第47話 おまけと蛇足と、あるいは彼の本編

 僕には胸の内にこびりついて消えない記憶がある。

 それはまるで、使い古した長靴にできてしまったフンのシミのように、どんなに洗っても、洗っても落ちない。そして、ふとした瞬間、脳裏によみがえる。

 だから、そんな時、僕は妻にまだ幼い子供達のことも、家のことも任せ、酒場に行って、酒を飲む。


「…雪か」


 寒さのせいだろうか。

 今日もまた、酒場に行こうとぼんやり決める。

 農作業を中断して、農具を納屋に持ち運ぶ。すみっこには、子供用の小さなベッドがおいてある。それは非常に粗末で、布団なんてあってもなくてもきっと変わらないだろうというくらいに薄い。

 僕はこの場所がキライだった。

 鍵を閉め、母屋に向かう。そして、妻に出かけてくると言うと、妻は心得たようにひとつ、頷いた。

 村はたいそう貧しい。

 それでも、魔王が代替わりしてからは大分マシになったが、昔はもっとひどかった。古い記憶の中では、何人も飢え死にしている。

 畑のあぜ道を通りながら吐く息は、白い。

 だから、寂れた酒場についた時は、ほっと息を吐き出した。

 カウンターに座り、いつものように酒を注文する。ほどなくして出された酒を喉に流し込んだ。

 酒なんてうまくない。

 ただ苦いだけだ。

 それでも、このぼんやりとした苦痛を和らげる程度には役に立つのだ。この苦痛がどこからくるかなんて、分かりきっている。




 僕には昔、兄だか弟だかがいた。

 僕らは生まれたときから一緒だった。僕はそいつより、少し魔力が強かったから、多少は守ってやらなきゃいけない、なんて考えていたかもしれないが、それ以上にそいつは僕にとって最高の遊び相手だった。

 だけど、母はそいつの事が僕よりも嫌いらしい、というのは時折感じていた。母の僕とそいつを見る視線はなんとなく違ったから。でも、それがどうしてなのかは、その時は分からなかった。

 実をいうと、今でも分からない。おそらく大した理由なんてないんだろうと思う。でも、あえて付けるとしたら、そいつの魔力が僕よりほんの少し劣っていたからで、家が貧しかったからだ。

 幼い僕はそんなことを気にかけずにそいつと遊んでいた。

 あの日もそう、雪が降った翌日の事だった。

 僕とソイツは家の手伝いを終えた後、外にでて、家の前で雪合戦をしていた 。

 珍しく降り積もった雪に僕らはおおはしゃぎだった。さいしょは楽しく遊んでいた。

 だけど、僕になげつけられた雪の玉に小石でもまぎれこんだのか。それが、運悪く僕の額に当たり、額から血が流れ出た。そのせいで、今でも僕の眉の上には小さな傷跡が残っている。

 僕は自分の額から流れ出た血にびっくりして、当然、泣き叫んだ。生まれてはじめて、自分の血があんなに流れ出るのを見たんだ。言い訳をするなら、そのくらいに、まだ、幼かった。

 それを聞きつけた母は家からでてくると、一目散に僕をかばうように抱き上げた。


「いたい、いたい…」


 僕はただ、それだけを繰り返していた。

 母は僕を抱き上げたまま、家の中に入った。ソイツのことはまるきり無視していた。それから、母は、家のキッチンの暖炉で湯をわかし、清潔な布を僕の額に押し当ててくれた。傷は深くなくて、すぐに血も止まった。

 僕は、そのころにもなると泣き止んで、簡素な木の椅子に座りながら、入れてくれた暖かいお茶をちびちびと飲んでいた。

 母はやさしく僕の頭を撫でると、大きな声でソイツを呼びつけた。


「リュカ! クラウスに謝りなさい」


 ソイツはキッチンの入り口で伺うように僕らを見ていたから、そんなに大声を出す必要はないのに、そう思ったことを覚えている。


「ママ、でも……」


 ソイツはおそるおそる僕の前までやってくると、困ったように口を開いたが、すぐに閉じる。


「なんで謝らないの!」


 母が長い金の髪をふりみだして、叱咤した。

 それに怯えたように肩を震わせると、助けを求めるように僕をみた。

 きっと、あのとき。

 ソイツが僕に謝っていれば。あるいは、僕があんなことを言わなければ。もしかしたら、もっと違う現実があったんじゃないか。

 その時は、それだけだった。

 でも、ソイツの態度が腹立たしかった僕は、口をきかなかったのだ。

 それでも、僕はソイツが謝りさえしたら、許してやるつもりだった。

 それなのに、一日たっても、三日たっても、一週間たっても、ソイツは僕に謝らなかった。そんなことは初めてだった。

 その間、僕らは口を聞かなかった。母も当然、ソイツを気にしていなかった。

 その日、早めに粗末な夕食を食べた僕らは、ささいな事で再びケンカをした。きっかけは、もはや些細すぎて覚えていない。

 僕はなんとなく、母さんがソイツにどんな反応をするかなんて考えれば分かったはずなのに、ケンカの後、八つ当たりで、こんなことを口にしたのだ。


「ねえ、ママ。ズルいよ」

「まあ、どうしたの。クラウス」


 母は膝をついて、僕と目線を合わせると、やさしく尋ねた。ママはいつだって、僕にやさしい。奇妙な優越感。


「ぼくも、リュカって名前がよかった。どうして、クラウスって名前にしたの。だって、リュカの方がかっこいいのに」


 それは、どうしようもない駄々だった。

 ただ、少しだけソイツを困らせてやろうと思ったのだ。


「クラウスっていう名前だっていいじゃない」


 とうぜん、母はそう言った。


「…クラウスもキライじゃないけど、リュカがいいの」

「しょうがない子ね」


 母はほほ笑んだ。




「じゃあ、リュカもクラウスも両方、あなたの名前にしましょう」




 それは、衝撃だった。

 僕は駄々をこねたくせに、まさか母が同意するなんて露程も考えていなかったのだ。

 僕はうしろを振り返った。

 ケンカしたまま、後ろに立ち尽くしていたはずのソイツは、もはやそこにはいなかった。ただ、玄関がしまる音がした。雪の降る外へ駆け出していったのだった。


「ママ、リュカが…」


 僕の言葉に母が首を振る。


「ちがうでしょう? いいのよ、放っておきなさい」


 僕は母の言葉に従い、ソイツのことを追わなかった。まあ、いっか、と思ったのだ。なんだかんだ言いながらも、後できっとママが探しにいくんだろう、と。

 代わりに食べ終わった食器を運び、母と二人でそれらを洗った。なんだか、普段もしているはずのその行為が、とても楽しかったことは覚えている。



 その夜、父が農作業から家に戻ってきても、ソイツは帰ってこなかった。

 僕は帰ってきた父が荷物を置くのもそこそこに、こっそり、その日の出来事を伝えた。自分に都合のわるい部分はぼかしながらも、父がなんとかしてくれないか、と都合のいいことを考えていた。

 父は、赤々と燃える暖炉の前で、木椅子にすわり、話を聞いた。

 そして、すべてを聞き終わったあと、立ち尽くす僕の肩を掴んでこういった。


「いいかい。クラウス」

「うん」

「ママも、大変なんだよ」


 ママモ、タイヘンナンダヨ。


 それだけだった。

 それだけで、もう父の中ではその問題は解決したことになったらしい。パイプをくゆらせ始めた父に、僕はただ頷いた。

 期待はずれ、その言葉を知ったのはもっと大きくなってからだった。



* 

「ぼく、ちょっと外でてくる」

「危ないからやめなさい」


 母は止めたが、それでも、僕は家をでた。

 外は真っ暗で、怖くて、寒かった。

 ソイツは家から少し離れた雑木林の中にいた。子供だからそんなに遠くにいけなかったおかげで、すぐに見つかったのは、幸いだっただろう。そのくらいには、心細かった。

 膝をかかえこんで座り込んでいた。長い間、雪の上にいたのだろうか。その体にはうすく雪が降り積もり、顔が寒さでまっさおになっていた。


「……?」


 ソイツは何かを見つめていた。

 近づいて見ると、それは吐瀉物だった。ソイツは自分の吐いたものを、まるで、そこに答えでもあるかのように一心に見つめていたのだ。


「……」


 ソイツは僕が近づいたのに気がつくと、ゆらりと視線を僕に向けた。冗談だったんだよ、ともごめんね、とも僕は言えなかった。だから、黙って、ソイツの冷えきった手をつかむと、その手を引っぱり、立ち上がらせると、家に向かって歩いた。

 その後の記憶はない。

 ただ、いつのまにか眠りに落ちていて、ふと、目を覚ました時には、僕のベッドの隣においてあったはずの、ソイツのベッドはなくなっていた。

 家の中を探しまわった後。ようやく見つけた母に聞いたら、風邪をひいたから、僕にうつさない為に場所を移動させたということだった。



 いつのまにか、酒場は賑やかになっていた。

 この寂れた町ではめずらしいことだ。どうやら旅人がやってきたらしい。赤毛の少女だ。なにやら、盛大に盛り上がっている。

「これでお話はおしまい。どう? わたしのとっておきの話よ」

 なにやら見せ物でもしていたらしい。

「おもしろかった! もう一回!」

「料金追加してくれるならしてあげるわ! 今払った料金の二倍でいいよ!」

 売り言葉に買い言葉。

 彼女の言葉に周りがどっと盛り上がる。

 ちょこまか動く彼女の動きに合わせて、その短い髪の毛がぴょんぴょん揺れた。

 その仕草が家にいる子供達を連想させる。

 僕の子供達もやがては彼女の歳になるだろう。どんな子供に成長するだろうか。

 自分の子供の世話をしていると、ふとした瞬間、不安にかられる。

 僕は、子供達を差別することなく育てられているだろうか?

 母の育て方が間違いだったとは思わない。

 でも、自分の子供を同じように育てたいとは、思わなかった。

 すっかり量の少なくなった酒を、ぐっと飲み干す。

 そもそも、僕はだれなんだ。

 リュカなのか、クラウスなのか。

 どっちでもあるし、どちらでもなくなってしまったのかもしれなかった。

 もういっぱい頼もうとカウンター越しに顔見知りの店員に声をかける。その声に反応したのか、少女がこちらを振り返った。

 僕と目が合う。

 緑色の目。

 酒場の照明を浴びて、彼女の目がきらきらと輝いた。

 ああ、きれいだな。

 少女はふふっといたずらっぽく笑う。そして、また楽しそうに周囲の人間と大騒ぎを再開した。

 なんだか自由なその様が。

 僕はたまらなく羨ましくなってしまった。

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魔王のお城 目 のらりん @monokuron

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