第42話 どうしようもない気持ち


 放課後。

 鈴木桜花は、ここ一週間ほど休止していた小説の執筆の再開を、那雪の部屋でするつもりであったのだが。


「悪い、桜花。今日日直なのと、正孝まさたか先生が頼みごとがあるって言ってるから、先に私ん家に向かっといてくれないか?」

「あ、うん。わかったよ」


 どうやら、那雪には用事があるらしかった。

 元より、隠れ正義の味方としてクラス内の評判が地味に高かった那雪なのだが、最近になって、クラスメートや担任の頼まれごとを率先して受け持つようになっていた。

 まるで、何かを紛らわすかのように。


「ふむ……ナユキ、我もオーカに付いてっていいか?」


 と、そのやりとりを見てか、菜奈姫が声をかけてきた。

 那雪はわずかに考える素振りを見せ、


「……別にいいけど、部屋荒らすなよ? あと、絶対に机の奥を探ろうとすんなよ? 絶対だぞ? 絶対だかんな?」

「お主、どれだけ警戒しておるのじゃ……」

「いや、もう心配ないってのはわかってるけど、どうしてもだな……。ああ、桜花、母さんにはナナキのことをテキトーに話通してもらっといていいか?」

「オッケー」

「おい、テキトーにとはなんじゃ。延期されたとは言え、我は将来神になる者じゃぞ。それを――」

「じゃあ、よろしくな」


 菜奈姫の抗議を緩やかに無視して、那雪はさっさと用事に行ってしまった。


「……むう、チンクシャのクセに生意気な。我をぞんざいに扱うとは」

「なんだかんだで、今は同級生だからね」

「かくなる上は、一ヶ月後の定期テストで我が力を見せつけ、ヤツとの優劣をはっきりさせてくれようぞ。ククク」

「楽しそうだね、ナナちゃん」


 実際、ナナちゃんって頭良さそうだなー、などと思いながら、クラスメートの挨拶にも緩やかに返しつつ、桜花は菜奈姫と共に学校を後にする。

 改めて考えてみると。

 一度、神様と身体を共有した上に、今、こうやって神様と肩を並べて下校をすることになるとは、一ヶ月前の桜花には想像すらできなかったことだろう。

 今後しばらく、そういう日常が続いていくかもしれないことも然り。


「それにしても……大変なことになったな」


 と、様々な感慨に耽っているところで、隣を歩く菜奈姫が声をかけてくる。

 前置きも何もなく、いきなり本題に入っている菜奈姫なのだが、何の話題なのかについては、桜花は容易に想像がついた。


「あの日の直後からだったみたい。ゆっきーが、信さんのことをどうも思えなくなっちゃったの」


 七末那雪の、桐生信康への慕情の喪失。

 桜花がそれを知ったのは――あの戦いの翌日、信康が体調不良で学校を欠席している、と聴かされたときだ。

 やはり、あの戦いの影響があったのかもしれないと言う思いで、桜花は彼を結構心配したものだが。

 一方で、那雪の反応はというと、


『――そっか。先輩、早く元気になるといいな』


 心配も何もない、究めて淡泊なものであった。

 まるで、親しくもないクラスメートの誰かが欠席したとか、そういう類の……否、もっと他人事のような感じだったかもしれない。

 もちろん、桜花はそれを不審に思わないはずがなく、その理由を追及してみたのだが。


『いや、そりゃ心配ではあるけど……私達があたふたしても、しょうがないだろ』


 平坦な対応は変わることがなく。

 ただ、自分でもそうなっているのをおかしいとは自覚していたらしく、苦々しげに、那雪は白状した。

 あの戦いから……おそらくは、想いを告げた直後から、彼を想っても、気分が高揚することなく、鼓動が跳ね上がることもなく。

 簡潔に言うと、ドキドキしなくなっている、と。


「ナユキから昼休みにそれを聴かされて、授業の傍ら、理由を考えていたのじゃが……あくまで仮説として、心当たりはある」


 その話を聞いて、菜奈姫は一つの可能性に思い至っていたようだった。


「アホの芽衣子……もとい、菜奈芽の呪いを破ろうとするあまり、欲望を放出しすぎたのやも知れぬ」

「呪いって、ゆっきーの恋愛を微妙に邪魔するっていう、あの?」

「然り。ライトニング某のマントの吸収すら打ち破った、あの爆発力じゃ。後遺症があってもおかしくはない」

「後遺症……一過性の症状とか、そういうのではないの?」

「わからぬ。あれから三日経っているというのに元に戻らないとなれば、一時のものである保証はない」

「そんな……」


 桜花は思い出す。

 桐生信康のことが話題にあがった時、もしくは本人を前にしている時の、那雪を。

 慌てふためいたり、嬉しそうだったり、感心したり、驚いたり……他、百面相ともいえる多種多様なアクションは、他の人や信康本人から見れば、非常に滑稽だったのだろうけど。

 全部ひっくるめて、あの時、あの瞬間の七末那雪は、とても幸せだったのだ。

 そして、一つのゴール地点だったはずの想いを告げるところまでいけたというのに、その矢先で、幸せが失われてしまうなんて。

 とても、残酷なことだ。


「……我々の責任じゃ。菜奈芽の呪いもそうじゃったが、本人の望みだったとは言え、我も加護の与える限度を誤ったかも知れぬ。もっとやりようもあっただろうに」


 苦々しげに、言葉を絞り出す菜奈姫。

 対して、桜花は、


「そうだね。こればかりはナナちゃん達のせいだよ」

「……ズバリ言ってくれるのう」

「自分で自分を責めてる人には、それを否定しない方が却って楽になるって、お爺様に教えられてるから」


 授業中や那雪の前ではそういう素振りを見せていなかったが、あの話を聞かされてから、菜奈姫がずっと自分を責め続けていたのは、桜花にはわかっていた。

 桜花自身も、それを初めて知ったときは、もっと何かできたのではないかと後悔したし、今もその念は残っている。

 でも。


「落ち込んでる暇なんてないもん。これからゆっきーに何が出来るか、考えなきゃ。ナナちゃんも帰ってきたことだし」


 那雪のことを守ると決めて、それを形に出来た今。

 あれから三日、桜花は後悔の念だけで過ごしていたわけではない。


「……オーカは強い娘じゃのう」

「ナナちゃんだって、すごい子でしょ。わたしに出来ないこと、いっぱい出来るんだし」

「神様の力の大部分を剥奪されているから、今や我は平凡な女学生じゃぞ」

「そうだとしても、だよ」


 だって、


「わたし、知ってるもん。ナナちゃんは……菜奈姫様は、いろいろ欲深いけど、欲深いがために、どんなことだって投げ出さないし――特別な力なんてなくても、自分のために、町の人々を笑顔に出来る神様だって」


「――――」


 言われた菜奈姫は、一瞬だけ、眼鏡の奥の琥珀の瞳を丸くしたのだが、


「……ククク、わかっておるではないか。以前、後悔してる暇があったら前に進めとナユキに言うたのは、他ならぬ我じゃからな。オーカの受け売りとはいえ」


 シニカルに、尊大に、いつもの笑みを見せる。

 その傍ら、少しだけ頬と耳が赤いのは、一種の照れであろうか。


「まあ、我々の友情パワーにかかれば、ナユキもイチコロじゃろう。存分に我々の力を見せつけてやろうぞ」

「うん。これからがんばろうね」


 そんな小さな神様のことを。

 桜花は、可愛い思うと同時に、頼もしく思えた。




「それにしても、本当にオーカは懐が深いのう。ナユキが桐生少年を何とも思わなくなったとなると、オーカがナユキを独占するということも可能だったじゃろうに」

「あー」


 心の底から感心している様子で、菜奈姫が畏敬の眼差しを向けてくるのに、桜花は苦笑する。

 その実、これはチャンスなのでは、という思考もあった。

 しかも、


『先輩のことをどうも思えなくなって、今は……なんつーか、桜花のことが一番というか……ええと、なんだろ……』


 顔を赤くして小さな身体をモジモジさせながら、そんな爆弾発言をしてきたからには、破壊力は満点だったと言ってもよく。


「正直、その場で抱き締めてキスをして、ああしてこうしてそうしてどうしたいとか、そういう欲望がムラムラ来てたね、うん」

「獣か、お主はっ!?」

「いや、ホントにあの時のゆっきーは可愛かったんだって」


 ただ、そこでどうにか思いとどまることが出来たのは……やはり、これは那雪の本当の気持ちではないと、思ったからだろうか。

 強いところも、弱いところも、可愛いところも、好きな人のことを純粋に思えるところも、全部ひっくるめて七末那雪なのであって。

 だからこそ、全部取り戻して、那雪には信康のことを好きでいて欲しいという希望と共に。


「たまにでいいから、わたしのことを愛してもらえたらいいかなーって」


 桜花は、そう思えたのだ。


「……この前も言ったが、お主、本当に変わり者じゃのう」

「ははは、ホント、こればっかりはどうしようもないかも。でも、わたし自身、そうしたいって決めたことだしね」

「まったく……」


 一つ、菜奈姫は仕方なさそうに大きく息を吐きつつ、こちらから視線をはずして。

 俯き加減に、頬を赤くしながら、


「まあ……お主の気持ちも、わからんでもない」

「? ナナちゃん?」

「お主が、たまにでいいからナユキに愛して欲しいと思うのと同じで……我も……たまにでいいから、オーカに……」

「――――」


 消え入りそうな声で、そのように言う小さな神様の姿を見て。

 桜花の中で、こみ上げるものがあった。

 ――言わば、あの時と、同等の感覚だ。


「ナナちゃん、こっち向いて」


 だから、桜花はそうするのを、今度は我慢しなかった。


「え……ん……ぅっ」


 弱々しげに振り向いた菜奈姫の桜色の可憐な唇に、己のそれを重ねる。

 菜奈姫、最初こそ琥珀の瞳を文字通り目一杯に開いていたが、一秒、二秒、三秒……としていくうちに、徐々に目を閉じて全身をへなへなと弛緩させていき、桜花に寄りかかる形にまでなる。


「ん……」


 五秒ほどして解放した後でも、菜奈姫は、しばらく意識を恍惚かつ朦朧とさせていたのだが、


「な……な……な……!」


 ややあって、全身に気を取り戻した瞬間、顔を……というか全身を紅潮させた。


「よ、よ、よ、洋画かっ!?」


 しかも、ズレたツッコミを入れてきた。

 その過程の全部が全部、もう、滅茶苦茶可愛かったのと、一度目の那雪の時とはまた違う唇の感触とを想起して。

 桜花は、ものすごくゾクゾクした心地になった。


「あー……やっぱり、すごいね、これ」

「な……す、すごいって、お主……!」

「ん、あの時言ったでしょ、ナナちゃん。愛してるよって」

「な……そ、そ、それは、いわば社交辞令じゃろ!?」

「ううん。わたし、本心からナナちゃんのことが好きだよ。そうじゃないと、こんなことできないもん」


 本当のことだ。

 十年越しの想いに蓋を開けることができたのは、間違いなく菜奈姫のおかげだと、桜花は感謝しているし。

 自分の欲望に正直なところは、素直に尊敬できるし。

 神様とかそういう立場関係なく、友達として自分のことを心配してくれて、傍にいてくれた菜奈姫のことを、桜花は心から愛おしく思っていた。

 それこそ、十年以上想い続けた幼馴染みと、同じくらいに。


「うぬぅ……お主、本当に獣じみてきたな。これから先、誰彼かまわず愛情を発散してそうじゃ」

「ううん、わたしが生涯恋するのは、ゆっきーとナナちゃんの二人だけだよ。言わば、ゆっきーはわたしの王子様で、ナナちゃんはわたしのお姫様だね」

「……まったく、気軽に言ってくれるわい」


 呆れたように肩を竦めるも、菜奈姫の顔は未だに紅潮しており、なおかつ浮かぶニヤニヤが止まることはない。

 それを見て。

 愛する人がすぐ傍に居るって幸せなことだなーと、思うと共に。

 どんな形であれ、その幸せを続けていきたいな、という。

 鈴木桜花の欲望は、まだまだ尽きることはない。



  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★



 ちなみに。


「……ホント、前途多難だよなぁ、僕」


 その場を偶然通りかかって、二人の一部始終を遠目から見て、わりと精神ダメージを受けているマッシュルームカットの少年が居たのだが。


「ま、なんとかするさ」


 言葉通りに、心に活を入れて、決意を新たにしたようで。

 歩む足取りは、これまでにないほどに力強いと自覚できるものであった。

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