第46話 魔王のお城
雪がすっかり溶けると、しだいに気候が春らしいものへと変化していく。時折風が体にぶつかると寒さを感じるものの、死にそうなほどではない。
少女はすっかり旅支度を整えると、リュックサックを背中にしょいこんだ。今度は仕事道具も忘れずに、ちゃんと右腰のホルダーに入れている。
ざっと城の中を回って、やり残したことがないのを確認すると、中庭から表にまわった。
魔王城の門を押し開ける。
ぎいい、とがなりたてるような金属音をたてて門が開いた。
少女の他に姿はない。
少しばかり寂しいような気がしたものの、魔王のことだしね、と肩を竦めた。夕べのうちにすでに出発することは伝えてあった。
少女は旅に出なくてはならない。
少女が魔王にかけた魔法を補完するためだ。自由民の魔法は強力なものだ。けれども何かの拍子に、魔法自体を消されてしまうなんてことがないとは言い切れない。魔法が消えてしまえば、魔王はまたさまざまな思惑に巻き込まれることになるだろう。そうさせない為には、この魔法を色んな人間に知っておいてもらう必要がある。それが、魔法を力のあるものにする。
その手段として、少女は物語を選んだ。
これから少女は、いろんな所を渡り歩いて伝えるのだ。少女がいっしょに過ごした魔王との物語を。
魔王はいっしょに行けないのは残念だが、しょうがなかった。自由民の魔法は、かかる以前のものを無効化するような質のものではないのだ。
「さあ、行くわよ」
ほの暖かい朝日を浴び、少女は声に出して自分を励ました。
「じゃあね」
城から一歩踏み出そうとしたとき。
どこからか声がした。
「きみはヒドいな。人に生きろって言っておいて、自分は去っていくのかい?」
ちょっとだけ、拗ねたような声。
少女はその目を瞬かせて、城を振り返る。
一瞬の間をおいて、魔王が姿を現した。魔王もまた朝日を浴びて、まぶしそうにしている。心なしか責めるように少女を見ていた。
きてくれたんだ、少女は魔王の意外な行動にうれしいような、胸がかゆいような気がした。
「あら、ここにいてほしいの?」
「いや、そんなことはないさ。でも、旅に出る必要性が僕には分からないってだけ」
素直じゃないのね、呆れるやら嬉しいやらで、少女は吹き出した。
ひとしきり笑うと、にかっとイタズラっぽい笑みを浮かべる。
「また、会いましょう。ここに来てもいいでしょう?」
「…そりゃあ、もちろん」
「じゃあ、たくさんの土産話を持ち帰ってくる!」
「まあ、ここにいるかどうかは分からないけどね」
「え?」
「冗談だよ」
今度は魔王がいたずらっぽくほほ笑んだ。
そして、少女の瞳をじっと見つめる。
「…な、なに?」
あんまりにも長いこと見つめられるものだから、少女はどぎまぎした。
魔王がその手を伸ばして、少女の赤い髪の毛を一房、手にとる。肩までしかない髪の毛に触れているのだから、手は自然、少女の顔のすぐ横にくる。ときおり、それが少女の頬をかすめるのが、ひどくくすぐったい。
「君はこれから色んな人と会って、色んな思い出を重ねていくんだろうけど」
そんなことないわよ、とは言えなかった。
旅をするのだから、当然そうなるだろう。それは、とても、喜ばしいことだ。そうである、はずだ。魔王はその瞳を細めた。
「僕にとって緑色の瞳や、赤い髪の毛はとても特別なものになった。どうか、そのことを忘れないで」
どこか懇願するような響き。魔王は顔を少女に近づけると、そっと赤い髪の毛に口付けた。それは、祝福のキスだ。
「きみ僕の大切な人 が無事に旅をできますように」
顔を離す魔王を唖然と見つめながらも、少女はこくこく、と頷いた。
そして、照れるように頬をうっすら染めながら、お返しとばかり少女も告白する。
「あのね、…わたしね、あなたのことがとっても好きよ。大好きなの」
「……」
「だから、また会えるのを、とても楽しみにしているわ。…あなたこそ、わたしを忘れたりしたら許さないんだから」
「ありがとう」
どこかぎこちなく言われた礼。
少女はえい、とばかりに、魔王に抱きつく。
「さっきのお返し」
勢いのまま、魔王の頬にキスを一つ落とすと、身を離して、そのまま城の敷地から飛び出した。
「またね!」
手を振る少女に苦笑いをした後、魔王はすう、と消えていく。
少女の前に広がるのは、広大な荒れ果てた土地。
その先には森が見える。
いい天気だ。
さあ、まずどこに行こう。
世界は広い。広い。どこまでも、どこまでもつながっている。
「楽しみだわ」
広い、広い、空の下。
少女は思い切り、伸びをした。
*
ある日、金に困った貧乏な人間は、魔王がいるという城に忍び込んだ。しかし、城はまったくの廃墟でそこかしこにあるのはどうしようもないガラクタばかりだ。
中庭に出てみると、畑があった。
それから木の下には木製のテーブル。
小さな墓のようなものもあった。
「なんだ、ここ。だれか暮らしてんのかよ」
貧乏人は困惑の声を上げた。
廃墟のくせに妙に生活感の残る、その城は、しかし。だれもいない、がらんどうだった。
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