×××が殺した



 日和恵那殺害の容疑で秋葉先輩と千絵が警察に身柄を確保されてから、もう一ヵ月が経っている。

 事件に関わったとされる宮下聡への取り調べから、やはり彼は十一月十七日の金曜日に秋葉先輩に脅され北千住駅で降りて、傘を入れ替えるという作業を行ったことが分かった。

 二人の自白によって深浦が恵那を殺したという誤解もなくなった。

 深浦に自分を許してあげて欲しいと天に願ったけれど、この祈りも届いているかどうかはわからなかった。

 猫の変死事件に関しても全ての罪を二人が認めたことで、私への悪意ある視線も見る影がなくなった。

 だけど新しく友達をつくる気に中々なれず、私は今でも昼食の時間になるとこうやって一人で新聞部の部室にこもるようになった。


 秋葉先輩と千絵は自主退学という形になったので、今はどこで何をしているのかは知らない。

 保護観察処分だとか、少年院だとか、精神病院だとか、未成年の犯罪の場合色んな処置が考えられるらしいけれど、私はあまり興味を持てないでいた。

 秋葉先輩がいなくなってから、私は代わりというわけではないけれど、タカラさんのところでバイトをするようになった。

 タカラさんはどうして秋葉先輩がバイトに来なくなったのかも訊いてこないし、どうして私が土日にバイトを志願したのかも知ろうとはしなくて、それが本当にありがたかった。


 それでも、時々やはり考えてしまう。

 もし私と恵那がこうやって高校で再会していなかったら、それか私が恵那に一言でも声をかけていたら、そもそも私と恵那が小学生の頃に親友になんてなっていなければ。

 たらればを言っても仕方がないと分かっていても、私は鬱屈とした虚無感に苛まれたまま日々を過ごしていた。



「教室にいないと思ったら、こんなところにいたのね」



 すると部員が実質一人だけになった新聞部の部室に、ボーイッシュな美形の女子生徒が顔を見せる。

 しばらくの間顔を合わせていなかった詩音さんは、前髪が幾分か伸びて少し大人っぽくなっていた。


「もしかしてまだ、自分のせいでとか思ってる?」

「……思ってません」

「嘘。でもまあいいわ。今日は頼まれたものと、頼まれてないものを持ってきたわよ」


 ここに来るのも久し振りね、と感慨深そうにしながら、詩音さんは机の上に文字がずらりと並んだプリントを幾つも並べる。

 それはどうやらワードソフトで書かれた多種多様な記事のようなものらしかった。


「なんですか、これ?」

「誠也が書きためてた年度末分までの校内記事の草案らしいわ。英二はまた鳴子ちゃんが新聞を発行したくなったら、その時にこれを役立てて欲しいって」


 あの人の記事を読むのは初めてだ。

 どれもこれも文章が砕け過ぎている印象があったけれど、ユーモアや機知に富んでいて親しみの湧く文章だった。

 時折り混ざる笑える程度に自虐的な表現もユニークだ。

 でも私はきっと、これらの記事を使うことはないだろう。

 そもそもまた校内新聞を発行する気になれるかどうかも怪しい。


「これ、頼んでいない方ですよね」

「ええ、そうよ。頼まれてた方はこっち」

「え?」


 次に詩音さんから渡されたものは見覚えのない名刺だった。名前のところには“秋葉政子あきばまさこ”と書かれている。

 これはどういうつもりだろう。

 私が詩音さんに時間があれば探して欲しいと頼んだのは、秋葉先輩が売り払っていたというスナップショットのはずだけれど、これはどう見てもそれではない。


「誠也が本当にお金のために、人を殺めたのかどうかの答え、でしょ?」

「そうですけど、この名刺がその答えになるんですか?」

「答えとしてはイエスであるけどノーね。でもこれ以上の答えはないと思うわ」

「すいません。ちょっと意味がわからないんですけど」

「大丈夫。鳴子ちゃんならすぐに分かるわよ。じゃあ、あたしもう行くわね。“次”に備えて調べ事を進めるから」


 ああ、忘れてた、これ、借りてたお金、返しておくわね、と詩音さんはなぜか百二十円を私に手渡すと、風のように新聞部を去って行った。

 詩音さんにお金を貸した覚えは一切なかったけれど、説明を求めるべき相手はもうすでにいない。

 仕方なく私は受け取った百二十円と名刺を眺めてみる。

 

 秋葉政子。

 

 想像はつく。

 きっと秋葉先輩の母親の名刺だろう。

 でもなぜそれを私に渡したのだろうか。

 そういえば精神系の病によって失職していたと聞いた。いったい今はどこで働いているのだろう。

 軽い気持ちで企業名を確認してみると、私は心臓に氷が押し付けられたような感覚を得る。


 “宮下コンサルタント”。


 ぞくり、と全身を襲う言いようもない嫌な感覚。

 秋葉先輩の母親はそんな名前の企業の、特別顧問という得体の知れない役職についていた。

 やけに乱れ始めてきた鼓動に急かされるように、私はネットで宮下コンサルタント、特別顧問で検索をかけてみる。

 結果、ヒットは零件。

 私は不吉な予感を抱き、次にスナップショットの相場も調べてみる。

 検索結果から幾つか記事を辿る。

 どう計算してもそれは生計を立てるには厳しいものだった。



『自分だけが損をして、それで全部丸く収まるならそれでいいみたいなこと考えてんだよ』



 いつの日かタカラさんが、秋葉先輩をそう評していた。

 今思えば、あの日どうして秋葉先輩は私とタカラさんに出会わせたのだろう。

 本当に仕事が忙しいからという理由だったのだろうか。


 もうじきに、自分はバイトに行けなくなるとわかっていたから、私を紹介したとしたら?


 これまでずっと燻っていた違和感にヒビが入り、急速に世界が回転していく。

 甦る記憶。

 私は大切な何かを見落としている。

 深浦から私に送られた手紙。

 あの手紙は一度開封済みになっていた。


 それが本当は深浦の迷いの跡ではなく、すでに私より先に読んだ人がいるとしたら?


 私は慌ててPCを立ち上げて、これまでに撮った猫の変死事件の写真を見てみる。


 首を折られた猫。

 顔を潰された猫。

 首を絞められた猫。


 そのどれも苦悶に満ちている。

 次いであのアカウントに乗っていた雨の日に、秋葉先輩が殺した猫の写真を見てみる。


 首を斬り裂かれた猫。


 ああ、きっと、そうだ。

 この猫だけはたぶん痛みを感じなかただろう。

 四肢を弄ばれる前に、おそらくこの猫だけはすでに息絶えていたはずだ。

 猫の殺し方が、違う。

 これまでの猫の虐待死と違って、あの雨の日に秋葉先輩が殺した猫だけ虐待の面影がない。

 思わず立ち上がり、私は弾かれるように新聞部の部室を飛びだす。

 冬の風は冷たくとも、今の私の身体の中を満たす熱を抑えることはできない。

 思い出すのは私が見たもの、聴いたもの、会った人。

 手元にある百二十円だけじゃ足りない。

 あの日財布を忘れたあの人には、利子をつけて返して貰わないと。

 千絵は言っていた。

 宮下聡を知っていると。なぜなら同じ中学出身だからと。


 偶然猫の虐殺を趣味とする高校生が二人出会い、傀儡に相応しい生徒を選んだら偶然、それは二人と関係のある人物だった?


 偶然。偶然。偶然。

 これほど偶然が重なれば、それはもはや偶然ではない。

 必然だ。

 私は駆ける。

 息の続く限り。

 いや、もはや息が続かなくとも。

 千絵は言っていた。

 これは千絵と秋葉先輩の勝負だったと。私はただの語り手にしか過ぎないと。


 千絵の敗北が正体を見破られることだとしたら、秋葉先輩の勝利はいったいなにを指している?


 ずっと秋葉先輩は、私が恵那の事件に関わることに否定的だった。

 それにも関わらず、真実に気づいた日、あの日だけは私を止めようとしなかった。それまでと、あの日の差は、深浦が自殺してしまっているかどうかの差だ。


 深浦が死んでしまったことで、秋葉先輩は何かを諦めたのだとしたら?


 千絵との勝負には勝ったが、別の誰かとの勝負には、深浦が死んだことで負けてしまったのだとしたら?


 痛い。

 痛い。

 心が痛い。

 それでも私は駆ける。

 もはや届かないとしても、それでも手を伸ばさずにはいられない。

 この私が伸ばした手の先にあるものは、やはり手を伸ばすに値するものだった。


『宮下聡が殺した』


 新聞部に届けられた紙切れ。

 そこに書かれていたのは、たしかに恵那の字だった。

 でもあのメッセージを私に届けたのは恵那ではなく、秋葉先輩だった。

 ならあれは秋葉先輩のメッセージ。

 恵那を視聴覚室に呼び出したのは、きっと秋葉先輩。そう考えると、おとりになったのは秋葉先輩で、その隙をついて恵那を襲ったのは千絵ということになる。しかも直前に深浦を騙す際に、少し負傷している千絵だ。

 それは少しだけ分の悪い賭けな気がしていた。確実に恵那を殺すつもりなら、男である秋葉先輩が恵那を襲うプランにした方がいい。


 なら本当は、恵那の気を引いたのが秋葉先輩で、背後から襲い掛かったのは、千絵ではなく別の“男”なのだとしたら?


 答えはすぐ目の前にあったのに。私は気づくことができなかった。

 “StoC”、というどこまでも分かりやすく、しかし軽度に暗号化されたアカウント名。

 本来なら、もっと複雑な暗号化をするか、全く関係のないアカウント名にしてもよかったはずだ。


 では、なぜそうしなかったのか?


 これは一種の“ゲーム”だったのじゃないか。

 秋葉先輩は自分たちにとって不都合な事実は隠すように行動しつつ、それでもなお“誰かに”真実を伝えようとしていた。

 じゃあ、このゲームのそんな規則ルールを決めたのはだれか。

 秋葉先輩をこのゲームに参加させることができるほど、強い主従関係。

 母親の病気や、家庭の経済環境を握られている可能性があるとしたら。


『俺も信じてたよ、綱海のこと。信じてよかったと思ってる』

 

 信じてたのに、と言った私に、先輩はそう答えた。

 秋葉先輩は、千絵とのゲームには勝てたのだ。

 秋葉誠也は、殺していない。


「ああ、そうか」


 一年八組の教室に辿り着いた私は、黒板に“宮下聡”の字を見つける。

 おそらく今日の日直か何かなのだろう。

 だけど私はその文字に見覚えがあった。

 名前ではなく文字に。

 それは深浦大和が自殺した翌朝に投稿された写真のうち、“事件の真相”という言葉から始まる手紙に書かれていた文字と全く同じもの。


“事件の真相。深浦大和は日和恵那と付き合っていながらも、綱海鳴子と関係を持っていた。そんな二人を怪しんだ日和恵那が話をつけるべく尾行をしていたところ、ある日綱海鳴子が猫を虐待している現場に出くわす。そして口封じと深浦大和を独占するために、綱海鳴子は深浦大和と共謀して日和恵那を殺害。しかし深浦大和は自責の念に駆られ自ら命を絶ってしまった。繰り返す。これが事件の真相。綱海鳴子を決して許してはいけない。精神病質者である綱海鳴子を決して許すな”


 全体的に左に傾いた、筆圧の薄い文字。

 これは秋葉先輩と千絵のアカウントであるStoCに投稿されたものだ。

 でも私はこのメッセージを見た時に、見覚えを感じなかった。

 だけど、それはおかしい。私は、恵那の書いた文字にもすぐ気づけたように、知り合いの文字には気づける。秋葉先輩、千絵、この二人の文字なら気づけたはず。

 これを書いたのは、秋葉先輩でも、千絵でもない。

 暗号化するには中途半端で、奇妙だと感じていた。

 でもそれも、今なら理解できる。

 先輩はあくまで、ルールに従った上で、真実を告げようとしていたのだ。

 ああ、そうか。

 私は千絵の言う通り、まだ勝負の場に立ってすらいなかった。



「宮下聡が殺した」



 声にすらならない大きさで呟かれた私の言葉に反応したのは、たった一人。

 小ぶりな鼻に薄い唇。

 癖のない黒髪は全体的に男子としては長め。

 一重瞼から覗く雀色の瞳には何の感情も映っておらず、つまらなそうに表情は沈んでいる。

 そんな少年はゆっくりと私の方を見ると、ブックカバーのなされた本を静かに閉じる。


 交錯する視線。


 まだ一度も直接話したこともないのに、歓迎するように彼はこちらに手を振ると、唇を音を立てずに動かす。

 秋葉先輩は言っていた。私を信じると。

 その意味を真に理解した私には、唇の動きだけでその少年が何と言ったのか理解することができる。


 ここからだ、ここからやっと私の戦いが始まる。



 “僕が殺した”、彼――宮下聡は、たしかに私にそう告げていて、それは私がただの傍観者ではなくなったことの証明でもあった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

宮下聡が殺した 谷川人鳥 @penguindaisuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ