が変化することがなかった。
待っていた言葉だというのに。
「……あの、先輩。私――」
「あー、やっぱりそうだったかー……」
「え?」
「なゆきちは、本当に俺のことをどうも思えなくなっちゃったんだな」
答えあぐねる那雪に、信康は苦笑を見せた。
またもや、自分の言いたいことをあっさり見透かされてしまったらしい。
那雪は少し、慌てた心地になるも、
「わかってる。この前、オカちゃんや神様ちゃんから聞いたのもあったけど……俺のために頑張りすぎたから、なゆきちがそうなってしまったんだって、わかってる。わかってるよ」
わかってる。
そのように繰り返し言うも、彼は、納得していないように見えた。
いつものニュートラルかつ緩やかな雰囲気を、今は装っているだけで。
腹の底では、何とも言えない感情が渦巻いているかのように感じられた。
――桐生信康が初めて見せる、年相応の少年の顔だった。
「だからな」
握ってない方の手の親指で、信康は己の胸あたりを叩いて見せて、
「なゆきちが俺のこと好きだって言ってくれた想いは、ちゃんと俺の中では生きてる。なくなったわけじゃないって、そういうことにした」
「そういうことって……」
「今、なゆきちがどのように思ってても、俺はそれを絶対に手放さない。絶対に」
那雪が自分の抱いていた想いを解き放ち、桐生ライトニングに吸収させて、信康を助け出した。
その吸収した想いを、彼は、しっかりと大切にしていると言っているのだ。
「……はは」
そのように、子供っぽく主張してくる信康のことが、なんだか可笑しくて。
「ごめんね、先輩。ありがと」
「……ん」
同時に、本当に有り難い人だと思えた。
その想いが伝わったのか、信康も少々毒気が抜けたかのように肩を竦める。
彼特有の緩やかな雰囲気が戻り、この話はおしまいになった……かと思いきや、
「でも、それ抜きにしても、俺はなゆきちのこと好きだぞ」
「……え?」
まだ、続きがあったようであった。
きょとんとなる那雪に、信康は『ふむ……』と思考を巡らせるかのように、一つ息を吐く。
何を考えているのかと、那雪は思ったのだが。
「気持ちいいくらいに、真っ直ぐなところ」
と、信康が思いついたかのように、ポツリとそれを口に出した。
何を言っているのか、那雪には一瞬、わからなかった。
だが、
「ちっちゃいけど、強くてカッコいいところ」
それは、入り口に過ぎず。
「見ていて面白いところ。友達想いなところ」
どんどんと、彼が挙げていくのは、まさか。
「わりとよく食べるところ。目標のために努力できるところ」
全部、彼から見た自分の――
「一緒にいて、たまにすごく勇気をもらえるところ」
「せ、先輩、ちょ、ストッ――」
「あとは……それら全部ひっくるめて、可愛いと思えるところ、かな」
「――――っ!」
それを聞いた瞬間、那雪の顔は今度こそ紅潮した。
先日まで感じていた彼へのときめきではなく、あくまで、褒められていることの気恥ずかしさによるものだが……それでも、さすがに堪えた。
「まだあるけど、聞く?」
「や、やめとく……これ以上は耐えらんない」
手を握ったままとはいえ、正直、今、彼のことを正視できなかった。
一度、深呼吸をして、気分を落ち着かせようとするが、気恥ずかしさはまだ収まってくれない。
「はぁ……」
さらに、もう一度、深呼吸。
「先輩、いつも私のことを妹みたいに扱ってくるから、そんなこと思ってたなんて全然知らなかったよ」
「うーむ、俺も始めはそんな感覚だったけど、だんだん違うものに変わってることに、自分で気付けてなかったのよ」
「……もしかして、それに気付けたのって、私が先輩に好きだって言ったから?」
「そうだなー。なゆきちの口からそれを聞いて、初めていろんなことが腑に落ちたし」
……なんてことだ。
あの時の告白が、彼を大胆にさせるきっかけになってしまったとは。
「で、答えは?」
「こ、答え?」
「俺のことが好きでなくなってしまったとかそう言うのを抜きにして、なゆきちは、俺の告白にどう答えてくれる?」
「う……」
そして、彼の勢いはもはや止まるところを知らない。
さすがに、那雪は困ってしまった。
自分が彼をそうさせてしまったからには、好きじゃなくなってしまっただなんて、そんな場合ではないじゃないか。
なんとしてでも、その気持ちに応えないといけないではないか。
こんなにも直球な信康の想いを無碍にしたくない。菜奈姫にはハッキリとフってこればいいと言われたが、正直、そんなことは出来なかった。
それくらい、信康の気持ちが有り難いと感じたから。
……でも、こんな中途半端な心持ちのまま、彼の想いに応えたとしても、この先、上手くいくのだろうか。
ぐるぐるとした思いが、那雪の胸中で渦巻く。
本当に、どうしようもない。
「せ……先輩っ!」
永遠みたいに長い時間のようで、実は数秒にも満たない思考時間の末。
導き出た那雪の答えはというと、
「ちょっと、考えさせてくれっ!」
――なんともヘタレな回答であった。
う、わああぁぁぁぁ…………。
言った瞬間、那雪は自分でこれはないと思った。
こちらから好きになって、しかもあんなに劇的な告白をして、それで居て勝手に好きでなくなってしまって、それでもその相手から告白されて……その結果が、白黒付けずの保留などと……。
今すぐ、那雪はゴロゴロと地面をのた打ち回りたくなったのだが、
「うん、そう言うと思った」
一方の信康、あっさりと答えた。
「…………え?」
「おー、如何にも『なんで?』って顔をしているな、なゆきちよ」
那雪はコクコクと頷く。彼のことをいろいろな意味でガックリさせてしまったのでは、と言う思いがあっただけに。
信康は、優しく笑って、
「なゆきちが、これからちゃんと俺の気持ちに向き合って考えてくれるってわかったから。それだけでも、なんか嬉しい」
「……先輩」
大きな進歩があったという確信を得たからこそ、信康は勢いにブレーキをかけたのだろうか。
「それに、どのようにしてなゆきちの気持ちを俺の方に傾けさせていくかを考えるのも、それはそれで面白そうだしなー。ふっふっふ」
「先輩っ!?」
訂正。
ブレーキは少しだけだったようで、まだまだ勢いは続いていた。
「というわけで、俺は俺でこれからどんどんアプローチを続けていくから、なゆきちはなゆきちでしっかりと受け止めてくれよな」
「……は、はい」
思わず、那雪は間の抜けた返事をしてしまった。
本当に。
この人は、どんな時でも、自分の調子を狂わせてくる。
初めて会った時も、好きになってからも……そして、今のこの時も。
でも、同時に。
本当に、有り難い人だと、那雪は心の底から思う。
だからこそ……応えなければいけないという気持ちではなく。
その想いに向き合って、応えたいという気持ちになってしまう。
踏ん切りをつけるつもりだったのに、なんだかんだでいろいろ悩む状態に逆戻りになってしまったけど。
――これは決して、後ろ向きな悩みではない。
「さて、この話はしばらくお預けってことで、今日は存分に楽しむか。ちょうど良く開園時間だし」
「そうだね……うん、行こう」
那雪は、今も繋いでる信康の手を、心持ち強めに握り返して、前を行き始める。
……にしても、この短い間で、遠くに来たよなぁ。
歩きながら、那雪はふと思う。
たったの二週間という時間の中で、様々な変化があった。
処遇が気になっていた黒歴史手帳に踏ん切りがついたり。
憧れだった変身ヒーローになって戦ったり。
桜花が、十年以上も蓋がされていた気持ちを自分にぶつけてきたり。
町の危機に直面し、それを未然に防いだり。
そして、先輩と手をつないで歩いているというこの状況。
改めて考えると、急展開過ぎやしないだろうか?
――それもこれも、あいつと出会ったからなんだろうな。
思い浮かべるのは、小憎たらしくて、でも絶対的に信じられる神様の顔。
あいつとの出会いがあったからこそ、今の変化があるし。
これから先も、沢山の変化や出来事があるかのもしれない。
少し怖いことだけど……向き合いたい、と思う。
信康の気持ちとも、桜花の想いとも、あとついでに菜奈姫のもたらす変化にも。
己が憧れる、正義の味方のように。
義務ではなく、己の意志で。
応えたい、と思えたのであれば――
「あ……」
そこで、那雪はふと気づく。
今の今まで曇り空には隙間ができているのを。
「おー、ちょっと晴れてきたかな?」
「ははは、そうだね」
小さく笑って信康に答えつつ、那雪は、雲の隙間から降り注いでくる陽光に、信康と繋いでいない方の手を向ける。
そして、
「――光臨」
なんとなく、微かに呟くと。
その光が、自分の手の中に収まったような気がして、
『……ぶふっ』
わりと近くから、最近では聞き慣れた吹き出し笑いが聞こえた。
耳ざとく反応して那雪は辺りを見回すと、聞こえた方向の通りに、見慣れた眼鏡の少女が二人。
春物衣装に、地味な色の帽子や肩掛けなどで人混みに混じっていたようだが、間違いない。
「桜花、ナナキ……!?」
最愛の幼馴染みこと鈴木桜花と、先ほどに思い浮かべた神様こと菜奈姫であった。
「あーあ、ナナちゃん。吹いちゃったから、バレちゃったじゃん」
「いやいや、お主も吹いておったであろうが、オーカ。しかし、有事でもないというのに光臨などとされると……ぷっ……さ、さすがに……ククク……」
「う、うっせー! おめーら、いつから居たんだよっ!?」
「んー? わりと最初から?」
「桐生少年の大胆攻勢から、ナユキのヘタレな回答まで、すべて見せてもらったわ、ククク。ちょっと考えさせてくれの下りは、さすがにオーカとそろって『ないわー』となったがのう」
「ほぅわああああああっ!? やめ、やめ――っ!?」
「いいじゃん、なゆきち。減るもんじゃないんだし」
「減るんだよっ!?」
主にメンタルがすり減るという意味で那雪が絶叫するも、三人はどこ吹く風である。
しかも、
「やっほー、信さん。なかなか大きく出てたね」
「そだなー、オカちゃん。まだまだ大きくなりそうだぜ」
桜花と信康、那雪を想うという点では同じ立ち位置であり、対立が起こってもおかしくない二人ではあるのだが、
「で、ゆっきーの攻略、これから上手く行きそう?」
「おー、オカちゃんから聞いてた状況よりは案外感触良かったから、もう少しってところかな」
「そっかー。んじゃ、上手く行った後はさ、たまにでも良いからゆっきーをわたしに貸してー」
「ん、オカちゃんにだったらいいかなー。でも、基本俺のだから、ちゃんと返してね?」
「おっけー」
「おっけーじゃねーよっ! わたしはモノかっ!?」
二人の間は、相変わらず和やかであった。
しかも、変なルールが作られそうになっている辺り、これからの二人の那雪いじりがパワーアップする予感がして、那雪は少々身震いした。
「ククク、ナユキよ、これから楽しくなりそうじゃな」
そんな那雪の肩を叩きつつ、菜奈姫、上機嫌に話しかけてくる。
「他人事のように言うな、ナナキ。おまえに言われるとなんかムカつく」
「じゃが、楽しくなりそう、という点についても否定は出来まい」
「それは……まあ、そうだけどよ」
悲しいかな、菜奈姫の言う通りだった。
自分の意志で未来に向き合うと決めた今、様々なことを楽しみたいと、思っているし。
桜花や信康に慕情を向けられるこの状況も、なんとなく、嫌じゃない。
「我も、正式にこの町の神となれるように努力しながら、存分にお主達との生活を楽しむ所存じゃ。だから他人事などと言うな、水臭い」
「……ナナキ」
「だからナユキも、その感性のすべてを持って、存分に我を楽しませるが良い、ククク」
「おめーを楽しませるために生きてるワケじゃねーよっ! ホントおまえ、いちいち台無しだなっ!?」
「おおっと、一言多かったようじゃ」
と、菜奈姫は軽やかに那雪の声を流しつつ、桜花の手を取った。
「では、我々はこれにて失礼する。行くぞ、オーカっ! 突撃じゃ!」
「ナナちゃん、慌てない慌てない。……っと、ゆっきー、信さん、また学校でねー」
どうやら二人も二人で、これからパークを楽しむつもりであるらしい。
気ままな足取りでパーク内へと去っていく二人を見送りつつ、
「はっはっは、神様ちゃんとオカちゃん、いろいろ面白いコンビだよなー」
「私はいろいろ疲れそうだよ……」
「まあまあ、俺達も行こうぜ。道中にでも、神様ちゃんと、あとシュバルツスノウの話でもゆっくり聞かせれくれ」
「うぐっ……その話は、できるだけしたくないんだけど……」
「ヱー、カッコいいじゃん。なゆきちが変身ヒーローだよ? 俺、すごく聞きたい聞きたい。というか、見たい見たい」
「…………見せるのは無理だと思うけど、話すだけなら、後日に、ちょっとだけ」
「あと、アサルトシューターディスタンスとかジョーカークインティプルとか、そんな感じの超カッコいい必殺技のワードが、俺の記憶の中に朧気に……」
「ほぅわあああああ!? 口に出されると恥ずかしいからやっぱダメ、ダメ――っ!」
頭の中を沸騰させつつ、わいのわいの言いつつ歩きながらも。
これもまた抱えていきたい思い出であるだけに、話すことになると思う。
向き合いの一歩を感じながら、一つ深呼吸して……ふと、今も雲の隙間から漏れる光に、照らされている手のひらを見る。
――この光は、自分の中で芽生える新たな欲望のような気がした。
だからこそ。
今度は、絶対に手放さないという気持ちで。
七末那雪は、手のひらの光を握った。
お主の欲望を我がために 阪木洋一 @sakaki41
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